第14話

 日本は四方を海に囲まれた島国だ。国土は狭いが、おかげで排他的経済水域は世界から見ても広い。天然資源や自然エネルギーに関して開発や管理をする権利があり、その水域内であれば施設建設や環境保護、保全、海洋科学調査を行うことができる。それは他国にも存在し、互いにそれを邪魔してはならない。しかし、過去から現代に至るまでその水域争いは絶えない。特に隣接するアジアの国では歴史的観点から、我が国の領土だ領海だと主張しあい境界線付近では常に緊張状態にあった。





 東シナ海、尖閣諸島沖。水産庁の海洋調査船から第十一管区海上保安部に一報が入った。日本の排他的経済水域内のとある場所に、船舶が集結していると。

 通報を受けた海上保安庁の巡視船は、すぐさま現場に出動した。それらの船は漁をするわけでもなく、何かの機械で探査している様子もなく、一定の間隔をあけて錨泊びょうはくをしていた。


「何を始めようってんだ。気持ち悪いな」


 尖閣諸島問題で毎日、二十四時間体制で任務に当たる十一管区(沖縄地方管轄)の保安官もその様子は異様に思えた。


「このまま国籍が確認されなければ無許可漁業の疑いで立入検査だな」

「はい」


 数にして十数隻である。すぐに応援を要請した。怪しげな船舶は古びた漁船や、真新しいクルーザー、遊覧船のようなものまで種類は様々だった。

 排他的経済水域であろうが、いかなる国籍の船舶の航行、及び、進入を阻止することはできない。しかし、国籍を示す国旗を掲揚することは国際法で義務づけられている。特に何かをしている様子はないが、海上保安庁としては見過ごすわけにはいかない。


「水産庁から日本の漁業組合を通して、近づかないように通達してもらった。あとはこの辺りを通過する貨物船に、できるだけ避けて通過してもらわないと。ま、強要はできないんだが」

「そうだな。それにしても、あまりにも不気味すぎる」

「石垣のビーチからの返答を待ちましょう」


 海上保安庁石垣航空基地からビーチ350(固定翼機)が、確認のため飛び立った。空から船舶を確認してもらうためだ。今のところ通行する貨物船に影響はなく、彼らに領海侵犯などの気配もない。しかし、保安官たちの緊張は高まるばかりだ。






 一方、海底では静かに海上自衛隊の潜水艦が潜行中であった。彼らは海の忍者とも呼ばれ、その行動は謎に包まれている。選ばれた者しか任務につくことができず、彼らの任務内容は同じ海上自衛隊員でも知るものは少ない。

 近頃はお隣の大陸の海軍が頻繁に軍事的意図を持ち、日本の領海を調査している。海上自衛隊はそういった彼らの動きも監視しているのだ。


「間もなく目的地周辺に到着。監視活動を強化せよ」


 隠密行動が常である彼らは、任務中の会話の音量に気を使うし、潜望鏡を水面に出して外の様子を確認するのもたったの十秒。なにがあっても、絶対に敵に見つかってはならないのだ。


「どうだ、慣れたか」

「まあまあと、いったところでしょうか」


 潜水艦乗務員の適正試験に合格したばかりの隊員は、口で言うよりも緊張していた。初めての実務に首も肩もガチガチだ。


「まあそう肩肘を張るな。ここはまだ日本だ」

「……はい」


 日本の潜水艦は優秀だし、乗務している隊員も他国に引けを取らない。忍耐と精神力はトップレベルと言えるだろう。 


 専守防衛が絶対の自衛隊は他国が日本に脅威を与えない限りは、自ら戦いを仕掛けたりしない。例えそれが、目の前で領海侵犯されたとしてもだ。魚雷を撃ち込まれても、撃ち返す事すらできない。尤も、その瞬間は早々に察知し退避しているだろう。

 音の無い、何も見えない海の底では知られざる攻防が繰り広げられている。


「交代の時間だ。しっかり休めよ」

「ありがとうございます」


 六時間ごとに勤務時間は区切られている。狭い艦内に数十人の男たちが共同生活をしていた。日本の潜水艦は原子力ではなくディーゼルエンジンで動く。そのせいかディーゼルの独特な臭いが鼻につき、体にも染みつく。真水は大変貴重で、シャワーも三日に一度浴びる程度だ。空気も換気ができないせいでどんよりしている。


 そしてなにより暑い。湿度も高く体の内側からじっとりと汗が滲み出る。こんな過酷な任務を誰が好き好んで志願するのか。彼らは日本で最も奇特で、最も優秀な人間なのかもしれない。


「今日はカレーだってさ。もう金曜日だなんて、早いな」

「え、もうって。自分にはまだやっと、ですよ」

「あはは。初めてだもんな仕方ないか。まあ、あれだ。慣れだ」

「ええ。人間ってすごいですよね。どんな環境にも順応していく」

「まあ、俺たちは特別だからな」


 出航してしまうと、いつ陸に上がれるか分からない。いつ出発して、いつ帰るかなんて本人もわからないし、大切な家族や恋人にも告げられない。当然、携帯の電波は繋がらない。それでも休憩時間には御守かのように手に取ってしまう。


――いつ、浮上できるかな。


 浮上して電波が繋がっていたら送ろう。いつ送れるか知れないメールを、愛する人へしたためる。


(なんとかうまくやってます。陸に上がったら、加奈子の料理が食べたいです)


 穏やかな海に怪しい船の停泊。それを警戒しながら領海の安全を守る巡視船。安定した潜行で警戒任務を行う潜水艦。


 いつもの事だ。訓練通りにやればいい。しかし、例外は突然起きるものだ。





――佐世保基地。


 いつもは見ない艦船が停泊していた。それが慌ただしく動き始めたのを市民は知らない。一部のマニアであれば勘付いているかもしれないが、彼らは静かに迅速に行動を開始した。訓練ではなく、実動であることに内部は緊迫していた。


