【12】
憲兵隊に入隊を果たした新人はまず、先輩の憲兵隊員によって正式な訓練を受けることから任務が始まることをロトは知った。彼に訓練を付けてくれる先輩憲兵隊員は、憲兵隊に入隊してから二年目の男性だった。名前をロドリゴと言った。本来なら入隊から一年が経過した隊員の仕事らしかったが、彼の訓練はロドリゴが志願したという話だった。
ロドリゴは普段はとてもやさしく、好感の持てる人物だった。しかしいざ訓練となるとそのやさしさは影を潜め、鬼気迫る気迫を身に纏うのだった。ロトは彼との訓練で、木剣での立会を何度となく繰り返したが、ついに一本も取ることが出来ずに、ついに明日からは訓練期間を終えて初めての任務に出ることになるのだった。
ロトは武舞台の上に滴る汗をぬぐった。肩で息をしている呼吸を整えつつ、剣を構えた先を見据えた。今日も人と太刀も浴びせることが出来ない先輩は、彼を試すような視線で木剣を構えていた。
「ほらほら、どーした?」
ロドリゴは口元に楽しくて仕方がないと言った笑みを浮かべていた。
「オレに一本を浴びせるんだろ?」
ロトにはロドリゴと、師匠であるジオの姿は重なって見えた。きっとこの二人はどこか似ていると彼は思った。
「まだまだ、これからですよっ!」
言うが早いか、ロトは地面を蹴ってロドリゴに肉薄した。幾つかの攻撃はいとも簡単に弾かれ、逸らされてしまうが、それはロドリゴの態勢を崩す隙を作るための目隠しだった。こんな攻撃が通用しないことなんて、もはや百も承知だった。
しかしロドリゴのすごいところは決して軽くはないロトの攻撃を苦も無く防いでしまう防御の硬さではなかった。入隊試験では確かに力を発揮したロトの『崩し』にまるで引っかからないのだ。どんなにフェイントや崩しに繋がる立ち回りを演じたとしても、彼は決してフェイントに引っ掛からず、崩れない。むしろロトの機微を利用してカウンターを打ち込んでくるのだ。そしてロトはそれをくらってしまう。
ジオは圧倒的な実力差でロトの上を行っていたが、ロドリゴは相手の動作を『見る』という観察力でロトの上を行っていた。
案外この人なら師匠ともいい勝負が出来るんじゃないか? などとそんなことを考えてしまうくらいに、ロドリゴという人物は強かった。
ロトの一瞬の隙をついて、ロドリゴの木剣が伸びた。ロトは剣を弾き飛ばされ、喉元に木剣を突きつけられる。勝負ありだった。
「はあ、はあ……参った」
降参すると同時にロトは全身から脱力してその場に寝っ転がった。
「ああぁぁ! また負けた!」
「そう簡単に負けて堪るか。センパイの意地ってもんがあるからな」
天井を見上げて叫ぶロトに、ロドリゴはにかっと心地のいい笑みを浮かべた。
「俺、だんだん先輩を崩すことって無理な気がしてきました……」
「こういうのは経験だよ。経験。おまえだって実践を積めばいつかこれくらいできるようになるさ」
「……他の先輩たちも、こんなに強いんですか?」
「うん? バカ言うな。オレが特別強いに決まってるだろ」
ロドリゴは冗談めかして言った。ロトは苦笑を浮かべた。
ロトはふと視線を辺りに向けた。誰かに見られている気がしたのだ。辺りを見渡すと数人の憲兵隊員が彼に視線を向けていた。彼らはロトと共に入隊を果たした人々だった。彼らの視線はロトを蔑視するものだった。入隊試験で、彼に絡んで来た青年と同じように、貧民街出身のロトを快く思わない隊員はやはり多かった。特に新人の中に多かった。
「気にするな」
ロドリゴが言った。
「あいつらも一年経てば憲兵隊が幼いころから剣のある家に生まれたものだけではなく、全ての人々に開かれているということを理解するさ」
「はい……」
ロトは小さく頷いた。
☆
「あちゃ~。今日も混んでんなぁ~」
ロドリゴは頭を掻いた。憲兵隊詰め所の食堂はいつも賑わっていた。訓練終わりの隊員たちが多く押しかけて、空いている席を見つけられるのは運のいい時だけだった。
「どうする? 外で食うか?」
