13枚目 「さ、俺たちの家に帰ろう」
「すごい!きらきらしてます!あれ、海ですか?」
「ほら、ちゃんと
まるで子供みたいに電車の窓に張り付いて外を見ているユリの手を取って、俺から離れないように言い聞かせる。手を取った瞬間、下唇を噛んで目を大きくしたユリは、俺を見上げた後にすぐ俯いた。
一瞬、なにか酷いことでも言ってしまったのかとギョッとするが、口の両端を持ち上げて、頬を桜色に染めながら手を返してきたユリを見て、単なる思い過ごしだと安堵する。
俺の黒いパーカーをワンピース風に着こなしているユリと並んで歩く。
タンスの肥やしになっていた大きすぎるパーカーを見つけたユリに、トレンカを買ってきてくれと言われて渋々コンビニに足を運んだが、なるほど、こうして組み合わせるとメンズのパーカーも可愛らしく見えるんだなと感心した。
目的地の駅についた俺は、人混みの中で離れないように彼女の手をしっかりと握って歩いていく。
いつ来たのが最後だろう…なんてことを考えながら、休日のカップルだけではなく家族連れでも賑わう屋内型の大型ショッピングモールの方向へ進む。
ショッピングモールのエントランスを通り過ぎ、二階にある服や雑貨を見るために、吹き抜けのあるホールへ入っていく。
しばらく歩いているうちに、吹き抜けの天井に描かれた空を見たユリは、小さく声を上げて立ち止まった。
「ここ…テレビで見ました!すごい…。ビーナスファウンテン…ですよね?」
「せっかく出掛けるなら、楽しめたほうがいいだろ?さ、行こう」
タブレットも与えていないし、PCも与えていない彼女の情報源がテレビしかないことにも気が付き、スマホを与えてやるべきか…などと考えながら、中世ヨーロッパの街並を模しているらしい店内を歩いていく。
パンツとはいっても、ユリも若い人間の女性と変わらないらしい。
服屋へ入ると楽しそうに洋服を物色し始める。
「直久さん、これどっちがいいと思います?」
「…。自分の好きな方を買えばいいんじゃないか?」
「そうじゃないですよぅ!どっちが可愛いかとか似合うかとか聞きたいんです!」
「はいはい、どっちも可愛い。これでいいか?」
「もう~!いじわる」
色違いのカットソーを両手に持ちながら頬を膨らませたユリは唇を尖らせて不満げな顔をしてみせた。そんな風に拗ねている様子がおかしくて、笑いが絶えられずに口元を抑えて笑ってしまう。
「悪い悪い。お詫びにどっちも買っていいから…。本当にどっちの色も可愛くて、ユリに似合うと思うよ」
「きゅ…、急に100点満点の答えを出されたらびっくりしちゃいますよ…。でも、ありがとうございます!悩んでたから嬉しい」
こんな調子で買い物をしていたら、あっという間に俺の両手には服が入った大量の紙袋がぶら下がることになった。
買い物も一通り終え、ユリが食べたがってパンケーキの店で昼食を済ませる。
「トイレにいってくるから、ちょっと待っててくれ」
そう言って店を早足で出る。
服もアクセも靴も買いはしたが、一つだけまだプレゼントしたいものの用意ができていなかった。
これは、こっそり渡して少し驚かせたい。そう思った。
先程ユリと二人で歩いた道を引き返して、目星をつけていた店へと歩いていく。
「すみません、これください。プレゼント用で」
店員にそう告げて、目的のものを包装してもらう。
それから駆け足で店の前まで戻って呼吸を整えた。
これからも、彼女がこの家にいるのなら、渡してもいいのかもしれない。いや、必要なものだと自分に言い聞かせる。
片手に収まるほどの大きさの小さなユリへの贈り物をコートのポケットにしまって、彼女の待つ席へと戻った。
「あ、おかえりなさい」
窓際の席で、ぼうっと外を見ていたユリは、戻ってきた俺に気が付いて笑顔になる。
さっき走ったせいで口が乾いたのか、声に詰まった俺は、テーブルに残っていた水を一気に飲むと彼女の向かいの席に座った。
