第7話

 夏恋を攫った男たちは、高速を二時間ほど走り、市街地から離れた倉庫街の一角に車を止めた。

 辺りは、トラックがドッキングできる立派な倉庫があったかと思えば、山手には大きな採石場がある。もうここは夏恋が住む街ではない。明らかに県境を超えていた。


「おい、女はまだ起きないのか!」

「当たりどころがわるかったんすかね」

「息はしてるんだろ? さっさと下ろせよ」


 夏恋は黒のワゴン車から男に担がれて下ろされるも、まだ意識は戻っていなかった。周囲には乗り付けた車のライトしか灯りはなかった。道路に街灯という気の利いたものもない。


「車のライトを消すぞ」


 事務所らしき入口のドアを開けて、男たちは中に入った。全員が入ったところでやっと部屋の電気がつけられる。夏恋を担いだ男は、部屋の真ん中にある、くたびれた応接ソファーに乱暴に下ろした。壊れたスプリングがギギギと音をたてる。そして、男たちは苛立った様子で次々とタバコに火をつけた。


「取り敢えず、どうするか考えないとな。コンテナ、差し押さえられちまったんだろ」

「てことは、中身もバレたってことですか」

「引っ掛かったコンテナは税関立会で開けなければならない。そうなれば……」

「クソッ! お粗末な書類つくりやがってよー!」


 男たちは気を失ったままの夏恋を一瞥すると、互いに目を合わせた。もうこうなったら、イチかバチかやるしかない。あれさえ手に入れば日本の警察なんて怖くない。俺たちがこの国を操るんだ。何も怖くない。だから、何が何でもあのコンテナだけは引き取らなければならない。


「明朝、行動を開始する」

「分かった」


 男たちは四人組。とある暴力団同士の抗争から分離したグループの一つだ。多くが十数名以上の新たな団体を作ったり、派生団体同士が統合する中、彼らだけはどこにも属さず別の道を選んだ。


 リーダーは風丸竜二かざまるりゅうじ。気が荒く口も悪いが、体から滲み出る闘争心は他の者より強い。その風丸を支えるのは林原聖也はやしばらまさやだ。猛進しそうになる風丸を上手くコントロールし、冷静にことを運ぶ。その二人を尊敬しているのが、一番年下の火口高大ひぐちこうだいという男だ。どの派閥にも属することができず、いつも捨て駒のように扱われていた。しかし、与えられた仕事は執拗までにも追いかけ全うしていた。その仕事っぷりを風丸が気に入り引き込んだのだ。

 そして、四人で一番大柄で顔つきの悪いのが山上和生やまがみかずきという男。見た目だけなら間違いなく組長級だろう。無駄口は叩かず、静かに事を遂行する。これと決めたことは、風丸の言うことでも受け入れるのに時間がかかる頑固ものだった。


 彼らのことをその界隈では【風林火山】と呼んでいた。それぞれの名前の頭文字からそう呼ぶようになったらしい。


 動き出したら誰よりもはやく、事を見極めるために何よりも静かに、侵略するときは火のように逃すことなく取り囲み、勝ち取ったテッペンは決して譲らない。そんな心意気が、あるのかもしれない。


 誰も彼らに近づきたがらない。彼らは命知らずの一匹狼の集まりだからだ。





――翌朝。



「おい、女。起きろ」


 山上が夏恋の髪を掴んで手荒く引き起こした。


「んっ……」

 

 夏恋の顔が明るい部屋で男たちに晒された。ずっと薄暗い中で目を閉じていたのだ。瞼を照らす部屋の電気さえ、夏恋には強すぎた。ゆっくりと瞼を開ける夏恋の顔を、風丸が前に出て覗き込んだ。


「ほおぅ、眼鏡がねえとなかなかの別嬪べっぴんじゃねえか。ずいぶんご無沙汰なんでな、疼いてしょうがねえや。どうせヤルならそれなりに、顔のいい女の方がいい。なあ、コイツ回すか」


 ニヤニヤと厭らしい顔で夏恋の全身を舐めるように見定める。若い火口は風丸のその行動を見ただけで生唾を呑み込んだ。


「今は、やめておけ」


 林原が静かに風丸を制した。今はまだやらなければならない事がたくさんあるという意を含ませて。


「チッ」


 夏恋はむりやりソファーに座らされ、四人の男の視線を全身で受け止めていた。


――誰!? 眼鏡がない!


 チッという舌打ちが聞こえ、やっと意識を取り戻した夏恋は、視界がぼやけていて戸惑う。そして目の前に現れたのは見たこともない男の顔。しかも自分を犯そうなどと言っていた。


――いや、死にたくない。


 驚きと恐怖で唇が震える。声を出したくとも、唇は糊をつけたように張り付いて、喉はカラカラで唾さえもうまく飲み込む自信がない。しかも、男たちが自分を取り囲んでいる。柄が悪い人たちはなぜ自分を誘拐したのか。


