Darkness spirits Online

オリーブドラブ

紅殻勇者グランタロト

第0話 おとぎ話と罪の始まり

 視界の全てを蒼く包み込む、幻夢の世界。夢か現か、それは当人達にすら定かではない。

 確かなのは今、眼前に立つ仮面の男が――敵を狩る為の刃を向けている、ということだけだ。


 先に仕掛けてきた彼の者は、躊躇うことなく相手の首を狙う。お互い長い付き合い・・・・・・だというのに、その切っ先にはまるで迷いがない。

 しかしそれは、相手にとっても同じこと。仮面の男達は、互いの顔を隠したまま刃を向け合い――その先端を、双方の胸に沈める。


 鋭い痛みは、「命中」した箇所を中心に全身へと広がり、意識を混濁させていく。本来なら、今すぐにでも中断して集中治療室に行かねばならないところだ。


 ――だが、彼らは止まらない。今この瞬間に、自分達が死に瀕していると知りながら。

 2人は強引に刃を抜き合い、互いにとどめを刺そうとする。これはもはや「訓練」であり、「訓練」ではない。

 幻夢の中で「死」を知る為に生み出された、命の「遊戯ゲーム」なのである。


 より相手を迅速かつ確実に、死へと追いやることを競う、遊戯。その狂宴に酔う仮面の男達は、視界が歪むほどの激痛に晒されながらも――血の流れない体を傷つけ合い、やがて斃れて行く。

 そこでようやく、遊戯は幕を下ろすのだ。自身を襲う痛みと冷たさが、眼と鼻の先に迫る「死」を実感させ、彼らに命の終わりを教示する。


 ――それが。人を惑わせる夢の世界で見た、彼らの「最期」であった。


 ◇


「……なるほど、やはり数値には多少ながら変化が現れているようですね。ただ顔を隠しただけで、やることは何も変わらないというのに……不思議なものです」

「博士、まだ実験を続けるおつもりですか。すでに何人かは、精神病棟から離れられなくなっているのですよ」

「おや。崇高なる理念を掲げておられるこの国の兵士は、こんな実験にも耐えられないのですかな。これは普段、あなた方が練習・・されていたことでしょう」


 傷ひとつない・・・・・・体で眠る、2人の兵士。先程まで苛烈な殺し合いを繰り返していた彼らを、白衣の老人は冷酷に見下ろしていた。

 そんな彼の隣に立つ部下は、上司の眼にただらならぬ狂気を覚え――口元を歪めている。


「……VR訓練に現実感リアリティを持たせる為の『痛み・・』を導入する。それはまだ分かります。ですが、顔を隠し合うことに何の意味が?」

「大尉殿ならご存知でしょう。PTSD――心的外傷後ストレス障害。兵士が戦場でこの病を患う原因は、殺害対象となる敵との距離感が絡んでいます。顔が見えるほどの近さに立つ歩兵は、殺す相手がよく見えてしまう」

「……」

「そこで考案されたのが、殺害対象の顔を見えなくするシステムを作ることで、現場の兵士の心を救うというものです。これは命懸けで戦場に立つ仲間達の為に、必ず必要となることでしょう。そしてその実用性を立証する為には、それ相応のデータが必要なのですよ。どこまで遮断すれば、人は壊れることなく人を殺せるのか。顔か、声か、臭いか……という、ね」


 現場の為と言えば、尤もらしく聞こえなくもない。が、その為に「博士」が繰り返しているのは、データを集める為と称しての「殺し合い」であった。

 同じ訓練を潜り抜け、同じ釜の飯を食い、同じ日々を過ごしてきた、仲間達同士による。


「……今に夢か現か、分からなくなる時が来ますよ」

「すでにそうでしょう。そうでなくては肉体的に死ぬこともなく、死を体験出来る訓練を作った意味がありません。……ほら」


 その事実に胸を痛める「大尉」に対し、博士は無邪気な眼差しで2人の兵士達を見遣る。VR世界でリアルな死を経験し、身動きひとつ取れなくなっていたはずの彼らは――再び戦い始めたのか、身体を無意識のうちに揺らしていた。


