第9話 愛妻弁当というやつだぞ

 一階の受付横にある待合スペースのイスには、ちょこんとあいつが座っていた。

 金髪、真っ青な瞳、真っ白い肌の、異世界のJKだ。

 いまどきの若者らしく、スマホの画面をいじっている。

 本当にお前は異世界のエルフか?

 そして、やはり異様に目立っている。

 受付の前をとおり過ぎる社内外の人間は、男女問わずにちらちらと視線を投げかけていた。

「ラクス……!」

 俺がその名前を呼ぶと、彼女は尖った耳をぴくりと反応させて嬉しそうな顔をした。

 まち合わせていた恋人がきたような反応だ。

 やめろ。 

 鉄壁のスマイルを浮かべている受付のお姉さんですら、訝し気な雰囲気になっているだろうが。

 まるで俺がJKを職場に呼んだみたいじゃないかよ。

 まあ、状況としてはそのとおりなんだが。

「お前、なんでここに」

 俺は頭を抱えたくなる気持ちを押し殺し、待合スペースのラクスに静かな声で言った。

 もうこれ以上目立ちたくはない。

「帰れって言っただろ」

「私はいやだと言ったぞ」

 エルフは頑なだった。

 俺は嘆息して、「どうしてここが」と思ったが、勤務先の社名を知っていたのだから探し出すのは難しくないかもしれない。

 手元でいじっているスマホで検索すればいいからな。

 すると、ラクスは大事そうに抱えていた紙袋を俺に向けて差し出した。

「お弁当をつくってきたぞ」

 少し恥ずかしげに目を伏せて、ラクスは笑った。

 俺は頭がくらくらする思いだった。

 こいつの笑顔に惚れたとか、そんなアホな理由じゃない。

 明らかに悪化している、この状況にだ。

「ちょっとこい!」

 俺はラクスの手を取ると、足早にビルの外に出た。

 あんな人目のつくところで、これ以上こいつと話しているわけにはいかない。

 どこからどう見ても、金髪のJKとサラリーマンだからな。

 まっとうな会社の待合スペースにはあってはならない光景だ。

 ビルの裏側にある喫煙スペースに連れていく。

 緑に囲まれたちょっとしたスペースで、灰皿とベンチが設置してある喫煙者のオアシスだ。ここならビルの外からは見えないし、幸いなことにいまは社内のやつらもいなかった。

 俺がなにかを言う前に、ラクスが口を開く。

「ソーゴが朝食を食べていかなかったので、お腹が減っているだろうと思って」

「お前な……」

 実にまっとうな理由だ。

 これを言ったのが恋人や嫁だったら、感動ものだ。

 だが、こいつは違うからな。

「君の好みがわからなかったので、口に合わなかったらすまない」

 ラクスはそう言って不安げな表情になった。

 なんだか怒る気力もなくなり、俺はベンチに腰を下ろした。

「だからって、会社に持ってくるな。俺を社会的に殺す気か?」

「なぜだ?」

 本当にわかっていないのか、彼女はきょとんとしている。

「いいか、この国はな。身内でもない女子高生が、社会人の男に弁当を持ってくるような関係は白い目で見られるし、なんかいろいろしてたら法律的にもアウトなんだ」

「ああ、そんなことか。だったら問題ないだろう」

 ラクスは真面目な顔で言った。

「君と私は、結婚の約束をしているのだから。言わば婚約者だぞ」

「胸を張るな。そんな約束は知らない」

「むー……」

 ラクスがわざとらしく頬を膨らませる。

 硬い言葉遣いのくせに、案外と表情はころころ変わるやつだ。

 よくよく考えれば異世界のエルフのくせに日本語を話しているんだから、勉強したんだろう。英語を話す日本人が、ネイティブほどくだけた話し方ができないのに似ているのかも知れない。

「それに、俺は出ていけって言っただろ」

「私はいやだと言ったぞ」

「そもそも、お前は社長なんだろ。仕事はいいのか」

「部下に任せているから問題ない。それに向こうでの大きな仕事がようやく落ち着いたのだ。働き詰めだったので、少し長い休暇をもらっている。だからこうして、君に会いにきた」

 ダメか。

 仕事を理由には帰ってくれそうにない。

 部下に対処できないような、大きなトラブルでも起きれば別だろうけどな。

「学校は?」

「ああ。卒業に必要な単位はもう取っているからな、あまりいく必要はないんだ。籍があるうちは制服姿でいられるので、重宝している」

 俺は頭を抱え、ベンチでうなだれた。

 仕事じゃQ末の売上が未達成、私生活じゃ押しかけJKエルフ。

 ストレス耐性には少しばかり自信があるが、さすがに胃が痛くなりそうだ。

 魂が抜けるような深いため息をつくと、俺の横にラクスが座る気配がした。

 顔を上げると、無言で紙袋を突き出してきている。

 ものすごく期待が込められた視線を感じ、俺は仕方なく紙袋を受け取った。

 耳を激しく振るな。

 紙袋をのぞき込むと、どこから引っ張り出してきたのか、ご丁寧に布に包まれた弁当箱が入っている。

 確かうちにあったなあ。

 社会人になってから付き合い始めたころ、夏海が二人分の弁当をつくると言って、三日と続かなかったときに買った一式が。

「一応、お弁当のレシピは検索してちゃんとつくった。動画でつくり方を教えてくれるやつがあるのだ」

「スマホを使いこなすにもほどがあるだろ」

「こちら側の世界で仕事をするのだから必要だろう? 日本語は話すのはともかく、読み書きが複雑で困るので、英語の端末を使っているのだが。英語はいい。文字の種類が少ないからな。実際、英語圏での取引が多いし、英語さえできれば大体はなんとかなるものだ」

 グローバル企業で働く活躍人材か、お前は。

 新卒採用ホームページに掲載されている、社員インタビューに出てきそうなことを言いやがって。

 年下のJKに、俺は社会人として妙な敗北感を覚えた。

「……食べてみてくれる?」

 だから、そんな期待に満ちた目で俺を見るな。

 受け取っておいて、食べずにゴミ箱に捨てる?

