【4】
ベロニカはいらいらしていた。彼女はロトにサンドイッチを届けに行って以来、自室に閉じ込められていた。以前から屋敷をよく抜け出していた彼女だったが、最近はより拍車をかけてそれがひどくなっていたので、ついに父親が怒ったのだった。
「娘を部屋から出してはいけない」
と父親は侍女たちに言った。
「一人にしてもいけない。あれがどこかへ行く時は、お前たちのうち必ず誰か一人は同行するのだ。トイレや風呂場も例外ではない」
「それはあんまりです! お父様!」
とベロニカは考え直すように頼んだが、「では二度と逃げ出すことなく、心を入れ替えて生活することだ。そうすればいずれ監視は解いてやる」と父親は言った。
ベロニカはその時のことを思い出し、ベッドの上でジタバタと暴れた。
「はしたないですよ。お嬢様」
侍女の一人が言った。彼女は二十歳頃でベロニカより少し年上だった。彼女は紅茶を運んで来た。
「だって! これが怒らずにいられる⁉」
ベロニカは言った。
「実の娘にこんな監禁みたいな真似をして、あなたはひどいと思わないの!」
「旦那様もやり過ぎだとは思いますが、お嬢様にも非はありますよ。勉強の先生はお嬢様のためにお忙しい中、時間を割いて来て下さっているんです。それを逃げだすというのは、先生に対しても失礼だと思いますよ」
「……それは、そうかもしれないけど……。でも、やり方というものがあると思うの。あなたたちに四六時中監視をされていたんじゃ、私は気が休まるときがないもの。もしかしたら、疲労で死んでしまうかも知れないわ」
「それは困りました。お嬢様が死んでしまっては一大事です」
「そうでしょ? だから少しくらい――」
ベロニカが言葉を続けようとすると、侍女は一杯の紅茶を差し出した。甘い香りのする紅茶だった。
「では、これを飲んだらいかがですか? 疲労回復の効果がありますよ」
「……ありがとう」
ベロニカは紅茶を飲みながら、口の中でぶつぶつと言葉を転がした。
「それにしてもお嬢様、私はずっと気になっていることがあるのですが」
侍女は言った。
「お嬢さまお屋敷を抜け出された後、いつもどこに行っておられるのですか?」
「ぶっ……!」
ベロニカは突然の質問に取り乱して、飲みかけの紅茶を吹き出してしまいそうになった。
「ごほごほ……急に何よ? どうしてそんなことを訊くの?」
「いえ、お嬢様はお屋敷を抜け出されると結構長い時間を外で過ごされていますから……いつも何をしているのかなぁと、ずっと気になっていたんです」
「……別に、何ということもないけれど」
ベロニカは紅茶を啜りながらどう誤魔化したものかと考えた。ロトと会っていることは絶対に言えなかった。
「好きな人とでも会ってたりして――なぁんて……え?」
侍女の言葉にベロニカはさらに動揺した。侍女は彼女の様子に目をパチクリさせた。
「え? お嬢様、もしかして本当に……?」
ベロニカは真っ赤になって俯いた。侍女は興味津々に彼女に詰め寄った。
「誰にも言いませんから教えてくださいよ!」
「そ、そんなんじゃないわよ!」
「でもその人のためになれない料理をしてまでお弁当を作っていたんですよね?」
「どこでそのことを知ったの⁉」
料理長には秘密にしてって言っておいたのに! とベロニカは次から次に出てくる侍女の言葉に目を白黒させた。
「実は私、お嬢様が料理長と朝早く起きてお弁当を作っているのを偶然見ちゃったんですよね」
侍女は言った。
「それであの日はお嬢様が案の定お屋敷を抜け出されたので、もしかしたらな~と思っていたんです」
ここまで知られていては話さないわけにはいかないとベロニカは思った。白状しなければ侍女の頭の中でどんな想像が繰り広げられるのか分かったものではないというのも理由の一つであったが。
「……秘密よ。絶対に他の人には言わないでちょうだいね」
ベロニカはため息をついて前置きをした。そしてロトのことを侍女に打ち明けた。
侍女はベロニカとロトの出会いの話を頷きながら聞き入った。時には身をもじもじさせたり、ベロニカがその時感じた感情を彼女も体験するように、ベロニカが笑ったところでは彼女も笑い、ベロニカが悲しくなったところでは彼女も悲しくなり、ベロニカが怒ったところでは彼女も怒ったのだった。
「まあ、あの日、お弁当を持って行かなければこうしてお父様に閉じ込められることもなかったのかもしれないけれど」
とベロニカは話を締めくくった。彼女の顔は終始真っ赤になっていた。火照った顔を冷ますように彼女はもう冷めてしまっている紅茶を飲み干した。
侍女は腕を組んで目をつぶったまま何事かを考えていた。彼女はしばらく黙った後、分かりましたと言った。
