第2話 運命の始まり

「……でね! エーデルエリアっていうところがもう、ほんとにすごいの! 楽園っていうイメージがぴったりの花畑が、いっぱいに広がってるんだよ!」

「私もお嬢様も、もう何時間も入り浸っちゃいまして!」

「へ、へぇ……」


 ――胃の痛む数日を経て迎えた、林間学校当日。炫達六人班は、行きの新幹線に乗り東京から出発していた。

 窓から伺える豊かな自然風景。その美しさを眺めながら、旅先へと思いを馳せる至福のひととき……であるはずの旅路は、針のむしろのような生き地獄となっている。


『安心で快適な暮らしを。伊犂江グループ』

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 車内に備え付けられているTVは景気のいいCMを流してばかりで、気休めにもならない。

 「Happy Hope Online」――通称「ハピホプ」の話題で盛り上がる優璃と利佐子に付き合いながら、周囲の視線に怯える炫は、キリキリと痛む胃を抑えながら作り笑いを続けていた。

 キモオタ三人組……とりわけ炫に対する周囲の眼光は凄まじく、学園の二大アイドルを独占(?)している彼への睨みは、さらにその鋭さを増している。


 ◇


 その渦中にいる炫達の班を、遠巻きに見つめる男女が二人。


「い、いやぁ、彼らはいつも注目の的ですなぁ、春野先生。ウチのクラスの男子共も、彼ら……とりわけ伊犂江さんにはご執心でして」

「まぁ、彼女の身の上を鑑みれば、目立つのも仕方のないことでしょう。……それより冬馬先生。ここの車両は私のクラスなのですが」


 灰色のスーツに身を包む、二十代後半に差し掛かる美女。茶色がかった髪をポニーテールに纏めた彼女は――炫達のクラスを担当する女教師、春野睦都実はるのむつみ。その美貌と冷静沈着な人柄から、男子生徒や教師陣から人気を集めている人物である。

 その寡黙な佇まいや切れ目の眼差しゆえ、クールな印象を受けることが多い彼女であるが……生徒達に対しては真摯な姿勢の持ち主であり、成績優秀でありながら正当に評価されることが少ない炫に理解を示す、数少ない人物でもある。


「しかし、あの飛香とかいう生徒は、どうやって伊犂江さんに取り入ったんでしょうなぁ。歪んだ性癖のオタクの癖して」

「彼は趣味こそ些か特殊ではありますが、それは他者に迷惑をかけるものではありません。加えて、授業に対する姿勢や成績も良好。私としては――あなた方のような見識を持つ人間が、教鞭を振るっていることの方が不思議でなりません」

「そ、それはその……」


 ――そんな彼女だからこそ、彼を悪く言う者……とりわけ、同じ教師に対しては、厳しく対応しているのだ。

 鋭い眼光に射抜かれ、隣に座る肥満体の男教師が縮こまる。


 こことは別の車両にいる他クラスの担当である、冬馬海太郎とうまかいたろう先生だ。

 でっぷりと太った体格に禿げ上がった頭皮。首が見えず、頭部と胴体が繋がっているような出で立ちから、「ヒキガエル」と陰口を叩かれている人物でもある。


 睦都実に対して恋心を抱いているらしく、隙あらばこうしてアプローチに励んでいるのだが……それが実を結んだことは一度もない。

 こうして、バッサリと拒絶されることが日常茶飯事なのだ。


「……しかし、確かにこのままでは無用な諍いにも繋がりかねませんね。彼をよく思わない生徒は、少なからずいるようですから」


 萎縮する海太郎を冷徹な眼で一瞥した後。睦都実は、憂いを帯びた眼差しを一人の生徒に注ぐ。

 ――炫に対し、一際険しい敵意を見せる男子生徒に。


 ◇


「あいつ……クソふざけやがって……!」

「た、鷹山さん……」


 炫に睨みを効かせる生徒達。その中でも、特に強い敵意を抱いているのが――いわゆる不良という部類に当たる男子生徒、鷹山宗生たかやまむねおである。


 制服を着崩し、髪を金髪に染めたその外見。常に眉を吊り上げ、声を荒げる威圧的な態度。それらを頼りに日々周囲を恫喝して、同級生の財布や女に手を付けてきた彼は、見目麗しい優璃や利佐子にも目をつけていた。