「ご覧ください。彼らは祖国の為、家族の為、仲間の為。身を粉にして働き、尽くしてくれていますよ」

「……」


 今見えている世界が、現実なのか夢なのか。それすらも分からなくなり、夢幻の虜と成り果てた部下達は、絶えず博士の意のままに殺し合う。VRという、本当には死なないというだけの世界で。

 ――これは、訓練なのか。そんな胸中が命じるままに、大尉は2人の脳を縛るヘッドギアを外そうとする。


「それがどういうことかも、お分かりのはずでは?」

「……っ」


 だが、強引にVR世界との繋がりを絶てば、脳への負担がより激しくなる。その衝撃に伴う脳髄部への損傷は、未知数だった。

 大尉は意識がないにも拘らず、向こう側・・・・での激痛故に身をよじらせる部下達を、ただ見守るしかない。

 そんな彼の背を眺める博士は、嗤い――その傍らに寄り添う。


「なに……どうせ、仮想世界でのこと。何も心配は要りませんよ、何も、ね」


 その白々しい言葉は。これから始まる・・・災厄を――仮想と現実の境界を失った兵士達による、こちら側・・・・での殺し合いを、予期しているかのようであった。

 余りにリアル過ぎるVRはもはや、仮想世界ではなく――いわば、もう一つの現実世界。そこで繰り返して来たことはもう、止まらないところまで来ていたのだ。


 VR訓練などという世界の隔たりさえも越えてしまう、正真正銘の「死」へと。


 ◇


 ――2027年。私達が過ごしている今の時代より、少しばかり未来の出来事。

 豪華絢爛、その一言に尽きる一室のベッドで、1人の幼い少女が横たわっていた。すでに夜の帳は下りているというのに、彼女は眠りにつくことが出来ないのか……目尻に涙を浮かべ、枕にしがみつき肩を震わせている。

 そんな彼女の傍らでは、体格の良い父親が椅子に腰掛け、愛娘の手を握っていた。


「パパ……怖いよ」

「……また悪い夢を見たんだな、優璃ゆり。大丈夫だ、パパがついている」


 可憐に咲き乱れる、純白の花々で彩られたこの部屋に――幼気な少女の啜り泣く声が、絶えず響いている。手を握る父は、見た目に反した優しげな声色で娘を励ましていた。

 だが、少女の不安は拭えない。彼女の涙が止まらない理由は、絶えず脳裏を過る「悪夢」にあった。


「だって……夢の中に行ったら、みんな死んじゃうんだもん。ゆりのお友達、夢の中でどんどんおかしくなって……いっぱいけんかして、ひどいこと言ったりしたりして、最後は……みんな……」

「心配することはない。確かに夢の中ではそうかも知れないが、目が覚めたらみんないつも通りじゃないか。夢は、あくまで夢だ。優璃のお友達は、誰も傷ついてはいない」

「でも! ゆり、知ってるんだよ。まさゆめ、っていうのがあるんでしょ? もしかしたら、いつか本当にみんな死んじゃうかも知れないんだよ!? やだよ、そんなのやだぁ!」


