第21話 罪と罰

 刃渡り約20センチほどの、ダガーナイフ。街灯に照り返され、眩く輝くその刃が、相対する炫の目に留まった。


「……終わったさ、君への・・・復讐ならな。全てを知った君なら、問うまでもなくわかることではないか?」

「……」

「伊犂江グループは2年前、ギルフォードの『DSO』開発に加担していながら揉み消し、関係を一方的に絶った。開発元のアーヴィングコーポレーションが正式に謝罪していた時も……彼らは我関せずを貫いていた」


 それを手に取るアレクサンダーは、淡々とした口調で語り始める。この凶行に至るまでの、経緯を。


「そして、今回の件も。マスコミに過去を掘り返されまいと、彼らは『会長令嬢とその学友達を救うため』という大義名分を掲げ、傘下の天坂総合病院を手配して被害者全員の身柄を確保した。身内の病院で囲い込み、真相を隠すために」

「……!」

「『人命を優先した速やかな対応』という功績を盾にマスコミに圧力を掛け、詳細な報道と事実の究明を封じた彼らは……何一つ業を背負うことなく、今も平和を謳歌している」

「……だから、会長を殺すのか」


 「DSO」の開発元であるアーヴィングコーポレーションは、ソフトを回収した後に、謝罪会見を開き。諸悪の根源であるギルフォードは、すでに死亡した。

 残るは当時、「DSO」開発に協力していた伊犂江グループのみ。それが、アレクサンダーの考えであった。

 ――炫自身も、伊犂江グループの内情に不信感を抱いている節はある。だがそれでも、彼の考えに共感できない理由があった。


「そうだ。我々が癒えぬ傷に苛まれる一方で……彼らは今日も、身内のパーティにうつつを抜かしている。もはや、あのゲームの犠牲になった人々のことなど、記憶の片隅にも残ってはいまい」

「あなたは、ソフィアを……犯罪者の妹にするつもりなのか!? FBIの立場はどうなる!」

「犯罪者の妹……か。だとしてもこの世にいないあの子は、もう……悲しむことも怒ることもできん。私が何をしたとしてもな」

「……っ」


 しかし。炫が、アレクサンダーの復讐をよしとしない理由である「ソフィアの名誉」すら、今の彼への抑止力にはなりえなかった。

 諦観、憎悪、絶望、失意。負に満ちたその眼は、虚ろに炫の姿を映している。


「私にできることは、二度と同じ企みが出来ないよう――終わらせるだけだ。それにFBIも、今となっては同じ穴のムジナでしかない」

「なんだって……!?」


 しかも。アレクサンダーは、事件を捜査する役割を持つFBIですら、すでに切り捨てていた。


「伊犂江グループは数億の資産を握らせ、『DSO』関連の捜査を本部に封じさせていたのだ。アーヴィング捜査官の報告書にはギルフォードの行動だけでなく、彼に出資した企業についても触れられているが――伊犂江グループに関する情報は、上層部の検閲が入るだろう」

「そんな……!」

「金はいくらでも稼げるが、金はを稼ぐには信頼と名声が必要。ゆえに伊犂江グループは手段を問わず、自らの汚点を隠滅することに固執したのだ」


 自分の預かり知らぬところで、進められていた大人達の暗躍。アレクサンダーの話からその一端を感じ取り、炫は顔を顰める。


「……そんな彼らに正義を売ったFBI、ではあるが。それでも全てを喪った私にとって、最後の居場所だった。せめてもの義理立て……というわけではないが、すでにバッジは返上している」

「……!」


 ――そして。アレクサンダー自身は、すでにFBI捜査官の役職すらも返上していた。彼の胸から、有るはずのバッジが失われていることに気づき、炫は瞠目する。


「今の私はもう、何者でもない。だが……そんな私でも、パーティに浮かれた連中の警備を掻い潜り、人一人を始末することくらいは容易い」

「……そんなことはさせないッ!」


 アレクサンダーの言葉が全て真実であるという保証もなければ、これから彼がやろうとしていることが、本気であるとも限らない。

 だが、少なくとも。彼をこのままにしておくわけにはいかない、というのが炫の判断だった。


 炫は拳を構え、力尽くでもアレクサンダーを制するべく向かっていく。


「――シュッ!」

「く……!」


 そんな彼に対し、元FBI捜査官は――手にしたダガーナイフを、容赦なく突き立てる。空を裂くように閃いた刃は、あの仮想世界とは比にならない鋭さで、炫に襲い掛かってきた。

