第22話 私とデートをしよう

「……だってのに、なんでこんなことになってる?」

 人が溢れる休日の梅田にげんなりしつつ、俺は腕時計を見た。

 午前一一時の五分前。

 俺がいるのは赤い観覧車が有名なHEPFIVEの前だった。

 梅田は、街のど真ん中に観覧車があるんだよ。

 ここはまち合わせによく使われる場所で、エントランス前は学生っぽい連中で常に混雑している。

 俺は今朝のことを思い出した。

 深夜に帰宅してソファで惰眠を貪っていた俺は、家にすっかり居ついているエルフに優しく起こされた。

 ベッドで背中合わせに眠るなんて、毎回やってられないからな。

 睡眠不足で死んでしまう。

 ラクスはきちんと朝食を用意して、洗濯をし、食器を洗い、なんなら俺のスーツをクリーニングに出していたりした。

 そのうえで、仕事でつかれているであろう俺を、無理やり起こさないようにしてくれていたらしい。

 プレゼンのとおり、できた嫁だった。

 こいつの生活力は、本当にJKなのか。

「おはよう、ソーゴ。昨日も随分と遅かったみたいだな。まっていたのだが、先に寝てしまったぞ」

「ああ」

 俺はソファから身を起こし、あくびを噛み殺した。

 身体中の関節が痛い。

 ソファで寝るのはまったくお勧めできない。

 ラクスはエプロン姿だった。

 裸エプロンではない。

「用意したご飯、食べてくれてありがとう」

 尖った耳がひこひこ動いている。

 昨夜、俺が帰宅するとローテーブルにきちんと夜ご飯が用意されていた。

 別に食べる必要はないんだが、こいつは俺のためにつくってくれているわけで、手をつけない罪悪感のほうが強かった。

 なんともお人よしだよ、俺は。

 それと、順調に餌付けされている気もする。

 飯マズエルフじゃなくて、飯ウマエルフなのが問題だ。

 こいつは本当に嫁としてのスキルが高すぎる。

 一人で悩んでいると、ラクスは中腰になって俺の顔を覗き込んできた。

 距離が近いよ。

 かたちのいい唇を突き出してきて、照れたようにして大胆なことを言う。

「おはようのチュー、する?」

 俺は即答した。

「しない」

「むー……」

「隙あらばそういうことをしようとするな。どういう教育受けてんだ、お前は」

「失礼な。私が在籍しているのは、王国でも一、二を争う名門校だぞ」

「そこじゃねえよ」

 まさか偏差値で返されるとはな。

 それで言ったら、俺のほうこそ立場がない。

 それとも王国で一、二を争う名門校とやらは、おはようのチューを推奨してるのか?

 ラクスは仕方なさそうに俺から離れると、腰に両手を当てて言ってきた。


「ソーゴ、せっかくの休日だし、私とデートをしよう」


 俺は困惑した声をもらした。

「デート……だと?」

「うむ。デートだ。したことないのか?」

「いや、そりゃあるよ」

「む。私というものがありながら、すっかり忘れていたうえにほかの女とデートとはいい身分だな」

 じっとりとした目で睨まれる。

 完全に罠の質問じゃねえか……

「まあいい。だったらなおのこと、私ともデートするのだ!」

 びしりと指を突きつけられて、俺はなぜだかまち合わせの時間と場所を改めて指定されたのだった。

 俺はラクスに部屋を追い出され――俺の家だというのに――、彼女よりも先にこうしてまち合わせ場所にいるというわけだ。若者たちに交じってな。

 独り身の社畜社会人を長くやっているせいで、デートに着ていく服なんて持ってないんだよな。直近の相手も夏海だからな。お互いにオシャレしていこうなんて気持ちはこれっぽっちもなかった。

