15枚目 「私、こんな大きいベッドに一人で寝るんですか?」
「海…また、海がみたいです」
何かを思い出すかのように、遠くを見つめながらそう言ったユリに対して、行きたい場所を聞いた手前強く断ることも出来ず、俺たちは海際のホテルを予約して一泊二日の旅行をすることにした。
「すごい…可愛いー!きれい!果物もありますよ!それに海!お部屋から海も見えます」
部屋に入るなり部屋の内装と、テーブルに置かれていた果物におおはしゃぎしたユリを見て旅行に連れてきたかいがあったな…と思いながら、スーツケースを転がして部屋へ入り、コートをクローゼットへとかける。
ユリからもコートを受け取ろうと、部屋の奥へ進むと、ゆったりとしたソファーとテーブルの向かいにある大きなベッドの存在に気がついて動きを止める。
窓の外を見てはしゃいでいたユリも、俺がなにやら動きを止めていることに気が付いたのか隣まで歩いてくるとハッとした顔をして口元を両手で抑えた。
「あれ?ベッドが一つ?」
「…。俺はソファーで寝るから、ユリはたまにはベッドを使うといい。部屋を確認しそこねた俺のミスだ」
「私、こんな大きいベッドに一人で寝るんですか?」
海が見える部屋ということを重視しすぎて、ツインとダブルを間違えた。なにか言いたげなユリを無視して、俺はソファーの横に荷物を置いてテーブルに置いてある観光案内に目を通す。
「ここからなら、タクシーを拾って水族館にも行けるし…そうだな。少し遅い食事にしてもいい」
まだ時間は昼を少しすぎたところだ。水族館に行くのならショーの時間を今から調べて…と、脳内で段取りをしていると、ユリが俺の隣に腰を下ろして観光案内を覗き込んでくる。
「ここ!海が近くで見えますよ!今日はお散歩をして、明日水族館に行きたいです」
小さく写真が写っている遊歩道の写真を指さして、ユリは目をキラキラさせている。
「散歩って…流石に海際は寒いぞ」
「潮風っていうものを…堪能してみたくて」
眉をひそめた俺の言葉にも怯まないユリの強い希望で、まだ風が冷たい季節の中、俺達はホテルからほど近い場所にある海が見える遊歩道を散歩することになった。
灰色の雲に覆われた空の下で、人影のない遊歩道をスキップするように進むユリを、両手をポケットに入れてゆっくり追うように歩く。
風が吹くと、彼女の肩まで切りそろえられた髪が揺れ、ユリは寒そうにマフラーに鼻先を埋めて身を竦めた。
先日買ったばかりの少し大きめなチェック柄のロングコートに身を包んで寒空の下歩いていると、土手沿いに海を眺められる少し広い道に出る。
珍しいものをみたかのように走り出したユリは、土手の上に登って海の方をむいて、目元に両手を翳す。
「…気をつけろよ?」
彼女に駆け寄って近寄ると、ニコニコとしたまま振り向いたユリがしゃがみこんだ。そのまま手を差し伸べてきたユリの手を取った瞬間、頭の奥がズキンと激しく痛んで立っていられなくなる。
「直久さん?直久さん?」
しゃがみこんだ俺の頭上でユリの声が響いている。なんども俺の名前を呼ぶユリの声は壁を隔てているみたいにボヤボヤとしていて、なんだか遠くで聞こえているみたいだ。
こめかみの辺りを抑えてしかめっ面をしている俺を、心配そうな顔をしながら覗き込んでくるユリに「大丈夫」そう答えようとして不意に右手をあげた。
その時、ちょうど俺の肩に手を伸ばしてきたユリの手に、俺があげた右手がぶつかって、彼女が土手の上でよろけるのが見える。
「ゆーちゃん!危ない」
激しい頭痛も忘れて、咄嗟に身体が動いていた。
呼んだこともない言い方で彼女を呼んで、落ちそうな彼女の肩を掴んで抱き寄せる。
ユリを強く引き寄せたせいで、彼女は歩道側にいる俺の方へ落ちてくる。そのまま、彼女の体重を支えきれなかった俺は、ユリを抱きしめたまま尻餅をついた。
抱きしめるためにユリの背中へ回した手が震えて、自分の心臓の音がやけに大きく聞こえる。
「ご、ごめんなさい…」
乱れた髪の毛を耳にかけ直して整えながら、俺の顔を見上げているユリを見て頭の痛みが強くなる中、俺はやっと思い出した。
そうだ。
俺は前、間に合わなかったんだ…。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます