それでも何かの変化を求めて
第9話
翌朝、あまり眠れぬまま山崎は会社に向かった。会社につくまでの電車の中は、町田さゆりと吉田香織から送られた転送メールをずっと読んでいた。夏恋が過去に二人とやり取りをした内容だ。
(今度の週末、試験なの! 絶対に合格してやる〜。おやすみ!)
(やったー! 一級船舶免許取れましまた!)
(明日、沖に出てくる〜♪)
山崎が知る、夏恋の文面ではなかった。プライベートも大好きな海と船に溢れ、生き生きとした活発な女性がこのメールの中にはいた。しかし、そのメールもある時期を境に変化していくのが分かった。
(週末は出張で潰れちゃった。でも、がんばるよ! 課長から指名されるのって光栄なことだし。負けてられない)
(私って、営業で入ったわけじゃないんだよね……。最近、港を見てないなぁ。ごめん、贅沢だよね。愚痴ってごめん)
(課長のお宅にお邪魔しちゃった。緊張したー。奥さんに俺の右腕とか言うんだよ。超プレッシャーだよ)
そして、日付は一気に半年後となる。それからのメールの文面は、山崎の知る夏恋になっていた。淡々としていて、でも相手を気遣う大人しい内気な女性になっていた。
――人って、変わってしまうんだな……。
山崎は会社につくと、すぐに半休申請を出した。午前中に仕事にきりをつけてから警察に行くつもりなのだ。あくまでも九亜物流に雇わた身であり、警察官ではない。その身分は警視庁からは消えている。潜入捜査官とはいえ、本部がほしい情報を提供するだけの人間だ。目立ってはいけない。地味に社会に溶け込むことが公安から選ばれた男の仕事なのだ。
「おい、山崎。こんなところにいていいのかよ! 彼女、行方不明なんだろ?」
「甲斐田さん、なんで」
「あ……すまん。さゆりからから聞いたんだ。付き合い始めたばかりなのに、山口さんの行方が知れないって。警察に行くんだろ。仕事のことはいいから行けよ」
「いや、午後から半休もらうようにしたから大丈夫ですよ」
甲斐田は周りを確認して声を抑え気味にしながらも、山崎に興奮した口調で言う。
「ばかやろうっ。仕事にならないだろうよ! 外回りで直帰ってしとくから、もう行け! 刻一刻と事態は変化するんだぞ」
「でも」
「でももへったくれもない。俺がおまえだったら会社になんか来ないぞ。早く、出て行け! で、週末はしっかり休め!」
山崎は甲斐田にカバンを押し付けられ、営業部の部屋から押し出された。振り向くと甲斐田は、大げさに手でシッシッとあしらって見せる。山崎は、この流れに乗ってみることに決めた。やはり、捜索するならば早いに越したことはないからだ。
――このチャンスは生かすべきだ!
山崎は営業部の表札に会釈をして、会社をあとにした。山口夏恋の捜索を本格的に開始した。
◇
山崎は派出所ではなく、管轄の警察署で捜索願を出した。恋人ではなく、婚約者というさらに踏み込んだ立場で。それには自分でも驚いたのか、ペン先がかすかに震えていた。受け付けた担当者は女性警察官だった。
「お気持ちお察し致します。一刻も早く婚約者の方が見つかるよう、お祈り致します」
「祈らなくていいので、捜索をお願いします」
「っ、は、はい」
――新人か……もっと、現場のやつはいないのか。もっとひっ迫した証拠が必要なのか。
山崎は女性警察官に頭を下げて、警察署を出た。山崎はよく知っている。届け出が受理されても実際に彼らが動くわけではない。行方不明者の情報を署のシステムに打ち込んで、共有するだけだ。
――あってほしくはないが、事件性のなにかがいる。
山崎は夏恋と最後に会った、コンテナターミナルが見える場所に行くことにした。あの後の夏恋の行動をなぞってみようと思ったのだ。あの夜、自宅に戻ることなく消えたのなら、そうせざる得ない何かが途中で起きているはずだと。そしてGPSが残した最後の痕跡地で何があったのか。
山崎はタクシーに乗り、あのつばめ大橋を目指した。大型トラックが頻繁に行き交う橋の下は、海につながる河がゆるやかに流れている。港から吹き上げる風と潮の香り。そして、彼女の横顔。
「お客さん、着きましたよ」
「っ、あ、はい」
「ありがとうございました」
気づけばいつも、夏恋の顔が頭に浮かぶようになった。山崎は、まさかここまで自分が彼女に囚われているとは思わなかっただろう。
――違う。俺は、演じているんだ。山口夏恋の彼氏を。婚約直後に彼女が消えて、路頭に迷う男を演じているんだ……。
橋に立つと、夜とは違い車の騒音は気になるほどではなかった。吹き抜ける風が、少し強いくらいだ。キリンと呼ばれるガントリークレーンが、忙しく働いていた。河口に近い場所では、水上バイクに乗ってパフォーマンスを楽しむ人がいる。
山崎はそれらを見ながら大通りに向かって歩き始めた。バスに乗って帰ると言った彼女の足取りを真似てみる。右手には塀に囲まれた国の施設が建っている。検疫所や税務署などが固く門を閉ざしている。そこに入るためには関係者は反対側に回らなければならない。ここは、それらの施設の裏側に当たる場所だった。
――バス停が近くにあるって言っていたが……。ああ、反対側か。
山崎は道路を渡ろうとした。が、さすがに車が多くてすぐには無理だった。横断歩道を探すしかないと歩道に戻る。その時ちょうど自転車がスレスレを横切った。山崎は接触を避けるために、背中を壁の縁にぶつけてしまう。
――危ないな。あいつ、スマホ見ながら乗ってただろ! ん?