「どうかしました?もうお店出ます?」
コートをいつまでも脱がない俺を、不思議そうに見つめてくるユリを見つめ返す。
もう買ってしまったのだから、渡すしかない。それなのになかなか言いたい言葉が出てこない。
黙っている俺を見て、ユリが段々と不安そうな顔になってきた。意を決してポケットの中で握っていた彼女へのプレゼントをテーブルの上に出した。
「これは?」
首をかしげる彼女の目の前で、俺は黙ったまま包装紙を開いていく。
「かわいい!もしかして、これを買いに行ってたんですか?ありがとうございます」
白いキャンバス生地にピンクと赤の花がプリントされたキーケースを手にとって、ユリはしげしげと眺める。
俺は、自分のキーケースから予備の鍵を取り出してユリに手渡した。
「キーケースと鍵。俺が仕事の間に、買い物とか頼めないのは不便だし、ユリも出掛けたりしたいだろ?」
「鍵もかわいいキーケースも、大切にします…」
キーケースと鍵を胸にぎゅっと抱えるようにしながら、ユリはほほ笑みを浮かべる。
よろこんでもらえたようでよかった…と内心ホッとしながら、俺は店員が運んできたコーヒーに口をつけた。
今にも鼻歌を歌いだしそうなくらい機嫌が良いユリと、帰路につこうと歩き出した先で本屋が目に入る。
「そういえば、欲しい本があったんだ。少し見ていきたい」
ユリの手を引きながら方向転換をして、通り過ぎそうになった本屋へと足を踏み入れた。
そこで、見覚えのあるシルエットが目についた。見間違いかと思って視線を戻す。
猫背気味で歩くその女性もこちらに気が付いたようで、目が合って見間違いではない事を確信する。
「あ…どうも」
無視するわけにもいかないので軽く頭を下げると、分厚いメガネをした彼女…永本らしき女性はニッと歯茎が見えるくらい口を開いて笑みを作る。
猫の絵が書かれた薄いピンクのトレーナーと、真っ赤なロングスカートという個性的な格好の永本は、ひっつめ髪の頭を左右に揺らして歩いてくる。
「兄妹でお買い物ですかぁ?妹さんずいぶん長く滞在してるんですね」
「この前良い物件が決まらなくて…。また昨日こっちに来たんですよ」
「へえー!あ!妹さん!そのキーケース可愛いですね!コーチの新作なんて…いいなぁ」
永本は、ユリの持っているキーケースを目にすると、少し興奮したように大きな声になって手を前に伸ばそうとした。
咄嗟にユリを背中側に隠すように前に出る。そのまま俺は、手を前に伸ばしてきた永本の手に不本意ながらそっと触れる。
人に触れることが好きではないのが治ったのかと思ったが、ユリ以外にふれるのはやはり気持ちが悪くて、伝わってくる他人の体温に鳥肌が立ちそうになる。
「永本さん、今日はお会いできてうれしかったです。また会社でお会いした時はよろしくおねがいしますね」
分厚いレンズの奥で、腫れぼったいまぶたに覆われた彼女の瞳孔が大きくなった気がした。
なるべく無礼にならないようにそっと手を離した俺は、永本に口を開かせる隙きを与えないようにユリの背中に手を回しながらきびすを返す。
ほしかった本を諦めて早足で駅に向かう。
「大丈夫だったんですか?会社の人なんですよね?確かこの前スーパーでお会いした…」
「まぁ…大丈夫だろう。部署が変わったのか最近フロアで見てないし、適当に誤魔化せばいいさ」
駅について一息ついた俺を見て、ユリはやっと口を開いた。
余計なことを言わないように気を張っていたらしいユリが健気で、彼女の頭に手を伸ばす。
ユリから伝わってくる熱は不快どころか落ち着いて、さっきまでの悪寒や鳥肌が収まっていく気がした。
「さ、俺たちの家に帰ろう」
両手いっぱいの袋を持ち直しながら、頭を撫でられて嬉しそうなユリの手を取ると、俺たちは帰路につくために電車へと乗り込んだ。
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