 さすがに俺にはできない。

 どんな鬼畜だよ。

 小さな既成事実を積み重ねられている気がしたが、俺は紙袋から弁当箱を取り出した。

 包んでいる布を解き、二段重ねになっている弁当箱のふたを開ける。

「…………」

「どうだ?」

「いや、普通にうまそうではあるけど」

 俺はそうとしか言えなかった。

 そこにあったのは、まったくもって完全な手作り弁当だった。

 たまご焼きやから揚げといった定番のおかずに、サワラの西京焼き、きんぴらゴボウ、サラダにプチトマト。

「よかった」

 ラクスは料理を褒められて嬉しそうに尖った耳を振っていた。

「一応、彩りも気にしてつくってみたのだ」

 その言葉のとおり、「おかずエリアがなんだか茶色い」みたいな状態にはなっていない。

 なんならたまご焼きにはホウレンソウがくるまれていて、黄色と緑が美しいくらいだ。

 母よ。俺が中学のときにこんな弁当であってほしかったわ。

 そんなおかずが詰められている一段目を外し、二段目を見てみる。

 シンプルに米だった。

 ただ。

 

 ピンク色のハートマークが描かれてはいるが。


「…………」

「愛妻弁当というやつだぞ」

 ラクスは照れ照れしながら、きっぱりと言ってきた。

 誰がどう見てもそうだろうな。

 それ以外にない。

 ピンク色のそぼろみたいなやつ――桜でんぶ――なんて、これ以外になんの用途があるというんだろうか。

 俺は観念した。

 期待を込めた視線を浴びせてくるラクスに言う。

「そんなに見つめるな。食べにくい」

「そ、そうだな。すまない」

 彼女は慌てて正面を向いた。

 まるで判決をまつ被告のように、肩に力が入っている。

 そして俺は、異世界からやってきたエルフのつくった日本式の弁当に口をつけた。

 見た目が完璧だけど味は最悪――なんてことはなかった。

 たまご焼きは少し甘い味つけで、ホウレンソウの食感がアクセントになっている。

 から揚げはべたつかないように揚げられており、西京焼きは冷めてもかたくない。

 全部が全部、完璧につくられている。

「うまいな……普通に」

「よし! やった! 私もやればできる!」

 なんの変哲もない俺の感想に、ラクスは両手を握ってとても嬉しそうな顔をした。

 尖った耳を激しく動かしている。

「料理うまいんだな」

「ソーゴにつくってやるために、練習したからな。恐れ入ったか」

 ラクスは胸を張ると、自慢と照れが混ざり合ったような笑顔になった。

 俺はいまどんな顔をしているのだろう。

 なんとも言えない気分だ。

 これはちょっとした罪悪感だな。

 本当にラクスが言っているような約束を俺がしたのだとしたら、そのために彼女がいろいろと努力をしてきたのだとしたら、それを忘れてしまっている俺はどうしようもないやつだよ。

 俺は弁当を食べる手をとめて、隣に座るラクスに言った。

「なあ、本当に俺がお前とそんな約束をしたんなら、そりゃいつの話だよ」

「こちらの世界で言えば、五年くらい前だぞ」

「ご……」

 俺が新卒社員だったころか?

 ってことは、ラクスはこっちで言えば小学校の高学年くらいか?

 いやいや、マジでやばいロリコン野郎じゃねえか。

 俺は自分の隠されているかもしれない性癖にぞっとしたが、思い当たる記憶はやはりない。ラクスの容姿からして、小学生でも相当な美少女に違いない。いくらなんでも覚えているはずだ。

「ひょっとして思い出したのか!」

「いやまったく」

「むーっ!」

 期待を裏切られて、ラクスは明らかに落胆した。

「なぜ思い出さないんだ! 私はこんなに覚えていたというのに!」

「そんなこと言われてもな。覚えてないものは覚えてないからなあ」

「もうわかった! 君がそういう態度でくるなら、私にも考えがあるぞ」

 ラクスはベンチから勢いよく立ち上がり、握った拳をわたわたして地団駄を踏む。

 なんとなく間の抜けた感じだ。

「思い出さないなら、約束など関係なしに私に惚れさせてやるからな!」

 俺はびしりと指を突きつけられた。

 諦めて帰ってくれるという選択肢はないらしい。

「首を洗ってまっていろ」

「殺し屋かお前は」

「う、うるさいな。とにかく、私は帰らないからな!」

 そして、彼女はわざとらしくせき払いする。

「あと……お弁当、食べてくれてありがと」

 俺は不覚にも、ちょっといい子かもしれないな、と思った。

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