第8話

 町田さゆりに呼び出された俺は退社後、指定された店に行った。そこには、いつかの合コンで一緒だった吉田香織という女性もいた。


「遅くなってすみません」

「急にすみません。そちらも大変だったとお聞きしました。ほんとうにすみません」


 到着してすぐに町田さゆりが頭を下げて詫びてきた。甲斐田から聞いたのだろう。


「甲斐田が?」

「はい。コンテナの件で大変だって……ごめんなさい」

「いちばん大変なのは、運悪く担当だった甲斐田です。俺はサポートしかできないので。それに、そちらの案件のほうが急務かもしれない」

「ありがとうございます」


 コンテナが行方不明なのと、差し押さえの件は取り立てて差し迫った危機はない。あるとすれば、大変な武器を見つけてしまった税関と警察側だろう。俺はまだこの件に関してどこか他人事でいた。


「さっそくお話を聞いてほしいんですが」


 町田さゆりに代わって吉田香織という女性が話し始めた。友人が消息不明となり焦りが見える中、彼女のほうがまだ落ち着いているように思えた。


「恋人にって、どういうことですか」

「はい。実は今日、さゆりと二人で捜索願を出そうとしたのですが、単なる同僚や友人では受け付けられないと言われましたんです」

「山口さんのご両親は?」

「それが、電話をしても誰も出なくて」

「兄弟は、いないんですか」

「総務としてはご実家の電話番号までしか分からなくて……。会社にも相談しましたが、業務中ならまだしも退社後の事だからと、いい返事がもらえていません。もし誘拐だったら急がないといけないのに! でも、他に方法を思いつかなくて」

「なるほど」


 町田さゆりは泣いているのか俯いたままだ。自分が山口夏恋に、そして、俺に持ちかけた今回の件を責めているのかもしれない。夜のコンテナターミナル見学なんてしなければ、山口夏恋はこんな事にならなかったと。しかしそれは、俺自身も感じていることだ。

 いいエス(情報提供者)にするためにと、その提案に乗ったのは俺自身だし、バスに乗るまで見届けなかったのは俺のミスだ。責められるのは町田さゆりではなく、俺の方だ。


「バスに乗ったかきちんと見届けるべきだった。責任は俺にあります。山口さんの恋人として、捜索願を出します」

「いいんですか!?」


 顔を上げた町田さゆりは、やはり真っ赤な目をしていた。女性の泣いた顔を見るのは、やはりいいものではない。


「しかし、俺は山口さんのことをほとんど知らない。明日、届け出るにしても知らなさ過ぎて怪しまれる可能性もあります。だから、彼女の事を教えてもらえませんか。できるだけ詳しく……あなた方が知り合ってから、居なくなるまでの彼女の事をぜんぶ」


 二人の女性はハッとしたように顔を見合わせた。そして、力強く頷く。


「私たちが知っている夏恋のこと、教えます。全部、全部っ」


 


 それから終電の時間ぎりぎりまで、俺たちは山口夏恋について語った。身長、体重、血液型などの身体的特徴と、彼女の性格など。そして、その中には、耳を塞ぎたくなるような辛い話もあった。


 別れ際、町田さゆりと吉田香織は沈んだ様子で俺の顔を見た。そして、縋るように俺を見る。吉田香織は感極まったように想いを語る。


「ここまで語ってよかったのか分かりません。でも、なぜか山崎さんなら大丈夫だって思ったんです。先日の合コンも夏恋ちゃんのことだから、ドタキャンするかもって覚悟はしていたんです。でも夏恋ちゃん、来てくれたし。それに、山崎さんと二人きりにしても嫌がる感じがなかったから……」


 そこまで言うと、今度は町田さゆりが口を開いた。


「もしかしたら夏恋は、山崎さんとなら乗り越えられるんじゃないかって……。私たち勝手に、舞い上がっていたんです」


 過去に辛いことがあったからこそ、彼女たちは山口夏恋に早く幸せになってほしいと思ったのだろう。デートを思わせる夜のコンテナターミナルを提案したのはそういった背景があったのかと、今になって知らされた。単なる女子の、よくあるお節介の押しつけではなかったようだ。


「とにかく今晩、俺は山口さんのことを考えてみます。お二人の期待に添えるか分かりませんが、やれることはやりますので」

「よろしくお願いします!」


 



 こうして俺が自宅に帰り着いたのは、午前零時を回る頃だった。

 帰りの電車の中でも、駅を降りてから自宅までの道のりも、俺はずっと山口夏恋のことを考えていた。一人の女性のことで、頭の中がこんなにいっぱいになったことはない。


――自分を騙さなければ、演じられるはずがない。ましてや、恋人という特別な関係を。


 自宅に帰り着くまでの間、スマートフォンはメールを受信し続けていた。送信人は町田さゆりと吉田香織だ。タイトルはすべてに【Fw:】が付いる。過去の山口夏恋が彼女たちと交わしたメールをそのまま転送してもらっているからだ。プライベートの彼女の姿や言葉の癖、喜怒哀楽の表し方を知るためでもあった。


――恋人を完璧に演じるんだ。


 目を閉じると、山口夏恋の顔が思い浮かぶようになった。港のシステムの話をする時の彼女はとても生き生きとしていた。真面目で誠実で、控えめな態度が俺の知る山口夏恋だ。


――俺の知らない彼女まで、あと、もう少し。


 シャワーを浴びながら、今日語られた話を思い出す。あのときの山口夏恋はどんな気持ちだったのだろうか。男の俺にはとうてい想像のつかない心情だ。



 


