第7話 制作の連中が気にくわない
くそ熱いシャワーを浴びてから、俺は身支度をして出社した。
身支度と言っても、歯を磨いて、無精ひげを処理して、あとは新しいワイシャツにネクタイを締めるだけだ。スーツが皺になっているのは、この際仕方ない。
時間がないとき、男は楽だよな。
制服に着替えたラクスと「出ていけ」「いやだ」という論争をもう一度する時間はなかったので、俺は仕方なく彼女に言った。
「いいか。俺が帰ってくるまでに出ていけ。鍵はここに置いとくから、かけたらポストに入れといてくれ」
放置だ。
問題の先送りともいうが。
社会人とは、なによりも出社を優先する悲しい生き物なんだ。
台風だろうが、地震だろうがだ。
家にエルフがきたくらいで、会社は休めない。
もうあとは知らん。
諦めて〈黒鋼世界〉とやらに帰ってくれ。
俺はラクスのことを頭から締め出すと、梅田のオフィスに出社した。
シーガルキャリアの関西HR営業部は、JR大阪駅から徒歩数分の一等地にある一四階建ての年季の入った自社ビルを拠点にしている。
大阪駅前第4ビルというこれまた年季の入った高層ビルの目の前にあり、住所が梅田の七丁目だから社内ではU7という拠点名になっている。
そこに詰めているのは営業だけでも俺が所属している総合企画グループをはじめ、新卒採用担当の新卒営業グループが5グループ、中途採用担当の中途営業グループが5グループで合計11グループという大所帯。
そこに現場の営業マンを支援する営業企画部や、関西でのHR媒体のブランディング戦略を担うメディアプロデュース(MP)部といったミドルバック、経営企画や財務経理といったバックオフィスも入っている。
そんななかで、総合企画グループという部署は営業では花形とされている。
一応はな。
大手企業や予算規模が大きいクライアントを主に担当して、新卒・中途に関係なく総合的な採用ソリューションを提案する部署だからだ。
まあ、実際には大手企業の顔色をうかがいながら、担当者の意向に振り回される現場の兵隊だ。
シーガルキャリアのメディアを売らないことには始まらないってのに、ソリューションもなにもない。
「一ノ瀬さん、おはようございます」
一階では顔なじみの受付のお姉さんが、仕事用のスマイルで言ってくる。
俺は軽く手を挙げて挨拶し、満員電車かと思うくらいに人で溢れているエレベーターホールに身体を押し込んだ。
社会人になったころはうんざりしたものだったが、いつの間にか慣れてしまった。
そのまま押し流されるようにしてエレベーターに乗り込み、関西HR営業部が入っている一一階で降りる。
俺は首から提げている社員証を使ってオフィスへのドアを開けた。こいつは入室用のIDカードにもなっている。
自分の席が決まってない、いわゆる完全フリーアドレスのオフィスは、いまどきの企業という感じだ。
木の床にパーテーションのない白いデスクが並び、壁はホワイトボードになっていた。
いくつかある会議室はブルーやイエローといった色の名前になっており、カラフルなドアが並んでいる。
俺は適当に空いている席を探した。
フリーアドレスと言っても、自然とグループで固まることが多い。
「蒼梧きゅん、おはようさん」
「おはようございます、小萩さん」
会社見学にきた中学生みたいな小萩さんを見つけ、俺はその隣に座った。
「昨日はすいません。生駒、大丈夫でした?」
「気にせんでええよ。タクシーのなかで恋愛相談されてんけど、聞きたい?」
「遠慮しときます」
「そら残念。ユッキーはでろでろやったし、なんも覚えてへんと思うけどね」
生駒は酔っているときの記憶が曖昧になるタイプなので、昨夜のこともほとんど忘れているだろう。俺に対しての暴言も。
「これからアポですか」
俺はブリーフケースから支給されているノートPCを取り出して起動させた。
メーラーはスマホと同期させているので、どんなメールがきているのかは把握している。出社の途中に簡単なものを処理して、残りのややこしいやつを午前中に片づけるのが俺の日課だった。
小萩さんは俺とは反対に、ノートPCを閉じてカバンに入れている。
「ほら、昨日の夜に電話してたところあったやん? 念押しでいってくるわ。締め日までには申込書もらってくるし」
「助かります。受注したら連絡してください。桐山さんに詰められるのが、ちょっとはましになるかもしれないんで」
「蒼梧きゅんも大変やねえ」
小萩さんは俺の肩を気軽に叩くと、身長に不釣り合いな大きさのカバンを抱えた。
桐山さんというのはGM(グループマネージャー)という役職に就いている俺の上司・桐山哲太のことだ。GMは他の会社での課長といったところか。
総合企画グループは俺のチームも含めて4チームあり、個人とチームで目標となる数字を持っている。そして全チームの数字がそのままグループの数字になるわけで、当然達成していないと俺は上司から怒られるってわけだ。
「蒼梧きゅんがあんまり怒られへんように、お姉さんがんばってみるわ。ほな、いってきますー」
小萩さんは、八重歯を見せて笑った。
マジで天使だった。
合法ロリ天使。
この人は変にマネジメントするよりも、自由にさせておけば数字を取ってくるというタイプの営業だった。なので俺は、案件の確認や進捗こそ共有してもらってはいるが、プロセスにはあまり口出ししないようにしていた。
で、それとは真逆にある程度軌道修正してやらないといけないのが、我が後輩の生駒なわけだが。
そう思ったのと同じタイミングで、生駒からメールが送られてきた。
共有しているスケジューラーに、会議依頼を飛ばしてきている。
『一ノ瀬さん
おつかれさまです。
生駒です。
昨日はありがとうございました。
話に出たプロミスワークス様の件ですが、
打ち合わせの時間スケブロさせてください。
今日は午前中に別件でアポに直行しているので、
それ終わりにヒルイチの13時からミーティングしてもらえると助かります。
会議室はブルー03押さえました。
よろしくお願いいたします。』
生駒らしいなんとも生真面目なメールだった。
あいつは酒を飲んでいなければ、この会社には珍しいきちっとしたやつなのだ。
俺は生駒からの会議依頼を承認すると、残っていたメールを処理して打ち合わせの準備をすることにした。
今回はじっくりと腰を据えてやれる案件じゃない。
そうなると何度も提案を持ち込んでの地均しができないから、ほぼ一発勝負だと思っていいだろう。最初の提案段階の企画書で、全体のコミュニケーションプランと、コンセプト、各制作物のイメージがわかるものは必要だ。そのうえで予算感。
「制作を入れるか」
俺はそう結論した。
営業だけの提案では、クリエイティブの品質を担保できない。
そのため制作部と協働して企画提案を行うことは結構多い。
とはいえ。
はっきり言えば、俺は制作の連中が気にくわない。
同じ会社とはいえ、人種がまったく違うんだ。
仕事でこだわるポイントも違う。
反りが合わないってやつだ。
けど、そうも言ってられないからな。
俺は頭のなかで何名か候補を思い浮かべ、どいつもこいつもいやだなあ、と思った。
どうせいやなら、少なくとも仕事のできるやつがいい。
それも手の空いているやつが。
俺はスマホの連絡先一覧から、よく見知った名前に電話をかけた。
「おつかれさん。営業の一ノ瀬です。いまちょっといいか、朝倉?」
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