第4話

 まさかこんなに早く瀬取りに遭遇するとは思わなかった。現在時刻は、夜明けまであと三時間という真夜中を少し過ぎたあたりだった。彼らは暗いうちの漁船が現れる前、静まり返った頃合いをねらっていたのだろう。


「鹿島です。時田艦長、我々はどのように」

「鹿島三佐。我々は帰還途中であり、預かった隊員を無事に家族に返す。それ以外の任務はない。哨戒機が粛々とすべき事をしている。刺激をせぬよう静かに離れよ」

「了解しました」


 今ごろ上空からP-3C哨戒機が、瀬取りの現場を抑えている。画像は直ぐに所属基地へ送られ、そこから防衛省へ連絡される。新聞には間に合わないだろうが、朝のニュースぐらいには出るかもしれない。


「航路を修正する。周辺の船舶を確認してくれ」

「はい!」


 海上自衛隊の艦艇は日本の海、空、夜の闇に溶け込むような色をしている。特に夜間の航海は周辺の船舶が我々に気づかないことがあるため、気を遣う。


「あっ、なにか落ちました! 三時の方向に白波が立ちました」

「なんだって! うちの艦からじゃないんだな!」

「違います。あれは、コンテナ船です」


 見張りをしていた迫田士長が双眼鏡を覗きながらそう言った。思わず俺は問いただす。


「間違いないのか。コンテナ船って、まさかコンテナを落としたって言うのか? 大した波もないこの海で?」

「自分の眼は、間違ってはいないと思います」

「しかし、コンテナって固定しているだろう? 横須賀に勤務してきたときによく見かけたが、クレーンで嵌め込むように積んでいたぞ」

「……自分の、見間違いでしょうか」


 迫田士長が双眼鏡から目を外し不安そうに俺を見た。迫田は洞察力に優れた隊員だ。見た目だけでは分からない細かな変化から、そのものの状態を読む力が秀でている。それに、視力もいい。


「いや……迫田士長が言うんだ、間違いないだろう」


 するとそばにいた隊員が補足するように口を開いた。


「世界中の海で、年間およそ一万個のコンテナが海に落下しているそうです。その多くは嵐に遭遇したときや、荷物の固定の失敗によるものだとか」

「そんなことがあるのか」

「自分の友人が貨物船の乗組員をしておりまして、そのような光景を目にしたことがあると言っておりました」


―― 我が艦で例えるなら、固定ミスによるロクマルUH60J放流事件てところか……恐ろしいな。



 先進国では運行中に落下させるなどあり得ないことだが、発展途上国が運行する船舶ではよくあることだった。重量オーバー、定員オーバーは当たり前で、何がどのように積まれたか、誰かどの船に乗ったのかなど把握していない。安く大量に積載できる船は、彼らにとって欠かすことのできない輸送手段なのだ。先進国がシステムと法律を確立しても、発展途上国などでは運用されない。取締りを厳しくしても、彼らには関係のないことなのだ。

 国際ルールよりも、今日食べていくお金を確保することが何よりも大切な事案なのかもしれない。それが時に、命がけであったとしても。


「荷主は大変な被害をこうむるんじゃないのか。そのへんの賠償なんかも面倒だろうに」

「まあ、保険でなんとかするんじゃないですかね」

「なるほどな」

「ちなみに落としたコンテナは、そのままらしいです」

「引き上げずに海の底ってわけか」

「莫大なお金をかけて、引き上げる価値のある荷物かどうかですよね。よほどの物でなければ再輸送でしょう」

「ああ、確かに」


 鹿島は民間の船舶事情が思いの外アバウトなことに驚きつつも、ある意味効率的なやり方だなと思った。もっとも、愛する海にゴミが増えることを除けばである。


 地平線に真っ白な光が急速に広がった。


「やっぱり夜明けは、我が領海の海が一番ほっとするな」


 間もなく長かった海外任務が終わる。鹿島の脳裏に、真っ先に思い浮かぶのは新妻の笑顔だ。上陸したら電話をかけよう。鹿島はそんなことを考えながら、昇りゆく朝日を見つめた。



