第22話 永遠の十字架

「ハッ……トァッ!」

「シュッ……!」


 ――街灯に照らされた、暗夜の駐車場。人がまるで寄り付かないその空間で、2人の男達が人知れず戦っている。


 アレクサンダーの回し蹴りが、大きく弧を描いて炫の首を狙った。

 ……が、それに反応した炫は上体を後方に倒し倒立の姿勢になり、蹴りを回避。さらに両足を振り上げ、その勢いでアレクサンダーの下顎を蹴り上げた。


 だが、2人の間には大きな筋力差がある。アレクサンダーは蹴りを浴びつつも怯むことなく、突き刺すように足刀を放った。


「かっ……!」


 炫は咄嗟に横へ転がり、その一撃を回避する。そこから一気に地を蹴り、今度はアレクサンダーの眉間に肘鉄を叩き込んだ。


「ち……!」

「ごはッ!?」


 だが、体重と勢いを乗せた肘を浴びても、アレクサンダーは仰け反ることなく反撃に出る。肘鉄を放った炫の腕を片腕で挟み、身動きを封じたところへ、鳩尾への膝蹴り。

 それを受け、炫は口から胃液を吐き出し硬直してしまった。アレクサンダーはそのまま、片腕で挟んだ炫の腕を捻り、肩を外そうとする。

 しかし、そうはさせじと炫は自分から前方へ転がり、距離を取りながら跳ね起きた。


「――シィィイッ!」

「トアァアッ!」


 アレクサンダーはそこへ、追撃の如く回し蹴りを連発する。ドリルのような高速回転から放たれる、絶え間ない蹴りの嵐。炫はそれに応じてバク転を繰り返し、回避に徹した。


「ぐ!」

「シァアッ!」


 だが、その回避行動も長くは続かない。倒立の姿勢から立ち上がった炫の背中に、街灯の柱がぶつかる。たまらず息を漏らす彼の胸めがけ、アレクサンダーの蹴りが迫った。


「だぁッ!」

「……ッ!?」


 そこで炫は咄嗟に跳び上がると、両手を上げて柱を掴み下半身を振り上げる。アレクサンダーの蹴りは空を裂き、柱に激突した。

 その衝撃により、鉄製であるはずの柱が無惨にひしゃげ、上端のライトが明滅し始める。この隙と反動を使い、炫は身を振ってアレクサンダーの背後に飛び降りた。


「せあァッ!」

「……!」


 そして彼の脇腹に、渾身の後ろ回し蹴りを叩き込む。急所に鋭い一撃を浴びたアレクサンダーは、ようやく片脚を震わせたが。


「ふんッ!」

「う!?」


 すぐさま、鋭利な眼差しで炫を射抜くと……自分に苦痛を与えた蹴り足を、小脇に挟み込んでしまった。


「がぁあッ!?」


 そして、その蹴り足に容赦なく膝蹴りを叩き込む。ディアボロトの攻撃に勝るとも劣らない激痛に、炫は悶絶しよろけてしまった。


「フンッ! セィアッ!」

「あッ……がは、ごあぁッ!」


 ただでさえ体力差は歴然なのに、さらに致命的な隙まで見せてしまっては、もはや勝ち目は皆無。

 そう告げるかのように、アレクサンダーは速攻のボディブローを炫の腹に叩き込み――首根っこを掴んで、投げ飛ばしてしまった。


 炫の体は人形のように宙を舞い、アスファルトに墜落する。鈍い音と共に苦悶の声を漏らし、炫は足を抑えながらのたうちまわった。


「……ここまでだな。確かに私はVR戦闘においては君より未熟だが……ここは、あの世界とは違う」

「あ……ぐ、がっ……!」

「筋の良さは認めるが、戦う相手を選ぶべきだったな」


 そんな彼を見下ろし、アレクサンダーは今度こそ終わりだと確信し……再び踵を返した。

 死なせないよう手加減はしているが、炫に浴びせた打撃は気絶必至の威力を持っている。それを受けても意識を保っている時点で、異常といえば異常な耐久力ではあるのだが……やはり、まともに動けなくなるほどのダメージがあることには違いないようだ。

