第二十章「セイレキ二〇一一年~気仙沼その一」
第二十章「セイレキ二〇一一年~
年明けのお祭りのあと、打ち上げの席がもうけられたわ。
場所は一階が飲食スペース、二階がカラオケボックスになっているお店で、お祭りの準備を手伝った街の
その夜は、わたしは
オレンジジュースに口をつけてから、言史くんがこんなことを話しはじめた。
「ユーレ。最近の宇宙物理学だと、宇宙の最初の最初には『
ユーレさんはテーブルと車椅子の位置を自分で細かく調整してから、
「フフ。言史は、『全ての存在の根源には、何があるのだろう?』って考えちゃうタイプの人間だよね。そういうのは、好きさ。
うん。アインシュタインの『一般相対性理論』が正しいとまずは仮定しよう。すると、あらゆる存在の最初。僕たちの『宇宙のはじまり』には、『特異点』が存在するっていうのが、これまでの宇宙の捉え方だったんだ。
『特異点』っていうのは、重力、密度などが無限大になってしまう、古典物理学では捉えきれない『何か』って感じでね」
と、言史くんに返した。
ユーレさんは、体のこともあって小学校は休みがちだったのだけれど、自分でインターネットを使って海外の英語論文なんかをどんどん読む人で、当時、既に普通の子どもが知らないような難しい知識をたくさん知ってる人だったわ。
「でも最近は新しい見解が出てきて、あらゆる存在の根源、『宇宙のはじまり』は特定の『点』というよりも『ゆらぎ』――『
その頃のわたしは、
なんか、難しい話してるな~くらいに思っていた。
ユーレさんは、そんな様子のわたしにも気をつかって。
「ごめんごめん。
ユーレさんは少し視線を落とした。
そんなユーレさんが
「興味がなくはないけど、ちょっと想像できないかな。『宇宙のはじまり』って言われも? うーん、分からないっていう」
って応えたわ。
「だよねぇ。日頃からこういうことを考えてる僕の方がおかしいのかな? って気がするしね。僕、子どもの頃に急に『時間についてわかった!』って言って親に語り出して、ビックリされたことあるし」
ユーレさんは涼やかだったけれど、やっぱりちょっとがっかりしてる感じ。きっと、話が分かってくれる人がほしいんだろうなぁ。
「乃喜久はともかく、俺は興味あるぜ。続けてくれ」
言史くんが助け舟を出した。実際、言史くんもこういう「難しい話」が好きな小学生だった。
「ありがとう言史。えーと、『宇宙のはじまり』は『無境界』だったってところからか。でね。うん、主には僕のヒーロー――車椅子の天才宇宙物理学者・スティーブン・ホーキング博士の最近の見解なんだけどね。僕は加えて、ここに日本に伝わっている仏教方面の考え方の、『存在と非存在は同時に成立し得る』といった思考様式も関わってくるんじゃないかという仮説も持っているんだ。『宇宙のはじまり』がそもそも量子論的な『無境界』だとすると、これまでの、最初の『点』から始まってビッグバン以降僕らの一つの宇宙が
「ざっくり言うと、宇宙は
「そう。
この日、ユーレさんはめずらしく
自分が好きなジャンルの難しい話を、心のおもむくままに話すのって、お酒に酔うのに似た快感があるのかしら?
「問題は、今のところ実証、証明する手段が追いついていない、あくまでまだ理論上の話だっていうことだけどね。でも、歴史に目をむければ、その通りな流れのような気がしてるんだ。人類の歴史って、『認識する範囲』を広げていく歴史でもあったわけじゃない? 他人と出会って、あ、人間って一人じゃないんだ! って知る。違う国のことを知って、あ、自分の国の価値観が全てじゃないんだ! って知る。違う惑星のことを知って、あ、地球以外にも宇宙に星はあるんだ! って知る。今では、銀河、そして銀河団が一つではないことも僕らは知ってるわけで、流れ的に、宇宙は一つだけじゃないことを知ったとしても、まあ、その通りなんじゃないかな? なんて僕なんかは思うんだけどね」
ユーレさんは、この日の『宇宙のはじまり』に関する話をそう締めくくった。
また、わたしに気をつかってくれて。
「宇宙物理学の話だけど、物語のようにも捉えられるよ。僕らが暮らしている宇宙とは違う宇宙に、たとえば、乃喜久ちゃんとは別なノギクちゃんがいるかもしれない。そんな話さ」
二人にジュースの
宇宙物理学だなんて、きっと大学で習うような話は全然分からなかったけれど、別な宇宙に別なわたしが存在しているかもしれないという部分は、こわいようで、でもちょっとワクワクもあって、今でも印象に残ってるもの。
話が一区切りする頃、ちょうどヴェドラナが二階から降りてきた。
「乃喜久、日本のおじさん・おばさんは、お酒が入るとちょっとダメかも。何人か、眠ってもらっちゃった」
ああ。お祭りの後の開放感もあるかもしれないけれど。普段は温厚なおじさんが妙に絡むようになったり、いつもは控えめなおばさんがなんだか
「兄さんユーレ? 何、話してたの? なんだか、ご機嫌」
「宇宙の話だよ。乃喜久ちゃんと言史は、聞き手上手なんだ」
「宇宙? ふーん」
ヴェドラナはあんまりピンときていないみたい。
この時思ったのは、今日、ユーレさんが
わたしは一人っ子だったから、このあたりの兄妹の感覚はよく分からないけれど。
お互いがピンとこないことがあっても、いっしょにいるなんて、ヴェドラナとユーレさんはなんかイイなって。
その夜。テーブルの上の残ったお菓子を片付けながら、わたしはそんなことを思っていたわ。
/第二十章「セイレキ二〇一一年~気仙沼その一」・完
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