第32話.告白

夏なのに、今この場で流れている空気はとても冷たかった。実際は今日は今年の最高気温を更新するほどの猛暑でスマホのニュースはもっぱら熱中症患者の数がどうとか、そういうくだらないものばかり。


でも、熱中症よりも“死”に近い人間が目の前にいる。


「引いた?」


長い沈黙の後、生温い風が網戸を突き抜けて部屋に入って来たのと同時にりえは口を開いた。


「別に、そういう人がいるっていうのは今更常識じゃない?」

「こういう人間を見るのは初めて?」

「初めてだよ」


自分でも驚くくらい驚いていない。いや驚いてはいるけれど、この状況をなんとなく想像していた自分がいる。


「ちょっと、歩かない?」

「え?」

「もっとりえのことを知りたくなった、興味が湧いたよ」

「う、うん・・・・じゃあ、行こうか」


汗をかきまくった麦茶を一気飲みし、スニーカーを履きドアを開ける。


やっぱり外は暑い。陽は傾きかけて暑さのピークは過ぎているとはいえ、10分も歩くと汗が滲み出てきた。


「私、ちょっと前まで佐藤だったの」


聞くまでもなく、静かに話し始めてくれた。まあ、僕の隣の席には佐藤りえと名札が貼ってあって、嫌でも毎日目に入っていたからそれくらいは知っている。


「それでね、お父さん・・・・がいたんだけど」

「うん」

「すごいお酒が好きでさ、しかもお酒飲んだらいつも暴れて、それで小さい時からよく叩かれたり、殴られたりしてた」


稲穂はまだ緑が濃くて、見方によっては草原のように見えなくもない。


「お父さんがいることが怖くて仕方なかった、お仕事の腹いせに殴られて、お酒を飲むとまた叩かれて、私が中学に入るくらいになるといやらしい目で見てきて、体を触られたりとか・・・・」


そこまで言って話が途切れ、その場に立ち止った。吐き気を催したようで、口を押さえて気持ちが悪そうにしてる。


「大丈夫?」

「うん・・・・だい、じょうぶ」


どう考えても大丈夫そうではない。顔色も悪いし、うずくまってしまった。


ちょっと、悪いことしちゃったな。いやちょっとどころじゃない、かなり悪いことをしてしまった。


きっと言えないような、酷いという言葉じゃ足りないようなことをたくさんされてきたんだろうな。


「水、買ってこようか?」

「いや、大丈夫、だよ」


しばらくすると立ち上がって、呼吸は乱れているがさっきよりは顔色もマシになった。


「ごめんね」

「ううん、自分から話し始めたんだもん」


「こんなんじゃダメだよね」 こんな状況なのに夏の空を見上げた横顔に、少しだけ見惚れてしまった。


「お父さん、死んだのにいつまでも縛られたらダメだよね」

「え?」

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