山崎は避けた拍子に踵で何かを踏んだことに気づいた。振り向くとそれは、壊れて捨てられた眼鏡があった。
――山口夏恋もこんな地味な眼鏡をかけていたな。合コンのときはコンタクトだったくせに……待て、まさかこの眼鏡、彼女のものじゃないなよな!
山崎は素早くその眼鏡を拾いスマートフォンで撮影した。ハンカチに包んでジャケットの内ポケットにしまう。そして、撮った写真を町田さゆりに送信した。
(この眼鏡、山口夏恋さんのと似ていませんか)
◇
山崎は一旦自宅に戻り、隣県にある採石場までの道のりを調べていた。するとスマートフォンが震えた。ボスからだった。
――珍しい、電話がかかってくるなんて。
「はい」
『今、いいか』
「今日は休みなんで、大丈夫です」
『例のコンテナから武器が出てきた件があっただろう。どうも風林火山が絡んでるみたいだ』
「えっ」
『もう一個、不明のコンテナがあっただろう。あれの行方だが、おそらく海の底だ』
「ちょっと待ってください。どうしてそんな突拍子もないことが言えるんですか」
東京本庁に籍を置く山崎の上司、相馬隼警視正は全国に放った潜入捜査官を管理している。潜入捜査官同士の接触は禁じられており、全ては本庁からの指示で動くようになっていた。とはいえ、誰がどこに潜入しているのかなんて彼らは知らない。例え隣の席にいたとしても分からないのだ。
『佐世保基地に所属している海上自衛官が見たんだそうだ。東シナ海航行中、間もなく日本領海に入ろうかって時に瀬取りに遭遇したらしい』
「瀬取りって、北の……」
『それの直後、反対側を行くコンテナ船からコンテナが落下した。穏やかな波の上でな』
「まさかそのコンテナが、うちの船がなくしたやつとか……言わないですよね」
相馬はそれについて否定も肯定もしなかった。しかし、そこまでの情報を山崎に知らせるということは後者を意味するということだ。
『周りで変わったことは起きていないか』
「実は……山口夏恋が、行方不明になりました。俺が悪いんです。一人で帰すようなことをしたから」
山崎がそう言うと、しばらく相馬は沈黙した。夏恋は相馬がいいエスになると言った女だ。おまえは何をやっていると、叱られても仕方のない状況だった。
『捜索願は出したか』
「はい、先ほど」
『また連絡する。いいか、無茶はするなよ』
そして、通話は終了した。そのまま山崎はボスである相馬との通話履歴を削除する。
――まさか、全部繋がっていました。なんて言わないだろうな。
そして再び山崎のスマートフォンが鳴る。今度は町田さゆりからだった。
「山崎です」
『画像みました! 夏恋の眼鏡にとても似ています。まだ眼鏡、持ってますか?』
町田に言われ、山崎はポケットから壊れた眼鏡を取り出した。
「はい。目の前にあります」
『眼鏡の、耳にかける部分。曲がっているところありますよね。それの内側を見てください! 何か、模様がありませんか』
「模様、ですか」
山崎は町田に言われた箇所を覗き込んだ。そこには確かに、控えめに彫り込まれたような模様があった。
「錨……?」
『えっ? もう一度、いいですか?』
「白い、錨のような絵が……彫られてあります」
『そっ、それ! 夏恋のです! その眼鏡、夏恋ので間違いないと思います!』
「まさか!」
電話の向こうで泣き叫ぶような町田さゆりの声がした。間違いないのであれば、山口夏恋はやはり何者かに無理やり連れ去られたことになる。
――視力の悪い人間が、自ら眼鏡を捨てるわけがない!
『山崎さん!? 山崎さんっ』
山崎はそのまま通話を終了させ、部屋を飛び出した。
――生きていてくれ!!
レンタカー店に飛び込んで車を一台借りた。ハンドルを切った先はもちろん、採石場だ。車を走らせながらもう一度、あの男に依頼した。夏恋のスマートフォンの位置情報に変化がないか確かめるために。
「俺のスマホにデータ送れるか。指定されたアプリは起動した」
『了解。これ、24時間で使えなくなるからそのつもりで』
「了解」
夏恋の位置情報は動いた形跡がない。犯人が意図的に電源を切ったことが予測される。夏恋が攫われたのは水曜日の夜だとすると、もう今日で二日経ったことになる。
「クソッ!!」
赤信号、渋滞、法定速度が山崎の焦燥感を煽る。しかし、冷静さを失ってはならない。些細なミスが、全てをゼロにしてしまう。それだけは避けなければならなかった。
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