幕間劇 「パンツじゃない私だとダメですか?」

 数回キスを繰り返してから、目の前の彼が私を見つめながら微笑む。

 彼が私に向けてくれた笑顔はすごく優しくて、つい自分がしなくちゃいけないことを全部放り投げて泣いて縋り付きたくなる。

 でも、それじゃダメ。私は、人間ではない存在パンツで、直久さんに恩返しをしに来たのだから…恋人になりたいと自分の欲求に素直になったら恩返しにならないって自分に言い聞かせる。

 でも、今だけなら、いいよね?そう思っていつもの冗談みたいにしてみたいことを言ってみる。冗談みたいにしてたら、傷つかないもん。


「今日は一緒に寝ちゃいます?」


「夜通し好きって言うつもりか?」


 直久さんはククッと息を漏らすように笑って片方の眉毛をあげる。一緒に眠れることが嬉しくて「わーい!」とあげた両手を直久さんの首に手を回すと、彼は「やれやれ」とでもいいたげに首を振って私の上から身体をどかした。


「おいで」


 立ち上がろうとしていたのに、身体が急に軽くなって驚いて小さな悲鳴をあげると、彼はまたククッと短く笑った。

 急に近くなった顔。切れ長の目を縁取っている長いまつげが伏し目がちな彼の頬に影を落として、灰色がかった瞳が私のことを見つめている。

 直久さんは、私のことを軽々とお姫様抱っこして、ゆっくりと寝室へと歩いていく。

 掃除くらいでしか立ち入らない薄いブラウンのタイルカーペットが敷き詰められた彼の部屋は、仄かに彼が付けている甘いような爽やかなような独特ないい香りが漂っている。

 直久さんは私のことをゆっくりと、宝物みたいにベッドの上に下ろすと、顔を見つめながら手の甲で頬を撫でてきた。たったそれだけのことなのに、私のほっぺも耳も熱が出たみたいにすごく熱くなってるのがわかる。


 胸に手を当てて深呼吸。

 隣に直久さんが腰を下ろして、私の肩に手を触れながらまたキスをする。ゆっくりと優しく唇に触れた彼の薄い唇は、私の唇を何回か軽くついばんでそっと離れた。


「ぁ…」


 唇が離れてしまうのがなんだか寂しくて小さい声が漏れる。

 頭にそっと手をあてがわれてなすがままにベッドの上に押し倒され、微笑んだままの直久さんが私に覆いかぶさるような体勢になった。

 こ…これはテレビドラマとかで見た大人の関係…というやつになってしまうのでは?


「はわ…あの…」


 何か言葉を言う前に唇をまた直久さんの唇で塞がれて、胸が幸せでいっぱいになって息が詰まりそうになる。

 キスをして、見つめ合うと直久さんは満足をしたように私の上から退いてしまう。そして、頭の後ろに手を組んだまま私の隣に寝転んだ。

 あれ?大人の関係というやつになるのでは?あれ?

 言葉にはしない。でも変な顔をしてしまっていたのか、私が体ごと直久さんの方を向いて顔を見つめていると、また彼はククッと笑うのだった。

 頭の後ろに組んだ手を解いた彼に何も言わないまま抱きしめられて身体が密着する。

 じんわりと直久さんの体温が伝わってくるのが心地いい。

 でも、どう考えても他の部分より熱を持っている部分があることが気になって、私はつい彼の身体の中でも特に熱い部分に手を伸ばす。


「ばか」


 スウェットの上から触ったのにそこがすごく硬くて熱くて、触った瞬間にビックリして手を引っ込めると、直久さんは困ったような顔をしながら私の額にデコピンをした。


「…ダメ、でした?」


 直久さんの喉仏がゴクリという音とともに大きく上下したかと思うと、彼の灰色がかった瞳が左右に動く。

 少しの沈黙の後、耳元に顔を近づけてきた直久さん、少し掠れた声で囁いた。


「…我慢できなくなる」


「がまん…」


 少し迷いながら、そう答えた直久さんの顔は、いつもの余裕いっぱいの顔じゃなくて、そこでやっとある結論が私の頭の中に浮かび上がってきた。


「あ!そういう!はい!あの!そうですよね…人間の男の人にはそういうもの…そっか…そっかぁ…」


「改めてそう言われるとさすがに俺でも恥ずかしい」


 ピコーン!と電球が頭の上に浮かんだようなイメージで上半身を起こして手を打った私を見た直久さんは照れくさそうにそういうと、身体を半分起こして私の胸に顔を埋めた。

 よく見ると直久さんの耳のあたりが赤くて、そっか私のことそういう風に見てくれたんだ。パンツの形じゃないのに…って考えたら、お腹の底の方からなんだか好きって気持ちが更に沸き上がってくるみたいな感じ。


