第19話 創造主の破壊

 上段にグランヘンダーを構え、躙り寄るグランタロト。無謀な戦いに臨む英雄を前に、ディアボロト――ギルフォードは仮面の奥に嗤いを隠し。


「……面白い。どこまで、私の描く終末から逃れられるか……見せて頂きましょうか」

「逃げたりなんかしない。今この場で、叩き潰すッ!」

「……ッ!」


 鋭い眼差しで、彼を射抜く。元海兵隊の直感が、この少年を危険な存在として認識しているのだ。


 それを正解と告げるように。炫は素早い踏み込みから、一気にグランヘンダーを振り下ろした。先ほどまでより、さらに鋭さを増した斬撃が、ディアボロトに迫る。


「……!」

「――おぉおッ!」


 白い帝王は片腕一本でそれを凌ぎ、振り抜かれるはずだった剣を静止させる……が。炫はその反動を利用して体を半回転させ、ディアボロトの腹に後ろ足で蹴りを叩き込む。

 さらにその反作用を利用して、地を蹴るようにディアボロトの腹部を脚で押し込み、反撃が届かない距離を取った。


「……私のスーパーアーマーを利用する戦いに切り替えた、ということですか。しかし、いいのですか? そんなもたもたした戦い方では、1分などあっという間ですよ」

「……ッ!」


 だがギルフォードの言う通り、ヒット&アウェイの戦法では、自身に及ぶダメージを抑える事は出来ても、時間を大きく浪費することになる。

 ――うまくやれば、いつかはギルフォードに勝てるだろう。だがその時は、アレクサンダーの脳はとうに焼かれている。


 それを理解しているからこそ、一本取られた状況でありながら、ギルフォードは余裕を崩していないのだ。

 炫に、この手段を続けることは出来ない。必ず焦りから、調子を狂わせ隙を生む。その時こそ、待ち侘びた悲劇が訪れるのだ……と。


「私の間合いに入らないギリギリで戦えば、確かに勝機はあるかも知れません。しかし、それではアレクサンダー・パーネルは助からない。しかし私の間合いに入っても、痛覚5倍の拳を浴びるだけ……困りましたね?」

「……」


 どれほど勇んだところで、グランタロトに……飛香炫に勝機などありはしない。そう信じて疑わないギルフォードは、両手を広げて煽るように嗤う。

 そんな彼を前にした炫は、剣を下ろすと……暫し、物思いに耽るように目を伏せた。


(……近づかなければ、時間内に彼のHPを全損させることなんて、出来ない。全損させないと、アレクサンダーさんは助からない。……答えなら、分かっているじゃないか)