 呻き声を上げ、身を震わせる炫は――朧げな眼差しでアレクサンダーを見上げながらも、立ち上がる気配を見せない。ここが、肉体の限界であった。


(……しかし、ただの高校生にここまで粘られるとは想定外だったな。……まぁ、いい。ここまで死力を尽くして戦った結果なら、この子も満足だろう)


 これほどまで懸命に、元捜査官を相手に戦った結果であるならば。会長を守れなかったとしても多少は、炫も己を責めずに済むだろう。

 ――そう結論付け、アレクサンダーは漆黒の愛車を目指して歩み始めた。


(……これで、いい。許す、などという苦行を……この子にさせるわけにはいかない。憎しみも悲しみも、怨みも。全て私が、この一身に引き受ける)


 そして。その側に近づき、ハンドルに手を伸ばした――


(それが……自分の罪から逃げ続けてきた私が、最期に受ける罰だ)


 ――時だった。


「……ア……レク、サッ……!」


「……ッ!?」


 裾に感じた違和感。下方から囁かれた、消え入りそうな声。

 誤魔化しようのない、確かなその感覚が、アレクサンダーの動きを阻止した。やがて彼は、信じられないものを目の当たりにし、瞠目する。


「……め、だ……!」


「炫、君……!」


 炫はまだ、諦めていなかったのだ。地を這いずり、アレクサンダーに追いついていた彼は、縋り付くように裾を握り締めている。

 頭や口元から血を滴らせ、焦点の合わない眼でアレクサンダーの行方を追うその姿に……元捜査官は、戦慄を覚えていた。


「……き、みは、なぜ……!」


 そして湧き上がる、焦燥。

 なぜここまでして、止めようとするのか。「DSO」に関わった伊犂江グループの会長に、なぜそこまで肩入れするのか。――恋人の仇を守る、ということに、なぜそこまで気力を注げるのか。


 あらゆる疑問が浮かんでは、アレクサンダーの精神を揺さぶっていく。彼の心を遠ざけるために、望まぬ暴力を振るい続けているというのに……その彼は、なおも近寄ろうとしているのだ。


 なぜここまで拒んでいる自分に、なおも手を差し伸べるのか。なぜ、このような悪人のために心を砕くのか。

 ――なぜ、自分を止めるために、ここまで戦えるのか。


「……今日は、だめだ。だめなんだよ、アレクサンダー……さん!」

「……何が、駄目だと言うんだ。今日の何が、駄目だと言っているんだ、君は!」


「誕生日なんだよ! ……今日は!」


 その問いに、答えるように。炫はしゃがれた声のまま、気力を絞り出すように叫ぶ。言い放たれた言葉は、アレクサンダーの聴覚を通して、その胸中へと染み込んで行った。


(……誕、生日……)


 ――誕生日。そう、ソフィアの命日となってしまった、あの日。炫がこれから先ずっと、幸せな日々が続いていくのだと信じていた、あの日。

 伊犂江優璃という少女にとっては、それが、今日なのだ。


「伊犂江さんは、信じてる……。今日は、みんなで楽しく過ごして。明日、いつもみたいに学校に来て。夏休みを、楽しんで。来年も、再来年も、ずっと幸せに暮らしていける……って」

「……」

「きっと、蟻田さんだってそうだ。オレだって、そうだよ。みんなもう、怖い夢から覚めたんだ。もう、終わったことなんだ! だから……!」


 過去に纏わる復讐よりも、今ある幸せと平和のために。そう謳う炫を見下ろし、アレクサンダーは苦々しく貌を歪める。

 自分に、そんな風に生きていける強さがあったなら――どれほど、幸せになれただろうか……と。


「では、君は許せるのか!? ソフィアを死に追いやった原因に手を貸した、あの伊犂江グループを!」

「わからない……! だけど、わかってることも、ある! あなたは、本気で会長を殺すつもりなんかないって!」

「……!」


 気づけばアレクサンダーは、己の感情さえも操れず、炫に思うがままの心をぶつけていた。その気迫を真っ向から浴びせられながら、彼は全く引き下がることなく――視線を、重ねる。

