第6話

――翌日。


 山崎は昨晩、緊急事態だと会社に呼び戻された。九亜物流としてはここ数年で一番大きな事件が起きたからだ。営業部は夜通しの会議を強いられたが、これといった方向性は見いだせないまま朝を迎えていた。


「全く頭がついていかないよ。うちの船に載せていたコンテナがX線検査にひっかかり、重量差異で通関切れない。挙げ句、二本立てのコンテナのうち一本が行方不明って……ありえるのかよっ」


 甲斐田は頭を抱えたまま机に突っ伏した。コンテナの中身が何らかの理由で通関が切れず、差し押さえになる話は度々起こる。それは、船会社の責任というよりも荷送人または荷受人の問題の方が断然多い。しかも、今回は出港地では問題なく輸出許可が下りたのだから。

 問題は一枚のB/L船荷証券で二本のコンテナを預かったにも関わらず、そのうちの一本を紛失させてしまったことだ。これに関しては、船会社が責任を問われる問題だ。山崎は過去の凡例を思い出し、復習するように甲斐田に投げかける。


「甲斐田。寄港地で抜き打ち検査とか受けたりしていないのか。前にあっただろ、そこで降ろす荷物でもないのに検査対象になったことが。で、出港時間に間に合わないからってそれだけ次の便になったって件」

「あったな、そんな理不尽な検査がさ……。けど、今回はそれはなかったんだよ。この港の前は台北、その前は高雄。それより前は香港、そしてインドネシア。実施した履歴もなし、船長もやってないって言ってる」

「じゃあ、本来は降ろすべきではないコンテナを、間違えてどこかの港に降ろしてしまったという単純ミスか」

「うちが積んでるシステムと各港の荷役システムでは、まず起こり得ないはずだ。けど、それ以外に考えられないのが残念だ」


 この件については、会議で何度も話し合った。ありうる可能性を上げ、ひとつずつ検証もした。寄港してきた港にも対象コンテナの捜索を依頼したので、誤ってどこかで降ろしているならそのうち連絡が来るはずだ。

 きっとどこかの港にポツンと、行き場を失ったコンテナがある。


「待つしかないな」

「ああ」


 こうしている間も、荷物をおろしたコンテナ船は次の寄港地へと出発する。コンテナが無くなったくらいでは、船のスケジュールを変更できない。


「甲斐田さん! 差し押さえ中のコンテナなんですが、税務署の立ち会いの依頼が来ています」

「なんで俺なんだよ……。なあ、荷受人の許可は取ったのか?」

「それが、連絡つかずなんですよね」

「はぁ……」


 担当営業である甲斐田に断る理由はない。まさか倒産してしまったのかと、営業部は察知した。仮にそうだとすると、営業部として上から責任を押し付けられる。与信管理はどうなっているのか、と。


「行ってくるわ」

「ああ」


 山崎はがっくりと肩を落とした甲斐田を見送った。会社にもあるかもしれない非が、少しでも軽くなればいいのに。柄にもなく同情的になる。


――だめだ。情に流されるな。たかが五年で、お前はこの会社の人間にでもなったつもりか。


 どんなに心を尽くしても、どんなに相手のことを想っても、それは真実ではない。国家のためだと言い聞かせて、全ては演じているのだ。

 この生活に嫌気が差して退職し、民間で生きる道を選ぶ者もいる。しかしそれは、新しい嘘で自身を塗り替えるだけだ。なぜなら、彼らは定年するその日までデータを残され、今度は自分が監視対象となるのだ。国家機密に関わったものは死ぬまでそれを、漏らしてはならない。


――足を踏み入れたら、二度と民間人には戻れない。だったら、ずっとこのままでいい。


 自分を犠牲にしてでも、守らねばならない人たちがいる。国民の健やかな生活のために、人生をかけた立派な職務なんだと、折れそうになる心を慰めることができるから。





 時刻は昼に差し掛かろうとしていた。そんな矢先、山崎のスマートフォンが胸元で震えた。発信源はポートタワー町田さゆりと表示されている。


「はい、山崎です」

『あ、先日はお世話になりました。あの、つかぬ事をお伺いしますが、夏恋に昨夜会いましたよね?』


 昼に休みにもなっていないのに、まさかそんな電話をかけてくるとは。山崎は心の中でため息をつきながら呆れた。


「はい、つばめ大橋でお会いしましたよ。コンテナターミナルの説明をしてもらいましたが」

『その時、なにか変わったことはなかったですよね! なんて言うか、落ち込んでるとか……なにかを思いつめていたとか』

「は?」


 山崎は町田さゆりの知りたいことがいまいち掴めなかった。女性ならではの詮索なら、直接聞けばいいのにと思ってしまう。あの子なら素直すぎるところがあるようだから、さらっと思ったまま答えそうだと。


『すみません、お仕事中なのに。実は夏恋、今朝から姿が見えなくて。どうも、無断欠勤しているみたいなんです。あの子、そんなことするような子じゃないから心配で』

「出社してないんですか。もちろん電話もかけられたんですよね」

『かけました! 何度も。でも、電源が入ってないってアナウンスが流れるだけで。一人暮らしで固定電話は置いてないし……すみません。あとでまたかけてみます。失礼しました』

「あっ、ちょっと……」


――なんなんだ、いったい。最後に会ったのは俺ってことか? 待てよ、あの後ちゃんと帰ったんだよな……。


 なんとなく自分にも責任を感じた。あの時、急用の電話は二件あったのだ。夏恋といる時に受けたのは今回の件での営業部長から。もう一件は、二秒程度程のバイブレーションだ。山崎にとっての重要な電話は後者だった。それは、相馬ボスからの合図だった。


 山崎は試しに山口夏恋の番号を呼び出してみた。コールすらせずに電源が入っていないと定形アナウンスが流れた。


――倒れている、なんてないよな!