訊ねられて、ロトは悩んだ。詰め所の食堂は外のお店に比べて値段が非常に安かったので、出来ることならここで食べたかった。そうすれば使わなかったお金で、母親においしいものを食べさせることが出来るのだった。
そんな後輩の悩みに思い至ったロドリゴは何げなく言った。
「よし。そんじゃあ特別にオレのとっておきの場所を教えてやろう。ついて来い」
「ちょっ? 先輩?」
食堂に背を向けて詰め所の外に出るロドリゴの後をロトは追いかけた。
外は昼時とあって人通りが多かった。ロドリゴは人混みの中をスルスルと抜けてどんどん進んでいった。彼の歩く道はロトがあまり通ったことのない道だった。
「どこまで行くんです?」
ロトはロドリゴの後に付いて行きながら訊ねた。
「もう少しだよ」
ロドリゴは答えた。
「その店はな、味もそこそこイケてる上に値段もびっくりするくらい安いんだ」
「……有名なんですか?」
「んや。知る人ぞ知るって感じだな。何しろ場所が悪い。オレも見つけたのは偶然だ」
そう言ってロドリゴはどんどんと人気の少ない路地に入って行った。通りの人々の喧騒も遠く聞こえる。とても食べ物を提供している店があるとは思えない道だった。
ロトは大分くたびれて来ている年季の入った両端の建物の壁に目をやりながら、今まで訊こうと思って訊けないでいたことを口にした。
「先輩。先輩は俺の訓練を引き受けてくれたのは、わざわざ志願したからなんですよね? 普通、新人の訓練は入隊から一年が過ぎた先輩たちが受け持つことになっていると聞きました。それなのに先輩は二年目なのに、なんでわざわざこんなことを? 正直この訓練の風習が面倒だって言っている先輩たちもいるのに」
「どした? 急に」
ロドリゴは立ちとどまってロトを振り返った。
「ずっと気になってたんです。どうしてなのかなって」
ロトは苦笑して言った。先輩はいい人でやさしいから俺が貧民街の出身だと知って、誰も訓練についてくれないと案じて志願してくれたのではないだろうかと彼が考えていた。
「そうだなぁ~」
ロドリゴはそんな気の抜けるような声を出した。その瞳は何もない宙をふらふらと彷徨っていた。
「まず言っとくが、同情とかじゃねえからな。おまえが貧民街出身だろうが貴族出身だろうが、多分オレはお前の訓練役を買って出てたと思うぞ。これは絶対だ」
すっぱりとロドリゴはロトの考えを否定した。ロトは驚いて目を見開いた。そして先輩が目を泳がせているのが、照れくさがっているからであることに彼は気が付いた。
「オレがおまえの訓練役に志願したのはな、おまけの剣筋に惚れたからだよ」
「……剣筋、ですか?」
「ああ。おまえ、確か剣を始めて半年とかだろ?」
「はい」
ロトが頷いた。
「おまえの剣は、その他大勢から見たら確かに無茶苦茶で、素人に毛が生えたみたいなもんだけどな。でも、おまえの戦い方は、その他大勢には無いものだと感じた。それって要は実践的ってことなんだよ。おまえは型とかはまあ……あれだが、敵に対する揺さぶりや崩しは眼を見張るものがある。オレはそこに惚れ込んだんだよ。こいつは磨けば実戦で役に立つぞってな」
ロドリゴの言葉を聞いて、ロトは内心で師匠であるジオに感謝した。ロトの戦い方は全てジオから学んだことだった。ジオとの出会いは途轍もなく大きな財産になっていたことを彼はこの時初めて自覚した。
「分かったか?」
ロドリゴが言った。ロトは微笑みを湛えた。
「先輩って、意外としっかり考えてたんですね。意外でした」
「おまえ今、意外って二回言ったな⁉ こんな、見るからに理性の塊みたいなオレを捕まえてよくも!」
面と向かって予想外に熱い思いをぶつけられたロトは、照れ隠しに軽口を利いてみた。すると今度は予想通りの反応が返って来た。
そうして路地を歩いていると、今度は思わない顔が細い曲がり角から現れた。それはロトの知っている顔だった。カインとエノクだった。
驚いていたのは二人も同様だった。……いや、少し驚きすぎである気がした。
「ロト……ど、どうしてここに……」
「どうしてって……」
「知り合いか?」
ロドリゴが訊ねた。
「前の仕事仲間です」
