第14話 外界からの異物

 突如として現れた老紳士。

 あの時以来となる再会に、炫は訝しげな視線を向ける。ユリアヌ達は魔獣という伝承から懸け離れた存在の登場に、戸惑いを隠せない。


「あ、あいつは何者だ……!? ベリアンセイバーから現れたようにも見えたが……!」

「魔獣、じゃない……? でも、なんだろう……すごく、嫌な予感がするよ」

「ヒカルさん、気をつけてください!」


 ネクサリーの声に反応する余裕もなく、炫は仮面越しに視線を交わす老紳士に問い掛ける。


「あなたは……一体、誰なんだ。NPCではないな。この世界の何なんだ!?」

「先日、申し上げたでしょう。単なる水先案内人ですよ。……まぁ、あなた方の視点に立つならば、さしずめゲームマスター……と言ったところでしょうか」

「ゲームマスター……!」


 ――ゲームマスター。つまりこのゲーム、ひいてはこの世界そのものの主導権を握る絶対の存在。

 自らをそう称する老紳士の言葉に、炫は瞠目し、警戒を露わにする。


 自分達を洗脳し、このようなゲームに参加させる。そこに一体、何の目的があるというのか。


「もっとも。私はそんなつまらない存在として、この世界を終わらせるつもりはありませんがね」

「……!?」

「この世界と、君が紡いだ不殺の物語は――最高のアートであり。私は、それを創り上げたアーティストとなる」


 炫から視線を外した老紳士は、天を仰ぎ両手を広げる。ここではない、遠い世界を見ているような彼の眼は、ヒトの理解を超えた狂気の色を帯びていた。


「ここまでの協力に、深く御礼申し上げます。おかげさまで、最期にいいものを見ることができましたよ」

「なにを言って……!」

「今日に至るまで戦い抜いたご褒美です。君達を、元の世界に返してあげましょう」

「……!?」


 ――すると。

 老紳士はギョロリと眼を動かし、炫を射抜き。片手を翳し、何かを操作するように指を動かした。


 その直後。炫の目の前に、立体メニューバーが現れる。そのバーには、「ログアウトしますか?」という表記が映されていた。


(これは……!)


 「DSO」と全く同じ、VR世界から目覚めるためのコマンド。それを目にして、炫は思わず息を飲む。

 「はい」と「いいえ」の二つに別れた、選択肢。そのうちの一つを選べば、自分は元の世界に帰ることができる。老紳士の言葉を信じるなら、ユリアヌ――優璃達も。


「どうしました? あなたが何より望まれていた、ログアウトの瞬間ですよ」

「……っ」


 だが。本当にこれを押してもいいのか。何らかの、罠ではないのか。

 こんなゲームを作るような相手が、素直に自分達を帰すのか。


 そんな疑問が浮かび、鎌首をもたげる。しかし……そうであったとして、自分に選択肢などあるだろうか。

 ここで「いいえ」を選んで老紳士を拒絶したとして。自力でログアウトする方法が――みんなを助ける方法が見つかるだろうか。一介のプレイヤーでしかない、自分が。


(……オレは……)


 そこまで考えたところで。炫は指先を震わせて、眼前の立体メニューバーを凝視する。もはや……いや、はじめから。彼には、選択肢などなかったのである。

 罠であろうと、そうでなかろうと。この世界に来た時点で、炫にはこうするしかなかったのだ。


(頼む……どうか、どうか……!)


