第25話 やりたいと思う仕事をやめた

 シーガルキャリアに新卒入社した俺が最初に配属になったのは、関西HR営業部中途営業5グループだった。

 単発掲載にしかならないような中小企業に向けたリテールが主な仕事で、新規掲載や競合媒体からのリプレースをどれだけ稼ぐのかがグループのミッションだった。

 そして、万が一にでも大口の取引につながれば、別のグループの営業にパスをする。

 要は一番しんどい最前線の兵隊だ。

 一週間で数百件に電話営業をして、雑居ビルに一棟丸ごと飛び込み営業をかける。

 そんな仕事。

 俺の担当エリアは東大阪市で、営業先は従業員数名の小さな町工場が大半だった。

 鉄と油の臭いが染みついた街には、研削専門、研磨専門、焼き入れ専門といった一芸に秀でた会社が集まっていて、原子炉の制御棒から航空宇宙関連部品、新幹線車両まで、とにかくなんでもつくっていた。

 日本のモノづくりを根底から支えている現場がそこにはあった。

 新人だった俺は靴底をすり減らして毎日のようにその街に通い、職人であり経営者でもある町工場の社長たちと関係性をつくった。

 後継者がいない、若手がなかなか続かない、新しい仕事があるが人手が足りない、技術を売り込みたいが営業がいない。

 そんな様々な悩みを、俺は聞いた。

 人を必要としている会社がある。

 だったら、その会社に入りたい人を見つけることが俺の仕事だと思っていた。

 就活の面接で三嶋さんが言っていたとおり、求人広告を売る仕事は誰かの人生を変える仕事なんだと、そう思っていた。

 だが、現実は厳しい。

 そういった町工場の大半は金がないから、関係性をいくら築いても受注にはつながらない。ガルナビNEXTに最小の求人広告を掲載するための15万円ですら大金だということを、俺はこのときいやというほどに理解した。

