第18話 明晰夢のヒーロー

 ――あれから、どうなったのだろう。


 曖昧な意識のまま、身を起こした炫の眼前には……倒れ臥した一人の騎士がいた。力なく横たわる彼は、顔だけをこちらに向けている。


「……ぁ、あ……!」


 今にも消えそうな――そう、比喩ではなく、本当に消えてしまいそうな儚い笑みで。騎士は、アレクサンダーは、炫を見守っていた。

 彼が身を呈して、爆発の中心から炫を遠ざけても、かなりの余波が及んでいたらしく……彼自身はもとより、最小限の余波しか浴びていない炫まで、変身が解けている。


 しかも。血だるまになり、体のあちこちが焼け爛れているアレクサンダーは、半透明になり消えかけていた。

 アバターの消滅……即ち、この世界における「死」の前触れである。


「アレクサンダー……さん……!」


 未だに残る灼熱の残滓を感じながら――炫は、無意味と知りながら、それでも手を伸ばす。

 覚束ない足取りで歩み、何度も転び……それでも。


「ひか……る、君」


 そんな少年に、焼き尽くされた騎士は「もういい」と微笑で語る。

 ――高熱の生き地獄を味わいながらも、その精神を保ち続けている彼は……痛みに耐え抜きながらも、HP全損という形で最期を迎えようとしていた。

 もう、彼の命がこの世界で繋がることは……ないのだ。それは、アレクサンダー自身がよく理解している。


「ソフィ……ア……あ、りが……」


 だからこそ、最期に。

 炫への憎しみを捨て、彼への感謝と謝罪を、遺言にしようとしたのだが。

 ――無情なゲームシステムに、その口を抹消される方が先となってしまうのだった。


「アレクサンダー……さっ……!」


 光の粒子となり、霧散していくアレクサンダーのアバター。そのかけらを追うように、炫は宙に舞う光の粒に手を伸ばす。だが、その全ては彼の行為を嘲るように、空振りに終わった。

 彼の拳の中には、何もない。虚空だけが、その手の中にある。


「……困りましたね。今の『大技』で、2人纏めて華々しく散らせるはずだったのですが……」

「……ギルフォードォッ!」


 火炎砲弾の残り火。インターフェース・エリアの中で逆巻く、その業火の向こうで――ギルフォードは、呆れるようにため息をついていた。

 人の「死」に対し、あまりにも軽いその反応を目の当たりにして、炫はかつてない憤怒を瞳に宿す。恋人を失う元凶を作り、彼女の兄さえ殺め、自分の大切な友人達まで玩具にする「王」を、その眼差しで射抜いて。


「……まぁ、いいでしょう。あなた一人、『大技』が使えずとも処理するのは容易い。強制ログアウトで逃げられる前に、始末をつけてしまいましょうか」

「……誰が、始末をつけるって?」


 だが、その眼光を真正面から浴びても。ギルフォードはまるで動じることなく悠然と歩み出す。炎を掻き分け、炫にとどめを刺すために。

 そんな仇敵に対し――炫はふらつきながらも、しっかりと両足で立ち上がると。痛みに震える手で、ブレイブドライバーを握り締めた。


「……逃げずに戦うつもりですか? えぇ、いいですとも。その方が実にあなたらしい。強制ログアウトで逃げるより、よほど……」

「……強制ログアウトなんて、待っていられない・・・・・・・・からな」

「待って……いられない?」


 この絶望的な状況でありながら、なおも立ち上がり、戦う姿勢まで見せる炫に対し、ギルフォードは大仰に手を広げて賛辞を送る。

 ――だが。炫の言葉に、初めて彼は笑みを止めた。


 強制ログアウトという、自分一人だけでも生き延びられる最後の希望に対し、「待っていられない」と言い放つ彼の真意が読めなかったのだ。

 恥も外聞もなく、剣を捨てて必死に逃げ回れば……あるいは、強制ログアウトに助けられる可能性もあるというのに。


 そんなギルフォードをよそに、炫は再びブレイブドライバーを腰に装着する。この時、彼の脳裏にはアレクサンダーが残した言葉が残されていた。


『アバターが死亡してから、1分。そのタイムラグを経て、電磁パルスが我々の脳を殺す』


(……それならアレクサンダーさんのヘブンダイバーが、電磁パルスを発動させるまでの1分の間に……この世界のホストであるギルフォードを消滅させて、ゲームを強制終了させるしかない)