 例え今が夢でしかなくとも、それが現実にならない保証はない。そんな不安が鎌首をもたげるたび、彼女はこうして泣き噦るようになっていた。

 大切な友達が、夢の世界でいがみ合い、傷付け合う。そんな夢を頻繁に見てしまったことが、幼い心を焦燥と恐怖へと駆り立てていたのだ。


「……仕方ないな。眠れないなら、絵本を読んであげよう」

「ぅっ……ぐずっ……」

「きっと、優璃に元気をくれる。素敵なお話が、あるんだ」


 そんな愛娘の姿を、痛ましい表情で暫し見つめ――父は傍らの袋から、一冊の絵本を抜き出して来た。今日買ったばかりの、新作である。

 今まで読んだことのない本が目に入り、暗く淀み始めていた娘の瞳は、微かな光を取り戻す。


「きっとこのお話を読めば、悪夢なんて怖くなくなるさ。このお話の勇者様が、きっと優璃を助けてくれる」

「勇者、様? 本当?」

「あぁ、本当だとも。この話はな――」


 その輝きを、確かなものに変えるため。父は悪夢に苦しむ娘のために買って来た、その絵本を朗読し始める。


 それは。


 夢の世界に囚われたお姫様を助けに行く、勇敢な少年のおとぎ話だった。


 ◇


 ――2035年。私達が暮らしているこの国から、遥か遠く。海を隔てた、異国の地で。


 ある少年が……少女の骸を抱いていた。


「う、ぅ……ぁあ、あ……」


 ウェーブのかかった、ブロンドのセミロング。

 艶やかなその髪を撫で、動かなくなった彼女を抱く少年は、嗚咽を漏らし、荒れ果てた部屋の中にその声を響かせる。踏み荒らされた花々と、真紅・・を滲ませた1冊の絵本・・が、彼の荒んだ胸中を物語っているかのようだ。

 少女の身体は、まだ暖かい。ほんの数分前までは、息をしていたのだろう。まるで、生きているかのような温もりだった。


「ソフィア……! ごめん、ごめん……!」


 もう決して届くことはない。そうと知りながら、少年は啜り泣くように少女へ謝罪する。彼女はそれに対し、怒ることも悲しむこともなく、ただ静かに眠り続けていた。


 少女の額から伝う紅い雫が、少年の腕を伝い床へと滴り落ちていく。彼の嗚咽が止まった時、この場に響くのはその水音のみとなるのだろう。

 微かなその音を掻き消す少年の慟哭だけが、今はこの部屋に轟いている。声が枯れるほどに泣き叫んだとしても、全ては出遅れだというのに。


「……オレは、こんな……こんなことのためじゃあ……!」


 黒髪を振り乱し、少年は懺悔する。だが、もう遅い。

 何よりも守りたかった人を、死に追いやった彼にはもう、現実から目を背ける資格すらなかった。


 ――彼は。彼女の、全てを奪ってしまったのだから。


 「夢の世界」での、「殺戮」の果てに。


 ◇


 ――少女の葬儀に参列した遺族は、多いものとは言えなかった。

 元々病弱で友人も少なく、親族からも疎まれていた彼女には「味方」すらいなかったのである。


 草原の中に広がる墓地の中で、喪に服し少女に花を捧ぐ。その葬いの中で、少年は光を失った瞳で――愛した彼女の、寝顔を見下ろしていた。

 白く穢れのない、百合の花。生前の彼女が愛した、その花々が今、棺の中に眠る彼女を華やかに彩っている。彼女の骸が向かう先には、「Sophia Parnell」の名を刻む墓標が建てられていた。


「……別れは、済ませたかい」


 少年の傍に、老境の神父が寄り添う。優しげに頬を緩め、少年の頭を抱き寄せる彼は、愛おしげに少女を見つめていた。


「……私は、昔からこの子のことをよく知っていてね。友達が欲しい、友達が欲しいと、小さな頃から神様に願い続けていたのを覚えているよ」

「……」

「この子にとって、君は天使だったのだろうね。自分を愛してくれる、たった1人の男の子。そんな子を、好きにならないはずがない」


 唇を噛み締め、肩を震わせる黒髪の少年。神父はそんな彼の頬を、静かに撫でながら――幼子をあやすように語り掛ける。


「私も、君のことを愛しているよ。この子の希望になってくれた、君をね。だから私は、君自身にも君のことを愛してあげて欲しい」

「……オレは、ソフィアを殺したんです。神父様。そんなの……できっこない」

「出来るとも。……例え、海を隔てても。私も、彼女も、いつまでも君のことを見守っているよ」


 やがて神父は棺の前に立つと、天上への旅立ちを祈るように――十字を切る。その背中を見つめる少年は、嗚咽が漏れだしそうな口元を噛み締めながら、拳を震わせていた。握り締められたその掌から、鮮血が滴り落ちる。


 ――自分は、取り返しのつかないことをしたのだと。そう自分を責め立て、傷付けるかのように。




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