 


 翌朝。夏恋が通勤バスから降りると、ぶつかるような勢いで背中を叩かれた。それが誰かは想像がついていた。夏恋にそんなことをするのは、同僚の町田さゆりくらいだ。


「おはよー! 夏恋、どうなった?」

「おはよう。どうなったって、なにが?」

「もぅ。山崎さんとに決まってるでしょ! 夏恋が見学のエスコートしたんでしょうよ」


 さゆりは自分が働くポートタワーを出たあとの二人が気になって仕方がなかったのだ。


「あのあとは、うちの部署でベッセルプランニングとか、コンテナの管理のこととか説明して終わり。コンテナターミナルは、急すぎで許可が間に合わなかったの。ターミナルの動きまで見せてあげられたら良かったんだけど」

「え、もしかして見学終了とともにサヨナラしたの? 次の約束は?」


 さゆりはあり得ないとでも言いたげに、夏恋に詰め寄る。そんなさゆりを見て夏恋は思った。


―― やっぱり、コンテナターミナルの見学を予約するべきだったかしら。


 夏恋も昨夜は、中途半端な見学をさせてしまったと反省をしたばかりだった。時間が開いても、コンテナターミナルは見せておくべきなんだと、思い直す。


「今日、コンテナターミナルの担当者に聞いてみるわ。やっぱりターミナルまで見てもらったほうがいいもの」


 夏恋がそうさゆりに言うと、さゆりは大きなため息をついて肩を落とした。


「はぁ……そうじゃないのよ。ねえ、夏恋。そんなことじゃ男女の仲に発展しないでしょうよ! あんた、このまま枯れていくつもり? もったいないのよ。気づいてる? 夏恋、あなたは笑うと可愛いの! 美人なの!」

「なっ、何大きな声でっ。やめてよ……」


 大きな声で可愛いだの美人だの言われて、夏恋は顔を真っ赤にして俯いた。そんな夏恋の顔をさゆりが容赦なく下から覗き込む。


「自信、持ちなさいよ」

「なによ」

「あと、眼鏡。せめてもう少し小ぶりの可愛いのにしなさいよ。コンタクトだって持ってるくせに、なんで仕事中に擬態してるのよ」

「それは……き、気持ちの切り換えよ。それに可愛くする必要ないもん。業務に関係ないじゃない」

「夏恋。もう、アノことは忘れなよ」

「いろいろとありがとう。取り敢えず時間だから、また」


 夏恋はさゆりから逃げるように社屋に駆け込んだ。入社してすぐの頃、夏恋はさゆりと同じポートタワーに勤務していた。当時、女性社員は珍しく、正に男の職場だっだ。海が好きで船が大好きな、夢と希望に溢れた新入社員の夏恋は、そこで夢を潰されかけた苦い思い出がある。媚びたつもりも、女を武器にしたつもりもない。なのに、女という性を特別視された。


―― 忘れなさいよ。もう終わったことじゃない。あの男はもう、現れない。


「おはようございます」

「おはようさん」


―― 大丈夫。大丈夫。私はここでは女じゃない。


「山口、今日の業務なんだが」

「ひゃっ!」

「おい、どうした。びっくりするだろう」

「すみません。ぼーっとしていたもので。えっと、なんでしょうか」


 上司の長崎は怪訝な顔をしながら、夏恋に夜間部から引き継いだ書類を手渡す。


「お前でもぼーっとするのかよ。まあいい。これ、夜間部からの引継書だ。今日の入港船でX線検査にかけるコンテナの一覧だ。税関がピックアップしたものなんだが、X線検査に出す前に重量計測を頼む」

