第2話
―― そして土曜日、合コン当日。
金曜日の夜にしなかったのは、きっとさゆりの作戦だ。私が残業を理由に逃げないためだと思う。こんなに憂鬱な休日はない。合コンはなんとか逃がしてくれていたのに、今回はそうはさせてもらえなかった。朝から何度もさゆりからメールが来て、おまじないのように「大丈夫だからね!」と励まされた。
指定されたお店はイタリアンレストランで、かしこまった風ではなくカジュアルなお店だった。そのせいか若者や観光客が多く、賑やかだ。しんと静まり返ったお店よりは気が楽かもしれない。そんなことを考えていた。
「夏恋! こっちこっち」
ぼんやりと店内を見回す私を、幹事のさゆりが見つけて手を振っている。隣には香織さんもいて、その向かいに男性が三人。開始時間の五分前に着いたのに、私がいちばん最後だ。
「すみません。遅くなりました」
「もう、夏恋は真面目なんだからっ。遅れてないのに謝らないの」
「なんか、申し訳なかったですね。俺たち張り切りすぎちゃって、早く来てしまった。あ、失礼。
よく通る声と爽やかな笑顔付きで、フォローされてしまった。私はその営業マンらしい気の利いた男性の態度が少し苦手だ。
―― なんか、胡散臭い。
「じゃあ、自己紹介しましょうか。取り敢えず座りましょう」
さゆりに促され、全員が着席した。絵に書いたような合コンだなって他人事のように見ている自分がいる。
男性から自己紹介が始まった。さっき声をかけてくれた甲斐田
「山崎晶と言います。営業です……よろしくお願いします」
山崎さんは甲斐田さんと同じ営業部の社員らしい。営業なのに表情が硬くてちょっと目つきが怖い。
―― 私に人のこと、言えないよね。
いつの間にか自己紹介はこちらに移り、さゆりも香織さんもそつなく終えてしまう。とうとう来てしまった。私の順番が……。
「山口、夏恋と言います。よろしくお願いします」
ただ名前を名乗るだけなのに、どうしてこんなに圧を感じるのだろう。周りの、それから? え? もう終わり? という期待のこもった空気が苦しい。
「カレンって、かわいい名前だね」
―― ほら、来た。
「でしょう? 夏に恋って書くんですよ。ロマンチックだと思いません? 羨ましいですよね。私なんてひらがなだもん」
「へぇ! 最近はキラキラネームがどうとか聞くけど、夏に恋でカレンはいいね。俺なんて地味に一之だよ?」
「私は漢字だけど、絶対に間違えられない香織だし」
「僕だってありきたりというか、普通です。文句を言うわけじゃないけど」
「わかるー」
自己紹介が苦手なのはこういうことだ。ハーフでもないのに読みがカレン。ロマンチックだと言われるカレンに当てられた夏と恋の漢字。中身は似ても似つかない普通の女というか、地味だし、愛想笑いも上手くできないし。それに自分の名前の話題なのに、いつも周りが盛り上がってしまう。
―― どうしよう、帰りたい。
「あ、ごめんなさい。飲み物を注文しましょう。乾杯はビールでいいですか?」
でも、さゆりが頑張って仕切る姿を見ていたら、我慢して最後までいないとダメだと思った。内向的になってしまった私を、こうやって外に引っ張り出してくれる唯一の友人だもの。それを温かく見守ってくれるように香織さんがいる。たまには無理をしてでも、二人に応えなきゃ。
◇
「カンパーイ!」
そう言えば、と夏恋は気づいた。向かいに座る山崎という男は、先ほどからほとんど喋っていない。甲斐田は営業マンらしくその場を盛り上げ、時に自分を下げて笑いを取っている。通関士の瀬戸もにこにこと笑顔は絶やさず、人の話をよく聞いているのか、いいタイミングで話題に入ってくる。さゆりも、香織も体を前に乗り出してとても楽しそうだ。なのに、この山崎という男はこの場にそぐわない。一人だけ無理やりこの場に添えられているような、妙な空気をまとっていた。
―― やだ、似たもの同士が取り残されちゃってる。どうしよう……どうしたらいいの。
夏恋は今さら四人の話題に入ることもできず、かと言って新しい話題を振ることもできず、悩んだ挙げくビールのジョッキに手をかけた。
ゴクン。乾杯の時よりも多く喉に流し込んでしまい、我慢できずに苦々しい顔をしてしまった。
―― やっぱり、だめ……。
「ビール、苦手ですか」
「えっ」
話しかけられるとは思っていなかった夏恋は、上ずった声で返事をして顔を上げた。山崎のピンと伸びた背筋、真っ直ぐに向けられた視線、少しも緩んでいない頬の筋肉。それはまるで……
―― 尋問されてるみたい!
「ここ、シワが入ってるから」
ここと言いながら、山崎は自分の眉間を指さししてみせた。その山崎の行動に夏恋の顔は一瞬にして真っ赤になる。それを見た山崎は思ってもいなかった夏恋の反応に驚く。
―― そんなに、赤くなることかなのか!
