【5】
ジオの訓練はいつも教会跡の周りにある広大な森をランニングすることから始まった。ランニングは必ず五周することが約束だった。森には様々な自然の障害物が散らばっていて、ただ走るだけでも一苦労だった。ランニングが終わるとロトはいつも汗だくになった。
けれどジオはロトを休ませることなく剣術の訓練に入るのだった。大変な訓練だったが、辛くはなかった。師匠は俺のために剣術を教えてくれているのだとロトは思った。
ジオは木剣で地面に円を描いた。人が一人入れる程度の円だった。彼はそこに納まった。
「よし、少年」
ジオは木剣をロトに構えて言った。
「俺に剣を打ち込んで、この円の中から出して見ろ」
「……えっ?」
ロトは驚いた。幾ら騎士と言っても、円の中から出ずに自分の攻撃を受け切ることなど不可能なように彼は思った。彼が戸惑っていると、ジオは不敵に笑って見せた。
「いいから打ち込んで来いって」
「わ、分かりました」
ロトは腹を決めると木剣を構えた。打ち込もうとして彼は驚いた。ただ立っているだけのジオに隙を見つけることが出来なかったのだ。
「どうした? 来いよ」
ジオは言った。
「……っふ!」
ロトは意を決してジオとの距離を一気に詰めた。右斜め下から斬り上げを放った。
ジオはそれを木剣で受け止めた。まるで子どものチャンバラに付き合うような、軽い挙動だった。
初撃を弾かれたロトは止まってはいけない! と思い、ジオの横や背後など、攻撃を繰り出しては死角を突こうと足を動かした。
けれどジオはロトの攻撃の悉くを最小限の体捌きでいなしていった。彼の身体は円の中からは一切出ていなかった。
「くそっ……!」
崩せないジオの守りに苛立ち、ロトは力任せに木剣を振った。それは大ぶりの袈裟斬りだった。
ロトに一瞬のスキが生まれた。ジオはそれを見逃すことはなかった。
素早く動いたジオの木剣がロトの木剣を弾き飛ばした。衝撃でロトは地面に腰を落とした。
すぐさま立ち上がろうとしたロトの首元にジオは切っ先を突きつけ、彼の動きを封じた。
「残念。これが実戦だったらお前さんは今、死んだぜ」
ジオが言った。
「……っ、参りました」
ロトは言って全身の力を抜いた。どっと汗が噴き出した。
「お疲れ様」
と二人の戦いを眺めていたベロニカが言った。彼女は腰かけていた石垣から腰を上げると、ロトに歩み寄った。
「今回も見事に負けたわね」
「師匠はやっぱり強いよ」
ロトはベロニカの手を借りながら立ち上がった。
「少年」
ジオが言った。
「お前さん、終始勝てないと思って剣を打ち込んできていただろ?」
「は、はい」
「お前さんの負けた要因の一つは、それだよ」
ロトは戸惑った。
「い、いやでも、師匠は騎士ですよ? 俺が勝てる道理がないじゃないですか」
「お前さんは強盗に襲われた女の子を守ろうとした時、負ける気で剣を振るったのか?」
「い……いいえ」
ロトは頭を振った。
「だろうな。あの場面でお前が負ければ、次に狙われるのはあの女の子だっただろう。つまりそういうことさ」
ジオの言いたいことがロトには分からなかった。ジオは続けた。
「お前さんはこれを訓練で、練習だと思って俺に勝つ気力を失っていたのさ。勝つ気がない奴が勝てる道理なんて、この世には存在しないわな」
「……っ」
ロトは己を恥じた。ジオの言っていることは全くその通りだと彼は思った。
「いいか少年。一つ剣士ではなく騎士を志した先達として教えてやろう。剣士と騎士の違いだ」
ジオは木剣を肩に掲げて言った。
「剣士は敵と相対した時、自分より強いと感じれば逃げたってかまわないんだ。そして今度は同じ敵に勝てるように強くなればいいだけだからな。だが騎士は、どんなに強い敵と相対しようと逃げちゃならない。それは騎士が剣を取るって時は、必ずその後ろに護らねーとならない人たちがいるからだ。そして騎士は必ず勝って来た。だから人々は騎士って存在を敬うのさ。――いいか、少年。騎士になるために必要なものの一つは何があっても諦めない強い心だ。何が何でも勝つっていう、強い心意気だ。お前さんは既にそれを持ってるはずだぜ?」
ジオの拳がロトの胸に押し付けられた。その瞬間ロトの心が震えた。
「はっ、はいっ!」
「んじゃ、どうやったら俺を円の外に出せるか考えるこった。考えることも、戦いの中じゃ必要だぜ」
ジオは口端を広げて笑った。
「それならいったんここで休憩したらどう?」
ベロニカがバスケットを掲げて見せて言った。
「お弁当を作ってきたから一緒に食べましょ。ムロディナウ殿もいかかですか?」
「俺の分もあるのか?」
「もちろんですよ」
「ベロニカのお弁当はおいしいですよ」
とロトが言った。
「ほう。なら、ご相伴にあずかるとするかな」
☆
「う~ん……どうしたら師匠をあの円の外に出せるんだ?」
