【16】

 ベロニカは馬車に揺られていた。その最中、父親は彼女に舞踏会での立ち振る舞いや、挨拶をすべき人、逆にこちらからは出向かなくていい人などを事細かに語っていた。父が一つ言葉を発するたびにベロニカは黙って首肯した。父に逆らうことなど出来なかった。同時に、頷くたびに舞踏会へ参加するのに気が重くなった。

 馬車の、はめ殺しの窓の外――王城へと続く城下――はすっかりお祭り騒ぎだった。子どもたちは通りを走り回り、女性たちは綺麗にめかし込んでいる。男性たちは酒を飲んでいる者もいれば、この賑わいをさらに大きなものにしようと商売に精を出すものたちもいた。

 すれ違う人々の何人かはベロニカたちに首を垂れて挨拶をした。ベロニカも挨拶を返す。彼らの表情は笑みでいっぱいだった。

「あまり平民と親しくするな」

 父親が言った。

「私たちは伝統あるラフマニノフ家の者なのだぞ。市井のものには常に威厳を持って接せねばならん。でなければ他の諸侯らに何と言われるか分かったものではないぞ」

 ですがアダムはよく街にお忍びで出かけているそうですよ? とは言えなかった。ベロニカはまた黙って頷いた。彼女には父の言っている威厳というものが一体どういったものなのか、全く分からなかった。

 また挨拶をしてくれた人たちに、ごめんなさいと心の中で謝った。そういうことを何度も繰り返した。

 馬車の進みはゆっくりだった。街の賑わいのせいで道が混雑しているのと、ベロニカたちの馬車の前にも多くの貴族たちの馬車が列をなしているからだった。馬車はゆっくりと王城へと続く道を進んだ。そうして街の人々は王太子の誕生したこの日を実感し、祝うのだった。

 ベロニカは父を見やった。彼は御者にあとどれほどで王城につくのか尋ねていた。まだまだかかりそうです、と御者は答えた。

 先はまだまだ長かった。そして父の話も続いた。

 彼女はため息を吐いた。

 その時。

 空気を震わせるほどの大きな爆発が起こり、ベロニカの心臓を鷲掴みにした。馬車全体がビリビリと震えた。

 一体何事なの⁉ と外を見やると、すぐ間近で黒煙が濛々と上り立っていた。黒煙の中から数人の人がゆらりと姿を現した。彼らの手にはきらりと光る剣やナイフが握られていた。それを認めてベロニカの時が止まった。

「当主様、お嬢様! 馬車から決してお出にならぬようお願いいたします!」

 御者が鋭く声を発した。馬車は前は勿論、後ろにも他の馬車が列を作っていて、到底動くことが出来なかった。どうするのかと思えば彼は馬の手綱を放すと、現れた連中に向かって護身用の小さなナイフを向けた。そんなものを持っているくらいだから、私やお父様よりは戦えるのでしょうと思うと同時に、心もとなくもあった。黒煙の中から現れた彼らの人数も定かではないし、なにより、彼らの武器と御者の手の中にある武器では、長さも大きさも違う。到底彼らの相手を出来るものとは思えなかった。

 父を見やると、彼もまた険しい表情で外の騒ぎを眺めていた。

 ベロニカは指にはめた指輪を握りしめた。ロトを思った。



    ☆



「どうしてですか、先輩⁉ どうして行っちゃいけないんです!」

 空に立ち上る黒煙を見やりながらロトは叫んだ。彼はすぐにでもベロニカの下へ向かおうとしたのだが、それをロドリゴと見張り番の二人が制止したのだ。

「これは間違いなく敵襲でしょう! 早く向かうべきです」

「落ち着け。まずは事態を把握することからだ。今不用意に持ち場を離れれば、それだけ敵の思惑に乗ることになる」

 ロドリゴは自分自身にも言い聞かせるように言った。

「おまえの言う通り、さっきの爆発は敵の攻撃によるものだろう。だが、敵の目的がなんであるか分からない以上、あの爆発が陽動で他に何か目的があるのかもしれないということを念頭に置いて行動するべきだ。もし、警備に当たっている全員があの爆発の現場に向かってしまえば、街全体の警備に穴が開くことになる。そこから新たな攻撃を仕掛けられたら、それこそ目が当てられなくなっちまう」