「あの!私のこと…見て、その…してもいいんですよ?そのためにこの姿で、現れたみたいな…面も…あるのかもしれないですし…ひつようなぶぶんはないのでそのご満足いただけないかも知れないですけど…」


「君は…」


 気が付いたらとんでもないことを口走っていた気がする。でも、嫌じゃない。直久さんに恩返しとか関係なく、ただ私のことを求めて欲しい。そんな気持ちが先走って止まらなくなる。

 埋めていた顔をあげて、眉間にシワを寄せる直久さんの頬に両手で挟んで見つめ合う。


本当のパンツじゃない私だとダメですか?」


「そんなわけないだろ…」


 ガバっと身体を起こした直久さんに組み敷かれる。少し乱暴に唇を奪われたかと思ったら、荒々しく彼の熱い舌が口内に侵入してきて歯茎や舌を丁寧になぞってかき回していく。


「そういう部分がなくても…全く問題ないから…」


 キスの合間に余裕のなさそうな声でそう言われて、再び唇を貪られるようなキスをされる。

 長い長い苦しくなるくらいのキスが終わって、離れた彼と私の唇を繋いでいた透明な糸が消える。

 直久さんは少し余裕のない表情で私の頬を撫でたあと、乱暴に自分の服を脱ぎ捨ててから、優しく私の服を剥ぎ取っていく。

 下着一枚になった私が、直久さんに抱きつこうとすると、直久さんは片手を前に出した。

 こういうことが初めての私は、勝手がよくわからないので素直に言うことを聞いてその場で止まってみせた。


「パンツの部分に俺の体液が付くのは嫌だから、体を密着させないで大丈夫」


 本当にこの人はパンツが好きなんだなって思って微笑ましくなる。私がパンツに戻っても、この日のことを覚えていてくれるかな。


「そう。そのくらいの距離でいい」


 直久さんに言われたように少し離れた場所に膝立ちになる。彼の趣味部屋のトルソーになったような気持ち。でも妙に胸がドキドキするし、息が苦しい。


「…本当に綺麗だ。パンツの部分のユリも、それ以外の部分も…」


 ゆっくりと直久さんの手が上下するのを見つめる。

 だんだん早くなる手の動きと、荒くなる息遣い、目を伏せたときの綺麗で切なげな顔から目が離せない。

 でも、せっかくだから…私がこの姿だから…もっと直久さんに喜んでもらいたい。もっと色々な顔を見たい。


「ま…っ」


ひれあうておあいあう見れなくて困ります?」


「っ…咥えたまま…話す…な…」


 彼が手にしていた熱を持つ部分を口に含む。慣れない味が口の中に広がるけど気持ち悪いとか嫌な気持ちはない。

 直久さんに手で軽く頭を押し返されたけど、それを無視して、彼のものを口に含んだまま視線を上げる。彼の半開きになった唇から呻き声が漏れるのと同時に、私が口に咥えている彼のものが少し膨らんだ。


 そのまま直久さんが自分でしていたみたいに彼のものに添えた手を上下に動かしながら、口に含んでいる部分には舌をなるべくゆっくりと這わせる。

 さっきキスした時に直久さんがしてくれたみたいにゆっくりと時々強く口の中に入ったものを撫でると、直久さんの息が上がってまた呻き声のような吐息が薄くて形の良い唇から漏れた。


「っく…口…離し…」


 私の肩を掴んでいた直久さんの手が、グッと力を入れて私を引き離そうとするから、「やだやだ」という代わりに首を左右に軽く振って離れないように力を入れる。

 一瞬直久さんの手の力が抜けて、すぐに口の中に何か放たれた。

 喉の奥に出されたソレを飲み込んでから、まだ少し熱の残っている彼のものから口を離すと、少し怒った顔をした直久さんが枕元から数枚取り出したティッシュを私に差し出してきた。