 速さそのものは、この一閃の方が劣る。だが「甲冑勇者」ではなくなった現実世界の少年にとっては、ベリアンセイバーにも勝る俊速の刃だった。


 炫は自身の反射神経を駆使し、上体を翻して間一髪刺突をかわす。だが、アレクサンダーはその挙動を先読みするように――ダガーナイフを振るいながら、体を半回転させ後ろ回し蹴りを放った。


「ぅがッ!」


 それに反応しきれなかった炫は、直撃を浴びてしまう。顎を蹴り抜かれた彼の体は、一瞬浮き上がると――糸が切れた人形のように、どしゃりと音を立てて地面に落ちてしまった。

 仰向けに倒された炫は、脳を揺さぶられ意識が混濁する中――自分が何としても止めねばならない相手を、懸命に視界に捉えようとする。


「……やめておけ。元捜査官の私に、現実世界リアルの戦いで勝てるはずもないだろう」

「ぐっ、ぁ……!」

「あの時の『答え』を聞くために、君の記憶を残していたようなものだったが……もう、その必要もないな」

「……!」


 そんな炫を見下ろし、もはやこれ以上の戦いは無意味と判断したのか。アレクサンダーはダガーナイフを懐に収めると、踵を返してしまった。


「あの問いは、撤回しよう。君は私を許す必要などない。思うがまま、私を憎めばいい。……私も、己に従い復讐を果たす」

「……さ、せ、ないッ……!」


 ――このままでは、行かせてしまう。それだけは、あってはならない。

 炫はその一心で、歪んだ視界に映るアレクサンダーを見据え……立ち上がり始めた。並の成人男性なら、1時間は動けなくなるような蹴りを浴びていながら。

 彼の精神はすでに、「一介の男子高校生」の肉体を凌駕している。


「……やはり君は大した男だ。並の成人男性なら、当分は動けないはずだが……」

「ゲームにだって、体力は要るんだよ……!」

「そうか。だが、すでに限界は見えている。……共に戦ったよしみだ。これ以上邪魔をしないのであれば、危害は加えないと約束しよう」


 そんな彼の、普通の高校生からは逸脱した耐久力に、微かに目を見張り。その内心を隠すように、アレクサンダーは目を背けた。

 だが、炫は自分から目を離す彼を引きつけるように、声を張り上げる。


「オレが邪魔なら……なんで、あんなメールを送った!」

「……」

「ギルフォードと組んでいた会長を殺しに行く、なんて言われて……納得できるわけがないだろッ!」


 炫は震える両足で、アスファルトを踏みしめ――渾身の力で立ち上がった。視界は歪んでいても、意識は濁っていても、その眼は何一つ見失うことなくアレクサンダーを射抜いている。

 並々ならぬその気迫に、アレクサンダーは一瞬目を見張り――深くため息をついた。


「……オレが、警察にこのことを報せていたら、どうするつもりだったんだ」

「報せない男だと知っていたから、私は君に伝えたんだ。君なら必ず大事にしまいと、説得に駆け付ける――とね。事実君はこうして、私を止めに来ている」

「……っ」


 その淡々とした口調で語るアレクサンダーの眼は、哀れみにも似た憂いを帯びていた。炫は彼の言葉を受け、いいように乗せられていると感じ、唇を噛みしめる。


「自分が何も知らない間に、友人の父親が殺されたと知れば……君は何も出来なかったと嘆くだろう。だからあのメールで君を誘い、この場を設けたのだ。君が、精一杯の抵抗を尽くせるようにな」

「アレクサンダーさん、あなたは……!」


 やがて炫は、ようやく定まり始めた視線をアレクサンダーに注ぎ、再び拳を構えた。差し違えてでも、と言わんばかりの眼を見つめ、アレクサンダーも身構える。


 ――その瞳は、これ以上戦うことを、望んではいなかったが。


「……まだ続けるのか? 怪我が増えるぞ」

「……オレは、諦めない。諦めるわけには、いかないッ!」


 そんなアレクサンダーの貌を目の当たりにした炫は、何かに気づいたように一瞬だけ眼を見開き――すぐさま、鋭い目付きに切り替えた。

 そして再び、敵うはずのない戦いへと飛び込んでいく。今まで押し殺してきた「感情」に敗れた彼を、もう一度食い止めるために。


(だって、今日は……!)