「……なにが分かったの?」
「お嬢様はそのロトくんに恋をなされています!」
「……っ‼」
全く臆面もなく断言する侍女にベロニカはまたしてもあたふたした。
「こ、恋って……それは私はロトのことは好きだけど……でも――」
「まあ、お嬢様は今までそう言った経験をしたことがないですからね。初めての感情で戸惑うのも分かりますけど」
侍女は言った。
「でも断言します。お嬢様はロトくんに恋をなされています!」
「に、二度も言わないで!」
ベロニカは叫んだ。さっきからこの侍女にペースを乱されっぱなしだと彼女は思った。この侍女は今、侍女の仮面をどこかへ投げ捨てて一人の少女となってベロニカと接していた。
「…………まったく、あなたがこんなにフレンドリーな人だっただなんて、随分長く付き合っているのに知らなかったわ」
ベロニカが言った。侍女ははっとして、慌てて居住まいを正した。
「も、申し訳ありません……私ったら……」
「もう構わないわよ」
ベロニカは笑って言った。
「私もあなたたちは堅苦しすぎると思っていたから。あなたみたいに砕けた人が一人くらいいてもいいわ」
「……ありがとうございます」
侍女はしゅんとして言った。それにしても、私はロトに恋をしていたのか。なるほど言われて見ればその通りかもしれないとベロニカは思った。そこで彼女ははたと気が付き、侍女に訊ねた。
「あなたは私の味方よね?」
「み、味方……ですか?」
「そうよ。あなたは私がロトに恋をしていると言ったわ。多分それはあっているのでしょう」
ベロニカは言った。
「この私にここまで恥ずかしい話をさせたのだから、私の恋に協力するくらいしても、いいんじゃないかしら?」
「そ、それは――」
侍女はベロニカの言わんとするところを理解してしまい言いよどんだ。お嬢様は私にお屋敷を抜け出す手伝いをさせるつもりなのだと彼女は悟った。けれどベロニカの気迫に押し負けて、結局彼女は力なく頷いた。
「――はい」
☆
そしてベロニカは今、屋敷を抜け出そうとしていた。彼女の部屋の前には別の侍女が控えていたので、部屋から出ることは出来なかった。
「どうやって抜け出すのですか?」
侍女の疑問にベロニカはしばらく思案をした。それから窓を見て言った。
「窓から出るわ」
「ちょ、ちょっと待ってくださいお嬢様!」
侍女は仰天した。
「この部屋は四階にあるんですよ! テラスもないですし、一体どうやって外に出るつもりなんですか!」
「声が大きいわよ。外にいる人たちに気付かれてしまうからもう少し声を落としてちょうだい」
ベロニカは口元に人差し指を添えて、侍女に静かにするように促した。
「昔何かの本で読んだ気がするわ。その本には確か、昔この国で罪を犯した男が牢獄から脱出する際に、シーツを繋ぎ合わせて作ったロープを伝って壁を降りたとあった気がするわ」
「……まさか、お嬢様……」
「幸い、私のベッドのシーツは大きくて長いわ。それに、あなたに替えのシーツを持ってきてもらえれば――そうね、三つもあれば足りるかしら」
ベロニカの計画に侍女は頬を引きつらせた。
「持ってきてもらえるかしら?」
「は、はい……」
侍女はそう言って渋々、本当に渋々替えのシーツを取りに行った。数分後、彼女はシーツの山を抱えて戻ってきた。
「こんなにたくさんのシーツを一体どうするのか、同僚に訊ねられて大変でした……」
「でも、ちゃんとうまく誤魔化してくれたんでしょ?」
「それはまあ……協力する約束ですからね……」
侍女は言った。
「ですけどこんなことをやっていたら、いつかバレちゃいますよ?」
「その時はその時よ」
ベロニカは侍女からシーツを受け取ると、シーツの端と端を結び付けていった。そして一本の長いロープを作った。
「じゃあこれをどこか頑丈で私がぶら下がっても動かなさそうなところに結んでくれる?」
ベロニカは侍女にシーツのロープの端を渡して言った。侍女はベロニカのベッドの脚にロープを結び付けた。ベッドはとても大きくて、大人の男の人でも一人では動かすことは難しかった。
ベロニカは開け放った窓枠から身を乗り出だした。
「お嬢様、本当にやるんですか? やっぱり危ないですよ」
「ここまでやって何を言っているのよ」
侍女の心配よそにベロニカは言った。
「それじゃあ、私は行くわね。もし、お父様たちが来たら、うまく誤魔化しておいてちょうだい」
ベロニカはいよいよ壁を降りようとして、そこでふと動きを止めた。
「そう言えば一つ聞き忘れていたわ」
ベロニカは侍女に言った。
「あなた、名前はなんて言うの?」
