第3話 禁じられた世界

 ――あの瞬間から、どれほどの時が過ぎたのだろうか。


「ん……」


 炫は閉じていた瞼を開き――その黒い瞳に、青空を映す。

 そう。彼の眼には、青空が広がっていた。


「え……!? こ、ここは!? みんなは!?」


 何が何だかわからない。自分は確かに、新幹線の中で意識を失ったはず。

 だが。咄嗟に跳ね起きた彼の視界に広がっていたのは――鬱蒼と生い茂る草花に囲まれた、森の中。


(……この、花は……!)


 この地球上に「実在」はしていないが、見覚え・・・はある珍妙な形状の花々。足元に咲くそれを見つけ、炫は瞠目する。


「な、なにがどうなっ……!?」


 しかも。変わり果てていたのは、周りの景色だけではない。

 立ち上がろうとした彼の体からは、金属の軋む音が響いている。


 ――炫の全身は、赤い服と鋼鉄の軽鎧に包まれていた。さらに首には、白い長マフラーまで巻かれている。


「……!」


 自分の身に起きた、その変化に息を飲み。彼は腰を上げ、足元から広がる芝生の上に立つ。

 見渡す限りの森。僅かな隙間から差し込む光に、自分が着ている鎧が照らされる。全身をまさぐってみると、左手に剣の鞘が当たった。


 ……一振りの剣が、腰に差されている。それを握ってみると、確かな重量感が伝わってきた。

 自分の頬をつねる。痛い。……夢、ではない。


(だけど、これは……)


 人一人いない森の中。ファンタジー感溢れる鎧姿に、剣。痛みを感じているということは、明晰夢でもない。

 ――まさに、異世界。RPGの世界に迷い込んでしまったかのような状況だった。


(信じられない……どうして、ここが……)


 だが。炫が動じていたのは、「なぜ自分がここに来ているのか」という点のみであった。ここがそもそもどこであるかは、まるで気にしていない。


 ――知っているからだ。この景色も、今着ている鎧も。腰に差している剣も。


 そして、自分の身体が痛みを感じている理由も。


(なんで、オレが……「DSO」の世界に……)


 籠手に固められた掌を握り締め、炫は空を仰ぐ。

 なぜ、「一度捨て去ったはず」の世界に自分が来てしまったのか。それだけがわからず、彼は苦い表情を浮かべている。


 ――「Darkness spirits Online」。通称、「DSO」。


 空気感や景色、人物など、あらゆる表現において極限に至るまでリアリティを追求し、圧倒的なクオリティを誇った、アーヴィングコーポレーションが開発したVRMMOの一つ。2035年にアメリカでのみ発売されたゲームであり、凄まじいほどの臨場感を売りとするファンタジーRPGとして発表されていた。


 人間とほぼ遜色ない知能と行動パターンを持つAIを搭載するNPCが数多く登場し、当時は大きくニュースでも取り上げられていた一作である。


(この痛み……間違いない)


 その最大の特徴は、他のゲームにはない「リアリティ・ペインシステム」。プレイヤーの五感に、現実と遜色ない「痛覚」を齎し、死と隣り合わせの戦いを体感できるという機能だった。

 この機能により、ゲームと現実はプレイヤーの意識下で一体となり――正しく生死を分ける死闘を、「リアル」に体験できるようになったのである。


 その画期的な機能により、DSOはVRMMOの頂点に立つ――はずだった。


 しかし、そのリアリティを追求し過ぎた機能は、人間の精神に異常を来す悲劇へと繋がったのである。


 ――あまりにもリアル過ぎる・・・DSOにより、現実とゲームの区別がつかなくなってしまったプレイヤーが続出したのだ。

 リアリティ・ペインシステムに狂わされたプレイヤー達が、現実世界で凶行に走るケースが頻発したのである。DSOの影響によるものと判断された殺人事件の件数は、数百に及ぶと言われている。


 結果、DSOは発売から僅か2ヶ月で発禁となり、全てのソフトがアーヴィングコーポレーションに回収された。オンライン対戦が基本であるゲームでありながら、その公式大会も一度しか開かれなかった。


