【6】

 ロトは緊張して憲兵隊の詰め所の前に立った。今日、この詰め所の中にある訓練場で憲兵隊の入隊試験が行われるのだった。周りを見れば彼と同じように入隊試験を受けるためにやってきた多くの若者が目に付いた。多くが、父親が同伴していて、息子たちに檄を飛ばしていた。皆見事に引き締まった肉体をしていて、剣の修練に費やして来た歳月が伺えた。彼らの全員が勇ましく、今日の入隊試験に必ず受かって見せるという気迫に満ちていた。

 ロトの木剣を携える左手が震えた。これは武者震いだと彼は自分に言い聞かせた。今日彼はこの場の誰をも打ち負かして騎士になるために一歩を踏み出すのだった。

 ロトは多くの視線が自分に集まっていることに気が付いた。一体何なんだと思っていると一人の青年が彼の前に立った。

「おいおいおい、貧民街の奴がこんなところで何やってんだよ」

「……今日の憲兵隊の入隊試験を受けるんだよ」

 あざ笑うような青年にロトは言った。青年は不愉快になった。

「……聞き間違いか? なぁみんな! ここにいる奴が今日の入隊試験を受けるって言ったように聞こえたんだが、俺の聞き間違いだよな!」

 青年は周囲にいた受験生の人々に向けて言った。するとすぐに笑いが巻き起こり、「当たり前だろ!」「貧民街の奴が何で入隊試験を受けるんだよー!」と言葉が飛んだ。

「聞き間違いじゃないよ」

 ロトは彼らの声を遮って言った。

「俺は入隊試験を受けて、憲兵隊になるためにここにいる」

「ふざけてんじゃねーぞ」

 青年はロトの胸倉を掴んで凄んだ。

「憲兵隊ってのは父親が憲兵隊の息子が入るもんなんだよ。それが普通なんだよ。お前みたいな汚い貧民街の奴がなれるようなもんじゃねえんだ」

「あら、そうとは限らないわ」

 と割り込んで来たのはベロニカだった。彼女はロトの応援にやってきたのだった。

「なんだよ、お前」

「誰でもいいでしょ」

 怪訝な表情を浮かべる青年にベロニカは言った。

「憲兵隊に入隊するのは確かに父親が憲兵隊である場合が多いけれど、それは多いというだけであって、父親が憲兵隊でなければ入隊できないというわけではないわ」

「……規則的にはそうだったとしても、じゃあどうして父親が憲兵隊である場合が多いか知ってるのか? 理由は簡単だ。受からないからだよ。俺たちは子どもの頃から親に習って剣の修行をしてきた。だからこの難しい入隊試験にも受かることが出来る。だが親が憲兵隊じゃなかったら? 素人が一から必死こいて修行したところで俺たちに敵うはずがないんだよ。だったら分をわきまえて元から試験なんざ受けないで、自分たちに向いている仕事に励んだ方が身のためってもんだってことだ」

 青年は勝ち誇った様子だった。

「言いたいことはそれだけかしら」

 ベロニカは言った。

「なら心配はいらないわ」

「……もしかして、こいつが俺たちに勝てると本気で思ってんのか? 木剣なんざ持っちゃいるが、俺から言わせてもらえばはっきり言ってまともに振れるかどうかも怪しいところだぜ」