「ほら、早くティッシュに出して。不味いだろ?そんなもん」


「?」


 差し出したティッシュに吐けってことなのかー!と少し遅れて気が付いたけど、もう飲み込んじゃった。

 笑いながら口を大きく開けてみせると、少し怒った顔をしていた直久さんの頬が緩んで力の抜けたようにへらっと笑う。


「―っ…本当に…君は」


 そのまま抱きしめられて、また深いキスをしながら私達はベッドになだれこむように倒れる。


「好きだよ。全部。どの姿のユリも好き」


 頬を撫でてくれる彼の手を取っていたずらっぽく笑う。

 ぎゅうっと抱きしめられて、今度は私が彼の胸に顔を埋める。動いたからかいつもより熱い直久さんの身体は、少し汗ばんでいるのに心地よい。

 密着した身体の一部がまた少し熱を持ったことに気が付いて、目線を上げると私の顔を見ていた直久さんと目が合う。


「手でも…しましょうか?」


「ダメ。このまましたらユリのパンツに体液がついて汚れるし、つかれた」


「ええー」


「ええーじゃあないんだよ」


 今度はきっぱりと断られて、頭を優しく撫でられる。

 膨らませた頬を指で軽くつついて、またいつもの調子でククッと笑った直久さんを見て幸せすぎて泣きそうになる。

 心配するだろうから、泣き顔が見られたくなくて彼の胸にまた顔を埋めてごまかした。


「このまま…くっついて寝たい」


 私に話しかける直久さんが、いつもより少し高めの甘えた口調になってる。眠いのかな。

 前、直久さんのお母さんが来て倒れたあともこんな口調になってたなーって思い出して笑ってしまいそうになる。

 最初の頃は「警察に電話をされるか、このまま俺の家を出ていくか今すぐ決めるんだ」なんてキビキビした口調と呆れた顔しか見せてくれなかったのに…。

 それが少し意地悪な顔になったり、優しくなったりして、段々助けられたときより好きになって…恩返しが終わらないでずっとこのままでいれたらいいのにって思うよになった。

 今日、更にこんな顔を知ってしまったら、離れたくない気持ちがもっと強くなっちゃう。直久さんの今日の表情も声も全部全部独り占めしたい。そんなことを思ってしまった自分に反省しながら、私は彼の髪の毛をそっと撫でた。


「朝まで…ずっと一緒にいますよ」


「あ、でもパンツが汚れるからスウェットは履いて寝るように…」


「はぁい」


 もう目を閉じて、半分寝ている感じなのにパンツの心配をする直久さん。この姿の私と、パンツの私、どっちが好きなのかななんて考えてちょっと息が苦しくなる。どっちの私も好きになってくれた。それで満足しなきゃいけないのに。それで満足なはずなのに…。

 ベッドから抜けて、スウェットのズボンだけ身につけてスースーと寝息を立てている直久さんの隣に滑り込む。


「すきだよ」


 私が戻ってきたのがわかったのか、一瞬目を開けた直久さんはいつもよりももっとやわらかい子供みたいな顔で笑ってそういうと、また規則的な寝息を立て始めた。


「私も大好きですよ、直久さん…」


 寝ている彼にそっとキスをしながら、この間直久さんと旅行に行ったあとに思い出したことについて考える。


『ぱんつさん、なーくんのところに行くんでしょ?』


 多分これは忘れていた私の記憶。

 小さな、クリクリとした丸い瞳が印象的な女の子が私を見上げてそういった。私が頷くのを見ると、女の子は更にこう続けたのだ。


『もし、まだなーくんが好きなものを好きな自分に困ってたら大丈夫って言ってあげて』


『はい。もちろんです。私は、佐久間 直久さんがパンツを好きなお陰で助かったんですから…たくさんたくさん大丈夫って言ってきて恩返しもしてきます』


 もしかして、パンツの神様に連れられて私を見送ってくれたあの子がゆーちゃんなのかな…そんなことを考えながら、私はゆっくりと心地よい眠気に意識を委ねた。

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