第4話 操り人形達の箱庭
歳は五十代中盤から、六十代だろうか。漆黒の礼服や深く被られた帽子、手にした木製のステッキからは、絵に描いたような「老紳士」という印象を受ける。
――だが。そんなNPCは、「DSO」のシナリオモードには登場しない。まして、こんなタイミングで、こんな森の中に出てくることなどあり得ない。
これではっきりした。この世界は「DSO」などではなく、「DSO」の世界に似た「どこかの異世界」なのだということが。
「先ほどから見させて頂きましたが……あなた、かなり
「……何を言っている。あなたは何者だ、何か知っているのか!」
この場で強制戦闘もあり得る。自分の知る「DSO」ではない以上、何が起きても不思議ではない。
それを実感した炫は老紳士に対し、警戒心を露わにして身構える。何か変な真似を見せれば、すぐさま剣を抜ける体勢だ。
だが、老紳士は剣呑な雰囲気で睨まれていながら、眉ひとつ動かすことなく。穏やかな表情のまま、皺の寄った口元を緩めた。
「私は単なる水先案内人ですよ。ここへ辿り着いた勇者に、町へと行き方と戦い方を伝授するつもりだったのですが……あなたに関しては、その必要もなさそうですね」
「……この世界は何なんだ。ここは、『DSO』なのか?」
「基本的には『DSO』のシナリオモードそのものですよ……あなたがご存知のように。ただ、『配役』と『展開』に多少のアレンジは入っていますが」
「アレンジだって?」
言っている意味は、今ひとつ要領を得ないが。どうやら、この世界はやはり「DSO」のシナリオモードを基盤としているらしい。
――仮にそれが事実だとして。それを知っているこの老紳士は、何者なのか。疑問は尽きず、炫はさらに目付きの鋭さを増す。
「心配せずとも、
「……あなたは、何者なんだ。この世界の、何なんだ!?」
踵を返し、森の中へと歩み出す老紳士。炫はその背を追いかけようとするが、すでに彼の姿は消えかかっていた。
「先ほど申し上げた通り。ただの、水先案内人ですよ」
「ま、待てッ!」
「ご武運を、お祈りしていますよ。――あなたに、『
そして、その言葉を最後に。老紳士は、完全に己の姿を消し去ってしまうのだった。
「……」
やがて、再び独りになった炫は。老紳士が残した言葉を思い返しつつ、移動を始める。わからないことだらけだが、とにかくここに居座っても状況が動かないのは間違いなさそうだからだ。
――少なくとも、これはオフラインのシナリオモード。なら、主人公である自分がアクションを起こさなくては、フラグも発生せず、何も進まない。
それならば、まずはこのままゲームを進めるしかないだろう。いずれ、あの老紳士の言葉の意味にたどり着くと、信じて。
(
――老紳士が残した言葉を、心の片隅にしまいながら。
◇
――シナリオモードの舞台である「ベムーラ島」。治安の悪さで知られるその島には、賞金稼ぎが集う「スフィメラの町」がある。
そこが資金や経験値集めの拠点であり、その町に辿り着いてから、本格的にゲームが始まる流れとなっている。
そこへ向かうには、森を抜けて町へ続く平原の一本道を通ればいい。迷うような道ではないし、出てくるモンスターも初期装備で十分に対応できるレベルだ。
しかし。森を抜ける、という段階において。
この後の展開を分ける、「分岐イベント」が存在している。
森を抜ける直前で、モンスターと初戦闘となるわけだが。ほぼ同時に少し離れた林の中で、二人組の賞金稼ぎがモンスターに襲われるイベントが発生するのだ。
その賞金稼ぎ達は滞納している飲み食い代の返済の為、空腹を押して討伐クエストに挑んでいるという無茶をしており、本来の力を発揮できずピンチに陥っている。
強制ではないので、初戦闘の後に二人を見捨てて森を抜けても、シナリオの進行に支障はない。
実際、初見プレイヤーは大抵、一周目では彼らを放置して町に向かっている。賞金稼ぎ達を襲っているモンスターの数が、シャレにならないからだ。
能力が低いNPC二人を守りながら、大量のモンスターをほぼ独力で殲滅しなくてはならないため、シナリオモードの全イベント中でも屈指の難易度を誇っているのである。
だが救出に成功すれば、二人組の賞金稼ぎ達は主人公の仲間として常時随行するようになり、それ以降の戦闘は大幅に楽になる。
なので二周目以降の腕を磨いたプレイヤー達は、軒並みこのイベントに挑戦し、二人を救い出しているのだ。縛りプレイのために敢えて見捨てるケースもあるらしいが。
(最後まで付き合ってくれる、NPCの仲間……か)
――森の出口付近で待ち構える、棍棒を掲げた数体のゴブリン。その「余りにリアル過ぎる」醜悪なモンスター達と対峙しつつ、炫は出口とは異なる方向に視線を向けていた。
その方向からは、「イベント発生」を告げるゴブリンの大群の雄叫びが響いている。