 青年はロトの身体つきを見て言った。ロトの身体は確かに青年の身体ほどがっちりと引き締まってはいなかった。

「ロトはこう見えて強いのよ」

 ベロニカの強気は変わらなかった。

「あなたなんて問題にならないわ」

「……っ」

 それを聞いて青年はさらに怒りが湧いた。ベロニカに掴みかかろうとして――しかしその前に詰め所の扉が勢いよく開かれた。青年は動きを止めて扉の方を振り返った。

 憲兵の中年の男性がいた。彼は入隊試験の試験官で、その場にいる受験生全員に聞こえるように叫んだ。

「これより入隊試験を執り行う! 受験希望者は訓練場に集まれ!」

 ぞろぞろと人々が動き出した。

 青年は渋々拳を収めるとベロニカと、そしてロトを睨み付けた。

「どっちが強いか、すぐに証明してやるよ」

「臨むところよ」

 ベロニカが言った。青年は鼻息を荒くして、詰め所の中へと消えて行った。

 その場にとどまったロトはベロニカにもの言いたげな視線を向けた。

「ごめんなさい、何だかそういうことになっちゃった」

 ベロニカは言った。あまり悪びれているようには見えなかった。

「なっちゃったって……何だってあんなこと言ったんだよ。俺みたいなのがあまりいい目で見られないことくらい、俺だって予想出来てたのに」

 まあここまであからさまに来るとは思わなかったけど、とロトは言った。

「だって、ロトがあんな横暴な人に馬鹿にされてるのがどうしても我慢できなかったんだもん」

「だもんって……」

 ロトはため息を吐いた。

「まあいいや。何にしたって俺が負けるわけにはいかないことに変わりはないからな」

「いい発破になったでしょ?」

「無駄な敵を生み出しただけのような気もするけどな」

 ロトとベロニカは互いに微笑んだ。

「行ってくる」

「行ってらっしゃい。帰ったらお祝いよ」

 そしてロトは憲兵隊の詰め所の扉を潜った。彼が入ってすぐ扉が閉ざされた。



    ☆



 人々の流れに従って歩いていくと、広い空間に出た。その部屋には物が一切なかった。部屋の真ん中には詰め所の外でロトたちを出迎えた試験官がいた。彼は受験希望者が全員揃ったことを確かめると声を張り上げた。

「今! この場にいるものはこの国と街の治安を守る憲兵隊への入隊を希望する者たちで間違いないな‼ これより、入隊試験を実施する‼」

 受験生たちの間に漂っていた緊張感が一段上がった。ロトは落ち着けと心内で繰り返した。

「試験内容はその時々で変わる! これは試験の公平性を保つためであり、一切の不正を許さないためである‼」

 憲兵の男性は言った。

「では、本日の試験内容を伝える! 各々壁に一列に並べ!」

 ロトたちは試験官の言う通りに壁に一列になって並んだ。

「それではこれから私がいいというまで、対面の壁との間を全力で往復し続けろ! それが最初の試験だ!」

「⁉」

 受験生たちの間に動揺が広がった。憲兵隊の入隊試験なのだから、剣力の試験をするものと思っていたのだ。そんな彼らに試験官は叫んだ。

「どうしたっ! 早くしないか! さもなくばここに居る全員を不合格にするぞ‼」

 そしてロトたちはざわざわと走り出した。

 一体こんなことに何の意味があって、あの試験官の人は何を見ているのだろうとロトは思った。しかし時間が経つにつれてその意味はすぐに分かった。

 走り出して十分、ニ十分、三十分と立っても試験官は止めという一言を発しなかった。それどころか直立不動の姿勢のままひたすら両の壁の間を走り続けるロトたちを眺めていた。そしてその間ずっと全力疾走を強いられている受験生の中からこれ以上走れないとその場に座り込んでしまう者たちが出始めた。この全力疾走は基礎体力と持久力を見ているんだ! とロトは思った。

 ロトの隣を走っていた何人かの青年たちがこの試験の狙いに気が付いて、お互いにはしる速度を徐々に落としていった。そうすることで終了の号令が鳴るまで体力を持たせようと考えたのだ。けれどすぐに試験官の男性が彼らの挙動を見つけた。彼らは失格になった。

 それからも走り続け、何人かの失格者や脱落者が出た。ロトはジオから言いつけられた教会跡の森のランニングをこなしていたので、この全力疾走に何とか耐えることが出来た。障害物がない分こっちの方が楽だと彼は思った。

 やがて試験官が「そこまで!」と宣言した。ロトは周りを見回してみた。全体の三分の一ほどが脱落や失格をしていた。

「今立っている者はこの先にある部屋へ向かえ!」

 試験官が言った。試験に落ちた人たちはそのまま外に返された。そして勝ち残った人たちが次の試験を受けることを許されたのだった。ロトは次の試験を受けることを許されたので、奥にある部屋に進んだ。

 奥に進むと幾つかの武舞台があった。普段は憲兵の人々が訓練で模擬戦を行う時に使っている場所だった。

「これより残った者たちでくじ引きを行い一対一の勝負を行う! そして勝ち残ったものを今年度の憲兵隊入隊試験の合格者とする!」

 くじ引きはその場で作られた。くじの先端に塗られた色が同じ人物と戦うのだった。ロトの引いたくじの色は赤で、彼の対戦相手は試験開始前に彼にちょっかいを掛けて来た青年になった。