 この世界は、ギルフォードがホストとしてゲームを主導することにより形成されている。すでに彼はゲームマスターの権限を失っているが……それでも、元を辿ればゲームの主軸となる「ホスト」であることに違いはない。

 つまり、ゲームシェアリングの際にホストの通信が切れればゲーム自体が解散してしまうように……この世界自体を、ギルフォードの消滅に連動させて、消してしまうことも出来る。


 ――だがそれは、この世界でしか生きられないギルフォードを、完全に「抹殺」することを意味していた。

 ゲームに恋人を殺された自分が、今度はゲームで人を殺そうとしている。その罪深さを知りながら――なおも炫は、この決意を翻すことなく、ギルフォードと対峙していた。


「……強制ログアウトが作動するより先に、私を倒してゲーム自体を強制終了させる……ということですかな?」

「……外部が助けてくれるまでの間、アレクサンダーさんの脳が無事である保証は、ないからな」

「そうですか……ふふっ、いいでしょう。どうせ最期なのですから、気が済むまで……お好きなようになさい。あなたを『主役』に選んだのは、彼女・・が最も心を委ねている男性だった……というだけの理由でしたが。さすがは、この私が選定した『勇者』ですね」


 やがて炫の意図を読んだギルフォードは。圧倒的優位に立っているがゆえの余裕から、彼の決断を悠々と見つめている。

 あの世界の「姫君ユリアヌ」――伊犂江優璃に、心から愛されたが故に課せられた、「勇者」の宿命。その全てを背負う炫を映す眼は――狂気に歪み、嗤っていた。


 ――今さら何をしようと、自分には勝てないし逃げられない。なら、最期の抵抗というものを見届けてやるのも一興か。

 そんなギルフォードの驕りが、透けて見えるようだった。ディアボロトの仮面で貌は隠れていても、その態度が仕草に大きく現れている。


(アレクサンダーさん……ソフィア!)


 その様子を見遣る炫は。

 決意を固めるように、目の色を変える。人を救うために、人を殺す。矛盾に満ちたそのエゴを、実行するために。


「……!?」


 必ずやり遂げる。その覚悟が生む殺気が、迸った時。

 元海兵隊の直感から、それを感知したギルフォードは初めて、頬に汗を伝せた。


「……ッ!」


 ――そんな彼と、鋭い視線を交わして。炫は、右手を額に当て……そこから、キリストの作法に倣い十字を切る。

 かつてソフィアを天上へ送った神父が、葬儀の場でそうしていたように。


 そう。これは、意思表示だ。


 2年前から続いてきた、悪魔の研究に端を発する悲劇を終わらせ。ソフィアをはじめとする、犠牲者達の魂を鎮め。

 ――そしてこれより。アドルフ・ギルフォードを、天上に送るという。


「……発動ッ!」


「……!」


 そうして。ギルフォードに、死と冥福を祈るように……十字を切り終えた瞬間。炫は「変身」するためのボタンを押し、その全身を輝きの中に包み隠してしまった。


「……これが、最期のコンティニューだ」


 やがて。

 輝きの中から顕現した明晰夢のヒーローが、グランヘンダーを手にして……再び、ディアボロトの前に立ちはだかる。

 今までとは、まるで気迫が違うその立ち姿に――ギルフォードは、かつてない威圧感を覚えていた。


 そして、理解していた。

 この少年は、迅速に殺さねばならないと。


「……では、改めて。あなたの幕引きを、最高の悲劇で彩るとしましょうか」

「誰の幕も、あなたには引かせない。あなたの物語は……ここで終わりだッ!」


 やがてグランタロトとディアボロトは、逆巻く炎に囲まれながら、互いを近接戦闘の間合いで捉える。


 消滅が迫る電脳空間を舞台に。

 2人の「甲冑勇者」が今――雌雄を決しようとしていた。

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