(……何の変哲もない「DSO」のシナリオモードなら、オレ独りでもどうにかなると言いたいところだが。ここはオレが知っている「DSO」じゃないんだ。どんな「展開」でも対応できるよう、万全を期する必要がある)
普通のVRゲームではない以上、万一ゲームオーバーになればどのようなペナルティーが伴うかは想像もつかない。
それでなくとも、痛覚がリアルに存在する「DSO」の世界で手を抜くなど、マゾのすることだ。
炫は、鮮やかな太刀筋でゴブリン達を斬り捨てつつ。その返り血を拭う暇も惜しみ、林の中へと駆けつけていった。
「いた……!」
イベントそのものは、通常の「DSO」と変わらないようだ。木のくぼみに身を隠す二つの人影を、約三十体のゴブリンが包囲している。
このゴブリン軍団を殲滅すれば、晴れて優秀なNPCを味方につけることが出来るというわけだ。
何が起きるかわからないこんな世界だからこそ。少々のリスクを冒してでも、確実にクリアできるファクターを引き寄せなくてはならない。
炫はその一身で、ゴブリンの血糊に塗れた剣を振るい、ゴブリン軍団に襲い掛かる。白マフラーを靡かせ、黒髪の剣士が戦場に舞い降りた。
「ギィィァアァア!」
「ゴォガアガアァッ!」
「遅いんだよ……お前らァッ!」
大振りなモーションからの、棍棒のフルスイング。その得物が空を裂く轟音を、耳元に感じながら。
炫は流れるように剣を振るい、各個撃破でゴブリン達を切り裂いていく。ゴブリン達の
「おっ……と!」
「グォオォオッ!」
「悪いな――ここでドジってる場合じゃないんだ!」
背後から振り下ろされた一閃を、紙一重でかわし。後ろ足で蹴り飛ばしながら、前方にいる個体を斬る。
側方から横薙ぎに振るわれた攻撃をジャンプでかわし、同士討ちを誘う。
いずれも、ゴブリン達の習性や攻撃パターンを熟知しているプレイヤーでなければ、成し得ないアクションだった。
――やがて、ゴブリン軍団の数が激減し、救出完了を目前に控えた頃。余裕を得た炫は木のくぼみに近づき、二人の護衛を優先しつつ残りを駆逐する体勢に入った。
「助けに来た! ここはオレに任せ――ッ!?」
そして。
これから組むことになる賞金稼ぎ達と顔を合わせるべく、白マフラーを翻して振り返り。
炫は、凍り付いた。
「た、助かったぜぇ。俺はダイナグ・ローグマンだ。恩に着るぜ、旅の剣士さんよ」
「オ、オラは、ノアラグン・グローチアだねっ。助けてくれて、感謝なんだねっ!」
ダイナグ・ローグマン。ノアラグン・グローチア。二人とも、そう名乗っていた。間違いなく、スフィメラの町で活動している賞金稼ぎ達の名前だ。
状況的に、彼らが仲間になるNPCであるに違いない。
「う、そ……だろ」
しかし。
炫は、すぐにはそれを受け入れることが、出来なかった。
確かに、台詞はダイナグとノアラグンのものだが。自分がよく知る、荒くれ者のキャラクターの台詞だが。
アメリカでしか発売されなかったゲームでありながら。その発音は、日本語であり。
「信太……!? 俊史……!?」
――彼らの外見は。炫がよく知る、日本の友人のものだったのである。
ダイナグの格好をした、鶴岡信太。ノアラグンの格好をした、真木俊史。彼らは、NPCとして。
この「DSO」の世界に、生を受けていたのである。
『まさか「DSO」の元プレイヤーが紛れていた上、その人物がよりにもよって「主役」とは。運命とは、不思議なものです』
『基本的には「DSO」のシナリオモードそのものですよ……あなたがご存知のように。ただ、「配役」と「展開」に多少のアレンジは入っていますが』
やがて炫の脳裏に、あの老紳士が残した言葉が蘇る。それは、この世界の歪さを端的に語っている言葉だったのだ。
(「主役」って……「配役」って……! まさか、こんなッ……!)
その悍ましさを理解した瞬間。全身が総毛立ち、剣を握る手が小刻みに震える。そして――突き上げるような憤怒の渦が、炫の眉を吊り上げた。
(……こんな風に。「主役」のオレ以外の人間全てを操り、NPCを演らせているっていうのか! なんなんだ……この世界はッ!)
その怒りが、剣に乗る瞬間。炫の隙を狙おうと飛びかかってきたゴブリンが、無惨に斬り裂かれた。
――振り向きざまに放った横一閃。その剣の閃きが、ゴブリンの身体を上下に切り分けたのだ。
『心配せずとも、ゲームをクリアすればあなた
「……そうさ。オレは、必ずこのゲームをクリアする。誰一人として……死なせてたまるかッ!」
例え、そう思わせる罠だとしても。今はただ、迸る怒りを鎮めるために。
炫は激情の赴くまま、行く手を阻むゴブリン達に、鉄の剣を叩きつけるのだった。
――その影で。老紳士が嗤っていることも、知らずに……。
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