 そして。


 決意と共に、顔を上げると。


「……おぉおぉぉおぉおッ!」


 火を吐くが如き、雄叫びと共に。仮面に隠された瞳に、覚悟の色を灯して。炫はグランヘンダーを振り上げ、真っ向からディアボロトに猛進して行った。


「……ッ!?」


 先ほどまでの小細工を感じさせない、猪突猛進そのものといった姿勢。

 時間に追われるがゆえの焦りとも違う、その予測から外れた炫の攻勢に――ギルフォードは、かつてない程に瞠目していた。


「……シィッ!」


 だが正面から突っ込んできたなら、こちらも迎撃あるのみ。ディアボロトは白銀の拳を振るい、迫り来る臙脂色の鎧騎士を迎え撃つ。


「はぁああぁあッ!」


 炫はその剛拳から繰り出されるストレートを、紙一重でかわすと。命中させた後の回避など、まるで考えてない――渾身の一閃を叩きつけた。


「あなたも死にたいと……そういうことなのですねぇッ!?」


 その一撃と迫力に気圧されながらも、ギルフォードは狂ったように嗤い――懐に飛び込んできたグランタロトの顔面を、その鉄拳で撃ち抜いていく。


 如何に気迫が凄まじくとも、グランタロトとディアボロトの間には、スーパーアーマーのレベルという覆せない能力差がある。

 例えグランタロトが捨て身で攻撃に集中したとしても、その連撃が続くことはない。グランタロトが二撃目に入ると同時に、ディアボロトは怯むことなく反撃に移れるのだ。

 ゆえに自在にカウンターを放てる帝王の前では、グランタロトは長い間近づくことすら出来ない。連撃を仕掛けようとしても、その前に吹き飛ばされてしまうのだから。


 つまりたった今、ディアボロトのストレートを浴びたグランタロトは、5倍の痛覚を味わいながら間合いを離されることになる。

 その未来を確信し、ギルフォードはほくそ笑む……の、だが。


「ぐぁッ……ぉあぁああッ!」

「なッ……!?」


 次の瞬間には、グランタロトの二撃目が迫っていた。


 何が起きたか、理解が追いつかない。そんな表情を、仮面に隠したまま。ギルフォードは、その身に再び斬撃を浴びてしまった。

 痛覚を遮断している彼に痛みはない。そのうえ、上位のスーパーアーマーに守られたディアボロトのアバターは、全く怯んでいない。……しかしそれでも、ギルフォードの動揺は止まらなかった。


「ぉぉあぁああッ!」

(なんだ!? 何が起きた!? なぜ、なぜ、スーパーアーマーの性能で劣るグランタロトが、ディアボロトの攻撃に耐えられるのだ!? なぜ、なぜ吹き飛ばない!?)


 まるで、グランタロトもディアボロトと同等のスーパーアーマーを得たかのような現象。もしや、FBI解析班の干渉のせいで何らかのバグが発生したのか。

 ――そのように、ひたすら思考を巡らせている間も。殴られたはずのグランタロトは、懸命に剣を振るい続けていた。文字通り、一歩も引くことなく。


(……まずい! ダメージが!)


 とにかく、このまま一方的に攻撃を浴び続けるわけにはいかない。ギルフォードは再び白き剛拳を振るい、グランタロトを打ち据えた。


「がうァッ! ……うぉあぁああッ!」

「バ、バカな、こんな……!」


 ――だが。それでも、臙脂色の鎧騎士は動かない。吹き飛ばない。

 ディアボロトが、何度グランヘンダーで斬られても動じていないように。グランタロトもまた、何度殴られても引き下がることなく、剣を振るい続けていた。


 本来ならば一方的な戦いになるはずだった両者の対決は、いつしか超至近距離で互いの一撃をぶつけ合うインファイトへと発展している。


(バカな……ありえない! グランタロトが、ディアボロトと同等の土俵に立てるなどッ……!?)


 剣と拳の、絶え間ない応酬。繰り返される轟音、衝撃音。

 ――データ上のスペック差に基づくなら、決してあり得ないその状況を目の前にして、冷静さを欠いていた彼は……何十回と斬られた今になって、ようやく気がついた。


「ぐ……ぅぅうあッ!」

「……!」


 グランタロトは――炫は。


 左手でディアボロトの肩を掴み、その場に踏み止まっているのだ。


 彼は至近距離でディアボロトの拳を浴びながら、それでも一歩も引くことなく腕一本でしがみつき、ただひたすらにグランヘンダーを振るい続けていたのである。


(なっ……! こ、んなッ……!)


 自分を吹き飛ばす相手に掴まり、間合いを離させない。そうすればダメージを受け続けるリスクと引き換えに、こちらも矢継ぎ早に攻撃ができる。

 そんな至極単純な炫の「捨て身」を、ようやく理解したギルフォードは。これほど簡単で、無謀な戦い方に翻弄されていた事実に愕然とし。


「――このガキがァアァアァッ!」


 烈火の如き激昂が、衝き上がる。

 この現象のカラクリに気づくや否や、ギルフォードは手刀でグランタロトの左手を弾き――その胸に高速の拳を叩き込んだ。


「がッ……!」


 5倍の痛覚で幾度となく殴られ、それでも気力だけを頼りにしがみついていた炫だったが――左手を狙われては、長く掴まってはいられない。

 たまらず左手を離してしまったところに怒りの一撃を浴び、激しく吹き飛ばされてしまった。地を転がり、鎧の各部から火花が飛び散る。


「ぅ……がはッ……」


 力無く倒れ伏した彼だったが……震える両手で身を起こそうと、なおも足掻き続ける。その身に変調が訪れたのは、次の瞬間だった。


「……!」

「はっ……はははは! どうやら、あなたの奮闘も、ここで終幕のようですね! どれほど足掻こうとあなたは所詮、私の『劇』のために用意された『作り物』のヒーローに過ぎないッ!」