『私たちから聞いたことは、内緒にしてください。夏恋が人と、特に男性と一定の距離を置くようになった原因と思われる事件です。もともと夏恋はあんなふうに人見知りをしたり、地味な空気をまとうタイプの女性ではありませんでした。信じられないかもしれませんが、今とは真逆です。活発で明るくて、意見をしっかり言える子でした』


 山口夏恋は学生の頃から湾岸の見学や、海上保安庁が主催するイベントなどに積極的に参加していたそうだ。そして、地元の大学を卒業後、かねてから念願だった港の仕事に就いた。


『初めて夏恋に会ったのは入社式の時でした。その時の配属が私が今いるポートタワーです。あそこで湾を行く多くの船の監視と、誘導をしていました。同期の中でも成績優秀で、当時の男性社員も勝てないって舌を巻くほどでした。入社後もめちゃくちゃ勉強していて、気象の勉強もしていました。とにかく、熱心で他の部署の社員とも積極的に交流していました』


 男社会の港の運営に、もしかしたら女性が加わるかもしれない。幹部役員も夢ではない程の勢いで山口夏恋は成長していったようだ。

 その順調に吹いていた風が突然止まったのは、彼女が入社して二年目のこと。当時、彼女の上司であった四十代の男性は、課長という立場で勤務していた。どこに行くにも山口夏恋を連れて行くほどお気に入りだったという。自分の後釜を任せるのは山口しかいないと、外部に自慢していたそうだ。


『その課長は夏恋を営業的な仕事にも連れて行っていました。取引先との接待や、出張にも。それがまさか、あんな事件を起こすキッカケになるなんて思わなかった。少なくとも、夢中で仕事をしている人たちには』


 突然やってきた青二才に、ぐんぐん追い越され、目の前のチャンスを取られていく。しかも、若くて美しく、無限の可能性を秘めているのだから嫉妬されないわけはなかった。しかも、信頼あるやり手の営業マンが、新人の女性社員にすべてを注ごうとしていたのだから。


『ある朝、私が早番で出社して来るとロッカールームが開いていました。当時、女性社員に夜勤はなかったので清掃作業中なのかと、邪魔にならないように静かに入室しました。でも、そこにいたのは清掃員ではなく、夏恋でした。魂が抜けたような顔で、フロアにペタンと座り込んでいました。髪も、シャツも……め、めちゃくちゃにっ、乱れてっ……ううっ……』


 山口夏恋は帰宅途中、見ず知らずの男に路地裏に連れ込まれ乱暴をされたのだと町田さゆりは言った。必死に逃げた。そして会社に逃げ込んだのだそうだ。IDがなければ部外者は入れない。女子ロッカーなら夜勤の人間は入って来ない。そしてそのまま、朝を迎えたのだろう。最終的に強姦は、未遂だったと言うことで終わったらしい。


『しばらく、警察の事情聴取とかあって仕事を休んだり、カウンセリングにも通っていました。半年ほどして、やっと、夏恋が笑うようになって事件のことも薄れかけていた頃に……犯人が捕まったんです。それと同時に、夏恋の上司だった課長が退職しました。理由は……』


 犯人はある人物から依頼を受けて、山口夏恋を襲った。あの女が二度と立ち上がれなくなるように、一番卑劣な手段で潰せと多額な金を受け取っていたのだ。内金で百万、犯行後に二百万を約束していたと。その男はとある暴力団組員だった。その暴力団組員を雇ったのが……。


『課長の、奥様でした』


 妻は、仕事熱心で家庭を大事にしていたはずの夫が、部下だと言って連れ回していたのが女だと知った。しかも自分より若くて美しい女性社員で、泊まりの出張にも連れて行くようになった。何かにつけては山口の事を褒めて自慢し、俺の右腕だと言った。


 全ては女の、嫉妬だった。


『課長は責任を取って会社を去りました。当然のことです! たとえ課長は無実でも、自分の妻を暴走させてしまったんだからっ。すみません……思い出すだけで、悔しくて。夏恋が受けたショックは大きすぎました。まさかそれが、仕組まれた事件だったなんて……思わなかったことですから』


 それから山口夏恋は髪を明るい色から真っ黒に戻し、色気のない眼鏡をかけ、人と距離を置くようになった。与えられた仕事はきちんとこなし、定時に上がり、ロボットのように家と会社を往復するようになった。夢と希望に満ちていたあの頃の彼女が嘘のように、影を潜めた。


『まるで別人で、私たちもどう接したらいいか悩みました。三年ですよ……。三年かかったんです。夏恋が合コンに来るのに。だから、山崎さんならって私たち……。山崎さんが持ってる空気って、なんとなく夏恋と似ているんです。波長っていうんですか? それが、近いなって』





 シャワーを止めて、タオルで体を拭きながらいつものように冷蔵庫からビールを出した。一口目が妙に喉にしみて、苦しくなった。


 山口夏恋の過去を知った俺は、自分の過去とすり合わせてみた。大学を出てこの道に入るまでの自分は夢と希望に満ち溢れていたように思う。

 俺はふと、そんな風にキラキラ輝いていた頃の山口夏恋に会ってみたいと思った。それと同時に、今のままの彼女でいいじゃないかと思う自分もいる。


 俺は、山口夏恋という女を自分のテリトリーに引き込んでみたい。試してみたい。そう、思い始めていた。それは潜入捜査官としてなのか、それとも男の本能がそうさせるのか。



――なんとしてでも、彼女を探し出さなければ。頼む、無事でいてくれ。



 警察に届け出たあと、GPSで最後に示されたあの場所に行ってみよう。そう考えながらベッドに入った。

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