第20話

 なんとか全隊員、各艦船に収容された。負傷した者も多かったが、命に別状ある者はいなかった。各部隊、慌ただしく負傷者の治療にあたる。

 海上自衛隊は医官や看護士の資格を持った部隊が存在するが、あいにく海上保安庁にはない。大型ヘリコプターで緊急搬送の手配が必要になるだろう。


 山崎は巡視船に戻ると、夏恋を女性保安官に預けた。まずは借りた身分を返さなればならない。人気のない一室で装備一式を脱ぎ、SSTの隊長へそれらを返却した。


「ご迷惑を、おかけしました」

「いや……」

「このあと、どうすれば」

「俺は何も聞いていない。とりあえず大人しく彼女に付いてやれ。成るように成るだろう」

「はい」


――ときどき自分が、分からなくなる。俺はこれで、よかったのか……。


 山崎は別室で保護されている夏恋のもとを訪ねた。夏恋はまだ眠ったままだった。ベッドの脇に山崎に宛てたと思われるメモ書きが置いてあった。


(指示があるまで、待て)


 それを読み終わると折りたたんでポケットに押し込んだ。もうほぼ反射的に証拠を隠すように体が動く。

 山崎は目を閉じた夏恋をじっと見ていた。誘拐されてからどんな環境にいたのだろうと考える。しかし、どんなに考えても分からない。ただ、泣きながら自分を誘拐したと思われる男を助けてくれと言っていた。男から助けてくれではなく、男を助けてくれと言ったのだ。それを思い出すだけで、山崎の胸はチクチク痛んだ。


 そういえば、最後に男が山崎に囁くように言った。『あとは、頼む』


――あの男はいったい何なんだ。俺の女を頼むって、そういう意味なのかっ!


 怒りが込み上げてきた。誘拐という犯罪を犯しておきながら、最後は良い人間にでもなったつもりかと。身勝手な事件に巻き込まれた夏恋を思うと、山崎はやるせない気持ちでいっぱいになる。辛い過去を乗り越えて、やっと前に進み始めたのに。

 山崎は汚れた夏恋の頬を濡らしたタオルで拭いてやった。あの男の血痕を拭い去りたかったのもある。頬に流れたたくさんの涙は何を語っているのか。山崎は無意識にその頬に指を這わした。どうしてあの晩、自分は夏恋を一人で帰したのか。悔やんでも悔やみきれない。自分が取ったことに歯痒くてなからなかった。


「俺は、なにやってるんだよ。単なるサラリーマンの方が、よっぽどよかった。こんな事に、彼女を巻き込んでしまうくらいならっ」


 そんな情けない言葉しか出てこない。大した権力も、権限もない潜入捜査官の道を選んだのは自分だ。何も知らないのを装って、嘘をついて、出来ないふりをする。なのに大切なものを守りたいときも、その身分を明かすことは許されない。


「くっそぉ……」

 

「んっ……うっ」


 夏恋が苦しそうに眉を歪めて頭を振った。悪い夢でも見ているのかもしれない。


「山口さんっ。夏恋さん!」


 堪らず山崎は夏恋の名を呼んだ。肩を揺らして悪夢から救ってやりたかった。もし目覚めて、なぜここに居るのか問われたどうする。ほんの一瞬、躊躇いが出た。しかし、それを打ち消すように夏恋が目を開けた。


「夏恋さん……」

「山崎、さん?」

「はい、山崎です。あなたを迎えにっ」

「山崎さん!」


 突然、夏恋の細い腕が山崎の首に絡みついた。山崎は夏恋に抱きつかれ、その予想外の行動に山崎は思わず体を硬くした。


「えっ、や、山口さん」

「山崎さんっ、山崎さん」


 夏恋が目覚めると、目の前にいたのは山崎だった。夏恋は衝動的に彼にすがった。誰も知らない中で恐怖と戦っていた夏恋にとって、山崎は唯一見知った人だ。あの困ったような表情で自分を見ていた。それがなぜか懐かしくて心地いい。


