第10話 肉食系の元カノやばい
空になった弁当箱が入った紙袋をデスクに置いて、俺はブルー03の会議室に向かった。
ラクスとひと悶着あったせいで、数分の遅刻だ。
会議室にはすでにアポから戻ってきていた生駒がいた。
彼女はこの会社にしては珍しく、時間をきちんと守るやつなのだった。
狭い部屋で、四人が座れるデスクと、ノートPCの画面を映すためのモニターが一台あるだけの打ち合わせ用スペースだ。
「一ノ瀬センパイ、五分遅刻です」
「いいだろ、五分くらい」
「そういう緩いところが、この会社のダメなところなんですよ」
「時間に緩いのはうちの文化なんだよ」
俺はそう言いながらも、生駒の言葉はまったく正論だと思っている。
さすがにクライアントとのアポには遅刻しないが、社内に対しては実に適当だ。
彼女も慣れたものなのか、それ以上は追求してこなかった。
営業よりもさらに緩い制作の夏海はまだきていない。
「ごめんごめん、ちょっと遅れた」
と、思っていたら背後から夏海の声がかかる。
「俺も遅刻だから気にするな」
生駒は俺の後ろから続いて会議室に入ってきた夏海を認めると、明らかに不満そうな顔になった。
「どうして、朝倉さんがいるんですか」
「一ノ瀬に呼ばれたからだけど?」
夏海は涼しい顔で言った。
わざとらしく眼鏡を押し上げる様子は、実にクールだ。
「提案まで時間がないんだ。制作を入れといたほうが正解だろ」
「それはそうかもしれないですけど……なんでよりもよって朝倉さんなんですか」
「仕事ができて暇だからだよ」
「だから、暇とは失礼ね」
「だってお前、干されてるだろ」
「ちょっと、わたし干されてないから……!」
夏海は俺の肩を軽く叩くと、嘆息した。
俺たちの様子を見ていた生駒はますます不満そうだ。
「一ノ瀬センパイのバーカ、バーカ」
なんなんだ、まったく。
俺は生駒の隣に座り、持ってきたノートPCを開いた。
生駒に案件の説明をさせようとしたが、その前に夏海が口を開く。
「生駒ちゃんはわたしと仕事するのいやなんだ?」
「別に……いやとかじゃないです。すいません」
「別に謝らなくても」
夏海は涼しい顔で、俺の正面に座った。
「何度か仕事したことあるけど、そんなに嫌われてる感じだと思わなかったな。それともわたしと一ノ瀬が一緒にいるのがいやだったりして?」
「うえ? そ、そうですね。だって、お二人は昔、付き合ってたんですよね? なんというか、気まずいじゃないですか。そういうの」
「わたしは別に気にならないけどなあ」
俺はさっさと仕事の話をしたいのだが、どうも変な方向に話が転がりそうだった。
生駒が言うこともわからなくはないが、気にしすぎだ。
俺と夏海なんかより、はるかにどろどろした話は社内に腐るほどあるからな。
「朝倉さんが気にならなくも、あたしが気になるというか……あ、いえ、周りはやっぱり気になるじゃないですか?」
「実は復縁したの」
「はあ……!? ちょっ、ええっ?」
目に見えて動揺した生駒が、夏海と俺を交互に何度も見た。
それから頭を抱えて、ぶんぶんと左右に振る。
締め切り間際の作家かよ、お前は。
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああ! 元サヤァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッッッッ!」
生駒はデスクに突っ伏して肩を震わせた。
「まだなにも始まってなかったのに。肉食系の元カノやばい……一ノ瀬センパイのバーカ、バーカ、死ね」
ひどい言われようだ。
俺は小さく嘆息した。
「朝倉、あんまり生駒で遊ぶなって」
「ごめんごめん。生駒ちゃん、ウソウソ。ナウでポップなアメリカンジョークよ」
わけのわからないことを言う夏海の言葉に、生駒はゆっくりと顔を上げた。
ちらりと俺のほうを見てくる。
「ホントですか?」
「ああ。別に俺と朝倉は復縁なんてしてないし、その予定もねえよ」
「じゃあ一ノ瀬センパイはフリーなんですか」
「そうなるな」
「若くて胸の大きい女子は好きですか」
「なんの話だ」
「若くて胸の大きい女子は好きですか」
「なんで二回聞く」
綺麗なお姉さんは好きですか、みたいなノリで聞いてくるんじゃねえよ。
胸の大きい女子はどちらかと言えば好きだが、別に重要な要素じゃない。
多分。
生駒は明らかに夏海を意識して、視線を送っていた。
じっとりとして突き刺さるような視線だったが、夏海はまったく気にしていない。
「生駒ちゃん。若いとか胸が大きいとか、そういう露骨で下品なこと言わないほうがいいよ。女子として」
「そうですよね。朝倉さんは持ってないですもんね」
「そうねえ……」
夏海はずれていた眼鏡を押し上げ、ビジネス用の笑顔になった。
怖い。
「復縁はしてないけど、セフレよ?」
「せっ……!」
「いやおいまて」
「せふ……!?」
生駒はさっきよりも驚愕に目を見開いて、俺と夏海を激しく交互に見た。
「蒼梧くんとわたし、エッチの相性ばっちりなの」
こんなときだけ、「蒼梧くん」とか言ってんじゃないよ。
夏海は「にへっ」という笑みを浮かべ、言葉を続けた。
「昨日も五回した」
「ごっ……!?」
「蒼梧くん、激しいから壊れちゃうかと思ったなあ」
「そ、そんなにですか……?」
生駒が顔を赤くして、なぜか俺を睨んでいる。
まってくれ。
五回もできるわけない。
最高でも三回――
いや、そうじゃない。
生駒も冷静に考えれば気づくだろ。そもそも昨日は終電なくなるまでお前と小萩さんとで飲みにいったじゃないかよ。朝倉に会う時間なんてないよ。
「一ノ瀬センパイのバーカ、バーカ! ドスケベ! 死ね!」
残念ながら、ちっとも冷静じゃないな。
「お前らいい加減にしろ。ここは飲み屋じゃねえぞ」
俺はわざと硬い声を上げた。
「朝倉、マジで遊びすぎだ」
「ごめんごめん。生駒ちゃんの反応が面白くて」
夏海はぺろりと舌を出した。
こいつ全然反省してないな。
「生駒、お前もいちいち真に受けるんじゃねえよ」
「……はい。すいません」
生駒は口ではそう言っているものの、「こいつ、本当は元カノとセフレなんじゃないか」という疑惑の視線を向けてきている――ような気がする。
俺の被害妄想であればいいんだが。
まだなにも打ち合わせをしていないというのに、恐ろしい疲労感だ。
この二人を一緒にしたのは間違いだったのか?
俺がいないときは、こんな感じじゃなかったと思うんだが。
あれこれ考えても仕方ないので、俺はもうさっさと打ち合わせを終わらせることにした。
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