第18話

『目標、白いクルーザー船!』


――やはり、そうなるのか……。


 海上自衛隊の艦隊司令からの無線を聞いた山崎は唇を噛み締めた。海上自衛隊が指揮をとるとなれば、海上保安庁はその隷下となる。それを考えれば相馬ボスが自分を海上保安庁の特殊部隊に潜らせたのは正解だと思った。対象の船に接舷し、立ち入り検査となれば海上自衛隊の立入検査隊または、海上保安庁が配置した特殊警備隊SSTとなるだろう。そして、逮捕の権利を持っているのは海上保安庁だ。


「目標船舶の包囲に入る! SSTはボートに乗り換えろ」


 全身黒とも言える装備で誰が誰なのか区別はつかない。山崎は隊員に挟まれて黒いボートに乗り込んだ。


――やっと助けられる。どうか無事でいてほしい!


 SSTが乗り込んだボートは静かに巡視船から離れた。一定の距離をたもちながら海上保安庁の巡視船と海上自衛隊の護衛艦がクルーザーとの距離をゆっくり詰める。クルーザーからしたら大型船が作る波は大敵だ。その波を煽って転覆させてしまっては意味がない。巡視船と護衛艦とで円を描くように取り囲み出口を塞ぐ。その後、SSTと立入検査隊が小型ボートで接舷するのだ。

 空から突入という手段もあったが、今回はあの空も飛べる軍人を警戒した。ヘリコプターが撃ち落とされるのを避けるためだ。


「お前らぁ! 腹はくくったか」

「はい! それはもとより!」

「そうか。アイツが銃口を向け撃ってきたら正当防衛成立だ。即、射撃を開始する。絶対にお前ら弾に当たるようなバカはするな!」

「おお!」


――とんでもない筋肉集団だな


 隊長の言葉に熱く反応し士気が上がっていくのを感じだ山崎は、ひとり冷静だった。そもそも彼らとは違う世界で生きている山崎が、同じように振る舞えるはずはないのだが。


「あの、くれぐれも人質だけは傷つけないでください」

「ふん! 俺たちを舐めるなよ」


 銃撃戦になってしまうと夏恋を無事に救うことが難しくなってしまう。自分たちは防弾ベストを着ているが、彼女は生身の体で捕らえられているのだ。


「隊長! 操縦しているのは女性です。もしかして、人質にされている人では」

「なんだと……グルだったのか」

「違います! 貸してください!」


 山崎は隊員が覗いていた双眼鏡を取り上げた。覗くと間違いなく操縦しているのは夏恋だった。しきりに後方を気にしていることから山崎は推測した。仲間割れが起きたのではないかと。


「彼女以外に少なくとも男が四人いるはずです。船の後方にある甲板が気になる」


 山崎がそう言うと、隊長が後方の操縦士に合図を出した。クルーザーの後方が見える位置まで動いたのだ。再び山崎は双眼鏡を覗く。


「やっぱり……」


 後方の甲板上で男たちが何やら揉めていた。四人いると思われたが、そこには二人。あの激しい蛇行運転に他の二人は海に投げ出されたのかもしれない。


「おい! 人が浮いている!」


 クルーザーからわずかに離れた海面から人が見えた。落ちた二人かもしれない。すると次の瞬間、ライフルが空から火を吹いた。宙に浮いていた軍人が、海面を漂うその男に向かって撃ったのだ。それを見た隊員たちもさすがに驚く。


「おいおい、なんてことをするんだ」


 たった一発の弾が、二人の男の頭をまとめて撃ち抜いた。そのまま二人の男は動かなくなり波に飲まれて、浮いたり沈んだりを繰り返す。


「助けますか!」

「いや、近づくな。アイツの目に入ったら、俺たちもただじゃ済まない」

「くそっ」


 あんな狙撃は見たことがなかった。隊員の誰もが思う。やはり人間ではない! 俺たちにヤツを拿捕できるのかと。


『包囲完了! 強行接舷の準備に入る』


 無線から次の作戦の指示が流れた。夏恋を乗せた白いクルーザーを大型巡視船と護衛艦が囲った。その内側に海上保安庁と海上自衛隊の特殊部隊が待機する。


『上空のテロリストに向けて放水を開始する! その間に各部隊は接舷及び乗船せよ!』


 海上保安庁も海上自衛隊もあの軍人に向けて射撃は行わないようだ。いや、許可がおりていないのだろう。船舶、艦船に搭載された武器を人の形をしたものに向けていい法律がない。あくまでも彼らが積んだ武器は対艦(潜)または、対空戦闘機なのだ。