 だが、伊犂江グループの身内である優璃や利佐子に容易く手は出せない。力づくでモノにしたくとも、運動神経抜群の大雅という壁もある。


 あの柔肌が手に届く距離にいながら、実質的にはどうにもできない。表面上の強さだけで思うままに生きてきた彼にとって、それは生殺しに等しい日々だった。

 それでも、二人の近くに立つのが完璧男子の大雅であるなら、まだ諦めはついたかも知れない。だが、妄想の中で毎日のように優璃達を穢していた宗生の眼前では――あのキモオタ三人組の一部である飛香炫が、最も優璃に近しい場所にいる。


 本来なら優璃どころか、どんな女にも相手にされないような男子が。自分が生殺しにされている間に、優璃と談笑している。

 その現状に向かう激しい憤怒は、グツグツと煮え滾り、殺意にも近しい憎悪へと繋がっていた。


 優璃の隣に座り、向かいの炫に厳しい視線を向けている大雅も、当然ながら心中穏やかではないのだが――宗生のそれは、大雅以上の熱気を持っていた。近くに座っている不良仲間達が、全員たじろぐほどに。


 ――そんな、煮え湯のような空気の中で、数時間が過ぎ。


「あ、そろそろ到着だね。楽しみだなぁ……」

「お嬢様、はしゃぎすぎてはいけませんよ」

「ふふっ、わかってるわかってる」


 彼らを乗せた新幹線は、ようやく目的地の自然公園に辿り着こうとしていた。

 自然に溢れた観光名所も多い場所での、楽しい日々がこれから始まる――はずなのだが、炫の表情はどうにも優れない。


「あれ? 飛香君、顔色良くないけど、大丈夫?」

「酔ったのですか?」

「い、いやぁ、別に。……もうそろそろ到着みたいだし、ちょっとトイレ済ませてくるよ」

「あ、うん。いってらっしゃい」


 どうにか居た堪れない空気から逃れようと、炫は理由をつけて席を立つ。鼻を鳴らす大雅のジト目に睨まれながら、彼はそそくさとトイレに移動し始めた。


(いつまでもこんな風に全方位から睨まれるのかと思うと、本当に体調崩しそうだよ……大丈夫かなぁ、オレ)


 そして、先行きの不安に腹を痛めつつ、トイレを目指して通路を直進していく。――その進路上に、宗生の足が入ってきたのは、その直後だった。


「……!」


 タイミングはやや遅い。普通に跨いでかわすこともできる。


 ――だが宗生の性格上、避けたら避けたで余計に怒らせてしまうだろう。

 炫は一瞬に満たない時の中で、そう判断し……彼をはじめとするクラスメート達の溜飲を下げるため、敢えて引っかかることを選んだ。


「あいたっ!」

「ぎゃははは! おいおい何やってんだ飛香ぁ! こんなとこで転んでんじゃねーよ!」


 差し込まれた宗生の足に躓き、すっ転ぶ炫。そんな彼の醜態に気を良くしたのか、宗生はゲラゲラと笑い声をあげる。

 位置的に彼が足を引っ掛けた瞬間が見えていた者も多いのだが、彼を糾弾する者はおらず、誰もが転んだ炫を笑っていた。


「ちょっと飛香君、大丈夫!?」

「あ、あはは……ごめんごめん、何でもないよ」

「擦りむいては……いないようですね、よかった……。気をつけてくださいね、飛香さん」

「うん、ありがとう」


 だが、学園のアイドル達はそれを良しとせず。優璃と利佐子はすぐさま炫のそばに駆け寄ると、甲斐甲斐しく彼を助け起すのだった。

 彼女達の席からは、宗生の行為は見えないはずだが――なんとなく経緯を察したのか、利佐子は宗生の方をじろりと見遣る。それに肝を冷やした彼は、笑い声を止めると窓の外に視線を移すのだった。


 その様を目の当たりにして、クラスメート達も笑いを止め、バツが悪そうに視線を外した。宗生のやったことがバレたら、炫を笑っていた自分達まで、絶対的な人望を持つ「学園のアイドル」に睨まれる――という展開を恐れたのだ。