 そんなわけで、俺の格好はチノパンにジャケットを合わせただけのひどくシンプルなものだった。もしくはひどく地味だ。

 それにしても、どうしてラクスはわざわざまち合わせを。

 意図がわからない。

 あと、制服でくるのだけは勘弁してほしい。

 目の前を自転車で巡回している警察官が通りすぎていく。

 マジで職質される。

 俺が不安に駆れて周囲を見渡していると、背中から声をかけられた。

「ソーゴ、またせたな」

 振り返ると、そこにはラクスがいた。

 ボーダーのシャツにネイビーのジャンスカワンピース(だと思う、多分)を合わせ、足元は白いストラップサンダル。

 これから初夏になる季節にぴったりの爽やかさと透明感。

 一〇代の女の子が少し背伸びをしたような、そんな大人っぽさがある。

「どうだ、ソーゴ。君が会社にいっている間に買っておいたのだ」

 ラクスははにかむと、その場で一回転した。

 プリーツをあしらったワンピースの裾が翻り、本物の金髪がふわりと揺れる。

 まるで映画のワンシーンのように、現実感がない。

 まち合わせにしたのは、これを見せたかったからか。

 俺とデートするために、わざわざ服を買って、オシャレをしてきたってことか。

 俺はもう、まち合わせにオシャレな女の子がやってきたくらいで、なにかを感じるような純粋さは欠片も持ってやしない。

 それでも、そこまでしてくれると、少しは嬉しいもんだ。

「似合ってる?」

「ああ、そうだな」

「そうかそうか」

 ラクスはほくほくした顔で、尖った耳を激しくひこひこさせている。

 こいつならなにを着ても似合いそうだけどな。

「家事も料理もできて、こんなに可愛い私に惚れてしまうだろう」

「いや、それはねえな」

「むー。なんでだ!」

「おい、肩パンするな。痛いわ」

 それにしても。

 ものすごく周囲から注目されている気がする。

 人気のアイドルや芸能人でも見かけたような雰囲気だ。

 それくらい、ラクスの存在感、インパクトが強いんだろう。これだけ人間がいても、自然と目立ってしまう。

「どこかいきたいところでもあるのか?」

「うむ。たこ焼きを食べて観覧車に乗るのだ」

「だからここにしたのか」

 なんともわかりやすいやつだ。

 あと、たこ焼き好きすぎだろ。

 本当に異世界のエルフかお前は。

 ビジネス街の梅田とはいえ、そこは大阪だ。

 たこ焼きくらいなんとでもなる。

 俺は目の前の横断歩道を渡って、新梅田食道街というエリアを目指すことにした。

 この梅田という街は異常に複雑で、迷宮みたいな地下街もそうなんだが、地上にしてもJR大阪駅と阪急梅田駅のあたりは立体構造のダンジョンみたいになっている。

 現にラクスを連れて地上の横断歩道を渡ったにも関わらず、俺の頭上には天井がある。

 こいつはJR大阪駅から延びている線路が高架になっているためで、いまいる場所が地下というわけじゃない。

「おい、迷子になるなよ」

「む。子ども扱いするな。私は迷子になんかならないぞ」

 物珍しそうにきょろきょろしていたラクスは、とてとてと走ってきて俺の横に並んだ。

 そのままジャケットの裾をちょこんと掴んでくる。

 子どもか。

 新梅田食道街というのは、JR大阪駅と阪急梅田駅の中間あたりに戦後すぐからある飲食店街だ。低い天井の狭い通路が交差する一区画に、小規模な店が一〇〇店舗ほど営業している。

 赤ちょうちんに暖簾という飲み屋も多いが、ランチをしている店もあるし、最近じゃ外国人観光客向けに営業しているところも多い。

 平成も終わろうかってご時世に、昭和の雰囲気をぷんぷん残しているような場所だ。

 人が三人並ぶのが限界というくらいの通路を、なんとなくの勘で進んでいく。

 すれ違う人間がみんなラクスのことを見ている――ような気がする。

「なんでそんなにたこ焼きが好きなんだ? お前の世界にもあるってことはないだろ」

「あるにはある。ただ、それはこちら側の世界から誰かが持ち込んで再現したものであって、あまりおいしくないし、全然はやっていない」

「あるのかよ」

 すげえな、異世界。

「私が好きな理由は――」

 ラクスはそこまで言って言葉をとめた。

 俺が気になって目線をやると、少しばかり不満そうに尖った耳をひこひこさせている。

 なんてことだ。

 エルフの耳の動きで、感情がわかるようになってきた。

「むー。教えてやらない」

「なんだそりゃ」

「君が悪い」

「なんで俺が悪いんだよ」

「なんでもだ」

「だから肩パンするなって、暴力エルフが」

「なんという言い草だ……こんなか弱いエルフに向かって」

 などと言っているうちに目的の店に到着する。

 新梅田食道街はそんなに広いエリアじゃないから、適当に歩いていてもなんとかなる。

「おー!」

 ラクスが感嘆の声を上げる。

 真っ青な瞳がきらきらと輝き、耳のひこひこがすごい。

 六個で390円。

 すさまじく良心的な価格だ。

 そして味もいい。

 小さい店なので店内は立ち食いしかできないのだが、店の前には何人かが並んでいた。

 持ち帰るより焼きたてを食べるほうがうまいんだよな。

「ソーゴ、並ぼう」

「おい、引っ張るなよ」

 有無を言わさず手を取られ、俺は列の最後尾に並んだ。

 さり気なく、ラクスの細い指が俺の手に絡む。

 やってしまった。

 隙を見せてしまった。

 完全な恋人つなぎになってるぞ、おい。

「手を放してくれないですかね」

「いやだ」

 俺の申し出はあっさりと却下された。

 ラクスはぎゅっと手に力を込めてくる。

 痛いくらいだった。

 本当に嬉しそうに、幸せそうに、彼女がはにかむものだから。

「店に入るまでだぞ」

 俺は妥協してしまった。

 まったく、こいつはとんだ策士だ。

 店内には15分も並べば入ることができて、ラクスは名残惜しそうに俺から手を放した。

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