第7話 月夜の逢瀬

 闇夜に包まれた森の中、焚火の放つ光が木々の幹を明るく照らし出す。

 そこにもたれ掛かるのは、一人の少年。


「……んっ」


 赤い服の上に簡素な軽鎧を纏うその少年――炫は、ふと居眠りから目を覚まし、辺りを見渡す。


「……しまった、ついうたた寝を……」


 自分を雇った若い騎士は疲れが溜まっているのか、ぐっすりと夢の中に引き込まれていた。


「……!?」


 だが、もう一人――彼にとってかけがえのない「クラスメート」である少女の姿が見えない。

 それは勿論のこと……予期していた事態が発生しなかった・・・・・・・ことにも、炫は眉を潜めていた。


(……妙だ。「DSO」なら、この日の夜に野盗達が襲ってきて、テイガートやネクサリーを起こして戦う「イベント戦闘」があるはず。だが……出現の時間になっても、野盗達の影も形もない。野盗に「キャスティング」された人の影響によるものなのか……)


 ――「DSO」シナリオモードにおける炫の経験則では、この深夜の時間から野盗達の襲撃を受け、テイガートやネクサリーと共闘する強制戦闘があるはずだった。

 しかし、その時刻を迎えても野盗達は全く現れない。同時に、「何が起きるかわからない」という不確定要素が、炫の背に重くのしかかる。


(野盗達が現れない。なぜかネクサリー……蟻田さんもいない。……まさか……)


 テイガートやネクサリーのように、この世界のキャラクターとして「キャスティング」されている者達は、NPCとして操られる一方で、本来の人格による影響を僅かながらキャラクターに及ぼしている。

 野盗役にキャスティングされた人間が善良な人格であり、襲撃を取り止める。そんなこともあり得るし――悪辣な人格に影響され、野盗達が「DSO」よりも外道な手段に出ることもあり得るのだ。


 ――例えば。眠っている間にネクサリーを攫い……。


(……!?)


 そこまで考えが及んだ瞬間。そう遠くない場所から何かの物音を耳にした。

 炫は剣の鞘を握り、その場所へ向かう。


(……蟻田さん!)


 ◇


「はぁ……」


 その頃、月夜に照らされた水辺には、一人の少女が生まれたままの姿で佇んでいた。あることで思い悩む彼女は、短くため息を零す。


 彼女の持つ、やや小柄でありながら女性らしい滑らかな曲線を描いた肢体に、いくつもの水滴が滴り落ちる。


 その身体は幼さを残していながら、えもいわれぬ艶かしさを放っていた。

 彼女――ネクサリー・ニーチェスは、偶然見つけたこの水辺で身を清めつつ。初対面であり、面識などないはずの炫のことを思い返していた。


(ヒカル……さん)


 優しげな顔立ちや、柔らかな物腰。自分に向けられた、安堵するような笑顔。脳裏に過る彼の姿が、ネクサリーの胸中を擽る。


(でも、私達……)


 だが。何よりも気にかかるのは、そんな彼のことが今日会ったばかりの相手だとは思えないことだった。


 炫と顔を合わせた時。まるで、何日も一緒に過ごして来た大切な相手と再会できたような……そんな、胸を打つ多幸感があった。


 しかし、あんな少年は自分の知り合いにはいないはず。彼自身も、あくまで初対面として自分に対応していた。

 だが、自分も彼も。どこかで、「再会」を喜びあっているかのようだった。

 再会も何も、会ったことすらないはずなのに。


(……私達は……)