ロトはベロニカの弁当を食べながら唸った。ずっと考えていてもまるでその方法が思い至らなかった。
「そもそも、俺の攻撃をあの人は一歩も動かずに腕と上半身の最小限の動きだけで回避してるんだ。そんな人を動かすって……。ベロニカは俺と師匠の戦いを見ていて何か気が付いたこととかないか?」
「……正直、二人の戦いって速過ぎて細かいところまでは見れてないのよね」
ベロニカが言った。ロトはきょとんと眼を丸くした。
「俺の動きが速い? いやいや、まさか。師匠なら分かるけどさ。俺の動きなんて大したことないだろ?」
「えっ……?」
とベロニカは首を傾げた。
「もしかしてロト、気が付いてないの? あなた、ムロディナウ殿との練習をしだしてから動きがどんどん良くなって、速さも増しているのよ」
「……っ⁉」
ロトはベロニカの言葉がにわかには信じられなかった。自分の感覚としては、それ程何かが変わったという実感はなかった。
「呆れた人ね。普通は戦っていて気が付くものなんじゃないの?」
「……そう言われてもな……」
ロトは自分の両の掌を見つめた。今まで味わったことのない感動が彼を襲った。俺はちゃんと成長していたんだ! と彼は思った。俄然彼はやる気が出た。
「とにもかくにもまずは師匠の鉄壁の守りを破ることを考えないといけないよな」
「破るって、具体的にはどうするの?」
「師匠にステップを踏ませる」
ベロニカの疑問に、ロトは即答した。
「攻撃が当たらなくても、ステップを踏ませて攻撃を回避させることが出来れば少なくとも円の外へは出やすくなるはずだ」
「……けど、今のロトの精いっぱいの攻撃でも足は一切動いてないのよ? どうやってステップを踏ませるところまで持って行くのよ」
「ぐっ……痛いところをついて来るな」
ベロニカの指摘にロトは呻いた。彼女の言っていることはもっともだった。ただロトの攻撃を打ち込み続けてもジオがびくともしないことはついさっき経験したばかりだった。
「でもそうだよ。問題はそこなんだ」
ロトは言った。
「どうやって俺の攻撃でステップを踏ませるか――つまり、ステップを踏ませるところまで誘導する崩しをどうすればいいかってことだ。正直、どんな攻撃や揺さぶりを掛けても毛ほども揺るがないイメージしか湧かないよ」
ロトは実際に剣を合わせてジオの強さを味わっていた。それはロトの考えを敗北へと導くものとなっていた。
ロトは唸った。考えて、悩んで、唸った。彼の持ち合わせている技と駆け引きは限られていて、それらをどう組み合わせたとしても最後にはジオの無敵の反撃が想像のロトを斬りつけて終わるのだった。
「あー! だめだぁー!」
ロトはもろ手を挙げて地面に寝転がった。そんな彼の様子を眺めていたベロニカが例えばだけどさと言った。
「なにも剣でムロディナウ殿を円の外に出さなくてもいいんじゃない?」
「……どういうことだよ?」
ロトは頭を持ち上げて訊ねた。これは剣術の練習だぞ。剣で攻撃する以外にどんな方法がある?
「えっと、つまりね――」
ベロニカは人差し指を顎に添えて、自分の考えを整理しながら言った。
「ムロディナウ殿は剣を打ち込んで円の外に出せと言ったけど、剣の攻撃だけで出せとは言っていないじゃない?」
「……それは、屁理屈っていう奴じゃないか?」
ロトは顔を顰めた。
「師匠は騎士なんだぜ? 騎士が戦いにそんな卑怯なことをするのを許すわけがないだろ」
「卑怯なんかじゃないわよ」
ベロニカは言った。
「だって考えても見てよ。別にだまし討ちやインチキで勝とうとしているわけじゃないわ。自分の死力を尽くして戦おうとしているだけよ。本物の戦場で騎士が戦うときだって、きっと同じように死力を尽くして戦いっているはずよ。だから騎士と呼ばれる人たちはとても強いのよ」
「……」
ロトはもう一度考えてみた。ベロニカの言う通り、剣の攻撃以外でジオを円の外に出すとしたら、それは可能か。
少なくとも剣の攻撃だけに固執しているよりは勝機があるように思えた。
☆
ロトはジオと再戦をすることになった。ジオは昼食後、ロトたちが勝つ方法を考えている間ずっと崩れ落ちた石垣に腰かけて瞼を閉じたままだった。背筋をピンと伸ばして微動だにしないその姿は一度も乱れることがなかった。もう一度お願いしますとロトが言うと、彼はもういいのかいと言って円の中に納まった。
「よし、それじゃあ少年。この短い時間で出した答えを見せてもらおうか」
ジオは木剣を構えた。
「言っておくが俺はお前さんらの話を一切聞いちゃいない。手の内はバレてないから、安心して掛かって来るといいぞ」
「……っ」
ロトは唾を呑みこんだ。ジオのように不敵に笑う余裕は彼にはなった。彼は前と同じように不用意に飛び込むことはしなかった。勝つための道筋を脳裏で思い描き、ようやく彼は中腰の姿勢を取った。
脚に力を溜めて、
先ずは揺さ振る!
