5枚目 「これで信じてくれました?」
「恩返しとは一体…」
「ご…ごめんなさい」
洗剤を吹き付けながらレンジの中に飛び散って張り付いた卵白の残骸を布巾で拭き取っていく中で思わず心の声が漏れた。
謝らせたいわけではないが、予想外の結末に思わず漏れてしまった俺の言葉に、ユリは身を縮こませながら、思い切り頭を下げて何度も謝罪の言葉を口にする。
「過ぎたことは仕方ない。責めるつもりはなかったんだが…そうだな…」
見ているこっちが居た堪れなくなるほど、申し訳なさそうな顔をしているユリを見て言葉を選ぼうと口籠る。
ゴシゴシとレンジの中を擦る音と、換気扇のファンの音が響く中、どうしてこうなったか、数分前のことを思い出す。
スーパーから帰って、ブルゾンダウンを脱いだユリが「あとはまかせてください」と腕まくりをしながらキッチンへ向かう。
俺はというと、料理を提案するのだからまさか失敗はしないだろうと、呑気に玄関を施錠しながら「頼む」的なニュアンスで適当に返事をした気がする。
キッチンも見ずにのんびりしようとしたのが反省点の一つだ。
あの時の俺はなんと、ユリが料理を作り終えるまでの間ゆっくりできると思い込んでいたのだ。
ソファーに座って読書でもするか…と思った俺は、出かける前にポーションを入れたまま放置していたコーヒーマシンの抽出ボタンを押した。
―バンッ
やけに大きな爆発音が鳴り響き、すぐにパタパタという足音と共に泣きそうな顔をしたユリが扉から顔を覗かせる。
「レンジで…その…ゆで卵を作ろうとして…壊しちゃいました」
扉の影から半身だけ見せたユリは、申し訳なさそうにそういった。
「あー。壊れてはいないだろうが…」
レンジ・ゆで卵というワードから何が起きたのかわかった俺は、思わず溜め息を漏らす。
そのまま膝に手をついてゆっくりと立ち上がると、扉の横でオロオロしている彼女の横を通り抜けてキッチンへと向かった。
そして、申し訳なさそうに縮こまっているユリを半ば無視して懸命にレンジの中を掃除して今に至る。
「まさか、料理も碌にできないのに恩返しに料理を提案していたとは…」
「で、出来ると思ったんです…なんとなく…」
俺の隣に来たユリは唇を尖らせながらそういった。
見た目は二十歳くらいに見えるが、知識といい仕草といいまるで子供のように見える。
「いくらでもスマホで調べれば出てくるだろうに…いや、卵をレンジに入れると爆発すると書いてあるサイトは少ないか…」
「すまほ…?」
ユリがスマホという言葉にきょとんとして首をかしげるのを見て、面倒になった俺は使い終わった布巾をシンクに放り投げた。
「ったく。恩返しに来たパンツなのが事実だとしても、持っている知識にムラがありすぎる…」
「ごめんなさい…」
消え入りそうな声で何度目かわからない謝罪をするユリに、食器棚から取り出したマグカップを渡した。とりあえず、料理を任せるわけにもいかない。もう何もしないでリビングにいてくれと言うために、彼女の方は目を向けた。
「な、なんでしょうか?」
「俺が何か作るから、リビングで待っていろと言おうとしたんだが…」
そこでやっと彼女の服がめちゃくちゃに汚れていることに気が付く。
深緑色のニットワンピースの前面はびしょびしょに濡れている上に、そこには更になんらかの白い粉がかかって酷い見た目だ。着心地も最悪だろう。
「あの…ごめんなさい」
「…怒ってはいない。それよりもシャワーを貸すから着替えてきなさい。ひどい格好だ」
「…あ」
俺にそう言われてやっと気がついたのか、ユリは自分の服を見て、手で触ったあと驚いた顔をしてこちらを見つめてきた。
本当に子供の面倒を見ているみたいだ…。
キョトンとした顔をした後、あたりを不安げに見回した彼女に「付いてきなさい」とだけ言って脱衣所へと歩いていく。
「タオルはここにある。着替えは…とりあえず俺の部屋着で我慢してくれ」
脱衣所まで着いてきたユリに、洗面台の横にある戸棚を開いてタオルを手渡す。
そして、乾燥機にかけたまましまい忘れていたグレーのスウェットをドラム式洗濯機から取り出してバスマットの横へと置いた。
「下着は…」
そこまで言って彼女の顔を見つめる。
俺の
しかし…下着無しでいられるのも迷惑な話だ。俺のスウェットに見知らぬ女の局部が直接押し当てられるというのも気持ち悪い。
「あ…あの…」
腕組みをして考え事をしていると、背後から声をかけられる。
「は?」
無防備に振り向いたその先にはあられもない姿のユリが見えた気がした。ので咄嗟に視線をそらす。
昨日今日知り合った男の前で服を脱ぐなんてどうなってるんだ…と思ったが、そういえば、最初にワンピースを捲ってパンツを見せてくるようなやつだった。
「真っ裸になったまま声をかけるな」
「ちがうんです…その、シャワーって服を全部脱がないといけないんですよね?パンツも…」
「あたりまえだろ?早く入ってこい」
当たり前のことを言ってくるユリに、目をそらしたままそういうと、彼女は困ったような声をあげた。
「その…パンツが脱げなくて…」
「君は…馬鹿じゃないのか?」
「ちが…本当なんですよぅ…」
胸元にタオルを当てさせてから下着一枚の彼女に向き合う。
顔を真っ赤にして唇を尖らせ「試してみてください」と言われて、俺は渋々彼女のパンツに手を触れた。
履き口のゴム部分に指を入れようとする…が、皮膚に直接縫い込まれているかのように動かない。
「…。失礼」
足口の中からどうにかならないだろうかと、彼女の太腿の付け根に指を這わせる。しかし、足口の美しいレースを指でなぞることは出来ても、履き口と同じくパンツの奥に指を入れることは出来ない。
「俺はこれから汚れるパンツを…人間の分泌液で汚れてしまうパンツを見るという地獄を…味わうのか?」
耐えられない…。ユリの目の前ということも忘れて思わず膝をついて頭を抱えていると、ユリに肩を叩かれる。
「あの…おしりくらいしか見せることは出来ないんですが…その…私…ないみたいんですよ」
「あ?なにがだ?」
無言で背中を向けたユリを見るために顔をあげる。膝をついている俺の目の前にはちょうど彼女の臀部がある。
「柔らかなストレッチチュールで仕上げられている美しい仕上がりのパンツだ。このシースルー仕様なのが後ろだけというのがまた上品な色気を演出して…ってええ?ない!ない?!」
俺は、彼女が年頃の女性の見た目をしているということも忘れて、パンツ越しに彼女の腰を両手で掴む。
柔らかなユリの体に指が少し沈み、みずみずしい弾力で跳ね返される。
しかし、そのような官能的な感触は今はどうでもいい無駄なものとすら感じてしまう。
「これで信じてくれました?」
バスタオル一枚で胸元を隠した女性の臀部にしがみつくという誰かに見られたら最悪な状況だ。にもかかわらず、俺はユリの臀部から目をそらせないまま彼女の言葉にうなずくことしか出来なかった。
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