足掻け! 与えられた権限のなかで

第17話

 林原はこの船を、あの恐ろしい軍人からできるだけ遠くに離したかった。どんな構造か分からないが、宙に浮いた状態でライフルを撃ち、撃った反動でブレることのない体に、林原は恐ろしさを感じていた。


「あれは人間じゃないんだ! ヒューマノイドロボットだ。奴には心がない。主人と認めたものだけの言うことしか聞かない」

「じゃあ、どうすればいいんですかっ。私たち、無理でしょう?」

「いいかよく聞け。甲板にいるあの三人を振り落とすんだ。落としたら全速で逃げる。できるなら、あの護衛艦まで!」

「ふ、振り落とすって!」


 林原の眼に冗談の色はなかった。何かを決心したような迷いのない眼差しで、夏恋を見る。


「あの人間のまがい物を操っている奴から離れなければ死ぬぞ! 見ただろう。人を殺すことに全く躊躇ない。あいつは人間の形をしたロボットなんだ」

「そんなモノ、誰が造るんですか! そんなこと許されるわけ」

「許す許さないは関係ない! アレが事実だ!」


 林原が指をさす方を見ると、先ほど逃げ遅れた船が沈んでいく。それを満足そうに見る甲板上の三人。次の獲物を探すかのように軍人はゆっくりと宙を回転していた。夏恋を誘拐した四人は、もはや三対一に分裂してしまっている。そしてその三人は末恐ろしいロボットの軍人を味方につけているのだ。


「わ、わたし。あなたを信じていいんですか? わたしっ、あなたの名前も知らないし。何がなんだか……もう分からないっ」


 乱暴に連れ去られ、何日も監禁されて、目の前で映画でも観ているかのような恐ろしい光景に直面した。そして今度は、クルーザーを操縦しろと言う。悲劇のヒロインで終わるはずだったのに、急に自分の腕に生きるか死ぬかの運命がかかっているような言われ方をされ、もうパニック寸前だった。


「俺が信じてくれと言えば、信じるのか」

「どういう意味ですか。私は、確かなものが欲しいんです。あなたは私にとってどんな人なんですか! 名前も知らないあなたと、どうやって協力し合えというのよ!」

「あんたのことは死なせない。俺が言えるのはそれだけだ」

「なにそれっ」

「錨を上げるぞ! 上がったらケツを大きく振ってアイツらを海に落とせ。行くぞ!」


 林原は一瞬だけ、夏恋に名前を名乗るか迷った。ずっと闇に身を投じて生きてきた男は、未来ある夏恋に、せめて本名だけでも闇から救って欲しいと思ったのだ。しかし、それはすぐに払拭した。最後まで闇に居続けるべきだと、過去の自分が強く抵抗する。


――自分が選んだ道だ。最後まで貫け!


 林原は錨が上がったのを確認し、エンジンを始動した。そして、夏恋に言う。


「Go!」





 もうどうにでもなれ! そんな気持ちだったのかもしれない。夏恋はレバーを勢いよく倒して全速前進をかけた。

 その時、異常を察した操縦士が勢いよくドアを開けた。


「なにをしている! うっ……」


 ほんの一瞬で、操縦士は床に倒れた。林原がドアの横に潜み、現れた操縦士を後ろから殴って気絶させたのだ。


「きゃっ」

「前を見ろ! 集中するんだ。お前は何も悪くない。誘拐犯から逃げるために、ハンドルを握っているだけだ」


 林原は隣に立ち、夏恋の背中にそっと手を当てた。夏恋が今にもハンドルから手を放してしまいそうだったからだ。夏恋は自分の背中に当てられた手に、なぜか安堵した。自分は被害者でこの男は加害者なのに、そんな悪い人間の手の温もりにすらすがってしまいそうになる。それほど、この状況は異常だった。


――わたし、どうしたの? この人は悪い人だよ。しっかりしてよ!


「俺が背中を叩いたら、スピードを落とさずに右にきれ。いいか、俺が無理矢理やらせてる。お前は、悪くない」


 暗示をかけるように林原はそう言った。夏恋はしっかりと首を縦に振る。


「よし、いい子だ。そろそろ行くぞ」


 ポンッ……。

 林原が軽く夏恋の背中を叩いた。次の瞬間、船は激しい波しぶきを立てながら、船首を急速に右方向へ向けた。それは林原が思っていたよりも急な角度だ。操縦室の壁に体が押し付けられる。


「くっ……」


 思わず声が漏れるほどだった。船はほぼ90度回転し、それでできた波の煽りを受けて激しく揺らいだ。


「止まるなよ。今度は反対に振れ」

「もうっ、知らないから!」


 そしてまた前進し、夏恋は言われた通り反対に舵をきった。あまりにもひどい操縦に、海上保安庁の巡視船から無線が入る。


『こちら海上保安庁です。周辺に船舶がたくさんいます。通常の航行をーー』


「無視しろ」


 林原は無線機に手を伸ばそうとした夏恋を制した。それより、後方甲板にいた三人はどうなっただろうか。


「様子を見てくる。俺が戻るまで現状維持だ」

「き、気をつけて! ください」


 夏恋の気遣いに、林原はかすかに頬を緩めた。その声は震えているのに、しっかりと耳に届いたからだ。


――なんとしてでも、生かして返してやるよ。


 林原は倒れた操縦士を引きずながら外に出た。罪のない人間かもしれないと思いながら海に落とす。僅かに胸の奥が痛んだ。それを誤魔化すように拳で自分の胸を殴る。


――俺は、悪い人間だ。良心なんて、とっくの昔に置いてきた。そうだろ?