「陽動? 先輩だってこの警備に当たる前に、憲兵隊長に見せられた地図を覚えているでしょう! 今黒煙が上がった場所は、貴族の人たちが通る道ですよ! そこに攻撃を仕掛けてきた攻撃が陽動だなんて考えられないですよ!」

 ロトは言った。彼の心の中はベロニカのことでいっぱいだった。あの爆発の下に彼女がいるかもしれなかった。

「あの場にはほかに警備に当たっている連中がいる。今はそいつらに任せるしかない」

「ですが!」

 そんな言葉では到底納得できなかった。ロトがさらに言葉を続けようとすると、再び空気を震わせる爆発が起こった。最初に爆発が起こった場所とは距離のある場所だった。それから立て続けに爆発が起こった。二回、三回と起こる爆発はいずれも場所が違い、爆発一つ一つも距離が離れていた。爆発は城下全体でまんべんなく怒っていた。

 ついにロトたちの間近でも爆発が起こった。爆風が三人の身体を包み込み、彼らは立っていることもままならず地面に転がった。爆発で崩れた家々の瓦礫が飛んできて、ロトのすぐ横に落下した。石畳が割れた。直撃すれば、怪我では済まない。

 巻き上がった砂埃が晴れると、そこには無残な惨状が広がっていた。瓦礫の下敷きになった者や爆風で吹き飛ばされけがをした者、飛んで来た建物や看板の破片に身体を貫かれている者もいた。

 彼らの呻き声が辺りを支配していた。その光景にロトは言葉を失った。

「ぼさっとするな!」

 立ち呆けているロトにロドリゴの叱責が飛んだ。

「早く負傷者の救出に行くぞ!」

 ロドリゴが瓦礫の下敷きになった人々の下に駆け下り、見張り番は飛んで来た建物の破片に身体を貫かれた男性の応急処置に向かう。二人がそういている間もロトの心はベロニカのことしか考えられなかった。脳裏で眼の前の惨状とベロニカの姿が重なってしまい、彼の鼓動を速めた。

 瓦礫に埋もれている女性がベロニカに見えた。

 破片に身体を貫かれている男性がベロニカに見えた。

 爆発による火災で燃える家の中で煙に巻かれる人々の姿がベロニカに見えた。

 ロトはベロニカのことを思うと、恐怖で身体が震えた。もはや一時もじっとなどしてはいられなかった。命令違反でも構わない。たとえそれで憲兵隊を首になり、騎士への夢が閉ざされたとしても構わない。今ここで彼女の下に行かなければ、どのみち自分は永遠に騎士にはなれないだろうということを彼は確信していた。それは騎士になるのに必要な誇りが失われてしまうような気がしたからである。

 ロトは腰に帯びた剣に手を添えた。木でできた剣ではない。本物の剣だ。

「……すみません先輩。俺、やっぱり行きます!」

「なにっ⁉」

 ロトは言うや否やロドリゴの驚きと当惑を置き去りにして、最初に爆発が起こった現場へと駆けだした。

 憲兵隊長に見せられた地図を頭の中に広げる。詳細は覚えていないが、自分の持ち場からベロニカの通るであろう通路への道順だけは全て記憶していた。何かあってもすぐに行けるようにしておかねば、とそんなことを思っていたのだ。まさか本当に現実に起こることになるとは思いもしなかったが。思い描いた地図の中で最も最短で辿り着ける道を選び、彼は走った。本来なら人の通らないような細い道を選び、駆け抜ける。