 八月が終わっても、俺の受注はゼロだった。

 俺はそれでもいいと思っていた。

 求人のことなんてよくわかっていない社長を口八丁手八丁で煙に巻いて、受注することはできたかもしれない。

 けど、そんなことをしてなんの意味がある。

 目の前の数字を追いかけて、その会社や仕事を探している人に、なにを残せる。

 ミクロン単位の精度で加工したネジ一本の工賃が50銭。

 そんな血の滲むような仕事の果てに捻出した金をあずかって、効果が出ませんでしたじゃ済まされるわけがない。それだけの覚悟が、HRの営業マンには必要なんだ。

「一ノ瀬君のところに、求人出そか思てな」

 俺が佐藤工業の社長からそう言われたのは、大阪特有のうだるような残暑が残る九月の初めだった。

 佐藤工業は典型的な下請け町工場で、その仕事のほとんどは大手メーカーからの二次請けや三次請け。とても割のいい仕事じゃなかった。

 ただ、ネジの加工技術は確かだった。

 一点もののオーダーメイドだろうと引き受け、どんな特殊な形状だろうと、どんな素材だろうと、ぴったりと寸法どおりに仕上げる。

 佐藤社長は職人肌で取っつきにくいが、一度気を許すと人懐っこい笑顔を浮かべる、絵に描いたような町工場の社長だった。

「佐藤さん、本気ですか」

 営業マンである俺は、むしろ驚いた。

 職人という仕事の厳しさや高くない給与のこともあり、いまの採用環境を考えるならガルナビNEXTに掲載しても効果は出ないだろう。

 そのことを、俺は正直に佐藤社長に話していた。

 仮に求人を出すにしても、うちのメディアじゃない。

「君は正直やから、シーガルさんのところの、なんちゃらナビはあかんのやろ」

「ええ、そうです。ガルナビNEXTはそもそも営業職や事務職のカスタマーが多いメディアですし、小さな町工場でネジ職人になろうなんてやつはなかなかいませんよ」

「せやから、小さな町工場をどないかして大きくせなあかんやろ。これ見てくれ、一ノ瀬君」

 事務所の奥に引っ込んだ佐藤社長が、試作品らしいネジを持ってきた。

 佐藤社長は昔から、独自のネジを生み出そうと試行錯誤を続けてきた変な人でもあった。普通の職人とは違い、研究者的なところもある人だった。

「防水ネジや」

「防水?」

「座面に溝を掘ってやな、ゴムパッキンを入れたんやね」

 座面というのはネジの頭の裏側だ。

 実はここを工夫することで、様々な特殊機能を持ったネジも多い。

 ということを、俺は佐藤社長から聞いていた。

「こいつを締めるとやな、パッキンがたわんで密着するわけや。ゴムの素材をいろいろと研究してな、防水性能試験で深海と同じ水圧かけても水漏れせんようにしたったんよ。特許もばっちりや」

「すごいじゃないですか……!」

 ネジを自慢する佐藤社長は、愛しい我が子を見るようだった。

 ネジの防水力というは、案外と大事だ。

 防水機能をウリにするあらゆる製品に、ネジは使われているのだから。

「このネジを売り込んで勝負したろ思てな。せやから、募集するのは営業マンや」

「営業……」

 それならなんとかなるかもしれない。

 給与はそこまで出せないかもしれないが、特徴と強みがある製品を売ることができるし、会社を大きくしていくというやりがいもある。

「佐藤さん、本当にいいんですか」

「せやから、お願いする言うとるやないか」

 佐藤社長は、人懐っこい笑みを浮かべた。

「そうと決まったら、一ノ瀬君の初受注祝いや!」

 事務所の冷蔵庫から缶ビールを取り出して、佐藤社長は俺に渡してきた。

 俺は酒を飲めないし勤務中だったが、このときばかりはいいかと思った。

 プルトップを開けて、二人で乾杯した。

 みるみるうちに目が回って、

「おじいちゃん、なにしてるの!」

 結婚して東京に出た佐藤社長の娘さんの子ども――つまりはお孫さんの慌てた声が聞こえた。確か京都の大学に通うためにこっちに出てきたんだったか。

「一ノ瀬さんはお酒飲めないし、仕事中なんだから! なんてことしてるのよ、もう。おじいちゃんのバーカ、バーカ!」

 そして。

 佐藤工業の求人広告は無事に掲載されて、1名を採用した。

 佐藤社長からは感謝されたが、むしろ俺のほうが感謝したいくらいだった。

 入社した人にも話を聞いた。

 もともと父親が町工場を経営していたそうで、跡を継がずに大学を卒業して大手メーカーに営業として入社したという人だった。

 父親の町工場が倒産し、いいものをつくっているだけではどうにもならないという現実を実感したとき、自分なら町工場の技術力を売り込むことができると思ったのだそうだ。

 誰かの人生を、俺の仕事は確かに変えたのだと思えた。

 本当に、三嶋さんの言ったとおりだったのだと。


 そんな仕事をしていたころが、確かに俺にもあった。


 だが、結局。

 俺の仕事は誰からも評価されなかった。

 上半期が終わった社員総会で華々しく表彰される先輩や同期たちは、誰一人として効果なんて気にしちゃいなかった。

 受賞のスピーチでは、カスタマーのことも、クライアントのことも、誰も触れやしなかった。いかに自分が素晴らしい提案をして、どれだけの金額を受注したのか。

 そんなうんざりするような話だけが、社員総会の会場に響いていた。

 口八丁手八丁で目先の売上を立てた営業マンが、誰からも評価されていた。

 営業は数字だ。

 達成か未達か。

 俺のすべては、上半期の受注――1件。

 それだけだった。

 俺は記念すべき初受注で、理想と現実の違いってやつをいやというほどに理解した。

 クライアントと発注する側とされる側という壁を取っ払って。

 本当にその仕事を必要としているカスタマーを結びつけて。

 企業の運命を、誰かの人生を、変えるような仕事をしたいと思っていた。

 やっていきたいと思っていた。

 そんなものはな。


 なんの意味もなかった。


 ここでは、俺がクソみたいだと思っていた仕事こそが正しい仕事だった。

 だから俺は、自分がやりたいと思う仕事をやめた。

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