第二十七章「(世界の終わり)」

 第二十七章「(世界の終わり)」


 意識が、もうろうとしている。


 助かった? そう。かろうじて糸のクッションが間に合って、落下の衝撃は吸収できたんだ。


 ここは……大きな橋の上だ。そうだ、大きな剣で斬られたんだった。右腕は、ない。痛い。いけないわ。気をちゃんと持って、状況を分析して、立て直さないと。


 ヴェドラナがすぐ近くまで走ってきている。ミティアくんも橋の上にいる。男は、橋に降りているけど距離をとっている。周囲では、戦闘が続いてる。


 呼吸が荒い。


 肺が痛い。


 頭が割れそう。


 うん。たとえばそう。あの日苦しみの中で亡くなっていった人たちは、こんな恐怖を感じていたのかな?


 ああ。ええ。わたし、何も分かってなかったね。


 実際に自分が重い傷を負ってみて、反省があるわ。


 大震災以降。ひいお祖父じいちゃんが温かすぎる人だったから。藤宮ふじみやていでの暮らしが恵まれすぎていたから。わたしは、本当に傷ついた人たちの気持ちが分かっていなかったんじゃないかって。


 ヴェドラナが、けよってくる。


 糸を通して、ヴェドラナが何をしようとしているのか伝わってきた。


 待って。ヴェドラナ、あなた昔からわたしを大事にするあまり、回りが見えなくなることがあるわ。


 ダメ。ダメだよ。まだ使っては。


 「究極の魔法」の最後の一回は、完全に戦闘が終結してから使わなくちゃ。ここから後、傷つく人はどうなるの。でも、痛い。わたしも、痛い。


 ヴェドラナは、傷ついたわたしを抱きしめた。


「『ナイチンゲール・アミターユス』」



――いやしたい。



 彼女の「最初の言葉」に基づいた抱擁ほうようがわたしを包む。最後の「究極の魔法」の光が、場に広がっていく。


 わたしとヴェドラナを中心に、星の雨が降り始める。


 この世全ての、毒を、傷を、痛みを、優しい姿へ返す、か。


 クリミア戦争でナイチンゲールに出会った負傷兵は、こんな気持ちだったのかしら?


 もとの姿に返っていくように。わたしの痛みも、癒されていく。「たましい」まで、ヴェドラナのいつくしみで満たされていく。


 気がつくと、右腕はもうあった・・・。切り捨てられたなんて何かの間違いで。そこにある方が当たり前だよ。フツウだよっていうように。


 これで、終わりだったらイイのに。


 ヴェドラナの愛で世界が包まれて、みんなみんな、末永く平和に暮らしましたみたいな、ね。


 星の雨が降りやむ頃。


 靴音がこちらに向かってきた。


 分かってる。これで終わりじゃない。


 戦争も。災害も。何よりあなたの怨念おんねんが、終わりじゃない。


 手にしていた大剣を地面につきたてて、無手で男が一歩一歩こちらに近づいてくる。


 いきなり斬られてしまったから混乱していたけれど、そろそろ頭はまとまってきていたわ。糸でヴェドラナから伝わってきたこの六日間の情報を加えたわたしの分析は、一つの答えを指し示していた。


 男は堂々と両腕を広げると、


「世界の終わりの時間だ」


 と、告げた。


 この体の中心を揺さぶるような振動。不安をかきたてる低い音。地鳴りだわ。


 わたしとヴェドラナは、同時に二〇一一年を思い出す。


 でも、今回のこれは自然災害ではなくて。


 遠くの山が、現実世界だったらスロヴェニアの最高峰――トリグラウ山にあたる大きな山が明滅している。消えては、現れてを繰り返している。何か破滅的なものに、その存在を描き換えてでもいるかのように。