 全身が、半透明に点滅し始めたのである。HPの全損が近づいている証だ。

 散々に追い詰められていた反動からか、それを目の当たりにしてギルフォードは高笑いを上げる。その眼は自らの勝利を確信し、敗者を蔑む……「狂人」にすら劣る、「俗物」の色を湛えていた。


 ――だが。


「ははははははっ……は!?」


 仮面に隠された嗤いは、たちどころに消え去ってしまう。


 グランタロトだけでなく――ディアボロトの身体まで、点滅を始めたのだ。


「な、なぜだ!? なぜ私までッ!」


 自分の身に迫る消滅の危機。それを実感したギルフォードは、その理由をすぐには見出せずに頭を抱え、狼狽える。


(……ベリアンタイトの「大技」か! FBIの犬めがッ……!)


 だが、グランタロトに攻め立てられた時よりかは早く、彼は思考を巡らせ答えに辿り着く。

 ――ギルフォードは最上位のスーパーアーマーに胡座をかき、アレクサンダーの一撃を真っ向から受け。グランタロトの捨て身にたじろぎ、幾度となく斬り付けられた。


 痛覚を遮断し、あらゆる攻撃に仰け反らないディアボロトのスーパーアーマー。それは、装着者に「無敵」であると錯覚させる側面を持っている。

 自身は痛みを感じることなく、相手にのみ一方的な苦痛を与え。どれほど攻撃されても、自分の体はビクともしない。そんな状況が生む増長が、この事態を招いたのだ。


 ――「如何に高性能なスーパーアーマーであろうと、それは所詮『仰け反り』を解消するものでしかない」。


 アレクサンダーが、そう言っていたように。ディアボロトのスーパーアーマーは、ダメージそのものを無効化させているわけではなく。

 ただ、痛みという感覚を奪っているに過ぎないのだ。


(く……迂闊だった……! だが、点滅の速度はグランタロトの方が遥かに早い! この調子なら、先に力尽きるのは奴の方だ!)


 「死」に瀕した今になり、ようやくそれを理解したギルフォードは焦燥に駆られつつも、グランタロトの方を一瞥して平静を取り戻そうとする。

 HP全損が近ければ近いほど、アバターの点滅はより早くなっていく。ディアボロトを超える早さで点滅している炫のアバターは、徐々に「死」へと近づいていた。


 やはりアバターに与えるダメージ量そのものは、ディアボロトの方が上回っているのだ。痛覚5倍のスキルは攻撃力とは無関係であるため、例え痛覚5倍がなくとも結果は変わらなかっただろう。

 今の戦い方を続ければ、間違いなく炫が先に倒れることになる。だが、もう今の戦法以外にアレクサンダーを助ける手段はない。


「……はーッ、はッはッはァアッ! 詰んでいたのです。詰んでいたのですよ! あなた方は、最初からッ!」


「……」


「もう誰も、私すらも助かりはしない。全員が、何もかもが、美しい終幕を飾るのですよ……!」


 結果を通してみれば、ギルフォードの勝利は堅いのだろう。改めて勝利を確信した彼は、再び両手を大仰に広げて勝利を宣言する。

 一度の戦闘につき一発しか使えない「大技」がなくとも、基本スペックで上回っているなら負けることはない。


 そう、もう奇跡は起きない。

 勝敗が覆ることはない。


「ははは……ははははァはァッ!」


 そう信じて疑わない彼は、


『Third generation!! Ignition drive!!』


「……は」


 見過ごしていた。


 最後の気力を振り絞り、身を起こしたグランタロトが。ブレイブドライバーのボタンを押し込み……「大技」を発動していたことに。


 ――そう。この戦いの中で、グランタロトだけはまだ。


 一発限りの「大技」を、使っていないのだ。


「は、はは、はぁッ!?」


 一瞬でギルフォードから嗤いが消し飛び、ディアボロトの挙動が不自然なものになる。仮想世界の僭王は、今まさにその威光を剥がされようとしていた。

 ディアボロトの方がスペックで上回っているとはいえ、HP全損に近づいている今の状況で「大技」を喰らえば、どうなるか。そこまで理解が及んだ瞬間、ギルフォードはもう、普段の自分を保てなくなっていた。