 すでに炫の眼は焦点を取り戻し、アレクサンダーの揺れる瞳を捉えていた。


「本気で会長を殺すつもりなら、そもそもこんな場を設けるはずがない。オレに報せることなんて、ない。あなたは、ただぶつけたかっただけなんだ。自分の気持ちを、誰かに」

「……君に、私の何がわかる。ソフィアを死に追いやっていながら、新しい居場所を見つけ、過去を捨てようとしている君に、一体何がッ!」

「わかるさ! あなたも、ずっとずっと辛かった! 辛かったから、任務に逃げたんだ! あの事件で、アメリカから逃げたオレと同じだ! だけど……あなたの側に、信太と俊史はいなかった。何があっても、側にいてくれる誰かが、いなかったから! だからッ!」


 息を荒げ、咳き込み、血を吐き。それでも炫は、訴えることをやめない。よじ登るようにアレクサンダーのズボンを握り、叫び続ける。

 そんな彼から目を背けるように、元捜査官はヘルメットに手を伸ばす。だが、ここから逃げ出したいという心理とは裏腹に、それ以上彼の手が動くことはなかった。


「……仮に、そうだと、しよう。だとしても、だ。そんな私に、君がこんなになってまで付き合う理由が、どこにある」

「答えていないから、だ。まだ……あなたの問いに」

「……!」


 炫がその一言を呟いた時。彼を避けていたはずのアレクサンダーの眼が、少年の瞳に引き付けられてしまった。

 全てを切り捨てようとしても。この少年は、その全てを拾い集めて来てしまう。


「あなたは、答える必要などないと言った。でも……オレは答える」

「……ッ」


 その先に待つ言葉を予見し。アレクサンダーは、観念したように瞼を閉じると、悲痛な表情を浮かべ愛車に寄り掛かかる。「カワサキ・NinjaH2」の逞しい車体が、主人の体重を受け止めていた。


「……オレは、あなたを許します。もう、誰も怨んだりなんかしない。だからあなたもどうか、許してください。オレの罪なんかじゃない。こうするしかなかった、あなたの弱さを、全て……」

「く……ッ!」


 ――受けた言葉は、予想通りだった。短い付き合いの中でも、飛香炫という少年を知っていたアレクサンダーにとって……これは、ある意味では理想だったのである。


 彼自身、こんな復讐に意味がないことなどわかっていた。仮に会長を殺せたとしても、頭が挿げ替わるだけで大した損害には至らない。そんなものは復讐にすら値しない、ただの八つ当たりだと。

 それでも、会長を殺すと声を上げて飛香炫を呼び寄せたのは……ただ、理解者が欲しかったからに他ならない。同じ少女を愛し、それゆえに共に戦った彼ならば、自分の苦しみも分かってくれるだろう、と。


