第2話 とっくの昔に忘れちまった

 プロミスワークスとはコンシューマー出身のゲームクリエイターを中心にして設立された新興のゲームデベロッパーだ。

 パブリッシャーと組んでハイエンドのコンシューマー機を中心にゲーム開発を行っていたが、ガラケーからスマホへの転換期にうまく乗って自社開発のスマホ用RPGが大ヒットした。

 俺は少し前にネットで見た記事を思い出した。

「単独でコンシューマーに参入するって話か?」

「はい。それでゲーム業界経験者を中心に、かなりの数の中途採用をするって話なんです。あたしが飛び込みでいって、人事から聞いたんで間違いないです」

「よーし」

 少しだけ希望が出てきた。

 大量採用なら、それだけ予算があるはずだ。

「いいか、生駒。プロミスワークスに提案持っていって、なにがなんでも締め日までに申込書もらってこい。いいな?」

「らじゃー」

 生駒は完全に酔っぱらってふにゃふにゃしていたが、びしりと敬礼をした。

「そしたら明日、打ち合わせしてくださいよ。絶対ですよ」

「わかったわかった。資料用意しとけ」

 俺はスーツの内ポケットから、煙草――メビウスを取り出して咥えた。

 ライターで火をつけようとして、不満そうな生駒の視線を感じる。

「なんだよ」

「あたし、煙草を吸う男の人は嫌いだって、何度も言ってるじゃないですか」

「知ってるよ。だからって、お前に好かれたくて禁煙なんかするか」

「えー……一ノ瀬センパイのバーカ、バーカ」

 じっとりとした半眼で言ってくる後輩を無視して、俺は煙草に火をつけた。

 肺にたっぷりと紫煙を吸い込んでから吐き出す。

 喫煙者が虐げられている昨今だというのに、この業界の喫煙率は男女を問わずに異様に高い。あとは離婚率も。そういう業界だ。

 俺は少しの間、煙草を短くしながら、安い焼き鳥をばくばく食べる生駒の幸せそうな顔を眺めていた。

「おー、ユッキーがすっかりでき上がっとるやないの」

「小萩さん」

 アルミの灰皿に煙草を押しつけて、俺はもう一人のチームメンバーの名前を言った。

 電話で席を外していた志村小萩だった。

「蒼梧きゅん、ただいま戻ったで」

 彼女はひらひらと手を振ると、生駒の隣に座った。

「ユッキーは相変わらず酒癖悪いし、よう食うなー」

「小萩さん、聞いてくださいよお。一ノ瀬センパイが――」

「ほいほい。その話はまた今度聞いたるからね。焼き鳥食おな」

 生駒を軽くあしらって、小萩さんはビールを頼んだ。

 彼女は俺より年上だったが転職してきて三年目なので、年次では俺のほうが上だった。だから俺のチームメンバーなわけだが。

 志村小萩はどこからどう見ても中学生だった。

 黒髪ロングの小柄でツルペタな女の子に、無理やりにスーツを着せた感がある。

 まさに合法ロリ。

 八重歯が可愛い、合法ロリ。

 これで二九歳なんだから、世の中どうかしてるぜ。

 そんな見た目のくせに関西弁でビールをがばがば飲むから、ギャップがすごい。

「なんの電話です?」

「チームの数字がやばいやん? せやから、足しになるもんないかなと。何社か当たってみたんよね」

 小萩さんはさらりと言った。

 マジ天使かよ。

「さすがにユッキーの数字全部は無理やけどね。締め日までにはいくらか上乗せできると思うわ。とはいえ、あんまり期待せんでよ」

「いやあ、期待しますね」

「おっと、期待しちゃうかね蒼梧きゅん」

「もちろん」

「ほんなら仕方ないなあ。お姉さんにお任せやで」

 小萩さんはそのルックスと、学生時代に世界を放浪していたとかいうわけのわからない経歴と教養で、おっさんの経営者を手玉に取る『おやじ殺し』として名をはせていた。キャバクラ営業とも言うが。

