第3話

 合コンの二次会は山崎さんとカフェでお互いの仕事のことを語り合った。船舶の入港管理のこととか、荷役するときの順番や時間割とか。 


―― ぜんぜん色気のない時間だったし。


 まさか合コンの二次会が仕事話に花が咲いて終わりましたなんて、恥ずかしくて言えないよね。それでも、色めいた話になるよりはよかったと思っている。山崎さんにそんな雰囲気はなくて、熱心に私の話を聞いてくれた。山崎さんはあまり感情を出さないけど、その分そこに嘘は感じられなかった。その場しのぎのお世辞や、作られた笑顔を向けられるよりはいい。


―― ということは、女として見られてないんだよね。ちょっとショックかも……あれ? 何言ってんの?


「悪い、待たせたな」

「いえ。先ほど申請書はメールでお送りしています」

「珍しいな。山口から見学申請なんて。しかも九亜物流の営業ときた。何があったんだ」

「な、何もっ、ありませんよ」

「なんかあるだろうよ。こっちからアプローチするもんでもないしさ。うちから売り込む必要なんてないんだから。あー、そうか、そういうことか」

「どういう事ですか?」

「もしかして狙われてる? そこの営業マンに。あぁ、おまえそういうの鈍感だもんなぁ。仕事を理由にしないと、近づけかせてもらえないもんなぁ」

「あの、意味がわからないのですが」


 上司にあたる課長の長崎真守ながさきまもるは、意味ありげに笑いながらそんなことを言った。いったい私の何が鈍感だというのか。


「いいよ、いいよ。すぐ許可出すから。その代わり山口が案内してやってくれ。シフト調整できないから」

「はい、分かりました」

「じゃあ俺、四時まで空けるわ。あと宜しく」

「行ってらっしゃい」


 長崎課長は忙しそうにジャケットを羽織って事務所を出て行った。管理職になると現場監督よりも、会社全体の運営に忙しくなる。県庁の輸出振興課と会議をしたり、北部九州から荷物を出してもらうために各県への説明に駆り出されたりする。横浜、神戸、大阪には負けていられない。アジアへの輸出は九州からの航路を使ってもらおうと、皆、力を入れていた。


『九亜物流株式会社 営業部 山崎様。平素は大変お世話になっております。先日ご依頼いただきましたターミナル見学の件ですが――――』


 私は取り敢えず、見学の承諾が得られそうだと山崎さんにメールを送った。日本の経済を支える重要な仕事に私も関わっている。だから私も、微力ながら会社と地域に貢献したい。

 地域は私たちに、期待しているはずだから。





 俺は本当に山口夏恋を情報提供者に育てられるのだろうか。真面目で誠実な彼女をどうやって取り込むんだ。あの目はキレイなものしか見たことのない目だった。人見知りで、他人との距離を縮めることに躊躇う彼女を、俺はどうやって……。


―― 正義のために、嘘で固める……か。


「山崎。どうだった? 夏恋ちゃん。あの後、飲みに行ったんだろ?」


 甲斐田はうまくいったのだろう。かなり機嫌がいい。


「まあ、行くには行きましたけど。道のりは遠いって感じです」

「なんだ、進展なしかよ。しょうがないなおまえは。ま、人それぞれにペースというものがあるからな。いい子だと思うなら、じっくり距離を詰めたらいいよ」

「そうですね。甲斐田さんは手応えありですか」

「俺? ん、まあまあだな。取り敢えずは次のデートが勝負だって思ってる。あ、瀬戸もいい感じだったぞ。山崎も頑張れよ」


 人当たりのいい甲斐田は次のデートの約束をしたらしい。まったく羨ましい性格だ。あんなふうにうまく立ち回れたらどれほど楽か。デートどころかコンテナターミナルの見学をさせてほしいなんて、色気のいの字もない手法だ。しかし、それぐらいしか山口夏恋に近づく道を見いだせなかった。強く押したら間違いなく彼女は逃げるタイプだ。拒絶されれば二度と受け入れえもらえない。そんな気がした。