 山崎は今度は町田さゆりに電話をした。町田は業務中であるだろうに、すぐに電話に出た。


『はい! 町田です!』

「自宅に、自宅に行ってみたほうがいいと思います。もし、急病で倒れていたら」

『ですよね! 私、上司に許可をもらって行ってみます。ありがとうございます!』

「いえ」


 山口に接触を開始してまだ二度しか会っていない。自分としたことが、彼女の自宅さえ知らないでいる。いいエスになると、ボスから言われていたのに自分はいったい何をやっているんだ。焦燥感にかられる。


――とにかく、町田さゆりに任せるしかないな。


 今回のコンテナ差し押さえと、紛失事件はどうも臭うとボスが言っていた。自分の職務はそれに集中すべきだ。そう、言い聞かせた。心の片隅で山口夏恋の無事を祈りながら。





 税務署の立ち会いのもと、荷受人不在でコンテナを開けた甲斐田に衝撃が走った。すぐに県警に連絡が行き、そのコンテナは九亜物流の手から離れてしまう。ここからは県警主導となる。


「シール切って中を見た時の俺たちの驚きが分かるか? 血の気が引くってこのことかって……。いや、今でも変な汗が止まらないよ」


 甲斐田は額に流れる汗をハンカチで拭きながら山崎に語る。山崎は甲斐田の様子を注意深く見ながら言葉を選んだ。


「こんなことって、あるんですね」

「噂には聞いたことはあったが、まさか自分が関わるとは思わなかったよ。一瞬何か分からなかった。無地の箱がコンテナの半分くらいしかなくてさ、開けると確かに工場で使うような部品が出てきた。けどそれは、はじめの一列だけだった」


 今回の件は営業部全員に箝口令が出された。けれど、甲斐田は口に出さずにはいられなかった。それはまるで、今後いっさい口を開かないと条件付きのように山崎に吐き出した。一人で抱えていられなかったからだ。


「二列目の箱を開けたとき、脳の動きが止まったんだ。妙に黒黒としていて、触ると冷たくて、持ち上げると重くて。誰がそれを武器だと思う。もちろんゲームになんかに使う偽物だろうって、考えたさ。けど、税務署の職員の目の色と、俺たちを取り巻く空気が変わった。ああ、本物なんだって」


 いち民間企業のサラリーマンにとって、それはショック以上のものではなかっただろう。警察も自衛隊でも装備していない、最新型の拳銃やライフルが大量に出てきたのだから。


「甲斐田。町田さゆりさんと、付き合うつもりか?」

「え? ああ」

「わかっていると思うが、今回の件……」

「当たり前だろ。事件が解決するまでは言わないさ。と言うか、言えねえよ。大丈夫だよな。見てしまった俺たちは、何かに巻き込まれたりしないだろうな」

「それは、警察がちゃんとするだろ」

「そうだよな……はぁ」


 昨晩は、ほぼ徹夜で山崎や甲斐田たち営業部は不明コンテナの原因調査にあたっていた。まさかそれとセットのコンテナから、あんな物が出てくるなんて思わなかったのだ。


「これってさ、もう決まったようなもんだよな。消えたコンテナの中身も、同じものが入ってる」

「かもな」


 山崎は確定を避けた。それについてはボスの相馬が情報すじに探りを入れているところだった。とはいえ、それを誰かに共有することはない。


「悪い、少し外す」


 山崎のスマートフォンが震えたのだ。見ると、町田さゆりからだった。


「はい。山崎です」

『今、大丈夫ですか』

「どうぞ」

『夏恋のマンションに来たんですけど、応答がなくて。部屋の前で何度もインターホン鳴らして、ドアもかなり強く叩いたんですけど……返事がないんです。携帯も、繋がりません。どうしよう』

「落ち着いてください。他に宛はありませんか? ご実家とか、彼女を泊めてくれるような友人とか」


 山崎がそう言うと、電話の向こうの町田は泣き出した。


『わたしっ、友達なのに……なんにも、知らなくて……ううっ』

「マンションの管理会社に事情を話して、部屋を開けてもらうのはどうですか」

『そっか! やってみます! ありがとうございます』

「いえ……」


 電話を切ったあと、山崎はしばし考えた。そして、再び電話を掛ける。


「ごめん。ちょっとお願いがあるんだけど、いい? 難しくないさ。今から言う番号の位置情報を調べてほしい……うん。よろしく」


――どこにいるんだ、山口夏恋。

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