 何一つ真実を知ることなく、彼が守り抜いた日常を謳歌する少女。遥か遠くのビルで咲き誇る、その笑顔を背にして。


 ◇


 ――同時刻。東京から約14時間の時差がある、アメリカ合衆国ワシントンでは。


(……朝食の時間までには、終わりそうだな)


 朝陽が差し込むオフィスの一室で、一人の青年がコンピュータと向かい合っていた。

 大都市の景観を一望できるその部屋で、キッド・アーヴィング捜査官は朝早くから報告書の仕上げを行なっている。


(パーネル捜査官……あなたは、本当に……)


 FBI――こと、連邦捜査局本部に身を置く彼は、忙しなくキーボードを叩き続けていた。遥か上の階で自分の報告を待ち続けている、上司達のために。

 だが当の彼自身は、目の前で作成している資料よりも……自分の前から姿を消した、かつての戦友のことに意識を向けている。自分にバッジを託し、復讐に身をやつした男に。


(……確かに、この報告書で全ての悪は裁けないだろう。俺だって、そんなことはわかっている)


 ――アレクサンダーの苦しみをよく知っていた彼は、その凶行を阻止することが出来なかった。伊犂江グループに買収されたFBIの捜査では、真実を伝えることはできないと、知っていたから。

 せめて自分に出来ることがあるとすれば、それは「検閲」が入ると知りつつも報告書を完成させ、一つでも多くの正義を完遂することのみ。


 自分の全てを捨ててでも悪を裁く、というアレクサンダーの道とは違えることになるが……自分がこれをやらねば、ギルフォード事件に幕を降ろす人間がいなくなってしまう。

 ゆえにキッドはただ、この報告書を完成させることしかできなかった。


(それでも、俺は無意味とするわけにはいかないんだ。この事件に巻き込まれた人々と、解決のために戦い続けて来た仲間達のためにも……)


 それしか、もう自分に出来ることなどない。それが、彼の結論。

 ――では、あったが。


 人知れず心の奥底で、彼は願っていた。憎しみや悲しみの矛先を求め、もがき彷徨うアレクサンダーを、止めてくれる誰かが現れることを。


 ◇


 ――伊犂江グループ本社ビルで開かれている、伊犂江優璃の誕生日パーティ。その席に招かれた有名企業の御曹司達は、可憐にドレスアップされた姫君に群がっていた。

 華やかなパーティ会場の水面下で繰り広げられる、日本最大級の資産を巡る争奪戦。その一端を垣間見つつ、優璃は今日も、自分を狙う男達をあしらい続けていた。


「優璃様、今宵は大変ご機嫌麗しく……」

「16歳の誕生日、大変にめでたいですなぁ。その歳と言えば、法律上結婚も出来る年齢。優璃様も立派な女性になられた、ということでしょう」

「ささやかなものですが、私からもお祝いの品を贈呈したく存じます、優璃様。今後とも、弊社をご贔屓に……」


 美辞麗句と高価な造花を次々と贈る、端正な佇まいの男達。一般家庭の少女なら、立ち所に魅了されてしまいそうな彼らだが……当の優璃は、見飽きたとばかりにため息をついている。