 だが、そんな自分を情けないと思わないはずもなく。アレクサンダーは自分自身を罰するため、望みであった彼の赦しを拒み、独りになろうとした。

 自分が望んでいたものを全て捨て去ることで、彼は自分を裁こうとしていたのである。


 ――だが、炫はそれをさせてはくれなかった。


 アレクサンダーが内心で望んでいた通り、彼の苦悩を理解していた炫は。彼が本当は、罪に苦しむ生き方から逃れたい――赦しが欲しいのだということを、知っていたのである。

 だから彼は、戦いを望まないアレクサンダーの眼を見て、その真意に気づいたのだ。


「……炫君。許されるはずがないだろう。私は、君をッ……!」

「……うん。だから、オレが許すんだ。ここには、オレ達しかいない。オレ達の罪はオレ達にしかわからないから……オレ達が許したって、いいんだよ」

「……くッ……ぅ……!」


 嗚咽が、漏れる。格好悪いったら、ない。そうと知りながら、アレクサンダーは止めどなく溢れる感情を、堪え切ることはできなかった。

 そんな彼を見上げ、炫は安堵するように裾から滑り落ちていく。全身の力が抜けたように、その身体はぐったりとアスファルトの上に転がっていった。


「……うん。……これでいいよな、ソフィア」


 彼の眼が移す夜空。その向こうに繋がっているであろう、遠方の国で眠り続ける少女に――炫は、人知れず告げた。

 もう誰も、悪夢に振り回されることはないのだと。もう、皆を苦しめた怖い夢は、本当に終わったのだと。


 ◇


 ――同時刻。すでに誕生日パーティは、酣の時が近づいていた。相も変わらず、優璃や利佐子の周りに集まり続けている御曹司達も、そろそろ引き際かと時計を意識し始めている。


「……蟻田君。そろそろ宴も酣といったところだが……来賓の方々をお送りする準備に、不備はないな?」

「はい、もちろんです会長。リムジンはすでに控えておりますし、警備も万全。優璃お嬢様の記念すべき日は、円満に終わりますとも」


 そんな彼らを一瞥する、礼服に身を包んだ2人の男達。長身と筋骨逞しい肉体を持つ初老の男性と、スマートな体躯を持った壮年の男性である彼らは、この伊犂江グループの中心人物である。

 初老の男性こと伊犂江芯いりえしんは、側近である壮年の男性こと蟻田椴ありただんと共に、パーティ終了後の段取りを確認していた。


「利佐子君には、優璃も大変世話になっている。彼女の誕生日も、私から盛大に祝わせてもらおう」

「恐縮です、会長。あなた様のお役に立てるということだけでも、身に余る光栄なのですから……」

「そう言うな。……私も、優璃を守ってくれる人々には感謝したいのだよ」

「ご安心くださいませ、会長。我々蟻田商事は、今後とも誠心誠意を込めて、お嬢様を御守りします」


 遠い眼差しで愛娘を見つめる芯。そんな彼を見上げながら、椴は自信に溢れた声色で優璃の安全を保証していた。

 ――あのギルフォード事件が発生した直後、伊犂江グループの中でも最も迅速に対応を始めていた実績が、その自信に繋がっているようだ。


 一方。自分が最も信頼する部下の言葉に、頷きながらも――芯はどことなく「心ここに在らず」といった様子で、優璃を見つめ続けていた。


(私が背負い、墓まで持ち去ろうとしている「罪」。その報いを受ける日も近いだろう、とは思っていたが……どうやら、それは今日ではなかったようだな)


 ――このグループをさらに成長させ、愛する家族や仲間達を幸せにするため。芯は2年前、多大な利益に繋がると見込み、アドルフ・ギルフォードに開発費を投資していた。

 その「罪」が公になれば、世間は自分のみならず、何も知らない家族達までも責め立てるだろう。例えそれが許し難い悪業であろうとも、芯は愛する家族のために、「DSO」との関わりを隠滅するしかなかった。


 いつかは、その報いをこの身に受けるのだろう。いつかは、真実を暴かれる日が来るのだろう。


 ――なら、その時までに。

 罪に塗れた自分がいつか、誰かに討たれたとしても。真実が周知され、伊犂江グループの名が地に堕ちる日が来たとしても。

 最愛の娘を、ただ1人の女性として守り抜いてくれる者が現れるまで。父として、娘を守り続けねばならない。


 それが、罪を胸に抱えたまま生き続けている伊犂江芯の、原動力であった。


「悪鬼の娘であろうとも、愛してくれる男……か。欲塗れの虫しか来ないこんなパーティでは、見つかるはずもないな」

「は?」

「いや、なんでもない。……こちらの話だ」


 天を仰ぎ、独りごちる芯。まだ見ぬ婿を夢見る瞳は、哀願の色を帯びていた。


(……恥を承知で、祈ろう。誰か、私の娘を愛してくれ……)


 いつか、報いを受ける時。それに怯えて日々を暮らして行くことが、彼に課せられた「罰」なのかも知れない。


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