 青年は武舞台に上がると木剣の切っ先をロトに向けた。

「残念だったな。この勝負、俺の勝ちだぜ」

「やって見なきゃわからないだろ」

 ロトは毅然と言った。けれど彼は相手のことを決して過小評価はしていなかった。青年は大口をたたくだけの実力があると、剣を構える姿を見て彼は理解した。

 ロトは木剣を構えた。

「それでは――始めっ!」

「ふっ!」

 試験官の号令と共に青年が大きく踏み込んだ。鋭く木剣が振られた。

 ロトは青年の攻撃を木剣で受け止めると、ステップを踏んで数歩後ろへ下がり距離を取った。

 でかい図体のわりに素早い! ロトは青年の強さに冷や汗を流した。

「どうした⁉ 逃げてるだけじゃ勝てないぜ‼」

 青年は攻撃を防ぐことしかできないロトをあざ笑った。

「ほらほらほら‼ もうあきらめて負けちまいな‼」

「……っ!」

 青年の息を吐かせない猛攻に、ロトは堪らず回避と距離を取る動きを取った。

 それを逃げと見て取った青年は、止めを刺さんとロトに肉薄した。

 そして――ロトの眼がきらりと光った。

 青年の背筋が凍った。誘い込まれた! と彼が理解した瞬間、激しい力が木剣を上に打ち上げた。

 ロトが反撃に転じたのだ。

 木剣を放すまいとした青年の右手は真上に伸びていた。ロトは青年の懐に潜り込むと無防備となっている胸元に肘鉄をかました。

「うぐっ……!」

 青年が呻く。剣を振るう人間が肉弾戦を用いて来るとは思っていなかったのだ。しかも憲兵隊の入隊試験でそんな戦いをしたものは過去にいなかった。そんな常識破りをやってのけたロトの行動を彼は予想できず、結果としてロトの肘鉄を受けた彼はダメージを逃がすことも出来なかった。

 青年がよろめき、激しかった攻撃が止んだ。

 師匠相手に比べたら隙だらけだぜ! ロトの木剣が何度も宙を閃き、その度に青年はよろけた。ロトの剣戟は青年の防御をするりと躱しながら確実に青年の身体に打撃を与えていく。

 青年からはあっという間に余裕の表情が消えた。苦悶に口を引き結んでいた。

「……けるな」

 青年の口から唸るような声が漏れた。

「ふざけるなっ‼」

「っ⁉」

 青年は叫ぶと防御をかなぐり捨て、打撃を一身に受けながら反撃のひと振りを振り下ろした。

 ロトは思っても見なかった青年の捨て身の反撃に息を呑んだ。

「お前のような貧民街の奴に、負けるわけにはいかないんだよっ‼」

 青年の激情に駆られた言葉にロトは歯噛みした。青年の抱いている感情は、憲兵を目指す多くの人たちが持っているプライドなのだとロトは理解した。これから彼はこういったことを多く経験するのだろう。それでも俺は――。

「俺は騎士になる!」

 ロトは青年に宣言した。

「だから、今ここで負けてやるわけにはいかない!」

 ロトは剣を握ってまだ半年ほど。対して青年は生まれた時から剣を与えられ、鍛えられて来たのだろう。憲兵隊になることを疑ったことなど一度もないはずだ。

 ロトと青年の間には経験の差が厳然とある。その差が今、ジオとの出会いで埋められようとしていた。

 青年の攻撃を紙一重のところで躱した。髪の毛の数本が宙を舞った。ロトは横一線の横斬りを放つ姿勢を見せた。

 青年が咄嗟に防御に回った。

 しかしロトのその動作はフェイントだった。青年の意識外だった足元を足払いで掬った。

 青年が背中ら武舞台の床にたたきつけられた。慌てて起き上がろうとする青年の喉元に木剣を突きつけ、

「そこまでっ!」

 試験官の男性が、勝負が決したことを告げた。



    ☆



「ありえない……! ありえないありえないありえない!」

 試験官の宣言を地面に寝転がったまま呆然と聞いていた青年は、飛び起き様すぐにそう叫んだ。彼は試験官に向かって言った。

「も、もう一度! もう一度やらせてください‼ そうすれば今度は俺が勝ちます‼」

「勝負は一度きりだ。それが試験のルールだ」

 試験官は言った。

「こいつはっ! 反則をしたんだっ!」

 青年はロトを指さして言った。

「こいつは! 剣の試合で体術を使ったんだ! 体術を使って憲兵隊の入隊試験に受かった例なんて一度もないはずだ! そんな試合は無効に決まっているっ!」

「お前は実戦でも同じセリフを言うつもりか?」

 試験官の鋭い視線が青年に向いた。

「確かに、この試験は剣の腕を測るということが念頭にあるが、それも全てはその者の強さを見極めるということが基盤としてあるのだ。そしてお前は負けた。ここに居る少年はお前よりも強かったということだ。そして、強いものが憲兵隊の門をくぐることが出来るのだ」

「だがこいつは貧民だ!」

「貧民だろうと貴族だろうと、憲兵を志す意思があり、実力があるならば我々は隔てなくその者たちを受け入れよう」

 青年はそれ以上何も言えず、俯いた。

 そして試験官の男性は試合に勝った者たち――総勢十五名の試験合格を言い渡したのだった。

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