 そう諦めるように、彼は「はい」のタッチパネルに指先を伸ばしていく。罠ではない、という絶望的な可能性に賭けて。


「待てッ!」


「……!」


 その時だった。それまで事態の推移を見守るだけだったオーヴェルが、突如声を上げて炫を見据える。

 彼の碧い瞳は、真摯な眼差しで炫の仮面を射抜き――「はい」に触れかけた指先を、すんでのところで止めさせていた。


 グランタロトの仮面からでも伝わる、強い意志の宿った眼光。それを目の当たりにして、炫は思わず指を引っ込めてしまう。

 老紳士はそんな彼を一瞥すると、冷酷な眼差しでオーヴェルを見下ろした。


「……やはり。『異物』はあなたでしたか。道理で、何かおかしいと思っていたのですよ」

「……貴様は、所詮独り。単独でゲームを全て監視するには、限界があったようだな」


 忌々しげに睨む老紳士に対し、オーヴェルは床に伏せたまま不敵に笑う。そんな彼を見据えながら、老紳士が何かをしようと片手を振り上げた――その時。


「ぬっ……!?」

「……来たか!」


 眩い光が、この場――いや、イリアルダ邸そのものを包み込み。炫達の視界が、ホワイトアウトし始めた。

 この現象は老紳士の仕業ではないらしく、彼も目を抑えて苦悶の声を漏らしている。今の状況を理解しているのは、オーヴェルだけのようだった。


「なん……だッ!?」


 何も見えなくなっていく。何も聞こえなくなっていく。

 まるで、自分そのものが消えて無くなっていくような……そんな感覚が炫を、炫達を襲っていた。


 ――そして。


『外部からの強制アクセスにより、本ゲームはシャットダウンされます。繰り返します。本ゲームは、シャットダウンされます』


 無機質な音声が、聴覚を通して脳に響いた瞬間。

 炫は、己の意識さえも失うのだった。


 ◇


 ――それから、どれほどの時が過ぎたのか。


「……なッ!?」


 炫が次に目を覚ました時。

 彼を取り巻く世界の景色は、すでに「DSO」のものではなくなっていた。その時にはグランタロトに変身していた体も、元の生身に戻っている。


 透明で、碧い床。六角形のラインを描き、果てしなく広がるその地平線は――いわゆる、電脳空間のものであった。


(……ここは、まさか……!)


 僅かな光明すら見えない暗黒の空。無機質な空気感。「DSO」の世界で感じていた自然の匂いすら、消え去った「無」の牢獄。


「ようやく目覚めたな」

「……あなたはッ!」


 そんな世界に来てしまった炫の前には、背を向けて立つオーヴェルの姿があった。彼は炫の方には見向きもしないまま、片手で立体メニューバーを操作し続けている。

 ――だが、そのバーには炫にも見覚えがない表記が幾つも並んでいて、何を操作しているのかがまるで読めない。英文のようだが、炫が読み取る前に次々と流されてしまっている。

 少なくとも、「DSO」のメニューバーではないようだ。ということは、ここはやはり、先程までいた「DSO」の世界ではない、ということなのか。


「心配はいらない。ここは『ログアウト待ち』のプレイヤーを保護するための『インターフェース・エリア』だ。君もよく知っているだろう」

「……!」


 思考を巡らせる炫に対し、オーヴェルはある言葉を口にする。その単語を耳にして、炫はここがどのような空間であるかを悟った。


 ――インターフェース・エリア。

 「ヘブンダイバー」に搭載されている電脳空間であり、プレイヤーの意識をゲーム世界に転送するまでの中継地点に相当する。

 プレイヤーはこの空間で、キャラクターメイキングやアカウントの管理など、ゲーム世界に行くまでの準備を整える。そこに今、自分とオーヴェルが転送されている状態なのだ。


「なんでオレ達がここに……!? あの時、ログアウトボタンは押してなかったはずだ! それに皆は……!?」

「問題ない。外部からのアクセスによる『DSO』の強制ログアウトは、すでに成功している。君の友人達も、このゲームに巻き込まれた他の乗員乗客も、じきに悪夢から醒めるだろう」

「なんだって……!?」


 そこまで思考を巡らせたところへ、オーヴェルの口から「強制ログアウト」という言葉が告げられる。

 ――つまり。今もログアウトされていないのは、自分達二人だけだというのだろうか。他の人々は……優璃達は、あの世界から抜け出せたのか。

 次々と告げられて行く情報に、炫はただ瞠目するばかりだった。


「君も私も、『甲冑勇者』であることから、ある程度は自衛できると判断されたのだろう。一度に全員をログアウトさせると、サーバーが負荷に耐えられない。だから……『奴』から身を守れないNPC化された被害者達から、優先的にログアウトされているというわけだな」

「さっきから何を言ってる……!?」

「……あぁ、済まない。申し遅れたな。こうなった以上、もはや正体を隠す必要もないだろう」


 そんな彼に、オーヴェルは振り返り――碧く、どこか儚げな眼差しを向けてくる。その瞳に既視感を覚えた炫は、


「私はFBIサイバー犯罪捜査官のアレクサンダー・パーネル。このゲームから君達を救出するために潜伏していた。……君と同じ、『奴』に洗脳されていない者としてね」

「……パーネル!?」


 次の瞬間に、感じ続けてきた違和感の実態へ辿り着くのだった。

 オーヴェル――こと、アレクサンダーの「名字」に反応する炫を見つめ、彼は物憂げな表情を浮かべる。


「そうだ。妹が……『ソフィア』が、世話になったな。飛香炫君」


 その眼の色を見遣り、炫は口元を震わせる。「ソフィア」という名前を出した彼の「正体」は、かつてない衝撃を齎していた。


 ――彼は。FBI捜査官だという、アレクサンダーは。


 今は亡き飛香炫の恋人、ソフィア・パーネルの兄だったのである。

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