 山崎は驚きで浮かせたままの手を、やっと夏恋の背中に回した。夏恋を慰めるすべを持たない男は、ただじっと抱きしめ返すだけだった。





 その頃、国のトップは想定外の事態に決断を迫られていた。まだ、領海ではない排他的経済水域ということもあり決断は慎重になった。この事態が我が国を脅かすものになるのかが焦点となる。

 防衛省は現場からの映像を内閣総理大臣に見せ、自衛隊の出動を迫った。たかが一人の軍人に自衛隊が保有する武器を向けて良いものかという意見と、あれは人間ではなくロボットで不明国からの我が国への侵略であると言う意見が上がった。活動を停止し、宙に浮いた軍人をモニターで見ながら激しい討論が行われた。


「あそこは微妙な位置だ。あそこで護衛艦からミサイルを発射したら、中国や台湾が黙っちゃいない!」

「訓練という理由はどうか!」

「あの場所は射撃訓練海域ではない!」

「いっそ、公にしてはどうか。隣国の協力を仰ぐのだ」

「我が国の国防に関わることを他国に頼るのか!」

「鳥獣駆除での出動は!」

「どう見ても鳥獣ではないだろ!」

「米国はなんと言っている」

「日本の決断を支持する、だそうだ」

「総理!」

「総理!」


 防衛出動を発令するには国会の承認が必要だ。しかし、緊急の必要を迫られれば内閣総理大臣は国会の承認を得ずに出動命令を出すことができる。


「防衛省は陸海空ともに準備は整っております。あまり時間をかけると、何事かと大騒ぎになります。むやみに国民の不安を煽るのは危険です」


 防衛省は沖縄に司令を移し、米軍の情報局の協力を得ながら監視を続けている。


「アレが活動再開したとき、警察や海保には止められる武器を持ちません」


 あのロボットを作った国はどこなのか、なんの目的で作ったのか。防衛出動の決め手になる何かを必死で探した。テロ行為のために行われたと分かれば……。


「警視庁公安部からの情報が手に入りました! あれには風林火山という犯罪組織が絡んでいるそうです」

「なに!」

 



 


――海上自衛隊、護衛艦内。


 緊急の艦内放送が流れた。


『至急、乗務員は配置につけ!』


 艦隊司令から告げられた作戦に鹿島は血の気が引きそうになった。映画の撮影でもやるのかと思うような内容だったからだ。


「そんな作戦がうまくいくんですか」

「うまくやるしかないんだよ鹿島くん」


 防衛省からの作戦決行の連絡が入ったのだ。海上保安庁の巡視船および海上自衛隊の艦船は、東シナ海側に周り船舶の航行を排他的経済水域の外に誘導すること。それより内側にいかなる船舶も決して入れてはならない。空からは航空自衛隊のF−15戦闘機が、全ての航空機に高度10000メートルを飛行するよう誘導。セスナ、ヘリコプターなどの小型機は偵察機がエスコートし空域の安全を確保する。あくまでも空は万一、に備えての行動だ。

 放水能力のある艦船は、前線に出て一斉に目標であるロボット軍人に放水する。


「落とせるんですか? しかも、あのコンテナの中に!」

「落とす以外の選択肢はない。失敗も、許されない。アレが停止している間にコンテナに押し込んで、沈めるんだ。できるだけ深く」

「そして沈んだコンテナを標的艦にする、と?」

「そうだ」

「無理すぎませんかっ」

「命令だ」


 ロボット軍人をコンテナに閉じ込めたあと、できるだけ射撃訓練海域に近づけるため、海面を時速80キロで航行するミサイル艇にかせる。しかも二隻体制でだ。最悪片方が攻撃されても、もう片方で任務を貫徹させる考えだった。

 最後は潜水艦の魚雷で木っ端微塵にする。

 まさに、命がけの作戦だ。


「ミサイル艇、コンテナの固定完了!」


――なんて、作戦だ! 漫画かよ!!