 ……それが、2年前の事件。

 以来、全てのVRMMOから「痛覚」の概念が消え去り、ゲームは「極限のリアリティ」を代償に、万人が求める「安全」を取り戻した。


 だから、もうこの世には――少なくとも一般の手が届くところには、もう「DSO」は存在していないはずなのだ。


 しかし現に自分は、その「DSO」の世界にいる。


 当時、ただ一度だけ開かれた公式大会に参加し、優勝をもぎ取ったプロゲーマー……飛香炫は。

 確かに、「DSO」の世界へと招かれているのだ。


(……ここは、本当に「DSO」の世界なのか? だったら……)


 ここは本当に「DSO」の世界なのか。それとも、それによく似た、本当の異世界なのか。

 途方もない疑問を、一つ一つ解き明かすべく。炫は指先を空間の中で滑らせる。


 ――すると。VRMMOならではの、立体ステータスバーが表示された。


(ステータスが出て来た! ということは、ここはやはり「DSO」の……!? いや、違う!)


 このような現象、ゲーム世界でなければありえない。だが、すでに炫が知っている「DSO」とは違う部分が見受けられていた。


 ログアウトの選択肢が、なかったのである。


(ということは、ここはただの「DSO」ではない、ということなのか。しかし、一体なぜ、なんのために……!?)


 少なくとも、今すぐこの世界から出ることはできないようだ。

 ――林間学校に行く新幹線が、目的地に到着した瞬間。自分を含む乗客全員が、ガスか何かで眠らされ。目が覚めれば、発禁されたゲームの世界。しかも、ログアウトできないという特殊仕様。

 判明したことを軽く纏めてみると、事態の異常さが際立ってくる。事実は小説よりも奇なり、とは言うが……さすがにこれは限度がある。


(……とにかく、いつまでもここに居てはラチがあかない。オレと同じように、乗客や学校の誰かが、この世界に迷い込んでいる可能性もある。……探してみるしか、ないな)


 だが、不幸中の幸い、と言うべきか。判明している「普通の『DSO』と違う点」は、「ログアウトできない」という部分のみ。それ以外は全て、炫が熟知している「DSO」そのものの光景が広がっているのだ。

 ゆえにどこに何があるかは、ある程度見当がつく。それにこの先を進めば、今自分が置かれている異常な状況について、何かがわかるかも知れない。


(……「DSO」のシナリオモードは、至って短い。案外、答えはすぐに見つかるかもな)


 ここが「DSO」の世界であると勘付いて、数分も経たないうちに。炫は自分が知り得る最短ルートを直進すべく、森の中を歩み始めた。


 ――「DSO」はあくまでオンライン対戦を主な要素としており、オフラインでプレイできるシナリオモードは、昨今のゲームとしては非常に短い。


 旅の剣士である主人公がならず者の街に訪れ、そこで依頼をこなしていく日々が始まる。やがて貴族の姫君を救ってほしいという依頼が舞い込み、依頼主の騎士達と共に姫君を救う。最後は姫君の屋敷に現れた魔獣を倒して、ハッピーエンド。


 たったそれだけの、短い英雄譚だ。どちらかと言えば、オンライン対戦を控えているビギナープレイヤーを慣れさせるための「チュートリアル」に近く、全体的に難易度も低い。

 もしこの世界が、炫の知る「DSO」と大差ない作りであるなら、ノーダメージクリアも容易いだろう。


(問題は……そこまで上手く事が運んでくれるか、だが……)


 険しい表情を浮かべつつ、炫は慣れた足取りで道無き道を歩む。最初にプレイヤーが遭遇する「イベント」が発生する地点を目指しているのだ。

 程なくして、森を抜ける直前に至るまで歩みを進めた彼の前に。幻想的な自然に彩られた、蒼い泉が現れた。


(ここでプレイヤーは、このゲームについて大まかな説明を受けて、最初の町への道を示してもらう。そのあとすぐ、モンスターとの初戦闘になるわけだが……)


 炫の知る「DSO」なら、泉に辿り着いたところで水中から美しい精霊が現れ、このゲームの目的や基本操作を説明してくれる。

 その展開を予見した炫は、イベントが発生する距離まで、泉に歩み寄るのだが。


(……やはり、普通の「DSO」とは違う、のか……?)


 イベントは、発生しなかった。

 本来なら確実に精霊が現れるはずの距離だが、そんなフラグは微塵も感じられない。すでに炫が知る「DSO」からは逸脱した展開である。


「驚いていらっしゃるようですね」


「……!?」


 その事実を。ここが、自分が知る「DSO」とは似て非なる世界なのだということを、炫が明確に実感したのは。


 ――見知らぬ老紳士が、背後から現れた瞬間であった。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る