「隊長!」

「俺たちの腕にかかってるってわけだ」


 隊員たちは肩にかけたライフルに手を掛けた。


『放水はじめー!』


「いつも通りに、だ。行くぞ」

「はい!」


 一斉に放たれた水は、宙に浮いた軍人へ命中した。巡視船の放水する水圧であれば、簡単には発砲できないはずだ。


 山崎を乗せたボートは水飛沫の中、まっすぐに夏恋を乗せたクルーザー向かって進んだ。





 夏恋は甲板に様子を見に出ていったまま、戻ってこない男を心配していた。甲板に立っていた男たちはどうなったのだろうか。しかし、様子を見に行った林原は戻ってこない。


――どうしたの? まさか、あの人も落ちたとか!


 夏恋は操縦席から降りてドアを開けた。あの嫌な音はもうしない。手すりに捕まりながら、ゆっくりと後方の甲板を目指した。ふと、沖に目を向けると最初に見たときよりも、巡視船や護衛艦を近くに感じる。


――ここで手を振ったら気づいてもらえる? 助けてもらえる? ねえ! 早く私を見つけて!


 悲しみや苛立ち、焦りが混ざり合った複雑な感情が湧いてきた。死を覚悟したけれど、もしかしたら助かるかもしれない。目で確認できる位置に海上保安庁や警察がいる。淡い期待がちらついて落ち着かない。大声で助けてと叫びたい。


――あっ、無線!


 そういえば、海上保安庁から無線でコンタクトがあったではないか。そう思い出して操舵室に戻ろうとしたその時、嫌な音が響いた。


パン!


 銃声だ。

 夏恋は逃げるどころか音のする方へ向かってしまう。心の隅に一抹の不安があったからだ。


――まさか、あの人が撃たれたの!


 なぜ心配する必要があるのか。夏恋にとって、四人とも消えてくれれば自分の命は助かったも同然なのに。けれども、林原の事だけは心に引っかかって仕方がない。悪に染まった男のはずなのに、芯から悪とは思えない何を感じる。


 夏恋は甲板に飛び込んだ。そこに居たのは風丸と呼ばれた男と林原の二人だけだった。しかも風丸は拳銃を林原に向けている。


「おまえ、なんでこんな事を」

「すごいだろう。見ろよ俺の息子を。あいつはな、優秀な軍人だったんだ。とある国での作戦で危うく命を落とすところだったのを拾ってきたんだ。現代科学と医療を駆使してな」

「あいつは人間なのか」

「うん? まあ、そうだな。心臓と脳は完全に人工だって言ってたな。皮膚は特殊なんだってよ。破れないし燃えない。あいつ、死なねえんだよ」


 風丸は天を仰ぎながら笑った。そして、息子と呼ぶヒューマノイドロボットと日本を再生するんだと言う。


「この国はダメだ。いっぺんぶっ潰してやらないと、いつまでたっても弱腰は直らねえ。見ろよ、あいつら。手も足も出せねえだろ」

「何を言っている」


 風丸は巡視船や護衛艦に向って指をさし叫んだ。


「目の前で一般人が撃ち殺されてもあの有様だ。くうを斬る威嚇射撃が関の山。お飾りの武器なら捨てちまえ。この国の正義はどこに行った! こんな国に国民の生命と財産が守れるのかぁーー!」


 風丸は何度も言う。俺と息子とで日本を救うのだと。


「気でも狂ったか!」

「ふはは! 残念だが正気だよ! おまえ、うまく潜り込みやがって。おまえみたいな国家の犬は俺のチームに必要ない。消えろ!」


 風丸が指でなにかの合図をすると、宙に浮いた軍人がライフルを構えた。その銃口が林原に向いた。


「やめてー!」

「なんでここに来た!」


 夏恋が林原の前に飛び出したのだ。言うことを聞くはずのない軍人に向って叫ぶ。これ以上人を殺すなと。


「お願い! もうやめてください。人を殺さないで! あなたは国を守る軍人でしょう? 私たちは敵じゃない」


 夏恋が叫んでも軍人の表情は一つも変わらない。向けられた銃口もピクリとも動かない。


「お嬢ちゃん、いいところに来た。こいつと一緒に死んでやってくれよ。一人より二人の方がいいだろ? あいつらみたいに」

「この子は関係ない!」


 林原は前に立った夏恋を自分の後ろに隠すように庇った。風丸が言うあいつらみたいにとは、火口と山上の事だろう。あの軍人が海面に落ちた二人を一発の弾で撃ち抜いて殺害した。


