第19話 俺の仕事にがんばる価値なんてないよ

 俺は終電まで仕事をして、企画書の大枠をどうにかつくった。

 生駒と夏海が担当している説明会の設計とクリエイティブをこいつにガッチャンコさせれば、晴れて企画書の完成ってわけだ。

 メディアプランはこうだ。

 今Qのうちに四週間掲載のG5を三本、これで450万円。

 掲載職種は細かい分類はいったん無視して、プランナー、デザイナー、プログラマの三職種にまとめる。こいつは打ち上げ花火みたいなもので、プロミスワークスが大規模な中途採用を開始するという話題の受け皿になる。

 このG5の掲載と同時に、細分化した職種に対応したG1を20本走らせる。

 プランナーならシナリオプランナー、イベントプランナー、バトル・モンスタープランナー、コミュニティプランナー、レベルプランナーごとの原稿だ。

 こいつは三ヶ月間ずっと帯で掲載し続けて、新たな応募者が発生した瞬間に受け皿になっていつでも応募できるようにするためのものだ。

 G1は1本で15万円。それが20本で三300万円。

 久慈チームの損失分はこれで穴埋めできる。

 本来は四週間で掲載が終了するごとに更新料として同じ金額を払ってもらう必要があるが、ここは二ヶ月分の掲載料600万円を値引きする。

 貴社特別価格ってやつだ。

 さらに企画商品の説明会設計・運用を300万円。

 うち、数字になるのは三割の90万円。

 これで、見積もりはこうなる。


・提案額合計:1650万円

・割引:600万円

・貴社特別価格:1050万円


 これがそのまま受注したとしたら、営業の数字につくのは840万円。

 俺のチームも達成するし、総合企画グループもめでたく達成だ。

 だが。

「厳しいな」

 それが俺の率直な感想だった。

 目標の達成を考えれば、どれだけ値引きできてもあと40万円。

 それでも提案額は1000万円超えだ。

 さすがにこれだけの金額が、人事マターで決済できるとは思えない。

「お帰り、ソーゴ」

 自宅マンションのドアを開けると、奥の部屋からとてとてとラクスが駆けてきた。

 いい加減、異世界の学校の制服姿はやめてもらえませんかね。

 こっちの世界でもありそうなデザインだから、全力で変な誤解が生まれていくだろうが。

 俺は夏海に見せられた画像を思い出してぞっとした。

 出回ってるとか言ってたからな。

 従妹という設定で乗り切れるだろうか。

 いや、無理だろうなあ。

 あれを撮影した制作部の後輩とやらは、今度一回詰めておいたほうがいいな。

「ずいぶんと遅かったのだな」

 ラクスの尖った耳がひこひこしている。

「……完全に居ついたなあ」

 俺は嘆息混じりにそう言うと、苦笑いするしかなかった。

「ご飯にしまーす? お風呂にしまーす? それとも……私?」

「すげー棒読みで言うなや」

「む。こう言って出迎えるのではないのか?」

「どこから仕入れてくるんだ、そういう知識?」

 俺はネクタイを緩めると、部屋に上がった。

 リビングのローテーブルには、ラクスの「ご飯にします?」の言葉どおり、ちゃんと食事が並んでいた。

「どうだ、和食に挑戦してみたぞ」

 えっへんと胸を張る。

 サバの味噌煮を始め、見事な和食だ。

 肉じゃがは和食なのか賛否あるだろうが。

「米も炊いたし、味噌汁もつくった」

 俺がつくれる料理と言えば、カレーとペペロンチーノくらいだから、なんとも豊かな食生活だ。昨日の弁当といい、料理うまいんだな。

「今朝は起きたらもうお昼だったのでお弁当は間に合わなかったのだ。でも、きちんと夜ご飯はつくったぞ。私はできる嫁。褒めてくれ」

「そういうことは自分で言うな」

「むー」

 どことなく不満そう。

 俺は自覚していた以上に疲れていたらしい。

 押しかけエルフとの、こんなしょうもないやり取りで、ちょっとばかり気が楽になる程度には。

 俺はスーツの上着を脱ぎ捨てると、ソファに腰を落とした。

 泥のように眠たい。

 そりゃそうだ。

 よく考えれば、俺はほとんど寝てないからな。

「仕事、大変なのか?」

 俺の顔を覗き込むようにして、ラクスが言ってくる。

「なんで?」

「君がそんな顔をしているから」

「そうか……」

 一人暮らしが長いと、自分が仕事から帰ってきてどんな顔をしているのかなんて気にしなくなっちまう。

「別に大変ってわけじゃない。この業界じゃよくあることさ」

 そう、本当によくあることだ。


「一ノ瀬センパイ、そもそも数字ありきの提案なんてどうかと思いますけど!」


 生駒ならきっとこう言うだろう。

 そのとおりだよ、後輩。

 お前の言うことは正論だ。

 これはただ数字をつくるための、クソみたいな提案だよ。

 まったく本質的じゃない、誰も幸せにならない仕事だ。

 そんなことは。