 今日一日中歩き続け、この森の中で一夜を明かすようになった今まで。ネクサリーは炫と何度も語らい合い、親交を深めていた。


 その交流の中で彼女は、炫と過ごす時間というものに、言い知れぬ心地よさを覚えていた。……もしかしたら。恋人ができれば、こんな気持ちになるのかも知れない。

 ――そんな、幸せなようで。もう一人の大切な誰かを裏切っているような、身に覚えのない罪悪感が、ちくりと胸を刺す。不思議な感覚だった。


 気がついた時には既に日が暮れていて、自分達一行のリーダーであるテイガート・デュネイオンの指示により、今日はこの森で野宿となり。

 明日中に町に到着することを予定としつつ、今日は休むこととなった。


 ――それから、炫のことでなかなか寝付けず……気づけば、ここで思考を整理しようと、水浴びに興じていた。


 得体の知れない罪悪感に苛まれている間にテイガートは眠ってしまい、炫も「見張りをする」といい、木の上で一休みしている。

 今の間に、一度頭を冷やそうと考えたのだ。


 そして、現在に至る。


「もしかして、前世では恋人同士だったりして……はは、なんちゃって」


 やがて。そう独り言を紡ごうとした、時だった。


「ネクサリー!?」

「……え?」


 聞き覚えのある――いや、むしろ忘れるはずのない声。

 振り返った先には、物々しい形相で剣を握る、赤い服を着た少年が立っていた。


 艶やかな黒髪に、クリッとした瞳。中性的であり、どこかもの鬱げな影のある面持ち。

 そう、ネクサリーが今まさに夢想していた、炫本人だった。


「よかった……! ここにいたのか! 急に姿が見えなくなったから、てっきり野盗達に――ブファア!」


 一糸纏わぬネクサリーの裸身を前に、真相に辿り着いた炫は穏やかな表情で胸を撫で下ろす――が。

 乙女の問答無用かつ条件反射的キックの前には、言い終える猶予すら与えられなかった。


 ◇


 しばらく気絶していた炫が目を覚ました頃には、ネクサリーは既に体を拭いて騎士の鎧を着ていた。


「全く! ヒカルさんったらホントにホントにえ、えっちなんですから!」

「悪かったよ。ほら、急にいなくなっちゃったからさ」

「それはっ! ……そうですけど……」


 頬を膨らませてプンプンと怒りを表現したつもりでいたネクサリーだったが、どうも炫から見ると迫力に欠けるらしい。

 怒られている本人は覗きの罪悪感よりも、彼女が無事だったという喜びの方が大きいらしく、苦笑いするばかりだ。


(もう、全く……でも)


 それからしばらくした後、ネクサリーはぷりぷりと怒りながらも――神妙に、彼の横顔を見つめながら、帰路につく。

 隣を歩く彼の、優しげな眼差し。どこか見覚えのある、その瞳の奥を。


(なんだろう……この、感じ。変だよ……私)


 ――胸を突く心地よさ。温もり。罪悪感。どれも身に覚えのない感情であり、それら全てが炫に向かっている。

 その言い知れぬ感覚に、ネクサリーはただ、戸惑う。自分の中で眠る、本当の人格の存在を、知る由もなく。


 ◇


「……」


 ――そんな二人を。煌びやかな鎧に身を固めるオールバックの青年が、木陰から見つめていた。彼の手に握られた「あるもの」は、月夜を浴びて妖しい輝きを放っている。

 美術品のような鎧といい、気品に溢れた剣といい、長身といい、堀の深い美貌といい。簡素な鎧と剣しか持たない炫とは、何もかもが正反対な出で立ちだ。


(……この世界での死は、現実世界での死に直結する。彼がそれに気づいているかは定かではないが……見たところ、今の時点では「不殺ノーキル」を貫いているようだな)


 そんな彼の足元には――縛り上げられた少年達が気絶したまま転がっている。

 炫を妬んでいたクラスメート達と全く同じ面相だが、その身は盗賊の戦闘服に包まれている。AIに洗脳され、NPCの盗賊として炫達と戦う予定だった男子生徒達であった。

 彼らは突如現れたイレギュラーにより、こうして捕われてしまったのである。本来の役目を、果たすことさえ叶わず。


(……この世界から民間人・・・全員が生還できるか否か。今は……彼に頼るしかない、か……)


 そんな少年達を見下ろし、青年は踵を返す。盗賊という、主役からかけ離れた「キャスティング」をされてしまった被害者達を、片手で担ぎ上げながら。


 ――その表情に。苦虫を噛み潰したような、色を滲ませて。

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