「いいねぇ。死ぬ直前までそうやって正義ぶっていればいい。けどな! お前は地獄にしか行かねえぞ。正義という名の蓑を捨て、俺たちとさんざん悪に手を染めたんだからな! それが正義のためだと言っても、閻魔様は許したりしない! My Sun! 裏切り者だ、れ」


 カチャと冷たい音が耳に届いた。その瞬間、林原は夏恋を抱きしめて甲板に倒れ込む。何が何でも夏恋を巻き込みたくなかった。死ぬのは自分だけでいい。そう思いながら。


 ターンッ……ズゴゴゴ……


 銃声が鳴ったような気がした。しかし、その後すぐに大量の水が空から降ってきたのだ。夏恋は林原の重みと雫にさらされ、呆然と空を見つめる。


――雨? しょっぱい雨……どうして!


『こちらは海上保安庁です。速やかに武装を解除してください』

『こちらは日本国海上自衛隊です。武器を捨て船舶のエンジンを停止してください』


ウウーッ! ウウーッ!


『警告に従わなければ船体威嚇射撃を行う。繰り返す……』


「海上保安庁? た、助けが来ましたよ! ねえ、エンジンを止めましょう? 重い……どいっ……えっ」

「すまない。くはっ!」

「う、撃たれたんですか! 待って、これっ……私のせい!」

「ちがっ……う。勘違いするな。あんたのせいじゃない」

「でも! 血……血が」


 降り注ぐ水は海上保安庁の巡視船からの放水だった。警告に従わなければ放水から射撃に変えると言っている。早くエンジンを止めて抵抗しないことを示さなければならない。しかし、夏恋の上に倒れ込んだ林原は、銃弾に倒れ出血していた。

 放水の雫に混じって、林原の血が夏恋の頬に落ちる。夏恋は必死に手を林原の背に回し、撃たれた場所を探した。首の下、肩のあたりが生温かい。


「どうして……なんで、こんな事に」

「はやくっ、行け……操舵室にもどれ。おさまるまで出て、く……る、な」

「いやっ……死なないで! すぐそこまで助けが来てるの!」

「アイツがそれを許すか、な……うっ」

「あなたも、操舵室にっ。一緒に行きましょう。私につかまってください!」


 ぐったりした林原を夏恋は肩に担ごうとする。しかし、水に濡れ重みが増した自分より大きな男を、夏恋は浮かすこともできない。なんとか仰向けにして、脇に手を差し込んで少しずつ引きずることにした。


「あなた、名前は! もういい加減に教えてください。お願いします!」

「しつこいお嬢さんだな。俺は置いていけ、どうせ助からない」

「そんなこと! 言わないでください!」


 海上保安庁の放水は軍人に向けられており、放水の影響でときどき船が前後に揺れる。なんとか夏恋は林原を引きずりながら操舵室のドアの前まで来た。しかし、あまりにも男が重く、ドアを開けて中に入れることは無理だと悟った。


「もう、無理……」


 夏恋は体力も気力も限界を感じていた。抱えた名も知らない男を見ると、もう涙しか出なかった。


「泣くな……巻き込んでしまって、悪いと、思っている。詫びにはならないが、これをっ」


 林原は震える指先で胸の内ポケットから何かを取り出す。それを夏恋に差し出す。それは小さなプラスチックケースで、中に何かが入っている。


「私っ、あなたの事、何も知らない! せめて名前を教えてください。じゃないと、わたしっ」

「ガイジ、ニ……」

「え?」

「ま……さ、や」

「まさや、さん? まさやさん! しっかりしてくだい! お願いっ……死なないで! もっと、あなたの事、教えてください!」


 林原は夏恋のポケットに取り出したケースを放り込んだ。その小さなプラスチックケースの中には、林原の全てが記録されたメモリーカードが入っている。最後まで迷ったが、死を目の前にして人間は弱かった。何かの形で特定の誰かに、本当の自分を知ってもらいたいと思ってしまったのだ。


――許せ。俺の全部を託すことを、許してくれ


「まさやさん!」

「エンジンを……止めてこいっ。撃たれるぞ」

「わ、分かりました。でも」

「エンジンを止める間くらい、で、死ぬか。早く……止め、ろ」

「はいっ」


 夏恋は林原から離れることが怖かった。目を離している間に力尽きてしまうかもしれない。しかし、エンジンを止めなければ船を射撃されてしまう。そうなると、助かる可能性もなくなってしまう。

 夏恋は手のひらで涙を拭いて、操舵室のドアを開けた。

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