「はい、皆様も私のためにご足労頂き、ありがとうございます。今宵は是非、楽しんでいってください」


 取り繕うような笑顔でそれを隠しつつ、優璃は利佐子と共に自然な足取りでその場を離れていく。

 ――それまで溜め込んでいたものを吐露するように大きく息を吐き出したのは、男達の群れから逃れて間も無くのことだった。


「……はぁ、疲れる〜……。ねぇ利佐子、あとは任せてもいい……?」

「いけませんよお嬢様。あと23件、挨拶回りが残っています。それにまだ、15件目の見合いの断りが済んでいません」

「ふぇえ……利佐子の鬼ぃ……」

「こればかりは仕方ありませんよ。お嬢様の口からはっきり断って頂かなくては、勘違いした殿方が勝手に話を進めかねません」


 優璃は今にも会場の外へと逃げ出しそうであるが……隣に控えていた利佐子が、そうはさせじと身を乗り出してくる。


「う〜……」

「ふふ、でもご安心ください。いざとはれば私が、きゅうっとお灸を据えて差し上げますから」

「……わ、わかったよ。行く、行くから手荒なことはしないでね?」


 参加者達への気遣いに疲れ果てた優璃に、利佐子は励ますように穏やかな微笑を浮かべる。だが、その眼は全く笑っておらず、彼女の身体からは暗黒のオーラが滲み出ていた。

 こうなった時の利佐子は、宗生にビンタした時とは比にならないほど容赦がないことを、優璃はよく知っている。放っておけば、御曹司達がどうなるかわからない。

 それゆえ、どうにか穏便に済まそうと、冷や汗をかきつつ説得を試みるのだが……利佐子自身はそんな優璃の様子を楽しむかのように、くすくすと笑っていた。


「……私は、飛香君にこそ来て欲しかったのになぁ」

「……そう仰るのも237回目になりますよ、お嬢様。何度口にされても、仕方がないんです」

「うん……それはわかってるけどさ……」

「飛香さんをお呼びしても、場所が場所ですから悪目立ちしてしまうかも知れません。そうなった時に苦労されるのは、目立つことを好まれない飛香さんなのですから」


 その時。優璃はこんな時にこそ会いたい、とばかりに想い人の名前を口に出した。何百回とそれを聞かされて来た利佐子はため息と共に、嗜めるように優璃の前で人差し指を立てる。


 炫の動向を普段から観察し、その人柄を日々調べ続けている彼女は、優璃以上に彼を理解していた。そんな彼女の結論としては、炫をこの会場へ招待するわけにはいかないのである。

 優璃もその旨は常々聞かされていたため、わかっていたことではあったのだが。それでも会いたいとぼやいてしまうのは、恋する乙女の性なのかも知れない。


「……来年の誕生日には、飛香さんから花束でも頂きましょうか」

「……! あ、飛香君からの花束、かぁ……!」


 そんな優璃の胸中を慮るように、利佐子は励みとなる言葉を投げかけた。最高に好きな相手から、最高に好きな物を貰えたら――という想像に囚われた優璃は顔を赤らめ、でれっと頬を緩める。


「おっと。それで満足してはなりませんよ、お嬢様。それじゃ足りない、と駄々をこねてデートに漕ぎ着けるのです。映画を見て、花屋を巡り、自然に囲まれた並木道を2人で……」

「ふ、2人きりでデート……! う、うんいいね! それ採用! 利佐子ありがとう、なんだか気力戻って来た!」

「ふふっ、お嬢様のニーズならお見通しですよ」


 想像しうるシチュエーションを次々と聞かされた優璃は、先ほどまでの疲れが吹き飛んだように目を輝かせた。そんな彼女の姿を微笑ましげに見つめ、利佐子は幼馴染に元気が戻ったことに安堵する。


(……そう、お嬢様の恋を叶えるためなら……)


 ――誰にも気づかれぬよう、ひた隠しにして来た想いを押し殺し……ドレスの胸元を、握り締めながら。


「優璃お嬢様、お久しぶりです。あなた様の誕生日を祝う、この席にお招き頂き、感謝の言葉もありません」

「あっ……」


 すると。話し掛ける機会を伺い続けていたのか、優璃が上機嫌になった途端に、身なりのいい1人の男性が話しかけて来た。先ほどまで彼女に集まっていた御曹司達と同様、伊犂江グループ傘下にある大企業の子息である。

 しかし優璃の中ではあまり印象に残っていなかったのか、「久しぶり」という言葉に上手く反応できずにいた。隙あらば口説こうと歩み寄る男達に、利佐子は隣でため息をつく。


「いやはや、しかしいつにも増してお美しい。16歳といえば、結婚することも出来る年頃であるわけですし……やはりあなた様も、立派な淑女となられたということなのでしょうな」