 人生でこれほど早く走ったことはないというほど、自分でも驚くほどの速さで走り抜けた。そして通りへと出ると、そこは混乱の渦中にあった。どこまでも続いている馬車の列に、どこへ逃げればいいのかも分からずに戸惑っている人々、貴族たちは馬車の中から降りることはなく、ただ事の成り行きを見守っている。やはり爆発に巻き込まれたのだろう、怪我を追っている人々もいた。

 けれど混乱の理由はそれだけではなかった。ここの周辺の警備を任せられていた憲兵と何者かが交戦しているのだ。剣と剣がぶつかり合うたびに、甲高い音と火花が散った。剣を交えている相手が、間違いなく今回の爆発の犯人だった。敵の詳細は分からなかった。全身を黒いローブで覆い隠し、目深にフードを被っていたからだ。

 戦況は、こちらが圧されていた。憲兵たちの動きが、ロトの眼から見てもぎこちなかったのだ。理由はすぐに察しがついた。彼らは馬車と馬車の中にいる貴族たちを護るために、自分たちの攻撃や防御のための行動が制限されているのだった。彼らの中から「馬車を動かせ!」「貴族の方々を避難させるんだ!」と怒号にも似た指示が飛ぶが、こうも詰まっていては馬車は動くことが出来ず、貴族たちもわざわざ混乱していて危険な馬車の外に出る気はないようであった。

 そうしている間に一人の憲兵が敵の突破を許し、馬車に取り付いた敵が乗っていた貴族の首にナイフを突き立てた。貴族の男性は碌に抵抗も出来ずに、しばらくもがいた後に動きを止めた。同乗していた彼の妻も同じ末路を辿った。

 戦っている憲兵隊員は彼らだけではなかった。他の場所でも同じように馬車と貴族を護って戦っている仲間が大勢いた。そして大抵が敵の攻撃を防ぎきれずに突破されていた。

 ロトは急いでベロニカの乗っている馬車を探した。けれど混乱した状況の中で、どこにいるのかも分からない彼女を探すのは困難だった。

 彼女は賢明だ。馬車から降りて既にどこかに逃げ隠れているかもしれない。そう思ったが、どちらにせよロトにはラフマニノフ家の馬車を探すよりほかに手掛かりはなかった。

 乗っている人間の顔を確かめ、あるいは馬車に記されている家の紋章を確認し、ラフマニノフ家かどうかを調べていく。

 ふと上に視線を向けると、民家の屋根の上に幾つかの人影を見つけた。敵と同じく黒いローブで全身を覆い隠した彼らは、戦場を眺めていた。

 もしかしたらあれが敵の親玉か⁉ とロトは思った。ならばあいつらを倒せば、敵の指揮は下がって戦況はこっちが有利になるのではないか、と考えたが敵は複数人いた。到底ロト一人で太刀打ちできる相手ではない。ならばやはりベロニカを探すことに専念した方がいいだろうと思い直した。

 そしてついにラフマニノフ家の紋章を付けた馬車を発見した。馬車の外では御者と思しき男性が小さなナイフを手に、襲撃者と交戦していた。彼は既にぼろぼろだった。馬車の中を見やると、ベロニカの姿があった。彼女は御者に泣きながら何かを叫んでいた。声は聞こえなかったが、逃げてと言っているのだろうということは直感で分かった。

 ロトは歯を噛み締めた。そして渾身の力で最後の数メートルを駆け抜けると、抜刀すると同時に御者と敵との間に身体を滑り込ませる。剣を一払いし、相手の刃を弾いた。

 敵が慌てて距離を取った。深く呼吸をして、乱れた息を整える。それからベロニカに視線を向けた。

「大丈夫か⁉」

「ロト!」

 ベロニカは眼尻に涙をためて彼の名前を呼んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ただ、あなたのそばに居たかった。 金魚姫 @kingyohime1998

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