「……」


 片膝立ちの姿勢から、グランタロトはゆっくりと立ち上がっていく。額の角に集まり行く電光は、迸るように彼の体を駆け巡り……やがて、右脚の一点に収束していった。


「ま、待て、待て飛香炫君! そこから動いてはいけないッ! 近づいてはッ!」

「……」


 両手を振り、脚を震わせ、ディアボロトは後退る。わなわなと消滅の恐怖に凍えるその様は、もはや「甲冑勇者」の王と呼ぶには程遠い。


「私が望んだ終末は! エンディングは! こんなものではない! こ、こんなものであってはならないッ!」

「アレクサンダー、さん……ソフィア……」


 ギルフォードの叫びは届かず。炫は譫言のように呟きながら、ゆっくりと前に歩いていく。その足元からは、紅い電光が己の力を持て余すように飛び散っていた。

 仮面に隠されたその眼は、永く続いた激痛の嵐により朦朧となっていたが――混濁した意識の中でもなお、倒すべき仇敵を追い続けている。


「やめろ、くる、な。来るな、飛香炫、来るなぁああぁあッ!」


 仮面を隔てて、その眼に宿る絶対の殺意を感じ取ったギルフォードは、やがて踵を返して逃げ出していく。

 マントに躓き、よたよたとふらつきながら。震える脚で、なんとか立ちながら。それは、王とは対極に等しい醜悪な姿であった。


「……おぉおぉあぁあぁあッ!」


 ――そして。命を燃やし尽くすが如く、雄叫びを上げて。

 炫は地を蹴り飛び上がると、逃げ惑うディアボロトに天誅を下すかのように。


「やめろぉおぉおぉあぁあぁあッ!」


 頭を抱え耳を塞ぎ、のたうつように走る僭王の背へ。電光を纏う飛び蹴りを、打ち込むのだった。


 絶叫と共に、ディアボロトの体が吹き飛んでいく。鎧の各部から火花を散らし、地を転げ回る彼は、情けない呻き声と共に……仮面と鎧を剥がされ、ただのアドルフ・ギルフォードとなっていった。


「あぁ、はぁあぁ……! 違う、違う違う、こんなはずでは……こんなはずではなかった! 私の物語は……英雄譚は、悲劇で終わらねばならないのに……!」


 変身を解除された老紳士は、半透明となった自分の手を見遣り……HPの全損を、否応なしに悟らされた。

 彼がそれを受け入れるのは容易ではない。だが絶対に、否定だけはできないのだ。

 この世界を創ったのは、彼自身なのだから。彼が自ら、己を創造主と称したように。


「なぜだ、なぜ誰も私を認めない!? 私はこんなにも……こんなにも! 美しい世界を築き上げたというのにッ! 世は、世は! 私だけの世界に閉じこもることすら許さないというのか!? 冥土の土産に、至高の物語を拝むことすらッ!」

「……」

「人は皆酔いしれた! 私の世界という夢の中で、幸せでいられたはずなのだ! 飛香炫! 君もその一人だろう!? なんとも……なんとも思わないのか! この私を、創造主を殺めることを!」


 だからこそ、他者を責めるしかなかったのだ。

 ギルフォードは消滅しかけている状態の中、地を這いずりグランタロトに迫る。炫はそんな彼を、憎しみとも哀しみともつかぬ眼差しで見下ろしていた。


「……思うさ。おかげで、悪い夢から覚めることができる」

「はっ……!?」

「――夢は、いつだって楽しくなくちゃいけない。それは、悲しいものであってはならない」


 炫はブレイブドライバーを腰から取り外し、変身を解除する。露わになったその素顔は、憂いの色を帯びていた。

 諸悪の根源を前にして、彼は憎しみに振り切ることもできず。ただ苦々しい面持ちのまま、背を向ける。


 ギルフォードが言う通り、自分も幻想の世界に酔いしれた者の一人でしかなく。そんな自分のために、大切な人を犠牲にしてしまったのだから。


(ソフィア……)