「はい、了解しました」


 出発地を出港した荷物は、B/L(船荷証券)が発行される。荷受人はそのB/Lと、船舶会社からArrival Noticeといって、到着日時などの詳細情報を受け取る。それをもとに荷受人は通関や税関での手続きを予約したり、陸揚げされたコンテナを最終目的地に運ぶトレーラーの手配などをする。荷物によっては放射能汚染検査、X線検査、動植物検疫検査などが行われる。


 コンテナ船から引き揚げたら終わり、ではないのだ。特に海外からの荷物はものによっては時間がかかる。一日で通関するものから、一月以上かかるものもあるのだ。


 夏恋は本日荷役するコンテナ船情報を確認した。出港地はインドネシアで中国、台湾を経由して日本の各港へ寄港するものだった。


「課長、荷役時間が11時からになっています。このコンテナは何時に降ろされますか。データ更新されていません」

「え? あ、本当だ。ちょっと待て、今入れる。すまん、四本目だから、45分頃だろう」

「ありがとうございます」


―― 大丈夫、いつもの私だわ。




 休憩時間、私はコーヒーを飲みながら何気にスマートフォンを見た。さゆりからメッセージが来ている。タイトルはごめん……。さゆりが謝る事でも何でもないのに、私ってだめだなぁ。気にしないでと返信しようと直ぐに本文を開いた。


「えっ?」


 内容を見た私は、目を疑った。落ち込んで反省したさゆりの文章を予想していたのに、それはまるで正反対。タイトルのごめんは何に掛かっているのかを真剣に考える。


(今日の夜、7時半に山崎さんが夏恋をつばめ大橋で待ってる。あそこからなら夜のコンテナターミナルの動きがよく見えるでしょ? 説明してあげて! 私、甲斐田さんとデートで相手できなくて)


「もう、さゆりってば」


 さゆりが仕組んだことだってすぐに分かった。だけど、それに対して怒る気持ちは起きてこない。だって、さゆりがどれだけ私のことを心配しているのか分かっているから。


 私はそのメッセージに返事をすることなく、仕事に戻った。自分でもどうしていいか、分からなかったから。特定の男性と距離を詰めること、その男性が誠実な人なのか、私はその人をどう思っているのか。そもそもその男性は私のことをどう感じているのか。考えたりかけ引きをすることがとても億劫だ。いや、怖い。その一言しか今の私にはない。





「重量計測入ります。計測後、データアップしてください」

「了解」


 指定されたコンテナはほぼ時間通りに船から降ろされ、ターミナル内で重量計測を行った。その後、大型X線検査装置がある場所に移動。トレーラーごと装置に入り、コンテナ内をX線で確認するという仕組みだ。


「予定されたコンテナは全部計測完了しました」


 その後もどんどんコンテナは降ろされ、トレーラーがコンテナヤードへ運ぶ。通関が終わったものから引き取りが始まる。それと同時進行で、新たなコンテナを船に積み込む作業がある。システムで管理されているため、降ろす荷物と載せる荷物がかち合うことはない。

 目まぐるしく動くコンピュータを追いかけているうちに、夏恋の一日はあっという間に終わろうとしていた。


「山口! 上がっていいぞ。お疲れ」

「お疲れ様です」


 夏恋は先輩に言われ、やり残しはないかを確認して席を立った。帰り際、後方で申告内容と重量に相違があると言う話が耳に入った。夏恋は一瞬立ち止まったが、それは自分が気にする案件ではないと判断しそのまま事務所をあとにした。




「コンテナ一本足りないってよ!」

「マジかよ……。積み忘れだろ。途中の港で降ろしてそのまんまとか? 分からんけど」

「うちのミスじゃないんだろ? うちは言われたものを降ろすか積むかだけなんだからさ」

「船会社がどうにかするだろ」

「だなー」


 稀にあるのだ。寄港地で急に検査対象になって降ろされ、積むのを忘れて出港とか。システム管理しているとはいえ、そのシステムを動かすのは人間なのだから。

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