7枚目 「好きなものを大切にすることの何が気持ち悪いんですか?
「…もうこんな時間か」
結局ユリには、ジャガイモの皮剥きとマッシュだけを任せた。
料理初心者にハンバーグの成形を任せるのも、味付けを任せるのも正直怖かったので、子供にも出来そうな作業だけを任せて正解だった。
ハンバーグの焼き方を隣で見ていて、跳ねた油でやけどをするというハプニングはあったので俺の判断は多分正解だったと思う。
そして、わかったことが一つある。
どうやら、この人の形をした生き物は一応ケガや火傷はするらしい。仕組みは謎だ。
疲れたのか、ソファーで俺にもたれかかって寝息を立てている彼女を起こさないように席を立つ。
バタバタしていてすっかり忘れていたが、朝イチで干したパンツを回収し忘れていた。時間も時間だ。もう十分に乾いている頃だろう。
寝室のすぐ隣にある部屋の扉を開く。ここは本来パントリーとして使うべき部屋だ。
扉を開くと、乾燥機から出ていたのであろう温かい空気が頬を撫でた。
部屋にいくつか設置されている突っ張り棒に手を伸ばし、吊り下げられた黒いネットを一つ一つ外す。それからネットを開いて中にあるパンツの状態を確かめる。
嫌な匂いもしないし、キチンと乾いていることを確認して、乾燥機の電源を落とし、部屋を閉めた。
なるべくならユリが寝ているうちに済ませてしまいたい。
そう思って足早に趣味部屋へと足音を立てないように歩いていく。
趣味部屋へ入って、窓際のデスクの上に先程回収したパンツの入った黒いネットを置いた。
そして、デスクの引き出しから密封式のビニール袋が入った箱と、乾燥剤と防虫剤の入った小箱を取り出して、部屋の中央にあるローテーブルへ持っていく。
「あとは…写真を」
洗う前にビニール袋から取り外したはずの、ポラロイドカメラで撮影したパンツの写真が入ったファイルを手に取る。
洗ったパンツを収納するときに、どの袋にどのパンツを入れたかひと目で分かるように撮影したものだ。
ファイルと、黒いネットに入れたパンツたちをローテーブルに置いて、ソファの横においてあるコードレス掃除機を手にとった時だった。
部屋の扉が開いた音がして、施錠を忘れていたことに気がつく。
「直久さん、ここにいたんですね」
どうしても他人の声で身体が強張る。
この部屋に他人が入ると、その顔は大抵嫌なものを見たときのソレになるから。
立ち上がって、気休め程度の意味しかない衝立の向こうにいるであろうユリを迎えに行く。
「お仕事か何かですか?」
そこには、最初にこの部屋に踏み入れたときと同じような嫌悪の「け」の字もない笑顔を浮かべたユリが立っていた。
なんとなく、ユリはこの部屋を嫌悪しないということを頭ではわかっていても、慣れないものは慣れない。
「仕事というわけではないんだが…」
部屋に入ってもいいと受け取ったのか、笑顔のまま様々なものが並んでいるローテーブルを目の前にして、彼女は目を丸くした。
驚いてはいるが、やはりその瞳にも声色にも嫌悪や侮辱の色は見えない。
「すごいですね…。こんなに大切にしてもらってパンツたちも幸せそう」
「そうなの…か?」
「もちろんですよ!」
「気持ち悪い自己中心的な俺の趣味のせいで、パンツ本来の人に履かれるという役割を全うさせてやれないからな。せめて綺麗に保っておきたくて」
恩返しに来たパンツが言っていると思うと、不思議な説得力がある。
少しだけ、抱えていた罪悪感が薄れた気がして俺は口を滑らせた。
「気持ち悪くなんてないですよ」
余計なことを言った…と後悔をする間もなく、手が温かいものに包まれて、少し混乱する。
ユリが、俺の手を両手で包んでいた。
「好きなものを大切にすることの何が気持ち悪いんですか?すごくいいことだと思います」
うろたえる俺の顔をまっすぐに見つめながら、彼女は言葉をゆっくりと、薄桜色の唇から奏でる。
これは、やっぱり俺の妄想なのではないか。
こんな都合よく俺の欲しい言葉をいう存在がいるはずはない。
「だって、直久さんがパンツを好きだったから、私は酷い目に遭わずにすんだし、
彼女の手を振りほどいて、ソファーに座り込んで両手で顔を覆う。
言葉が出てこない俺の隣に、ユリは遠慮がちに腰を下ろした。
「…怒ってるわけじゃない」
多分、こいつはまた捨てられた子犬みたいな顔をしているんだろう。そう思って、顔を伏せたまま声を掛けた。
「はい!あの…このパンツ達をしまうの…よければお手伝いしましょうか?」
顔を直接見なくても、ユリがパァッと表情を明るくしたことが声だけでわかった。
「しばらく動けそうにない。少しだけ頼む…」
「任せてください!これでやっと恩返しっぽいことが出来た気がします!」
「…ありがとう」
なんで動けないのか聞いてこないのは、彼女なりの気遣いなんだろうか。
単純に目の前に役に立てそうなことがあるから目に入っていないとしても、結果的には助けられているのでどうでもいい。
いい年をして泣きそうになっている顔なんて見られたくなくて、顔を両手で覆ったままソファーの肘掛けに突っ伏した。
「す、素直にお礼を言われてしまうとそれはそれで調子が狂いますね…。がんばります」
ガサガサと音がする。彼女が作業を始めてくれたのだろう。
もう少しだけこのまま…このまま気持ちが落ち着いたらパンツたちをしまう作業に戻ろう。
ユリの作業音に耳を傾けながらそんなことを思った。
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