 なんにせよ。

 Q末に電話一本で出稿してくれるクライアントを何社も持っている、まさにお願い営業の極致を地でいく人だ。

「一ノ瀬センパイ、あたしにも期待してくださいよお」

「わかったわかった。もう帰るぞ。明日も仕事なんだからな」

 俺は腕時計をちらりと見た。

 いつの間にか、二四時を回っている。

 平日だろうと深夜まで飲み歩くのは、俺が入社する前から続くうちの伝統文化だ。

 俺もきっちりとその文化の担い手になっている。

「えー? でも、あたしもう終電ないですし」

「タクシーで帰ればいいだろ、タクシーで」

「そんなこと言わずにー、泊めてくださいよお。一ノ瀬センパイの部屋に」

 生駒はふらふらと上半身を揺らしながら、満面の笑みでそう言った。

 こいつ、可愛いルックスで平然とよくそんなこと言えるな。

 俺がその気になったら、どうにでもできそうだ。

「あたしを泊めてくださーい。もしもーし、聞いてますか?」

 もっとも。

 俺は社内恋愛なんてものは二度とごめんだし、手のかかる妹みたいな後輩にその気になんてなるわけがない。

「一ノ瀬センパーイ、泊めてくれたらおっぱい揉んでいいですよ」

「おっぱいおっぱいうるせえよ。いいから、ほら、立て」

「うへーい」

 足取りが怪しい生駒に肩を貸し、小萩さんに会計を頼む。

 とりあえず領収書を切ろう。

 どうにかして落としてやる。


「やっぱり、あたしじゃダメですか?」


 狭いエレベーターに乗り込むと、生駒が俺の耳元で言った。

 ほとんど聞き取れない声だ。

 だから俺は、聞こえないふりをした。

「ほら、いくぞ」

「一ノ瀬センパイのバーカ、バーカ」

 一階についたエレベーターから生駒を引きずりだし、阪急百貨店がある方へと向かう。いわゆる大阪のキタである梅田はビジネス街ということもあって、原色のネオンが煌めくザ・大阪という感じの難波などのミナミに比べれば深夜は大人しい。

 終電がなくなれば、閑散としたものだった。

「蒼梧きゅん、うちがタクシー拾うわ」

 俺たちに追いついてきた小萩さんが、手際よくタクシーをとめた。

「うちが送っていくから、安心してええよ」

「頼みます。生駒、さっさと乗れって」

「えー、いやだあ。泊めてくれないならもう一軒いきますー」

「うるせえ」

 俺は生駒をタクシーに押し込み、小萩さんに一万円を渡した。

「とりあえずこれで。領収書よろしくです」

「らじゃー」

 中学生にした見えない小萩さんは、困惑する運転手にテキパキと行先を指示した。

「やー、蒼梧きゅんがもっと相手したったら、ユッキーの酒癖も少しはようなるんちゃうかなあ」

「勘弁してくださいよ」

 タクシーのドアが閉まる。

 小萩さんは確か西宮に住んでいるので、そこと梅田の中間くらいである尼崎に住んでいる生駒を送っていくにはちょうどいい。

 タクシーが見えなくなり、俺は自然と息を吐いた。

 天を仰ぐ。

 大阪の夜に、星はひとつもない。

 何車線もある道路を挟んで、目の前には四〇階立ての梅田阪急ビルオフィスタワーがそびえ立ち、右手側には阪急メンズ館のビルがあった。

 東京出身の俺だが、いい加減もう見慣れた光景だ。

 JR大阪駅のほかに梅田と名のつく私鉄と地下鉄の駅が五つあり、阪急や阪神を始めとした百貨店がひしめき合い、東京人からはダンジョンと形容される地下街が広がる。

 そんな大阪の街で、俺はまだシーガルキャリアの営業マンを続けている。

 スーツに光るのは、誰もが知ってるカモメの社章。

 どうしてこの会社に入ったのか。


 その理由は――とっくの昔に忘れちまった。

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