「……はぁ、どうもありがとうございます……」


 先ほども聞かされたような言葉を受け、優璃は形式的に対応しつつも、内心でげんなりしていた。

 結婚ができる年齢といっても、優璃自身はまだ高校1年生でありそんな予定は全くない。いつになるかもわからない未来の話で盛り上がる彼らに、優璃は居心地の悪さを感じていた。


「ただやはり心配なのは、この場に招かれた他方の企業関係者らに限らず、あなた様が通われている学校にまで、悪い虫が湧かないか……ということでしょうか。確か以前は、分不相応な贈り物を寄越してくる輩が絶えなかったとか。心中、痛み入りますな。全く、これだから底辺の高校は……。優璃お嬢様ならば、より相応しい進学先があったでしょうに」

「……」


 そんな彼女の胸中に気づく気配もなく、男は五野高の生徒達について言及し始めた。

 ――彼の言葉自体は概ね事実ではあるが、信頼できる友人がいることもまた事実。それなのに、あの学校の生徒達をまとめて否定されているように感じ、優璃は露骨に顔を顰める。


 だが、そのサインすらも見落としてしまった男は、さらに言及を重ね――「地雷」を踏んでしまった。


「しかも噂に聞くところ、今もあなた様の学校には、身分の差というものを弁えずに言い寄る悪辣な生徒が居るとか。しかも、その生徒は確か……そう、所謂『オタク』という理解しがたい低俗な趣味嗜好の持ち主だそうですな」

「……!」

「全く……程度の低い一般人には、もう少し自分達との住む世界の違い、というものを知って貰わなくてはならない。優璃お嬢様に悪い影響を与えかねませんからね」

「……」


 噂はあくまで噂。ではあるが、その噂が誰を指したものであるかに気づいた優璃は、目を伏せ肩を震わせる。

 自分が大好きなものを大切にしてくれる、最愛の少年を否定する男達。そんな彼らに向けられた優璃の怒りは、この一瞬で氷点下を通り過ぎていた。


「おっと、もうこんな時間ですか。このあと、我が社の新商品の発表があるのですが……いかがでしょう、是非ご一緒に――」

「大変申し訳ありません、他の方々にもご挨拶に伺わねばなりませんから。では、失礼します」

「あっ……そ、そうですか、それでは……」


 そして、冷たく低い声色で男の誘いを拒絶し、彼女は幼馴染と共に早歩きでその場を離れていく。

 普通なら、ここからしつこく付きまとっていくものだが――優璃の眼から感じた、言い知れぬ威圧感に負け。男は一歩も身動きが取れないまま、去りゆく彼女達を見送ってしまうのだった。


「……利佐子。あとであの会社、調べておいて。お父様に言いつけるから」

「いえ、旦那様のお手を煩わせる必要はありません。……私の方から、きつくお灸を据えておきましょう」

「手荒にならないように、ね」


 一方。ツカツカと会場内を歩みながら、優璃は冷たい声色のまま利佐子に「制裁」を命じていた。それを受けて利佐子は先ほど以上の、暗黒を秘めた微笑を浮かべている。


 優璃達の前で五野高を否定した、あの男が見えなくなるまで離れた時。窓辺にたどり着いた彼女達はようやく、一時的に殺気を抑え、ため息をつくのだった。

 やがて優璃は、ドレスの胸元から――この場には到底そぐわない「携帯ゲーム機」を取り出すと。手にしたハンカチで手入れを始めた。


「……飛香君、今頃どうしてるかなぁ」


 日本有数の職人の手で作られた、鮮やかな刺繍。その麗しい花の模様を描いたハンカチは今、「携帯ゲーム機」を磨くために使われていた。

 そのアンバランスな事実に、隣で利佐子がくすくすと笑う一方で。優璃は想い人からの贈り物を、愛おしげに手入れしながら。彼の行方を求めるように、東京の夜景を見つめるのだった。

 

 ――その夜景の下。このビルからそう遠くない駐車場で起きていることなど、知るよしもなく。


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