「……め、メアリーです」
「そう。ありがとう、メアリー。協力してくれて」
ベロニカはそう言って、今度こそ壁を降りた。
☆
ベロニカが教会跡に行くと、いつもと違う空気を感じた。ロトではない誰か別の人がいることに気が付いた。
男の人がそこに居た。何とおっきな人なんだろうとベロニカは思った。その横顔は六十代半ばといったところだった。
ベロニカが僅かに警戒しながら数歩歩み寄ると、そこで男性が彼女の気配に気が付いた。後ろを振り返った男性と眼が合った。
「こいつは……驚いたなぁ」
男性は言った。
「あんた、ラフマニノフのところの娘さんだろ?」
ベロニカは驚いた。何故この人は自分のことを知っているのだろうと思って、彼女はこの男性に見覚えがあることに気が付いた。男性のことは王国で行われたパーティーに何度か足を運んだ際に、国王陛下の横に控えているところを見かけたことがあったのだ。彼は、王国に使える騎士団の団長だった。
「……はい。ベロニカと言います。あなたは確か、ジオ・ムロディナウ殿ですよね……」
「知っていたのか」
「王国で何度か、陛下のお傍でお目に掛かったことがあります」
ベロニカは言った。
「騎士団団長ともあろうお方が、このようなところで何をなさっているのですか?」
ベロニカは何故ジオが教会跡にいるのか知りたかった。そして早くこの場からどこかへ行ってほしかった。ロトと二人でいるところを見られたくなかった。
「なに、ということもないんだがな」
ジオは頭を掻いて言った。
「先日街で面白い少年を見かけてな。その少年に剣の稽古をつけてやることにしたんだが、その少年は騎士団でも憲兵隊でもなかったから、訓練場を使うわけにはいかなくてな。どこかいい場所を知っているか尋ねたらここに連れてこられたってわけだ」
「少年、ですか……?」
ベロニカはまさかと思った。
「ムロディナウ殿。その少年の名前はもしかするとロトというのでは……?」
「うん? なんだ、嬢ちゃん、少年と知り合いなのか?」
「は、はい……」
「おっと、ちょうど少年がランニングから戻ったみたいだぞ」
そう言ってジオが視線を飛ばした先には息を絶え絶えにさせながら、ふらふらと走ってくるロトの姿が見えた。
「ずいぶん遅かったな少年」
「はあ、はあ………………すい、ません」
ロトは両手を膝について何とか言葉を絞り出した。
「少年は運動神経は申し分ないんだがな。持久力が課題だな」
「あの……それって剣術に関係あるんですか?」
ベロニカが訊ねた。
「大いにあるさ。確かに剣術には瞬発力や剣の技量も求められるが、どちらにも集中力が不可欠だし、瞬間的に力を籠める攻撃を繰り返し行える体力も必要だ。持久力っていうのはその全ての基礎なんだよ、っていうのが俺の持論だ」
ジオが言った。
「あれ? ……ベロニカ、来てたんだ」
ベロニカに気が付いたロトが言った。
「ええ」
「そうだ、紹介するよ。この人はジオ・ムロディナウさん。何と騎士団の騎士なんだよ!」
ロトは少し興奮して言った。騎士というか、大勢の騎士の頂点にいる人だけどとベロニカは思った。
「その騎士の人が俺に剣を教えてくれるんだぜ! これってすごいことだぜ!」
ロトの話し方を聞いて、ベロニカに疑問が湧いた。耳打ちでジオに話しかけた。
「ロトに騎士団長であることを言っていないんですか?」
「ああ。別に教える必要もないと思ってな。無用な敬意を払われても鬱陶しいだけだしな」
ジオはそんな身もふたもないこと言った。ベロニカは苦笑いを浮かべた。
「そういや、お前たちも知り合いなんだったな。一体どうやって――」
知り合ったんだ、とジオが言おうとしたところで、ベロニカは慌てて彼の手を引いて言葉を遮った。不思議そうな顔をしているロトにちょっと話があるの、とことわりを入れてジオを連れ出した。
「実は、ロトには私が貴族であることを隠しているんです。ですからムロディナウ殿にも私が貴族の――ラフマニノフの人間であるということは黙っていてもらいたいのです」
ベロニカに腕を引かれ不審がっていたジオは得心が言ったように口端を持ち上げた。
「なるほど、そういうことか」
とジオは全てを見透かした瞳で言った。ベロニカは自分の心のうちが見られているようで落ち着かなかった。
「いや~、若いなぁ。まあ、黙っているくらいお安い御用だ。他人の恋路を邪魔するのは気分がいいもんじゃないしな」
ジオが言った。ベロニカはここまで来ては否定する気も起きなかったが、代わりに恥ずかしくて死にそうだった。
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