『期待してるんだよ、お前には。別に男女の関係を持てと言っているわけじゃない。やり方はそれぞれだ。お前なりのやり方で囲えばいい』


 ボスの言葉が脳裏によみがえる。大丈夫だ。自分は期待されている。それが今の俺の支えになっていた。





―― そして、見学当日。


 許可された場所は限られていた。荷役するコンテナが多いこの日は、コンテナヤードやガントリークレーンがある区画は入場が叶わなかった。専用の案内人を確保できなかったのだ。トレーラーや荷役をする機械が頻繁に行き交うターミナル内を、不慣れな人間に案内させるのは危険すぎるという判断だった。そのため、山崎と夏恋の待合場所はベイエリアの案内所になった。


「山崎さん、お待ちしておりました。ここに記名をお願いします。それからこれが許可証になりますので、見えるように首からさげてください」

「お手数おかけしました。いろいろと調整、大変だったでしょう」

「いえ。私の力不足でコンテナヤードがある区画は無理でした。その代わり、ベッセルプランニング室とポートタワーをご案内します。パンフレットです。どうぞ」

「ありがとう」


 夏恋が許可証とパンフレットを渡すと、山崎が頬をゆっくり上げて、ありがとうと微笑んだ。ほんの一瞬見えた柔らかな表情に、夏恋は息を呑む。


―― 笑っ、た?


「先に、ポートタワーに行きましょうか。ここから少し離れているので。先日の合コンで幹事をした、町田さゆりが勤務しています」

「ああ、仕切るのが上手だったあの子?」

「はい。さゆりの性格にとても合った仕事なんですよ。タワーの一番上は展望台のようになっていて、そこから船を監視するんです。少しでもおかしな動きをする船がいたら」

「いたら?」

「無線で呼び出してお叱りします」

「へぇ。確かに彼女に向いている」

「あ、つきました。エレベーターを使いましょう。ちゃんと、非常用の階段もありますけど70メートルあるので」


 仕事の説明をする時の夏恋は別人だった。頭のてっぺんから足先まで、しっかりと芯が通っているように思えた。肩までの黒髪を後ろで一つにまとめ、こげ茶色の縁の眼鏡をかけた、一見地味な事務員なのに。


―― なんだ、楽しそうに喋れるじゃないか。


「仕事では眼鏡、かけているんですね」

「え? あっ……はい」


 夏恋は自分のことに話が及ぶと、どうしたらいいか分からなくなる。急に視線を彷徨わせたかと思うと、眼鏡の端を触って俯いてしまった。


―― しまった。はやまったな。個人的な質問はまだだめか。


「つ、つきました! どうぞ」


 そこはまるで、大型船のブリッジのようだった。窓の外には湾が広がり、船舶の通行がよく見えた。モニターには船舶名、入港時刻から目的地などが映し出されている。旅客船や貨物船だけでなく、海上保安庁の巡視船や漁船などのデータも表示されていた。


「ここは船の無線局となっています。ポートラジオとも呼ばれています。船が着岸できる場所はたくさんありますが、ここからならある程度見えるんです。もちろん機械の眼も使います」

「なるほど。ここで運行を整備しているんですね」

「はい」


―― 港って、かなり広いし職務も様々だろ。自分の仕事以外のことも把握しているなんて、大したもんだ。なるほど、そういうことか。


 相馬ボスがピックアップした人物に間違いはない。山崎はそう思った。


―― 彼女は間違いなくいいエスになる。


 エス……情報提供者ともスパイともいえる存在。エスによってはそれを自覚し、それを誇りに思い、自分が支援している警察官が定年退職するまで務める者もいると聞く。それもそのはず、情報提供の見返りはエスの出世や、仕事の手柄を陰ながらサポートしているからだ。刑事の世界では当たり前に存在するエス。互いに支え合っていなければ続くはずのない関係だ。


