19枚目 「こんなところでも会うなんて!すっごい偶然」

「キーケース…見つからない…どうしよう」


「少し休憩したら、探しに行ってみよう」


「ごめんなさい」


 顔を真っ青にして俯くユリの背中を押しながら店を出た俺は、近くにあるベンチに座らせた。

 膝の上で握りしめられた手の甲に、目から溢れた涙がポツポツと雨みたいに落ちてくるユリの涙を、取り出したハンカチで拭ってやりながら彼女の髪をそっと撫でて一息つく。


「探しに…行きましょう」


 俺がどうしようかと思案している暇もなく、ユリはベンチから腰を上げてそういった。

 時々鼻を啜りながらも、俺の手を引っ張りながら歩くユリに、なんて声をかけていいのかわからずに着いていく。

 脇目も振らずに鞄を落としたエスカレーターまで再び戻ってきた俺たちは、さっそくキーケースが落ちて飛んでいきそうな場所に見当をつけて探し始める。

 ベンチの下やゴミ箱の後ろを見ている俺達を、周りの人が何事かと少し遠巻きに見ているのがわかる。でも、懸命に探しているユリはその様子に気がつく様子はない。

 一通り怪しい場所を探し回った俺たちはため息をつきながら顔を見合わせた。


「見つからないですね…」


「もし見つからなくても鍵は変えればいいし、キーケースもまた買えばいいから…」


「でも…せっかく買ってもらったキーケース…無くしちゃうなんて嫌なんです…」


 涙を目いっぱいに貯めたユリはそういうと、唇をかみしめて絞り出すような声でそういった。

 なにかに頷いたあとに、床に這いつくばってベンチの下をもう一度探し始めたユリに駆け寄って声を掛ける。


「一回休憩しよう」


 立ち上がったユリが何か言おうとしたのか、口を開いた。しかし、発しようとした言葉は、再び溢れてきた涙で消されてしまったのだろう。涙を通行人から隠すようにユリは俺に抱きついてきて胸元に顔を埋めた。

 ユリの背中を子供をあやすみたいに軽く撫でて、途方に暮れる。

 キーケースはベンチの下も、ゴミ箱の後ろも、観葉植物の鉢植えの陰も探してみたけれど、どこにも見つからない。

 どうにか探したいという気持ちは俺も同じだった。


「もしかしたら…」


 キーケースを拾った人が、サービスセンターや受付に届けてくれているかも知れない。

 そう言おうとして、泳がせていた視線をユリに戻そうとしてあるものに気が付いた俺は言葉を失った。


 目の前に見覚えのある人影が佇んでいる。

 黒縁メガネの下にある腫れぼったい目を輝かせるひっつめ髪の女性は薄いピンクのコートに身を包んでこちらをじっと見ている。

 せわしなく動いている人混みの中で、じっと一人きりで立ちながら微動だにしない永本らしきその猫背の女は、俺と目が合うとニタっと口紅が少し付いた歯を見せて笑った。


「あれぇ?佐久間さん。こんなところでも会うなんて!すっごい偶然」


「なが…もとさん…」


 ちょこちょこと小さな歩幅で距離を詰めてきた永本は、俺とユリを舐めるように上から下まで見たあと、媚びたような笑いを浮かべたまま話しかけてくる。

 前回の買い物まではともかく、こんな水族館へ来る日も被るなんてことあるのか?駅から付けられていた?とぐるぐると不吉な考えが脳裏をよぎる。

 つい引きつりそうになる表情をなんとか笑顔に保ちながら、永本と向き合った。


「あれれ?妹さん泣いちゃってるんですか?困ったことでもあったのかな?」


「それが、ちょっと大切なものを落としてしまって…」


 ユリは永本の方を振り返って軽く頭を下げて、俺の言葉に涙を拭いながら頷いた。

 一刻も早くこの場を立ち去りたいと気が急いた俺は、ユリの肩を抱いて背後にあるサービスセンターの方へ目を向ける。

 あそこへいく言い訳をして早く離れよう。


「あの、サービスセンターの方で聞いて見るので、大丈夫です。では…」


「落とし物ってもしかして…」


 背を向けて立ち去ろうとした俺の腕を、永本が強く掴む。

 俺の腕を掴んでいる力とは不釣り合いな猫なで声と、不自然に口の端を吊り上げて歯を見せながら笑っている永本に思わずぎょっとして動きを止めた。

 そのまま永本が手を急に差し出すのを見て、手が鼻先を掠ったユリが小さな悲鳴を上げ、俺は反射的にユリを背中側へ押し込むように前に出る。


「さっき落ちてて、丁度届けようとしてたんですよぉ~。よかった」


 なにか刃物でも出されるのかと思ったが、それが勘違いだということに胸をなでおろす。

 永本が差し出した手の上にあったのは、白いキャンバス生地にピンクと赤の花がプリントされたキーケースだった。

 ユリは俺の後ろから姿を表して、おずおずと永本が差し出しているキーケースに手を伸ばす。


「あ…ありがとうございます…」


 キーケースの中身を確認して鍵を確かめたユリは永本に深々と頭を下げた。

 永本がなにかするために家から付けてきたんじゃないかと誤解していたことを内心申し訳なく思いながら、俺もユリと共に頭を下げる。


「いいんですよ~。じゃあ、わたし流輝彌るきやくんを待たせてるので」


「あ、わざわざありがとうございました。では」


 いそいそと立ち去った永本にホッとしながら、去っていこうとする永本に軽く頭を下げた。

 もし、この先一緒に水族館を歩きまわろうと言われたらどう断ろうかまで考えようとしていたことに反省して、人混みの中に紛れていく永本の薄いピンクのコートを見送った。


「ちょっと驚きましたけど、よかった…」


 胸にキーケースを抱きしめるように持ちながら、ポツリと吐き出すように言ったユリの頭を撫でて抱き寄せる。


「おみやげ、買いに戻ろう」


 再び元気を取り戻したユリが勢いよくうなずくのを見て、俺達は手をつないで再び思い出の品を買うために歩き出した。

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