ロトは言った。
「お前たちこそどうしてこんなところにいるんだ?」
「っ」
ロトが訊ねると、二人は言葉に詰まった。彼らは挙動不審だった。ロトが訝っていると、彼らの後ろから新たに男性が現れた。ロトは男性のことを知らなかった。少なくとも昔の仕事仲間ではないと彼は思った。
「どうしたんだ」
「マタティア……」
声を掛けられてカインが呟いた。マタティアと呼ばれた男性はロトたちに気が付くと、服装を見て眉をしかめた。ロトたちは憲兵隊の制服を着ていた。
「憲兵隊の方々がこんなところで何をなさっているんです?」
マタティアが言った。彼は柔和な笑みを浮かべていた。ロトは不思議な雰囲気を纏った人だなと思った。
「我々はちょうど昼休みの途中なんですよ」
ロドリゴが答えた。聞いたことのない猫なで声だったのでロトはびっくりした。そんな後輩をよそに彼は続けた。
「ほら、帯剣だってしてないでしょ」
「こんな路地裏に、食べるところなんてあるんですか?」
「まあ、あるんですよ」
ロドリゴとマタティアは極めて穏やかに話していた。けれどその穏やかな空気がロトにはなぜか不気味に感じられた。それから数言を話してマタティアはカインとエノクを連れてその場を後にした。
彼らの姿が見えなくなってからロトはロドリゴに一体どうしたのかと訊ねようとした。マタティアと会話をしている彼は、いつもの飄々とした先輩では無いようにロトには思えたのだ。
「一体どうしたんです――っ」
そこでロトは、先輩憲兵が鋭い視線を油断なく彼らが消えて行った路地に向けていることに気が付いた。
「あのマタティアってやつ、なんだか嫌な感じがした」
ロドリゴは驚いているロトに向かって言った。首筋を撫でる彼の表情はとても険しかった。
「い、嫌な感じですか……?」
「これと同じ感覚を前に一度だけ味わったことがある。騎士団の遠征に特別に付いて行った時のことだ。騎士団が捉えた罪人たちとすれ違った時に、この背筋に寒気の走るような感覚を感じたんだ」
ロトは言葉を失って、ロドリゴと同じように路地の向こうに視線を投げた。それはつまり、先輩はあのマタティアという人物がそれほど危険な人物だという風に感じたということだろうか。そう考えると彼は急に恐怖感が込み上げてきた。
「まあ、オレの気のせいかもしれないが……」
申し訳なさげに付け足されたその言葉を、ロトは聞いていなかった。
☆
それからロトは昼ご飯を食べた。けれどとても安く、それでいて美味しいという料理はマタティアという人物のことが気になってあまり味わうことが出来なかった。彼が心配しているのはカインとエノクのことだった。彼らは粗野で横暴で暴力的だがそれでも短い間だったが共に仕事をした仲間だったのだ。そんな彼らがマタティアという恐ろしく危険かもしれない人物と共にいるということに対して、二人の身を案じることは自然なことだった。
ロトは仕事終わりに二人の自宅を訪ねることにした。彼らの自宅の場所は知っていた。貧民街の中でも彼らは割りと名が知れているので(その多くが彼らの傍若無人さを物語る噂話だった)、彼らがどこに住んでいるのかということくらいは自然と耳に入って来るのだった。
しかし二人の家に行ってみても、彼らはどちらも留守だった。まだ帰っていないのかなと思いしばらく待っていると、隣に住む住人がロトに声を掛けた。
「カインなら待つだけ無駄だろう」
「それはなんで?」
「もう何日も帰ってないのさ。どこかでくたばっちまったんじゃないかっていう話まである」
「カインなら昼間に合ったんだよ。その時に少し話損ねたことがあってな」
ロトは言った。
「あいつらがどこにいるか知らないか?」
「さあな。この貧民街でカインのやつに積極的に関わろうとするもの好きなんてそんなにいないからな。多分、誰に聞いても知らないんじゃないか」
そう言われてはロトも否定のしようがなかった。
ロトは結局二人に会うことは出来なかった。
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