 優璃の方は何も気づいていないようだが、利佐子が告げ口をするかも知れない。その可能性もあった。


「もう大丈夫。ごめん、心配かけて」

「ううん。じゃあ、早く帰って来てね」


 だが、利佐子は空気が悪くならないようにしているのか、目を細めて宗生やクラスメート達を見遣るだけで何も語らない。

 そのまま優璃と炫が別れ、彼女達が席に着いた時。クラスメート達はなんとか見逃して貰えたのだと、胸を撫で下ろすのだった。


「全く……かっこ悪い人達なんですから」

「かっこ悪い?」

「いえ、なんでも」


 そんな彼らに、利佐子はため息をつく。珍しく気疲れの色が窺える幼馴染の姿に、優璃は小首を傾げるのだが――利佐子は何も語らず、朗らかな笑みを浮かべるのだった。

 その眩しい笑顔には、信太や俊史もすっかり魅了されている。


「しかし、伊犂江さんはなぜあんな奴にこだわるんだ。確かに成績は優秀だし、学校での素行に致命的な問題があるわけじゃない。だが、あいつはバーチャルで女の子を弄ぶ陰湿なオタクなんだぞ」


 一方。トイレに向かって立ち去っていく炫の後ろ姿を見やりながら、大雅は腑に落ちない表情を浮かべていた。

 相変わらずな言い草に、利佐子は再びため息をつくが……優璃は穏やかに笑いながら、彼に向けて口を開く。


「……確かに、趣味はちょっと変わってるかも知れない。でも、あの人はそんなことどうでもいいくらい、大切なものを持ってるんだよ」

「なに……?」


 諭すような口調に、大雅の眉が釣り上がる。あの飛香炫に何があるというのか。好奇心と反発心が入り混じった、複雑な表情を浮かべる彼は、優璃の言葉に耳を傾ける。


 ――やがて彼女の口から、炫が美化委員としてどれほど花々に尽くして来たかが語られた。


 直接の接点はなかったものの、優璃と利佐子は中学三年の時から炫と同じクラスであり……その頃から彼は美化委員として、常に花壇に咲く花々を世話していたのだという。

 暑い日も、寒い日も。季節の移り変わりの中、手塩にかけて育てた花が枯れても。彼は手を土に汚しながら、花壇で無数に咲く花の一つ一つを、一日でも長く咲き続けられるよう育て続けていた。


 それは傍目に見ればとても地味なことだし、さして特別なことでもない。やろうと思えば、誰にだって出来ることだろう。

 しかし、実際にそれをやり抜いたのは、飛香炫だった。年中校舎の花を労わり、その咲き誇る姿に愛情を注ぐ。それを実践していたのは、炫だけだったのである。


 花を好む優璃にとって――土に濡れながら、花壇の手入れを続ける炫の姿は。周りの女子が囃し立てているようなスポーツ男子達よりも、輝いて見えたのだという。


「私も……お嬢様を笑顔にしてくださる彼には、心底感謝しているのです。そんな殿方と、仲睦まじく過ごしたいと思うのは不自然でしょうか?」

「多分、みんなにはわからないのかも知れないけど。飛香君は、本当に強くて優しいところを持ってるんだ。……ちょっと、かっこいいところもね」


 一通り語り終えると、優璃ははにかむように笑い、それに釣られるように利佐子もクスクスと笑みをこぼす。

 一方。優璃や利佐子が炫に対して好意的である理由を聞かされてからも、大雅はどこか納得しきれず、渋い表情を浮かべていた。


「……そんなの。誰だって出来ることじゃないか」

「うん、そうだね。……でも、本当にそれをやってくれたのは飛香君だった。私には、それで十分なんだよ」

「……」


 だが、優璃の言葉を受け。釣り上がっていた彼の眉が、僅かに緩む。


(……確かに、後からなら何とでも言える……か。少なくとも、飛香炫がそれほど誠意を持って花を労わっていたのは、事実なのかも知れんな)