「ビールというか、お酒があまり得意ではないんです。美味しさがいまいちよく分からなくて」
「カクテルのようなものも?」
「カクテルもよく分からないんです。だから、いつも何となくで頼んで、何となく失敗しています」
「何となく……ですか」
「はい、なんとなく。だから結局、最後はウーロン茶にしちゃって。はっ、すみません。こんな話、つまらないですよね」
「いや。飲みたくないなら無理に飲まなくていいと思いますよ。お酒を飲まないからって、損はしない」
「そうですか? でも、楽しくしている場でお酒いりませんなんて言えないですよ。雰囲気壊しちゃうから」
「なるほど」
山崎はしばらく考えるようにドリンクメニューを眺めていた。メニューと夏恋の顔を何度か見比べて、手を上げて店員を呼んだ。
「チャイナ・ブルーをお願いします」
「はい、かしこまりました」
少しして、ロンググラスを手にした店員がやってきた。山崎はそれを受け取ると、夏恋のコースターに乗せた。アクアブルーのとてもきれいな色をしたカクテルだ。
「これ、私にですか?」
「ライチのリキュールにグレープフルーツ果汁が入ってる。クセがないから、飲めると思うんだ。チェイサー挟みながら飲んだら、ずいぶんもつと思うよ。よかったら試してみて」
ずいぶんもつと言うのは、恐らく場がもつという意味だ。お酒は苦手でいつもウーロン茶にしてしまう。でもそれでは周りに申し訳ない。そんな夏恋の気持ちを山崎はくんだのだ。
「いただきます。……あっ、美味しい! これなら、飲めます」
「そう。よかった」
夏恋の計算のない無防備な笑みを見てしまった山崎は、柄になく内心で動揺していた。表情のうすそうな、今にも帰りますと言い出しそうな彼女が山崎に可愛らしく笑ってみせたからだ。
山崎はその動揺をごまかすように、ボスである相馬から聞いた山口夏恋のデータを思い出すことにした。
山口夏恋、25歳。独身彼氏なし。県立の短期大学を卒業し、現在の職場に勤めて五年になる。性格は内向的で人見知り傾向にあるが、仕事は真面目で几帳面にきっちりこなす。上司からの信頼も厚く、人間関係のトラブルも特にない。
―― 彼女を俺のエスにねぇ。役に立つのか?
夏恋はベッセルプランニングと呼ばれる仕事をしている。主にコンテナ船の荷役や出入港のコントロールをしている。簡単に言えば、管轄の港に出入りする世界中の船の動きが把握できるというわけだ。
―― ボスが言うんだ、間違いないだろう。
「ラストオーダーです。追加のお料理、お飲み物はありませんか」
「もうそんな時間!? はやーい」
周りはいい具合に酔いが回り、終わりを惜しむように時計を見ている。夏恋は内心でホッとしていた。自分がどうよりも、友人が自分に気を使うことなく楽しめたかどうかが重要だったからだ。
「追加はもう要らないです」
「時間も早いしさ、あとは気の合うやつらで飲み直したら?」
「いいですねー!」
甲斐田の一言で二組の男女が立ち上がった。甲斐田とさゆり、瀬戸と香織だ。いかにも気の合う者同士に夏恋は口をぽかんと開けた。
―― 疑いもなく、ナイスなカップリング……。
「夏恋たちもいい感じだし、ここでお開きねっ。あとは好きにやろう?」
「よかった。夏恋ちゃんも楽しそうで」
「う、うん。ありがと」
二人に楽しそうだと思われていたことに驚きながらも、なんとか上手く乗り切れたことに夏恋は自分を褒めたくなった。
―― やればできるじゃない! わたし!
「お疲れ様でした」
「お疲れ〜」
やっと帰れる。夏恋が心を撫で下ろしたとき、隣にいた山崎が口を開いた。
「これからどうしますか? 口直しにカフェにでも行きますか?」
「えっ」
夏恋は、山崎からカフェに行かないかと誘われて困惑した。大して弾むような話はしていない。話している時も至極真面目な顔をして、くすりとも笑わなかったくせに。
ーーなんで、誘うの!
「俺、船の代理店の営業なのに、港のことあまりよく分かってないんですよ。荷物をくれる客探しとB/L(船荷証券)の発行ばかりで。だから、山口さんの仕事のことをもう少し知りたいんですよね」
山崎に仕事のことを知りたいと言われた。断ることもできるのに、夏恋はなぜがそれを躊躇った。山崎が勤めている九亜物流はこの辺りでは大手の船舶代理店だ。大事な取引先ともいえる。船の入港回数が減ると、この街の経済は大きく傾く。そんなことになったら、夏恋が何とかできるレベルではなくなってしまう。
ーー県民の一大事に、なる!
「私みたいな、下っ端のお仕事話でもいいんですか?」
「はい。現場の仕事を知りたいので、山口さんでなければダメなんです」
「わっ、私でなければって。あ、えっと……分かりました」
「ありがとうございます」
夏恋の未熟な女心が少しだけ疼いた。
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