 炫はギルフォードを一瞥もせず、彼から視線を外して電脳空間の空を仰ぐ。その後ろでは――


「……ぁあ……あぁああ……! そんな……嫌だ! 私はまだ、誰にも……!」


 ――誰にも、そう、目の前にいる炫にすらも看取られることなく。全ての災厄を振りまいた男はただ独り、光の粒子と化していった。


 醒めなきゃいいんだ。夢なんて。


 そう願い、炫の背に伸ばされた手が、指先が、消えていく。かつて「少年」だった彼が、消されていく。

 そして炫が振り返った時には、もう――そこには、何もなかった・・・・・・


 ただ、自分を肯定してくれる世界が欲しかった。誰もが愛する勇者になりたかった、主人公になりたかった。

 それだけの男はもう、現実世界にも、仮想世界にもいない。


『ホストのデータが破損。フルダイブを強制終了します』


 その直後。強制ログアウトが始まった瞬間と同じ、無機質な音声がこの場に響き渡る。だが、その内容はあの時とは違うものだった。

 ――それはこのログアウトが、FBI解析班によるハッキングとは別の・・・強制力によるものという証。


「……」


 アナウンスを耳にして、炫はアレクサンダーが居た場所を一瞥する。果たして、自分は間に合ったのだろうか。そう、問いかけるかのように。

 そんな答えなど、この夢から覚めねばわかるはずもないと、知りながら。


「ソフィア……ごめん、ごめんな」


 もし、駄目だったら。そんな考えが過ると、そう呟いてしまう。

 ――炫は、そのような自分を嘲るように笑いながら。眩い輝きの中に消えて行き……やがて。


 この世界と共に。仮想空間から、その姿を消し去るのだった。


 ◇


「あっ……!?」


 ――そして。次に目が醒め、視界に「景色」が映る時。

 炫の眼前には、こちらを覗き込む絶世の美少女。突如眠りから覚めた想い人と視線が交わり、彼女――伊犂江優璃は暫し目を剥き呆然となる。

 それは、彼女の隣で目覚めを祈り続けていた蟻田利佐子も同様だった。周囲のクラスメート達や教師陣も、炫に注目している。


「あ、すか……君……」

「飛香さん……!」

「……」


 そんな彼らと、瞬きする間も惜しむようにこちらを凝視する優璃を見遣り。炫は、自分があの世界から目覚めたことを悟る。

 ――ユリアヌとネクサリーは、自分を飛香と呼んだ。そう、彼女達はもうNPCなどではない。伊犂江優璃と、蟻田利佐子なのだと。


(真殿君、信太、俊史、みんな……)


 そんな彼女達を含む、先にログアウトを果たした人々。その顔触れの中から、炫はあの世界で共に戦った仲間達を見つけた。

 ――そして。もう、あの世界で知り合ったユリアヌやネクサリー、テイガートに会うことはないのだと、理解する。


(……でも)


 しかし、悲しみは無い。今ここにいる彼女達は、あの時共に戦った彼女達は、確かに生きている。あのデスゲームから、共に生き延びているのだから。

 そう。炫達は全員、誰一人欠けることなく、あの世界から帰ってくることができたのだ。だからきっと、悲しくなどないのだと――炫は信じていた。


「あ、あぁああっ……! 飛香君っ……飛香君、飛香君っ……!」

「飛香さんっ……! よかった……!」

「や、やった! やっと炫が起きたぞ!」

「やったんだねっ! これで全員生還なんだねっ!」


 ――その一方。炫が目覚めたことに、ようやく思考が追いついた優璃は、止めどなく涙を溢れさせ、想い人にしがみつく。利佐子も胸に手を当て、感涙を頬に伝わせていた。

 そうして、学園のアイドル達が肩を震わせている後ろでは、信太や俊史が歓声を上げていた。周囲のクラスメート達も、一人も死者が出ずに済んだことに安堵するように、表情を緩める。宗生は……まだ伸びていた。


