第19話
「エンジンが止まったぞ!」
夏恋が乗ったクルーザーのエンジンが止まった。そして、救難信号が発信されたのを確認した。
「あのバケモノはどうなっている! 放水はいつまでやるんだ」
「分かりません!」
山崎を乗せたSSTのボートは、接舷準備を整えて上からの命令を待っていた。放水開始と同じ頃、銃の音がしたのを山崎は聞いていた。嫌な予感がして双眼鏡で夏恋の姿を探した。しかし、水飛沫が強すぎて船上は真っ白に覆われ、人の姿は確認できなかった。
「まあ、いい。ゴーサインが出たら突入するのみ。全員、生きて帰るぞ!」
「はいっ!」
特殊警備隊、SSTは必ず全員で帰ることが絶対条件だった。仲間を犠牲に置いて帰ることは決してない。隊員は緊張していた。それもそのはず、訓練どおりにとどれほど言い聞かせても訓練で想定した状況を見つけることは困難だったからだ。
「強制接舷せよ!」
「了解」
ボートのエンジンはフル回転した。目標のクルーザーまであとわずか! 躊躇いは命取り、一気に突入して制圧しなければならない。
「海自に負けるなよ! 乗船! 作戦開始ーーっ!」
ボートが船に触れるか触れないかの所で、隊員は流れ込むように移乗した。山崎も遅れを取らぬよう、行動を真似てクルーザーに乗り込んだ。
「おい!」
「はい」
隊長が山崎に言う。
「おまえは、操舵室に回れ。ヤツはまだ浮いたままだ。俺たちであれを何とかする。おまえは人質を確保しろ」
「はい!」
「おい!」
「なんでしょう」
「死ぬなよ……」
「はい」
山崎の肩を強く叩いて、隊長は後方へ回った。山崎は手にした拳銃を握り直す。夏恋を助けられるのは自分しかいない。
――今、行きます!
山崎が前方に回るとすぐ、海上で爆発する音がした。見ると放水は止まり爆破の影響で波が立ち、一拍おいて船が大きく揺れた。爆破の原因はあの軍人が放水を浴びているにも関わらず、持っていた手榴弾を投げたものと思われた。
それを皮切りに後方は激しい銃撃戦となってしまった。軍人は上から両手にもった拳銃を乱射し始める。
「まずい! 急がないと、全滅するぞ!」
――自衛隊はまだ撃てないのか! もうあれは、人間ではない。ロボットだ!
防衛出動が発令されれば、護衛艦がもつミサイルで決着がつくのに。自分の力の及ばぬところで山崎は焦燥感に襲われていた。
船の揺れが落ち着くと、再び山崎は足を進めた。やっと辿りついた操舵室の窓から中を覗くが、操縦席には誰も座っていない。目を凝らし何度も中を見渡したが、そこに夏恋の姿はなかった。
「どこだ! どこにいる!」
すると、対面の窓に人影が見えた。反対側に回っている間に撃たれてはもともこもない。山崎は装備していた警棒で窓ガラスを叩き割って進入した。そして対面のドアを壊す勢いで開ける。
「山口さん!」
「ひっ……」
すぐに抱き寄せるつもりでいた。しかし、目の前の夏恋は見知らぬ男を膝に抱え、泣きながら自分を仰ぎ見たのだ。それも、血塗れで。
山崎は脳をフル活動させた。この状況を把握するよりも、まずは夏恋が無事でいたことに喜べと言い聞かせる。
――落ち着け……! 俺は今、山崎晶ではない。海上保安庁の人間だ!
「山口夏恋さんですね? 海上保安庁です。助けに来ました」
山崎がそう言うと、夏恋は涙を流しながら頷いた。そして、助けを乞う。
「まさやさんを、この人を助けてください! 背中を撃たれたんです。急がないと!」
まさか、男を助けてくれと言われるとは思っていなかった。しかも、その男の名前を口にしている。山崎は頭を殴られたような衝撃に見舞われた。誘拐されていた間に、彼女とこの男に何があったというのか。
――まさか、ストックホルム症候群!
