1.地獄の季節とJKエルフ
第1話 土下座でもなんでもして
数字を追いかける営業マンにとって、地獄の季節は一年に四回ある。
シーガルキャリアでは四半期(クオーター)ごとに個人とチームの売上目標が設定されており、その追い込みをかけるクオーター末(Q末)――六月、九月、十二月、三月がそれだ。
個人の評価はこの数字で決まるから、どんな手段を使っても達成しないと給料が恐ろしく下がる。給与明細を見て震えるほどにな。
入社して五年。
俺はチームリーダーになった。
名刺の肩書は『関西HR営業部総合企画グループ 営業チーフ』だ。
こうなると個人の数字だけ達成しても意味がない。
チームの数字も、俺の評価になるからな。
いまは六月の三週目、火曜日。
一週間後には1Qの売り上げが計上できる受注締めになっちまう。
そして、俺のチームは数字を達成していない。
「生駒」
大学生がバカみたいにはしゃぐ梅田の阪急東通り商店街の安居酒屋で、俺は目の前に座っているメンバーの名前を呼んだ。
四名掛けにしては狭いテーブル席には2本で280円という安さの焼き鳥がこれでもかと並び、空になった中ジョッキのビールグラスがいくつか並んでいる。
「なんですか、一ノ瀬センパイ」
生駒雪乃はビールをあおるように飲むと、少しばかり充血した目で俺を見た。
新卒入社2年目の23歳。
学生っぽさが抜け切れていない顔立ちは、実年齢よりも少し幼く見えた。
大学時代にミスコンでファイナリストだかになったらしいが、美人よりは可愛いといった印象が強い。
そのせいで少し明るい色にしたセミロングの大人っぽい髪型は、背伸びをしているようであまり似合っていなかった。
そんな彼女にも、年次など関係なくノルマはある。
だから、俺は言った。
「お前、達成まであといくらだ?」
「ざっくり500万です」
締め日までに売り上げるには絶望的な数字だ。
真面目にコツコツと営業して回収できる金額じゃない。
「マジかよ」
「マジですよ」
生駒は半眼で言った。
中ジョッキがまた空になる。
「一ノ瀬センパイ、無理ですよ。無理無理。そもそも1Qの目標が1000万とかありえませんから、絶っっっっっ対!」
生駒は力強く宣言した。
俺もそう思う。
俺たちHRの営業マンが扱う商品は、大きくわければ二つある。
シーガルキャリアが運営する新卒採用メディアのガルナビと、中途採用メディアのガルナビNEXTだ。
だが、ガルナビは経団連の規約もあってまだ営業は解禁されていない。この時期はインターンシップ用のガルナビISを売るしかないが、あれは金にならない。ほとんどが本番のガルナビにつなげるための無料参画だ。
必然的にこの時期の主力商品はガルナビNEXTになるわけだが、最大の原稿サイズを売っても150万円。そんなものポンポンとは売れないし、長くても四週間しか掲載しない中途採用のメディアにそこまで金を出す企業はそうはない。
特に首都圏に比べれば中小企業が多い、この関西圏のマーケットはな。
そんなことは百も承知で、だが俺は言った。
「無理じゃねえよ。やるんだよ。土下座でもなんでもして、受注してこい」
生駒は露骨にいやな顔をした。
そりゃそうだ。
新卒2年目。
まだ自分の仕事に夢や希望を持っている。
だが、そんなもんじゃ数字はつかない。
「一ノ瀬センパイ、あたしはあ、この仕事にちゃんと誇りを持ちたいんです」
生駒は若干呂律が回っていない口調でそう言うと、店員に追加のビールを注文した。
「いいですか、一ノ瀬センパイ! あたしがこの会社に入ったのはあ! 温度感のある仕事がしたかったからですよ。人と企業を、仕事で結びつけて、どっちも幸せにできる。人材の仕事って、そういうことなんじゃないんですか!」
「うるせえよ。何度も聞いた」
「何度でも言いますから!」
生駒が新入社員として関西HR営業部に配属された去年の一年間、メンターは俺だった。
俺よりもはるかに偏差値の高い京都の大学を出て、東証一部に上場しているような企業から何社も内定をもらっていたこいつが、わざわざシーガルキャリアに入社した理由なんて数えきれないほど聞いた。
「それが! こんな! カスタマーもクライアントのことも考えない! 数字数字数字って、もう!」
感情が高まったのか、生駒は勢いよく立ち上がった。
「一ノ瀬センパイはあ、そんな仕事でいいと思ってるんですか!?」
俺は無言で彼女の顔を見据えた。
アルコールが回って頬はピンク色に染まっており、目は完全に座っている。
「いいんだよ」
俺は平然と言った。
心なんてチクリとも痛まない。
そんな程度には、俺は社会人になった。
生駒は恐ろしく大きなため息をついた。
「一ノ瀬センパイのバーカ、バーカ。101パーセント達成男。死ね」
それは営業部での俺の異名だ。
俺は必ず目標の数字に1パーセントだけ上乗せして達成する。
