21枚目 「あれあれ?出迎えてくれたんですか?」
「おはよう」
目を覚まして、隣で眠っているユリに声をかけると、彼女はゆっくりと目を開いて微笑んだ。
自分が衣類を身にまとっていないことや、彼女の上半身が露わなことを確認して、昨日のことは夢ではないらしいと確信した俺は、頭を抱えて叫びそうになるのを抑えて表面上だけは穏やかな恋人同士に見えるように努める。
「シャワーしてくるから、まだ寝てて構わないよ」
うとうととしながらも俺を見ていたユリは、俺がそういうともぞもぞと布団に潜り直して猫のように身体を丸くした。
彼女が規則的な寝息を立て始めたのを確認してから、そっと足音をたてないようにして浴室へ向かう。
「はぁ~。今日…休みでよかった…」
シャワーから勢いよく出てきた冷水を頭から浴びながら、頭が茹で上がっていないと出来ないようなことをした昨日の自分を思い出して頭を軽く壁にぶつける。こんな状態で仕事なんて出来るはずがない。
徐々に暖かくなってきたシャワーを流しっぱなしにして、シャンプーのポンプを数回押して泡立てながら昨日のあれこれを思い出してはため息を漏らす。
自分のものを咥えさせるなんて気持ち悪いと思っていたし、過去の恋人たちにはやめてくれと強めに言って止められたはずなのに…。
快楽だと感じたことも、快楽に流されたことにも少しの罪悪感が湧き上がってくる。
「ユリが元の姿に戻ったら…あのパンツを見るたびに思い出すはめになりそうだな」
髪についた泡と一緒に、昨日自分から湧き出た情欲も流せてしまえばいいのになんてことを考えながら何度目かわからないため息を吐き出す。
少し長いシャワーを終えて、脱衣所から出よう扉を開けると目の前にユリがいて驚いた俺は身体を仰け反らせる。
黒いブルゾンダウンの前をしっかり止めて、赤いニット帽をかぶっているユリは俺の顔を見るなり頭をピョコンと勢いよく下げた。
「あの…朝ごはん作ろうとしたんですけど、冷蔵庫が空っぽで…」
「ああ…、買い物?」
「はい。ちょっと行ってきますね」
「わかった」
眉を八の字にしながら俺を見上げるユリの頭を撫でて微笑むと、彼女の曇っていた表情がぱぁっと明るくなる。
玄関口にユリとう一緒に向かった俺が、つい財布と鍵はあるのかと聞くとユリは唇を尖らせて拗ねたような顔になる。
「もう!お買い物は普段から行ってるから大丈夫ですって」
「ごめんごめん。じゃ、いってらっしゃい」
「はい!すぐに戻…」
玄関の扉へ向かうために振り返ろうとしたユリの腰を抱き寄せて額に口吻をすると、彼女は言葉を失ってキスをされた場所に手を当てたまま静止した。
徐々に桜色に染まっていくユリの顔を見て、俺も自分が非常に気障な真似をしたことに気が付いて顔が熱くなる。
「い…いってきます」
しばらく静止していたユリが、ハッと気が付いたように身体を軽く仰け反らせて、あっという間に身体を翻して外へ出ていくのを見て、やっと我に返った俺は、ほてる頬を冷ますように手を当てながら玄関の鍵を閉めた。
ガチャン…と鍵がしまった音を聞いて、今日が平日であることを思い出し、俺は一番近くのスーパーが定休日だということを思い出した。
「まぁ…すぐに戻ってくるか…」
スマホも持っていないユリを追いかけて変にすれ違うのも面倒だし、なんとなくあんな気障なことをした手前、今彼女と顔を合わせるのが少し照れくさかった。
リビングに向かった俺は、コーヒーメーカーにポーションをセットして、本棚から読みかけの小説を取り出すとソファーに腰を下ろす。
久しぶりに一人きりの家はなんだか静かで、少し落ち着かない。
コポコポとコーヒーメーカーの抽出音に耳を傾けつつ、本を開いてページをめくろうとすると、ガチャン…と鍵の開く音がした。
なんだ…スーパーに着く前に定休日だって気が付いて戻ってきたのか…久しぶりにゆっくり出来ると思ったんだけどななんて言い訳を考えながら、俺は読みかけの本をテーブルに置くといそいそと帰ってきたのであろうユリを迎えるために玄関へ向かった。
「あれあれ?出迎えてくれたんですか?」
あまりにも予想外の人間がそこに立っていて、俺は動きを止める。
「は?なんで…鍵…」
玄関に向かうためにリビングの扉を開けると、ユリではなく分厚いレンズのメガネをかけた猫背の女がニタっと笑って目の前に立っていた。
永本がこれ見よがしに鍵を淡いピンクのコートのポケットにしまうのを見て、わけがわからない恐怖にかられて俺が後ずさりをすると、永本は玄関にくたびれた赤いスニーカーを脱ぎ捨てて家に上がり込んでこようとしてくるのが見えた。
入ってくるなという言葉が出てくるより先に、手が出ていた。俺の手が永本の肩辺りに触れると、永本の深爪気味の指が俺の腕に食い込んで強い力で引っ張られた。
「っつ!」
バチンという音とともによくわからない衝撃と痛みが走って身体が跳ね上がる。
足が動かなくなった俺はバランスを失って床に転がるように倒れると、その様子を薄ら笑いを見ている永本が近寄ってくる。
何か言葉を話そうとするけれど口から漏れるのはまだ続く痛みによるうめき声。身体は痺れているのか自由が効かない。
太くて黒い円筒形の警棒にも見えるなにかを小脇に抱えた永本が動けない俺に伸し掛かって首に手をかける。
「直くん…私があんな雌牛女の洗脳解いてあげるから…ね?」
血走った目でそういった永本の手が俺の首に伸びてくる。異常者だ。やっぱりビーナスファウンテンのときも、水族館のときもこいつ…。
「ふざけん…っぁあ!」
やっと口にした言葉を言い切る前に再びバチンという音がして、太もも辺りに感じた刺されたような激痛が体中に広がっていく。
あの警棒みたいなものがスタンガンだということに二度目の痛みでやっと気が付いたけど痛みと電気で動けないなら気が付いたところでどうにも出来ない事実に絶望を覚える。
「運命のフィアンセに酷いこという直くんなんて流輝彌らしくない!」
血走った目でそんなことを言った永本が再び俺の首に手を伸ばして、力を込める中、ユリがまだ戻ってきませんように…それだけを考えて俺は意識を手放した。
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