――なぜ私は、攫われたのっ。


 考えようとすると、激しい頭痛が夏恋を襲った。ズキン、ズキンとそこに心臓があるかのように、血管が暴れるのだ。あまりの痛さに夏恋はこめかみを押さえた。


「おい! 口がきけないのか、何とか言え!」

「待て、声が出ないんだろう」


 苛立つ風丸を抑え、林原がペットボトルの水を夏恋に差し出した。夏恋は警戒心剥き出しで、それを飲もうとしない。


「毒でも入っていると思っているのか。残念だがただの水だ」


 林原はそのペットボトルを夏恋の前で開けて、一口飲んで見せる。それを見てやっと、夏恋はペットボトルに口をつけた。


「で、どうするんだこの女」


――なんで私はこんな所にいるんだろう。確か山崎さんと別れてバス停に行って、それから……。


 夏恋は眼鏡がないせいで男たちが少し離れると、彼らの顔がボヤけて見えなくなった。閉じ込められたこの部屋も、ベールをかけられたみたいに確かなものは何も分からない。


「使いものになるか試してみようか。取り敢えずお嬢さん、携帯を出してもらおうか」


 先程、ペットボトルの水をくれた男が夏恋に携帯電話を出せと言っている。夏恋はどうしていいか分からず硬直した。


「なあ、ねえちゃん。抵抗するともっと痛い目にあう。早くだしな」


 一番若そうな男が夏恋の前に屈み込んで、無骨な手を出してきた。


「バッグの中を見たけど、無かったんだよね。ポケットとかにないの? それとも、俺が直接探してやろうか。あ?」


 男が夏恋のシャツのボタンに手をかけた。夏恋は体を後ろに引いて抵抗する。しかし、男の力には勝てるわけがなかった。片手で簡単にあしらわれて、ブチブチとボタンをちぎられる。周りで見ている他の三人の男に助ける様子はない。


「いや! やめて!」

「なんだよぉ。可愛い声が出るじゃんよ」

「なんで私なんですか。私なんて、なんの役にも立ちません」

「おい、俺に代われ」

「風丸さん、俺にやらせて下さい!」

「バカ野郎! 名前は呼ぶなと言っただろう!」

「す、すみません!」


 世に知られてはならないのが鉄則だった。だから互いに名前を口に出さない。公安が自分たちを追っていることを知っているからだ。国内だけではなく、海外にもルートを持つ彼らは警視庁からも目をつけられていた。


「山口夏恋。国際コンテナターミナルで働いているんだろ? 日本の経済を支える立派な仕事だよなぁ。さあ、生きるチャンスをやろう。スマートフォンを出せ」


 夏恋は命の危険を感じて、ジャケットのポケットからスマートフォンを取り出した。


――強姦されて殺されて、捨てられるのはイヤ!


 震える手で男に渡した。


「さて、と。なあ、どうする」


 水をくれた男が夏恋のスマートフォンを受け取り、手慣れた様子で何かを見ている。そして、無言で電源を落とした。


「おい。なんで消した」

「まさかとは思うが、GPSで探されたら困るだろ。場所を変える」

「なるほど」


 男たちは目で合図をすると、素早く立ち上がった。大柄の厳つい男がまた夏恋を担ぎ上げる。反射的に抵抗しようとした夏恋をギロリと睨み、低い声で一言。


「死にたいか」

「ひっ……」


 夏恋は背筋が凍る思いを初めて経験する。


――この人、心がない


 このまま、されるがまま、連れられて行くしかないと悟った。





 夕方、山崎は会議を終えようやく自分のデスクに帰ってきた。マナーモードにしていた携帯には着信が二つあった。一つは夏恋の追跡を依頼した男からのもの。もう一つは町田さゆりからのものだった。

 山崎は先ず、追跡依頼をした男に電話をした。


「どうだった?」

『電源が落ちる直前までのなら分かった。それ以降の追跡は俺の権限じゃムリ』

「ああ、すまない。で、どこで途切れた」

『あのねーーーー』

「なんで、そんな場所に」

『電源が切れてから6時間は経ってるから、恐らく昼頃まではその位置だったんじゃないかな。本人も一緒だったとしたら、ね』

「ありがとう。助かった。今度なんか奢る」

『よろしく』


 隣県にある採石場付近で夏恋の携帯は電源が落ちた。夏恋がわざわざそんな場所に行くとは考えにくかった。


――これは、誘拐なのか! いや、実家がその辺りだったら? 何らかの理由で帰ったとか。クソッ……。


 山崎は夏恋の実家がどこにあるのか知らない。せっかく夜のコンテナターミナルを見ようと、デートらしいことをしたのに、仕事の話しかしなかった自分を恨んだ。


――俺は何をやってるんだ! 気の利いた会話一つもできなくて、なにが潜入捜査官だ!


 後悔しても、もう遅い。そうしていると、山崎のスマートフォンが震えた。町田さゆりからだ。


「山崎です」

『あの、直ぐ会えませんか! 夏恋のことで、助けてほしくてっ』


 切羽詰まったような声で町田さゆりは山崎に言う。なにか情報を掴んだのかもしれない。夏恋の自宅マンションに行ってみると言っていたからだ。


「どうしました」

『総務の香織さんに付き合ってもらって行ったんですけど、居なくて! なにか事件に巻き込まれたのかもしれないから、警察に行ったんです。探してくださいって! そしたら』

「そしたら?」

『私達じゃダメで。上司にお願いしましたが、役員会議で許可もらわないと無理だと言われて……どうしたらいいか、分からなくって』


 町田さゆりは警察に、捜索願を出そうとしたのだろう。しかし、届け出をできる人間は限られている。それは家族であったり、配偶者だったり、行方不明者の雇用人であったりと、ごく親しい人と決められていた。


「なおさら俺ではだめでしょう」


 それよりも山崎は、携帯電話が残した位置情報が気になっていた。誘拐だったとしたら、万が一に備えて、周辺情報を確認しておきたかったのだ。


『それが出来るんです!』

「は?」

『恋人だったら、可能なんですって!!』

「……は!?」


『とにかくすぐに来てください!』と、まくし立てられ、落ち合う場所まで指定された。断る隙もなく、山崎はスマートフォンを耳に当てたまま呆然と窓の外を見ていた。

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