長い時間を犯人と共にすることで、過度の共感を得てしまうことだ。それが男女となるとその関係はまた別のものになる事もある。
「私の任務は、人質として連れ去られたあなたを全力で守ることです」
山崎はそう言い、流れ弾に当たらぬようシールドを立て夏恋に背を向けた。それ以上の適した言葉を持ち合わせていなかったのだ。
◇
夏恋はやっと来た海上保安庁の保安官の姿を見て安堵で力が抜けそうだった。そして、現れた保安官の武装を見て再び緊張をした。まだ助かったわけではないと。自分を庇って撃たれてしまった男はやっと息をしている状態で、医療に詳しくない夏恋でも助かる見込みの低さを感じていた。それに、周りから見ればこの男は犯人の一人となる。保安官が言うように最悪はこの男は後回しとなるだろう。
「しっかりしてください! 今、海上保安庁の人が来てくれました。生きましょう! お願いだから、諦めないでっ」
夏恋にはもう、励ますことしかできない。
大きな爆発音のあと、銃声がなり始めた。あの軍人との戦いが始まってしまったのだ。
――勝てる? 私たち人間はあの軍人に勝てるの?
「伏せてーー!」
ダダダッ! ダダダン!
銃の連射音と、弾がデッキに当たる音が近くでした。伏せろと言って前で待機していた保安官が、振り返って夏恋の頭を抱え込んだ。潮の香りに混じって、懐かしい匂いがした。
――山崎さんの匂いに、似ている……。
夏恋は目を閉じた。数えるほどしか会っていない山崎だが、なぜか彼の纏う空気は覚えている。抑揚のあまりない話し方、どこか取り付きにくい冷たさを孕んでいるのに、ときどき見せる気遣いと笑みは夏恋にとって負担のないものだった。熱さを抑えた山崎の空気が、夏恋にとっては心地よく優しいものだった。
――もし助かったとして、私はあの場所に戻れるのかな。
あまりにも現実離れしすぎたせいか、次から次へと止めどなく不安が溢れる。
「怖い……」
山崎は夏恋がこぼした言葉を聞いて、胸が張り裂けそうだった。たった一人で恐怖と戦ってきた彼女を思うと、腹の底が熱く煮えて苦しくなった。
その時、
「うわハハハハーー!」
この場に似つかない笑い声が聞こえてきた。仁王立ちのまま、大笑いをしているのは風丸という男だ。正当防衛射撃しかできない日本の国防機関を嘲笑っていたのだ。突入した海上保安庁と海上自衛隊の部隊は、並外れた軍人の攻撃に大きく後退した。デッキの影に潜み、様子を伺うだけで手一杯だ。いつ貫通するかしれないシールドを握りしめ、それでも何発か射撃した。
『本部へ告ぐ! 我々の武器は通用しない! 撤退命令を待つ! 隊員を死なすわけにはいかない!』
特殊部隊はギブアップせざる得ない状況に追い込まれた。宙に浮いたままの軍人は空から撃ってくるのだ。そんな弾を避けるのは到底無理で、既に何名かは被弾していた。
「撃たれました!」
「おい! 息をしろぉぉー! 当たっているが中までいってない」
「はぁ、はぁ、はぁ……ぐっ」
「骨はイッたか……」
装備している防弾ベストが米軍の開発した最新型であったのが幸いした。これまで日本が採用していたものでは防ぎきれなかったかもしれない。最近は海外派遣が増えたため、隊員を戦地に近い場所に送り込むことがあった。装備品はそういった事を考慮して、新しいものに変えたばかりだったのだ。それでも、被弾したときの圧力で肋骨が折れることは避けられない。骨折で済んで幸いと思うのが常だ。
『退避っ! 全隊員に告ぐ。ボートに飛び乗れ、撤退だ!』
無線の声が割れるほどの怒号だった。
「おい! 人質は確保できたかっ!」
海上保安庁、SSTの隊長が山崎を見つけて駆け寄った。山崎は顔を上げ、「はい」と答える。隊長は血を流して倒れた林原を一瞥して山崎に耳打ちした。