 そんなことはな。


 俺が一番わかってる。


 わかっているが、それはどうしようもないことだった。

 誰かがやらなければいけない仕事だし、誰もがやっている仕事だ。

 そして、俺の仕事でもある。

 なぜなら、俺はサラリーマンだからな。

 俺が黙っていると、ラクスがおもむろに隣に座った。

 制服の短いスカートの裾が翻り、露出している真っ白な太ももがまぶしい。

 彼女はせき払いすると、ちらりと俺を横目で見た。

 自分の太ももをぽんぽんと叩く。

「ソーゴ」

「?」

 意味がわからず、俺は首を傾げた。

「むーっ! わかれ!」

「わかるか! なんなんだ」

 ラクスはものすごく残念そうな目で俺を見て、大きく嘆息した。

 視線を合わせずに言ってくる。

「疲れている君を癒してやるぞ、膝枕で」

 おお、ああ、そういう意味だったのか。

 膝枕なんてまったく経験ないから思いつかなかったわ。

 いや、高校生のときにしたか?

「さあこい!」

 ノックをまつ三塁手みたいな掛け声とともに、ラクスが自分の太ももをしきりにぽんぽんする。

 まさか社会人になって、JKから膝枕を誘われることになるとはな。

 なにこれ、JKリフレかな?

「さあこいって……お前」

「いいから!」

「うぉ……!」

 俺は強引に腕を掴まれて、そのまま引っ張られた。

 押さえつけられるようにして、半ば無理やりに膝枕させられる。

 エルフの太ももは恐ろしくすべすべの肌で、硬すぎず柔らかすぎない絶妙さだった。

 後頭部にラクスの体温を感じる。

 俺は抵抗するのをやめた。

 彼女の腕力が、その細い腕のどこにそんな力あるの、というくらいすごいのは置いておいて。まあ、やっぱり、疲れていたんたろう。

 彼女が俺の顔を覗き込んでくる。

 真っ青な瞳に映っている俺は、どんな顔なんだ。

 仕事に疲れた、情熱なき社畜の顔は。

 数十秒か、あるいは数分か、会話はなにもなかった。

「好きなことを仕事にしていたって、しんどいことはある」

 不意にラクスがそんなことを言った。

「それでも。自分の仕事に1パーセントでも楽しいと思えることがあるなら、がんばる価値はあると思うぞ」

「誰の言葉だ?」

「誰かの言葉さ」

 ラクスは少し笑ったようだった。

 そんなことを言えるやつは、幸せなやつだよ。

 自分の仕事に、これっぽっちでも楽しいと思えることなんてあるやつはな。

 俺は別にこの業界が好きで入ったわけじゃない。

 仕事が楽しいと思ったこともない。

 いや、ずっと昔は違ったのかもしれないが。

 残念ながら、それはもう昔のことで、いまではない過去のことだった。

「俺の仕事にがんばる価値なんてないよ」

 それは俺の本心だった。

 本心だったが。


「なら、どうして君は、仕事を続けているんだ」


 ラクスの言葉に、俺は答えることができなかった。

 そんなこと、俺が知りたいくらいだよ。

「ソーゴ、私と結婚して、私の会社にこないか?」

「は?」

 突然の提案に、俺は間の抜けた声をもらした。

 こちらを覗き込んでくるラクスの顔は真剣そのもので、冗談ではないことはすぐにわかった。

「私が住む〈黒鋼世界〉は東西大陸の戦争が終わって、大陸間貿易が爆発的に伸びたので好景気なんだ。私の会社も右肩上がりに成長しているのだが、モノの流通が本格化したあとは人だ。恐らく東西大陸の国家間で人の流動性が増すだろう。よりいい仕事を求めてな。だから、いち早く人材領域の事業に進出するのも悪くないと思っているのだ」

 俺はラクスが見せた経営者の顔に、ぽかんと口を開けた。

 バカみたいな顔になっているに違いない。

「人材領域のビジネスモデルは似たり寄ったりだろうから、先行者利益をどこが取るのかにかかっている。君の勤める会社がかつてそうしたように」

「本気で言ってるのか?」

「もちろん本気だ」

 ラクスは力強くうなずいた。

「どうだ、ソーゴ。君の経験も存分に活かせるし、いまよりも好きなようにできると思うぞ。給与だって現状よりも払うことを約束しよう。円かドルで。こっちの世界に戻ってくることも簡単だ。なにも不自由しない」

 まさか俺がヘッドハントされるとは思ってもみなかった。

 それも異世界のエルフが経営している会社に。

 不思議と俺は、いままで転職なんて考えたことはなかったんだ。

 辞めたいと思ったことは何度もあるが、転職を本気で考えたことはなかった。

「それに、こんなに可愛い嫁がついてくるんだぞ?」

「最後の条件はいらねえな」

「むーっ! なんでだ!」

 ラクスの提案は、バカバカしいと思う。

 だというのに。


 俺はその場できっぱりと断れなかった。

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