 なぜ炫が、それほどまでに花を大切にしているのかはわからない。だが、少なくともそのひた向きさが、優璃の心を動かしたのだろう。

 ――炫のことを語る彼女の眼は、全ての疑念を掻き消すほどの真っ直ぐさを持っていた。


「……あとで、詳しく聞き出してやるとするか。伊犂江さんを誑かした、手口をな」

「……くすっ」


 それゆえに、少しだけ――信じてみようという気持ちが働いたのか。大雅は憮然とした表情で腕を組み、炫が向かった方へ目を向ける。

 そんな彼の意固地な横顔に、利佐子は困ったような笑みを浮かべるのだった。


 ◇


 やがて、新幹線が減速していき――到着の瞬間が近づく頃。

 炫はトイレからの帰り道である通路を、早足で直進していた。


(やばやば、みんなもう荷物まとめ出してるよ……急がなきゃ)


 辺りのクラスメート達も、他所のクラスも、到着が近いこともあって荷物を纏め始めている。その光景に急かされながら、そそくさと自分の席を目指していた炫は――向かいからやって来た他の一般客とぶつかってしまう。


「いたっ! す、すみませ……!?」


 そして。頭一つ分以上の体格を持つ、黒ずくめの姿に息を飲むのだった。さらにブラウンに近しい髪と、鋭く蒼い瞳は、獲物を射抜くような鋭い光を放っている。

 オールバックに整えられたブラウンの髪を持ち、漆黒のトレンチコートに身を包むその青年は――暫しの間、立ち止まって炫の目を正視していた。そんな彼の眼差しと向き合う炫は、彼のえもいわれぬ威圧感に肝を冷やす。


(……!? この人は……?)


 ――しかし。炫はそれだけではない何かを、この青年に感じていた。どこかで見たことがあるような、ないような。

 奇妙な既視感を、覚えていたのだ。


「……」

「あっ……」


 だが。青年は僅かな間、炫を見つめた後――興味を失ったように、無言のまま炫の傍らを通り過ぎていく。

 謝罪の言葉を言いそびれた炫は、咄嗟に引き止めようと口を開いた。


 だが。


 その瞬間。


「え――」


 炫の視界が、突如「煙」のような靄に包まれる。


 何が起きたのか。まさか、何かのトラブルか。


 その推測から、炫は車内がパニックに陥る可能性を考え、咄嗟に口元を覆い隠しながら辺りを見渡す。


(……!)


 だが。すでに辺りは静寂に包まれ――つい先程まで、旅先に思いを馳せて談笑していたクラスメート達は、その意識を刈り取られ力無く倒れていた。

 引率の先生も。そして……自分の帰りを待っていた、優璃達までも。


(伊犂江さん、みんな!)


 ぐったりしたまま動かない優璃の手には、炫の荷物が握られている。彼の分の荷物も、纏めようとしていたのだろう。

 そんな彼女に手を伸ばす炫も、力が抜けたかのように片膝をついてしまった。うまく、足が動かない。


(ガス、なのか……!? 一体、何が、どうなって……!)


 詳しい状況はまるで見えてこないが、この車内にいる全員が意識を失っている以上、とてつもない異常事態が発生していることは間違いない。

 すでに新幹線は目的の駅に到達し、停車しているが――運転手は無事だろうか。


(あの人、は……!?)


 次第に薄れていく意識の中。炫は、先程すれ違った青年のことが気掛かりになり、振り返ろうとする。

 だが……すでに彼の体は、指先一つ動かせなくなっていた。


 このまま、死ぬのか。わけもわからないまま、その運命を予感した少年は。


(……ソフィ、ア……)


 ――ある少女の名を、心の奥底で呟き。己の意識を、闇の中へと手放した。


『散布、完了。全ての準備が整いました』

『よろしい。では、私達は暫し身を隠すとしましょうか。……さぁ皆さん。待ちに待った瞬間ですよ』

『おぉ……いよいよ我らも、この下らない世界からの解脱・・を果たすのですね』


『えぇ、そうです。脆弱で窮屈な、この身を捨てて……今こそ旅立とうではありませんか。悠久の、仮想世界へ』


 倒れた自分のそばを歩く、男達の足音にも。彼らが交わす、怪しい言葉にも。

 頭に「何か」を被せられたことにも、気づかずに。

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