 そして、林原は風丸たちが立っていた後方甲板へ向かう。自分の命をかけてでも彼らを止める。そう心に決めて。





「おい! どうしたあの船っ。故障でもしたのか? 無線で呼び出せ」


 監視をしていた海上保安庁の巡視船は、日本国籍と確認された白いクルーザーにコンタクトを取った。突如、錨をを上げてむちゃくちゃな運転を始めたからだ。


『こちらは海上保安庁です! 応答願います。通常の航行を心掛けてください! 繰り返します!』


「もしかしてパニックに陥ったか。目の前で訳のわからん奴が暴れたからな。おい! 本部はなんと言っている! 周りにいた船が右往左往して収拾がつかなくなってきている! 警察はなんか言ってたか、自衛隊はっ」


 海上保安庁、警察には国民の生命と財産を守る使命がある。そして、日本の排他的経済水域でテロの行為と思われる事件が発生した。このまま黙って見ているわけにはいかない! それが現場の気持ちだった。しかし、放水にしても何にしても本部の許可が必要だった。準備はしているが、なかなかゴーサインが出ない。


「警察も本部の指示待ちのようです。自衛隊に関しては我々の動き次第になるのではないかと思います。我々がギブアップしない限り、防衛省は動きません」

「だよな……海上警備行動もまだ発令していない。くそっ」


 テロリストをこれ以上日本に近づけないためにも早く手を打たなければならない。が、問題はたった一人の軍人らしきものが海底から現れて、空を飛んでいる事だ。想像もしなかった驚異が起きている。あれは人なのな、機械なのか。そして、どう対処すべきなのか。自分たちの装備でアレを抑えることができるのか。


「威嚇射撃の許可がおりました!」

「よし、威嚇射撃準備だ。12時の方向!」


 威嚇射撃では目標を傷つけないように、外して発砲する。大型巡視船が装備しているJM61-RFSという、20mmガトリング砲の砲身が動く。それは素早く指示された角度で停止。この武器は砲身が回転し、連続射撃が行えるものだ。


「準備完了!」

「さん、に、いち、撃てーっ!」


 ドドドドッ、ドドドドッ……ドドドドッ、ドドドドッ


「射撃止めーっ!」


 得体がしれない人なのかロボットなのか、その軍人は威嚇射撃が終わっても宙に浮いたまま微動だにしていなかった。それはまるで、狙ってこないことを分かりきっているかのようだった。


「あいつは、人間じゃないだろう? なあ、もうぶっ放してもいいんじゃないか!」

「待て。万が一、人間だったらどう言い訳する。人間に向かってコイツで撃ち落としたなんてことになったら」

「しかしあれは……」


 人間ではない。そう言い切れるのは、現場にいる人間だけだった。この状況はなかなか指令室には届かない。


「誰かビデオ撮ってるだろ! 本部に転送しながら撮影してくれ! もう一度、威嚇射撃を実施する!」

「了解!」


 海上保安庁始まって以来の事件だ。密漁でもない、北の工作員でもない、人間ではないと思われる軍人からのテロ行為に保安官は恐怖を覚えていた。


「これは、えらいことだぞ」


 海上保安庁の巡視船が威嚇射撃をしたことに伴い、警察も自衛隊も慌ただしく動いていた。ただ事ではない、とんでもない事が起きている。それぞれの機関がそれぞれの本部へと連絡を激しく取り合った。


「海上警備行動が発令されました! 海上自衛隊の艦隊司令に繋ぎます!」

「了解! 慌てるなよ! 訓練と同じだ。訓練どおりにやればいい。わかったな!」

「はい!」


 やっと発令された海上警備行動だが、現状を思うとこれでいいのかという懸念もあった。これは強力な武器を所持していると見られる船舶や、不審船に対して行う治安維持のための行動で、日本政府として不審船に乗り込み、立ち入り検査や武装解除を求めることができる行動である。それが目の前のアレに当てはめられるのかと。


 彼らはテロリストを想定した訓練を、部門を超えて行ってきた。「いつものように」、そう言われても既にいつもとは違っていた。いったいどうやって、何に向けてその行動をとるのか。いつも現場は手探りで、重要な判断を任されてしまっている。


「艦隊司令によると、あの白いクルーザーを対象とするそうです!」

「アレが?」


 気が狂ったように蛇行したり、回転を続けている。確かに他の船に比べてもかなり異常を感じる。


――あの白いクルーザーに対して、海上警備行動をとるのか?


「取り囲みます!」

「了解!」


 いつのまにか計器異常も回復し、上空には海上保安庁のヘリコプターと、海上自衛隊の哨戒ヘリコプターが巡回し始めた。海上警備行動を正当化させるためには、やはりそれらしき船舶が必要と判断したのだろう。


アレ軍人を操っている人間があの船にいるはずだ」

「なるほど……」


『目標を包囲せよ!』


 夏恋が乗ったクルーザーが目標と成り代わった瞬間だ。

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