 鹿島は無線を取って叫んだ。


「指定海域に一隻も船を入れるな! 作戦開始!」





 潜水艦の計器類故障は原因不明で、かつ原因不明のまま回復した。救難艦の指示に従って浮上し、船体確認をしている最中に命令が下った。


「魚雷で破壊!?」


 艦内は再び緊迫した。今度は搭載した魚雷を発射するというのだ。実弾を使った訓練は年に一度あるかないかであった。しかも、研修を終え初の実務任務にあたった隊員が魚雷員兼水雷員だ。


「俺、やったことありません!」

「発射命令は艦長がする。おまえは従うだけだ。訓練と同じだ!」

「ですがっ……」

「人間を乗せた艦を撃つわけじゃないんだ。それだけでもマシだろ」

「……はい」


『乗員直ちに配置につけ』

『潜行する!』

『潜行!』


 狭い艦内を慌ただしく隊員たちが駆け抜ける。潜水艦は素早くそして静かにその体を海底へ隠した。点検で浮上したのもつかの間、隊員たちは外の空気を吸う間もなく潜って行った。


「目標が確認でき次第、安全措置を解除する。良かったなおまえ、帰りは大の字で眠れるぞ」

「こんな時にそんな冗談」

「こんな時に言わないでいつ言うんだよ」


 魚雷員のベッドは魚雷の下にある。初めてそれを見たときはギョッとした。でも、だんだんそれがある事が当たり前になって、気づけば大きな御守のような存在になっていた。


――コイツがここにあるから平和な証拠って、思えるようになったのにな。


「今日でコイツとおさらばですね」

「しっかりヤれって、言ってやれ」

「はい」





 山崎と夏恋を乗せた巡視船も様子が一変した。走る人影、かける号令がなにかの始まりを予感させる。二人の再会をよそに、船は動き始めた。



「あの、これ」


 山崎はジャケットの内ポケットから眼鏡を取り出して夏恋に見せた。夏恋の足跡を辿っているときに見つけたものだ。


「あっ! 私の眼鏡!」

「見つけたんです。税関の門の近くで。これのおかげで、捜索願を出すことが出来ました」

「ここ、なおしてくれたんですか?」

「すみません。帰ったら眼鏡屋さんに持って行ってください。取りあえずの自己流処置なので」

「ありがとうございます。ずっと、ぼんやりした状態で……。あ、よく見えます。山崎さんの顔が、よく見える」


 夏恋は眼鏡をかけて笑って見せた。ずっと探してくれていた山崎に、なんと言えばいいのか分からない。ありがとうでは足りないのは分かっている。でも、言葉が見つからない。


――私、うまく笑えている? 変な顔に、なっていない?


 山崎は夏恋の笑みを見て泣きたくなった。こんな時に気の利いた言葉の一つも言えない自分を情けなく思った。下手な言葉で傷つけるのが怖くて、山崎自身も微笑んで返した。


――俺はちゃんと、笑えているのか……。


「きゃっ」

「おっと。大丈夫ですか?」

「はい」


 その時、船体が傾いてスピードが上がったのが分かった。山崎がドアを開けて外を確認すると、波しぶきをあげながら航行する数席の巡視船と護衛艦が見えた。乗務員たちは慌ただしく動き回り、ときどき怒鳴り声まで聞こえてくる。


――なんだ、何が始まるんだ!


「山崎、さん?」

「大丈夫。俺が側にいますから。もう、大丈夫です」

「はい」


 不安そうに胸元に手を当てる夏恋を見てそう答えた。その言葉に嘘はない。無事に陸に上がるまでは、自分が彼女の盾になる。山崎はそう心に決めていた。


「手を、貸してください」


 山崎は夏恋の手を取りぎゅっと握りしめた。目覚めてからも夏恋はずっと震えていたのだ。小刻みに震える唇、指先、笑っていても目尻に光る涙は、夏恋の過ごした時間がいかに過酷すぎたのかを物語っていた。


「あのっ」

「よく頑張りましたね。生きていてくれて、ありがとうございます」

「山崎さっ……どうして。どうしてそんなに私を……ううっ、うわぁぁん」

「本当によく頑張ってくれました」


 山崎は咽び泣く夏恋を抱き寄せて、優しくその背中をさすった。


――もうすぐ終わる。大丈夫、大丈夫だ!

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