「犯人の一人ならば置いていく。我々も海自の隊員もかなり被弾した。幸い殉職者はいない。これ以上、負傷者を増やすわけにはいかん」
「了解しています」
隊員は辺りを見回して夏恋に言う。
「逃げますよ! 彼についてきてください。私が援護します」
「あのっ! この人、まだ生きてるんです。まさか、置いていくんですか?」
「山口さん」
山崎が口を開いたところで隊長が言葉を被せた。
「自力で歩けないものは置いていきます! 救助は態勢が整ってからです」
「そんな……」
「早く! 我々も限界なんです! 人質のあなただけでも連れて帰らなければ、負傷した隊員が報われない!」
「っ……」
夏恋はもう言い返せなかった。保安官が言うことは何一つ間違っていないからだ。医療現場でもトリアージという制度がある。それと同じとは言えないが、ここもそれに似たものが当てはめられる。生かすために、生存の可能性が見込めない者は後回しにする。
夏恋は林原の頬を撫でた。
――まだ、こんなに温かいのに……
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
夏恋は泣きながら謝る。なぜ、こんなにも後ろめたい気持ちになるのだろう。男は罪の無い夏恋を誘拐し、無理矢理にこんなところまで連れてきた悪人なのに。
林原は自分に泣きながら詫びる夏恋の手を、無造作に払いのけた。そして、最後の力を振り絞って反対の腕を上げる。夏恋はそれを見て叫んだ。
「まさやさん! やめて!」
なんと、林原は隠し持っていた拳銃を二人の保安官に向けたのだ。油断していた山崎と隊長は息を呑んだ。
――そして、
パーンッ! パーンッ!
乾いた銃声が二発、夏恋の鼓膜を突き抜ける。頭の中が真っ白で、もう気を確かに保つのは限界だった。夏恋はそのまま静かに意識を失った。
◇
「夏恋さん!」
倒れる夏恋を受け止めたのは山崎だ。それを見た林原はにやりと口元を歪める。隣にいたSSTの隊長は拳銃を奪い、そのまま林原を取り押さえた。
「My Sun! うっ……ぐあっ」
林原の銃弾に倒れたのは甲板で声高に笑っていた風丸だった。見事と言うくらいに、二発の弾は風丸の額と心臓を撃ち抜いていた。
「あんた……何者だ」
山崎の問いかけに林原は答えず、ただ一言だけ言葉を紡いだ。
「あとは、頼む……」
「おい!」
そのまま林原は息を引き取った。
風丸もそのまま死亡。風丸の指示で動いていたと思われる軍人は、宙に浮いたままピタリと動きを止めた。近くにいた隊員が一発の弾を軍人に向けて発砲。発砲した弾は軍人の腹部に命中したが、暫くしてカランとその弾が甲板に落ちてきた。
「ひ、ひいっ」
夢中で正当防衛射撃をしていたので誰も気づかなかったのだ。撃った弾の全部が足元に転がっている。ヒューマノイドロボットが持つ、科学技術の恐ろしさを目の当たりにした瞬間だった。
「全員、撤退!! 本部へ連絡しろ! 早くミサイルで沈めてくれと!」
速く! 急げ! と、次々に隊員たちはゴムボートに乗り込んだ。全員乗船したのを確認すると、全速でクルーザーから離脱した。
山崎は夏恋をしっかりと抱きかかえ、ボートの上から時を止めた軍人を見つめる。
――これは現実なのか? 嘘だろ……。
去り際に隊員たちが口々に言う。あのバケモノをどうするのかと。あれは戦闘機と何ら変わらない。動き始めたら生身の人間の力では太刀打ちできないと。
「海上警備行動というレベルじゃないぞ」
「防衛出動じゃなきゃ……」
動き出す前に、なんとかしなければ国が滅びる。それくらいの恐怖を現場は感じていた。
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