―― 俺は、エスにそれを自覚させてはならない。


 山崎は一般の人間に、潜入捜査官が背負う正義だの大義だのは負わせたくなかった。それ以前に、自分の身分はその任を解かれるまで明かすことはない。いや、墓場まで持っていかなければならない立場だ。


―― 俺自身が、嘘で塗り固めた人間だ。俺からは与えてやれるものは、何もない。


「では、移動します。次は私が働いている本社ビルに行きます。主に貨物船をコントロールする場所です」

「はい、お願いします」


 夏恋が軽くボートラジオの室内に向けて礼をすると、それに気づいたさゆりが小さく手を振った。あんなに合コンではしゃいでいたのに、仕事をしているときの目はプロだった。見た限り、港の現場はまだまだ女性が少ないようだ。


「タクシーで移動します。タクシー代は見学の経費で落ちますので気にしないでください」

「分かりました」


 山崎は、タクシーと聞いて反射的にジャケットに手を伸ばし財布を確認した。それを夏恋に見破られたようで、ほんの少しだけ居心地が悪かった。


「10分くらいでつくので」

「はい。山口さんの仕事風景が見られるんですね。楽しみです」

「別に、私は……大したこと、してないですから」


 照れているのか顔を俯かせて言葉尻がしぼんでいく。目元をほんのりピンクに染めた横顔は、山崎には過ぎるほどの可愛らしい反応だった。








―― 深夜、東シナ海。


 台湾海峡を越えて、東に尖閣諸島を望みながら佐世保基地へ帰還途中の海上自衛隊の護衛艦がいた。インド沖での国際合同訓練からの帰りだった。


「鹿島航海長。間もなく日本領海に入ります」

「了解。引き続き見張りを続けよ。尖閣諸島沖を通過する際は特に気を配るように」

「はい!」


 鹿島海戸三等海佐。第一護衛艦隊佐世保基地に所属している。一年前に横須賀基地から異動してきた。異動後、初の海外任務であった。


「気象、誰かいるか」

「はい! 吉田二等海士であります」

「最新の気象情報が知りたい」


 普段は温厚な鹿島だが、艦橋ブリッジに立てば有無を言わせない空気をまとっていた。約150名の隊員の命を預かっているのだから当然だろう。僅かな天候の変化で、航海のスケジュールに狂いが出る。それを最小限に抑え安全な航海をすることが鹿島の任務だった。


「こちらです。波は、少し高いですが雨はありません。周辺海域の海水温も今の季節に沿ったデータが出ております」

「では、今のところは変更はいらないな」

「はい。そのように思われます」


 日本領海に入ったことで、少しだけ肩の荷が降りる。航海申請を各国にとり、日本国籍であることをきちんと示しているとは言え、何が起こるか分からないのが昨今だ。この辺りは海上保安庁の第十一管区海上保安部が管轄する海域だ。彼らは常に隣国からの不気味な脅威と戦っている。


―― 護衛艦が通るからって、そう簡単には抑止力にはならないからなぁ。


 自衛隊の艦が大陸近海を通過するだけで騒ぎ立てられる。海保に余計な仕事をさせたくないという気持ちは常にあった。


―― 微妙なんだよなぁ。海自と海保の関係ってさ。隊員同士はなんともないのになぁ。


 海賊対処でジブチまで行くときは、海上保安官も乗せていくのだ。彼らと訓練を重ね、互いに知識と技術をみがいている。お上同士の縄張り争いなど、現場の人間にはないのだ。


「航海長! 先ほどP-3C哨戒機が、瀬取りの疑いのある船舶を確認。排他的経済水域のため警戒行動を実施するとのこと」

「分かった。艦長に繋げ」


 艦内がざわつき始めた。海上自衛隊は、これまでも何度か北と思われる船の瀬取りを目撃してきた。今回も手順通りに防衛省へ報告をする義務がある。


「艦内に告ぐ、警戒を強めよ」


 そして艦内に響き渡るアナウンス。

 また、例のごとく物資の横流しかと、全員がそう予測していた。

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