「……全く。いつもいつも、伊犂江さんを困らせる奴だ……」

「そういうあなたも、気が気でなかったようだけど?」

「あ、あいつに何かあった時の伊犂江さんが気掛かりだっただけです」


 あれほど炫を毛嫌いしていた大雅も、心底安心したような面持ちだ。その様子を睦都実に指摘された途端、眉をへの字に曲げる彼の貌は……微かに、照れの色が滲んでいる。


「……」


 そんな彼らを一瞥する炫は。

 永い眠りから覚め、一足先に冒険を終えた彼らに向け、微笑を浮かべた。


「……ただいま、みんな」


 誰に向けたわけでもなく、ただ独り言のように呟かれた、その言葉は。優璃の嗚咽や信太達の歓声に掻き消されていく。


「……うんっ」


 だが、それでも。最も彼のそばにいた優璃だけは、しっかりと聞き取っていたようだ。

 彼の胸元に顔を埋め、啜り泣きながらも。彼女は炫の言葉に頷くように、頭を擦り付けていた。


 そんな彼女を見つめ、炫の胸中にようやく実感が生まれる。もう、あの夢は終わったのだと。


 ――そして。


 夢の世界に囚われたお姫様を助けに行く、勇敢な少年のおとぎ話が。その幕を、下ろした。


 ◇


「……どうだ、彼の様子は」

「間違いありません。彼は、覚えて・・・いますね」


 炫の覚醒に沸き立つ病室。その空間を遠巻きに眺めるキッド・アーヴィングの隣には――患者服に袖を通した、オールバックの青年が佇んでいた。

 壁に背を預け、腕を組む彼……アレクサンダー・パーネルは、キッドの報告を聞くと憂いを帯びた表情を浮かべる。


「彼には、辛い記憶を残してしまったな」

「ギルフォードを消滅させたあの子の影響で、解析班のハッキングが完了する前にログアウトしてしまいましたからね。ログアウト対象の記憶を抹消――という、我々のプログラムには引っかからなかったのでしょう」

「我々に頼らず別の手段でログアウトしたんだ、当然だろう。……尤も、私はそのおかげで命拾いしたわけだが」


 自嘲するようにほくそ笑み、アレクサンダーは親友達に揉みくちゃにされている炫を、ただ静かに見つめる。穏やかな笑みを浮かべる彼の貌は、憑き物が落ちたかのようだった。


(ギルフォードを斃し、仇を討ったことで心が安らいだか。……そうだ、君はそれでいい)


 自分を除いてただ一人、妹を愛してくれた少年。いつかは弟になっていたかも知れない彼を、アレクサンダーは慈しむような眼で見つめていた。


「あなたのアバター……『オーヴェル』の死亡から、約57秒。解析班の干渉では、あと2分は必要でした。……奇跡と言う他に、言いようがありませんね」

「結局、あの子がいなければ民間人全員の生還も、私の脱出も不可能だったということか。……ふふ、これをどう上に報告したものかな」

「しかし、彼の処遇はどうしますか? ……必要なら、強制的に記憶を消去することも出来ますが……」


 そんなアレクサンダーと向き合いつつ、キッドは消え入りそうな声で……炫の記憶の消去を提案する。だが、アレクサンダーは優しげな面持ちのまま首を振った。


「その必要はない。彼は私のアバターが死亡した後、1分以内にギルフォードを消滅させて脱出した。その事情聴取をせねばなるまい。あの状況でいかに、あの『王』を破ったのか……」

「えぇ。俺も、大いに興味がありますよ。プロゲーマーにしかわからないVR戦術……でしょうか」

「さぁな。……どの道、君に彼の記憶の抹消などさせられんよ。そんな汚れ役はな」

「……お心遣いに感謝します」


 それが、彼なりの優しさであることは、キッドにもよくわかっていた。深々と頭を下げる彼にも微笑を送り――アレクサンダーは、遠い何処かを見つめるように、視線を窓の向こうに広がる青空に向ける。


「それに……まだ、彼から『答え』を聞いていないことだしな」


 ――現実の世界に広がる、本当の青空を。


 ◇


 それから1ヶ月が過ぎた、2037年6月。


 アレクサンダー・パーネルは、FBI捜査官の職を辞することとなるのだが……その時の炫には、知る由もなかった。

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