 気がつくと、禍々まがまがしい大きな二つの瞳が、わたしたちを見下ろしていた。


 大きな山が、大竜グランドドラゴンに姿を変えていた。


 分かってる。ミティアくんが繰り返される夢の中で見ていた、大竜だわ。


 背に、たける大竜を背負って。


 男は、ひざまずくわたしとヴェドラナを見おろしている。


 この六日間のうちに男――ディーレッジ卿とヴェドラナとの間にあった出来事をもとに、わたしは語り始めた。


 一つ目。


「あなたのローブの下には、胸に竜のカタチの傷がある。それは、子どもの頃にわたしが大岩の中のほこらで見たあなたの傷と同じものだわ」


 二つ目。


「姿を変えても、あなたは傷をアピールした。そのわたしと似たどうしようもなさ」


 最後に。


「何より、糸を通して伝わってきたヴェドラナのドキドキが、現実世界のあなたへ向けていたものと同じだった。ディーレッジ卿、いえ」


 わたしは、男の本当の名前を呼んだ。


「コトフミくん!」


 男は、パチンッと指を鳴らした。


「ま。ぬらっと参上、ってね」


 口調が変わったわ。


「気づくとしたら、ノギク、おまえだろうとは思ってたよ」


 ごそごそと、ローブの下を探り始める。


「じゃあ」


 と前置きしてからコトフミくんは、


「万人の傷を癒す『究極の魔法』なんて、空想は終わりだ」


 と、わたしたちに告げた。


 コトフミくんがローブの下から取り出したものは――。



――拳銃ピストル



「痛いんだぜ?」


 コトフミくんが銃口をわたしに向けている。


 剣で斬られた痛みを、まだ生々しく覚えている。


 とても、こわい。


 銃弾も、さぞ痛いんだろうなんてことを考えた。


 コトフミくんが引鉄を引き絞る。


 死という言葉が頭によぎる。


 弾丸がわたしを殺しに向かってくるという、その時。


 特に颯爽さっそうとするでもなく、自然に。



――ミティアくんが、わたしを守るように前に出た。



 銃声が鳴り響いた。


 剣と魔法と竜の世界が、一発の銃弾で壊れた。


 気が狂いそうになる衝撃が、わたしの頭をかけめぐって。


 糸が引きちぎられた。


 ミティアくんの心が、感じられない。


 契約が、解除された?


 また、血が流れてる。


 わたしの血じゃない。


 ミティアくんの血だ。


 ミティアくんが、わたしを守ってくれた。


 この血をどうしよう。


 もう、「究極の魔法」はない。


 糸が途切れる瞬間。ミティアくんの心の奥深いところから、



――イナ。



 って言葉がこぼれたのを聞いた。


 それは、ミティアくんの一番大事な人の名前だから。


 守らせてあげたかった。


 「守りたい」。それが、ミティアくんの「最初の言葉」だったから。


 コトフミくんは銃を下げて。平然とした態度で。


「この世界も、ダメだった」


 と、ため息をついた。


 銃砲が、終わりの相図だった。


 それまで貯めていたエネルギーを全て解放するように、大竜が、口から大火炎を吐き出した。


 大きな、大きな、炎。


 炎に焼かれた世界を見たのは二度目だわ。


 スラヴィオーレもユーステティア帝国も関係ない。騎士が、民が、ドラゴンが、モンスターたちが、大火炎に巻き込まれていく。


 悲鳴が。苦悶くもんの声が聴こえてくる。


 コトフミくんを中心に、風が吹き始めた。


 これって、仙台せんだい駅で道化師コトフミくんが起こした風と同じ?


 強い。強い風がわたしとヴェドラナに向かって吹きすさぶ。


 倒れて動かないミティアくんに。痛みを訴える人々に。炎に焼かれた世界。


 すがるようにわたしとヴェドラナは手を繋ぐけれど、大竜の大火炎はあまりに強大で、風の勢いも強すぎる。


「待って、まだ!」


 同じだ。意識が途切れる。



――こうして。



 何も、誰も救えないまま。わたしとヴェドラナは、空想リュヴドレニヤから消え去った。



  /第二十七章「(世界の終わり)」・完


  /第二部「世界の秘密と真犯人」・完


  輪廻境界域へつづく

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