ロトの剣戟を木剣で防ごうとジオが動いた。それを見てロトは木剣と木剣が衝突する直前で剣の軌道を変えた。
「っ!」
ジオが驚きに目を見開いた。
空振りしたような動きとなったロトは、剣を振り下ろした勢いに逆らうことなく、逆にさらに加速した。ジオの脇をすり抜け、背後へと回った。
無防備となっている背中に一撃を叩き込もうとするが、直前でジオの素早い迎撃がロトの身体を襲った。けれどつまりそれは――背後にいるロトを迎え撃つために足を組み替えて反転したことを意味していた。
師匠の脚を動かすことに成功した! ロトはジオの猛攻をなんとかしのぎながら内心で喜んだ。自分のやろうとしていることが間違ってはないという自信を彼は得た。
ジオの重い一撃一撃を
すぐにロトの顔は苦汁の汗でまみれた。運動量はジオと比べ、圧倒的に彼の方が多かった。このままじゃ最初に限界が来るのは俺の方だ。その前に何とか活路を! そう無謀な勝負に出ようとする心を押さえつけ、彼は確実にジオを崩せる時を窺った。
やがて、その時は来た。
崩せたというには小さすぎる――けれど確かにロトから見てジオの態勢が僅かに不利になった瞬間、彼は突貫した。
この勝負においてロトが初めて本当の攻撃に転じた。低姿勢のままジオの懐に飛び込む。
ロトが木剣を振り抜く――その直前で、ジオの木剣が垂直に真上から振り下ろされた。
「くっ……!」
ジオの早すぎる迎撃に、ロトは構うことなく木剣を振り抜いた。
ジオとロトの木剣が衝突した。ジオの凄まじい力を真っ向から受けたロトの腕がビリビリと震えた。
ここで押し負けたらお終いだっ!
ロトは渾身の力を込めてジオの木剣を己の剣ごと地面にたたきつけた。
ジオの木剣は先端を地面に減り込めさせた。
ロトの木剣は彼の手を離れ彼方へ飛んで行った。
そして、ここまでがロトの想定内だった。木剣はないが、師匠が木剣を引き抜くのにも数秒はかかる。それだけあれば――‼
ロトは突貫の勢いをそのままにジオの身体に体当たりをかました。流石の師匠でもこれで円の外に押し出せたはず! と思い、自身の足元を見て彼は瞠目した。
ジオの脚は、数センチ地面を擦った跡を残して止まっていて、彼はまだ円の中にいた。
「なっ……⁉」
「悪くない案だったぜ」
唖然とするロトに、ジオは言った。
「だが、俺とお前さんじゃ鍛え方が違う。惜しかったな」
ロトはジオに腕をつかみ取られると、そのまま投げ飛ばされた。
「かはっ……!」
背中から地面にたたきつけられ肺から空気が抜けた。
☆
「一度目よりは数段よかったぜ」
ジオが言った。
「少年はどうだ? 何か手ごたえがあったんじゃないか」
「……正直、いけるんじゃないかって思ったんですけど……」
ロトは地面に寝っ転がったまま言った。ジオは笑った。
「剣を握って半年かそこらの少年が、老いぼれとは言え騎士相手にここまで戦えたんだ。上出来だと思うぜ」
ジオはそう言ってベロニカの方を向いた。
「嬢ちゃんもそう思うだろ?」
「……ムロディナウ殿は強すぎます」
ベロニカは苦笑いを浮かべた。
「私もロトが勝ったかと思ったんですから」
ジオはまた笑った。それからロトに手を差し伸べて言った。
「多くの奴は、戦いに見栄えを求めて、泥臭く戦うことを嫌う。みっともなく戦って得た勝利は、みっともないものだと。だが俺はそうは思わない。どんなにみっともなくたって勝利は勝利だ。泥臭く戦うことの何が悪い。つまりそれは、最後の最後まで勝負をあきらめてないってことだろうが。そういう戦いをする奴は強いと俺は思う。そして少年はそういう戦いを俺に見せた。ならお前さんはまだまだ強くなれるさ。お前さんはまだ騎士じゃないんだ。俺相手にいくらでも負けて、そしていずれ騎士になった時に誰にも負けない強さを手に入れてりゃ、それでいい」
ロトは起き上がって再び木剣を構えた。ジオは続けた。
「幸い、
「……はいっ!」
そしてロトとジオは再び剣を合わせた。何度も何度も剣を合わせた。
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