売れるときに売りまくって大きく目標を達成するやつはアホだ。そうすると次のクオーターの目標が、前クオーターの数字を基準に決められちまう。
目標には根拠なんてものはなく、数字が先にある。
ここはそういう会社だったし、それを気合いとか根性とか、クライアントとの関係性とか、ソリューションの提案とか、とにかくどんな手段を使ってでも達成するのが営業マンの仕事だ。
そこには誇りを持った仕事なんてものは必要ない。
目標の数字だけを淡々と追いかける社畜がいればいい。
それが俺だ。
「いいから座れ。全社巨乳MVPよ」
「あー! 一ノ瀬センパイ、その発言はセクハラ案件ですよ。セクハラ案件。アウトアウトです」
この一年で言われ慣れたせいで、生駒は軽く受け流した。
入社当時の恥ずかしがっていた姿はどこにいってしまったんだろう。
「ホントにもう、次に言ったらコンプラ室に言いますから」
「なんでそう言いながらジャケットを脱ぐ」
「暑いからですよ。暑いから」
女子アナみたいなオフィスカジュアルで出勤してきている生駒は、ジャケットを脱ぎ捨ててシンプルなカットソーになった。
こいつは童顔で小柄なくせに胸はでかい。
ジャケットのボタンを閉めるとパツパツだし、歩くだけで揺れる。
全社MVP級の巨乳の持ち主として、配属前から噂になっていたほどだ。
「座って焼き鳥食ってろ。目立ってしょうがないだろが」
「あたしの胸が目立ってるっていうんですか?」
「言ってねえだろ」
カットソーの生地をこれでもかと押し上げる凶悪な二つの膨らみを無視して、俺はウーロン茶を飲んだ。
ちなみに俺は下戸だ。
ビール一杯で頭痛がして、そして吐く。
「そこまで言うならあ、揉ましてあげてもいいですけどね」
「だから言ってねえ」
「えー、なんですか、あたしのおっぱいが揉めないとでも?」
生駒は残念ながら酒癖は悪かった。
それでもって、これは逆セクハラってやつじゃないのかよ。
それなりに可愛い女子がおっぱいを揉むだの揉まないだの。
いい加減、周りから注目されているような気がする。
「一ノ瀬センパイはあ、あれですか? 世にも珍しい貧乳好きですか?」
「いいから座れって」
俺は生駒の手を引っ張って、無理やり席に座らせた。
彼女は俺に握られた自分の手を見て、「にへら」というなんとも言えない笑みを浮かべる。
生駒さん、怖いよ。
「しょうがないからあ、座ってあげますけどね。焼き鳥追加してくださいよ」
「じゃんじゃん食ってくれ。明日から締め日まで戦争だぞ」
「うへーい」
生駒は嬉しそうに妙な声を上げた。
こいつはとにかく食う。
男子高校生も真っ青の食欲だ。
きっと栄養が全部胸にいっているのだろう。
なので俺がおごるときは、安い居酒屋と決めている。
堀江のオシャレな店などもってのほかだ。
「生駒、どこかAヨミのところないのか?」
「あったらとっくに営業してますよ」
追加のビールと焼き鳥が運ばれてきて、俺たちのテーブルは大食女王決定戦みたいな有様になった。280円均一とはいえ、やっべえぞ。
「なら、Bヨミは? どっか刈り取れるとこあるだろ」
「BもCもないですよ。もうやれるところは全部やりましたよ」
AだとかBだとかというのは、受注確度のことだ。
Aヨミにいくほど確度が高い。
ヨミ会という週に一回のグループ定例会議で報告されるので、そういう言い方をする。
「俺のチームはお前が達成できるかどうかなんだよ。俺も小萩さんもどうにか達成してんだからさ」
「そんなお願い営業なんて、あたしはできませんー。ちゃんとした提案したいし、ちゃんとカスタマーとクライアントを幸せにしたいんですー」
Q末に電話一本で頼み込んで、自分の数字のために出稿してもらえるクライアントをどれだけ抱えているか。こいつは営業の腕の見せどころではあるのだが、まったく本質的ではない仕事だ。
だから、生駒はこういうところは断固譲らない。
俺はわざとらしく嘆息した。
メンターについていたころから、Q末になる度に同じ会話をして、結局は彼女の頑なさに白旗を上げることになる。
「なら、ネタでもいい。お前が言うちゃんとした仕事ができるのはどこだ?」
「ネタでも手伝ってくれるんですか?」
「お前が数字をつくらないと、俺のチームが死ぬんだよ」
俺の言葉を同意と受けとめたのか、生駒は満面の笑みを浮かべた。
「だからあ、一ノ瀬センパイ大好きです!」
「おうおう、そーかよ」
「ちょっとお、可愛い後輩が告ったのに、さらっと流さないでくださいよ」
「都合のいいときだけ可愛い後輩になるんじゃねえよ」
俺は頬杖をつくと、投げやりに先をうながす。
「で、どこだ?」
「神戸にあるプロミスワークスっていうゲーム会社です」
かつてはゲーム業界で働きたかった俺だ。
その社名はよく知っている。
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