「出航!」


 予定にはなかった。緊急事態だったのだ。佐世保基地を出航したのは、哨戒ヘリを載せた護衛艦一隻と、ミサイル型護衛艦二隻。そして、潜水艦救難艦であった。


「漁船と思われる小型船が複数見える。三時の方向から進入されよ! 網はなし!」

「三時の方向了解。網はなし!」


――救難艦まで出動って、どうなってるんだ。何かが起きるときは、どうしてこうも同時なのか。


 ミサイル型護衛艦の航海長を務めるのは、つい先週、海外訓練から帰還したばかりの鹿島海戸かしまかいと三等海佐だった。制服の下に妻からもらった八咫烏やたがらすの御守を身につけている。上からそっと抑え、任務の安全を祈った。

 鹿島が率いる艦隊も、救難艦も目的海域は同じ東シナ海であった。


「湾を出た。スピードを上げろ」

「スピードを上げる」


 第十一管区海上保安部からの協力要請に、事態を重く予測した防衛省が動き始めた。もしかしたら途中で、海上警備行動が発令されるかもしれない。そんな意図を含んだものだった。

 そして同時に、東シナ海を潜行中の潜水艦から救難信号が出された。突然、制御不能となり浮上もできないままエンジンを停止したという。このまま時間が経てばいずれ艦内の酸素がなくなり、乗員の生命に関わる問題となる。


 鹿島が立つ艦橋ブリッジは出航してからも落ち着く様子はなかった。次々に情報が入ってくる。


哨戒機P3Cが先行しています」

「先ほど、那覇基地がスクランブルしました」

「迫田士長、見張りを頼む」

「はいっ!」


 航空自衛隊那覇基地のスクランブルも、これに関連することなのかは不明。しかし、何かが起きているのは間違いない。いつもと違う感覚に鹿島は拳を強く握りしめた。





 その頃、夏恋を乗せたクルーザーは那覇、石垣島を経由して尖閣諸島沖にいた。遠く前方に見えるのは台湾だろうか。


――なんてところまで来てしまったの……


「気分はどうだ」

「大丈夫です」

「そうか」


 八代港を出発してから、夏恋の監視はもっぱら林原がしていた。あれから風丸は火口と山上を常にそばに置くようになり、林原に相談することはなくなった。


――俺と女を同時に監視しているつもりなんだろう。いつ、動く。


 あれからずっと機嫌のいい風丸を見ていると、あのコンテナにはよほどの物が入っていると林原は思った。これまでの風林火山は林原がバランスを取ってきたはずだった。しかし、今回の大きな山に関しては違和感しかない。


――バレたのか。まさかな……。もしそうなら、とっくに殺されているはずだ。だとしたら、どういうことなんだ。


 夏恋も男たちの行動を奇妙に感じていた。何を目的にこんな遠くまで来たのか。そしてなぜ自分が連れ回されているのか。何よりも不思議なのは、自分を見張っている林原のことだ。


――悪い人、なのよね?


 凶悪犯にしては人質である夏恋の扱いは悪くない。食事もトイレも、シャワーも自由にさせてくれる。しかし、林原がときどき見せる夏恋への気遣いは、色気が垣間見えて困惑する。


「お嬢さんさ、船の免許持ってるんだろ」

「そ、そんなことまで調べたんですか! 気持ち悪いっ」

 

 夏恋はキッ! ときつく林原を睨んだ。きを見せてはならない、という思いで必死に威嚇していた。


「ふっ、悪いな。親よりしってるかもな、俺は」


 林原は口元を緩め、少しだけ目尻を下げて笑った。それを見てまた、夏恋の未熟な乙女心がドキンと跳ねた。

 目尻に入ったシワを見ると、男の人生を想像してしまう。なぜこんな犯罪組織にいるのだろう。賢くて顔もいい。普通に働いていれば、間違いなく女性にモテたであろうに。


「彼氏はいるのか」

「いっ、いません! 好きな人もいません! だからっ、いつ死んだっていいんです! 私なんかを誘拐したって、なんの効力もないんだから!」


 夏恋はこの数日で何度も死を覚悟した。自分の人生も飽きるくらいに振り返り、もう未来はないのだと諦めた。だから、怖いものは何もないと夏恋は言い聞かせている。


「なんだ、ずいぶん威勢がよくなったな」

「もう、いいですから! 構わないで、さっさと殺してください……っ」


ーー話すことなんて何もない。世間話なんてしなくていい。これ以上、無意味な会話なんてしたくない!


「っ!!」


 夏恋の頬がジリと軽い痛みを覚えた。林原が夏恋の頭を引き寄せたはずみで、わずかに伸びた髭が柔らかな頬に触れたからだ。そして唇が耳に触れそうなほど近くで囁く。


「アンタ、泣かせたくなる」


 恐怖どころか、その仕草に夏恋の胸は高鳴る。大人の、男の匂いがしたからだ。夏恋はその匂いに反応してしまう女の本能が恨めしくてならなかった。


「イヤっ!」


 夏恋は思い切り男の胸を突いた。すると、意外と男はすんなりと夏恋から離れていく。何もかも見透かしたような瞳で夏恋を見ながら。


「嫌いじゃない、アンタのその、悪あがき」

「なっ……」


――からかわれてる! ムカつく!


「いい眼になってきたってことだ。ん? 外が騒がしくなったな」

「え? うわっ」


 突然船が波に煽られて、大きく揺らいだ。夏恋は近くの窓から目を細めて外の様子を見た。はっきり見えるわけではないが、周囲にはたくさんの船が浮いていると確認した。


――囲まれてる! 海賊っ!?


 何かが始まろうとしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る