君のためにできること

第22話

 船は何事も無かったかのように静かに港に入る。待ち構えていたタグボートが近づいてきてゆっくりと接岸した。


――被疑者、全員死亡。


 その言葉が夏恋の脳内をぐるぐる回った。自分は被害者で何も悪くない。悪くないと頭では理解している。でも、心は違った。どんな形であれ関わった人の死は、夏恋の心にあまりにも大きな重い石を残していった。




 

 山崎は夏恋の背に手を添えてゆっくりと桟橋を歩いた。あれから夏恋は何も言わない。何も言わない夏恋に山崎は声をかけることができなかった。山崎自身も人の死を目の前で見たのは初めてだ。実弾が飛び交う中に身を置いたことも初めてだった。自分自身の気持ちの整理もままならない中、夏恋にかけるいい言葉を見つけることができなかった。


 ふらふらと覚束ない足取りで歩く夏恋の手を不自然に握り、山崎は港に下りた。


あきらっ!」

「うおっ」

「ひゃっ」


 突然、大きな声で名前を呼ばれた山崎が顔を上げようとした時、すでに目の前は暗く体を締め付ける圧迫感があった。それは山崎だけではなかった。なんと夏恋も同じ状態だったのだ。


「心配かけやがって、このやろう」

「待って、ちょ……ぐっ」


 夏恋はいきなり見知らぬ男に体を拘束されて驚いた。でもそれには悪意のない温かなものを感じる。


――山崎さんと、同じ匂いがする!


「よかった。二人とも無事で、本当に良かった!」


 相馬隼が東京から駆けつけてきたのだった。あちこちの部署に根回しをし、書類を片っ端から片付けて羽田から飛んできたのだ。そして、二人を見つけて二人まとめて抱きしめている。


「そろそろ離してもらえませんか。山口さんが苦しそうです」

「おっと、すまない。悪かった」

「しかも、俺の名前」

「晶を晶って呼んで何が悪い。おまえは山崎晶だろ」

「そうですけど……」


 夏恋は突然現れた男と山崎のやり取りを見て感じる。二人には兄弟に似た何かを思わせる。


「あの……」

「ああ、すみません。山口夏恋さん、ですね。私は警視庁の者で相馬と言います。この度は大変な事件に巻き込まれてしまいましたね。今後のケアは私たちが引き継ぐことになっていますので何でも言ってください」

「け、警視庁? え、山崎さんは」

「晶は私の遠い親戚にあたりまして、小さい頃から弟のように接していたもので……。晶があなたを助けたいと、珍しく熱くなっていたのでつい手を貸してしまいました。普通のサラリーマンにこんなことさせて、まずかったなと反省しています」

「そう、でしたか。えっと……ありがとうございました」


 相馬と山崎が遠い親戚というのは嘘ではない。相馬の母方の繋がりで、幼い頃は確かに親戚付き合いをしていた。まさか大人になって、ボスと部下になるとは思ってもいなかったことだが。


「山口さん。解放されてすぐに申し訳ないのですが、これから那覇の県警に移動します。その後に帰宅となります。事情聴取を受けてもらわなければなりません。その前に病院でお体を診てもらうこともできますが」

「いえ、大丈夫です。どこも、悪くないですから」

「そうですか。あ、晶を側に置きましょうか。別室で待たせることはできます。一応、婚約者という立場になっていますので」

「えっ! こ、こ、婚約者!」


 ほんの少し相馬は意地の悪い笑みを山崎に向けた。驚く夏恋をよそに山崎は真っ赤な顔押して相馬を睨み返した。


「山口さん、すみません。俺、あなたの捜索願を出すときに婚約者と嘘をついてしまいました。ご両親に連絡がつけられなくて、切羽詰まってて……それで」

「あっ、いえ、その……ちょっと、驚いただけですから。私のために、すみません。そんな嘘をつかせてしまって」


 嘘をついてごめん。嘘をつかせてごめん。そんなやり取りを見た相馬はむず痒さを覚えた。二人が巡視船から降りてきたときのあの雰囲気は、知り合いや友人を超えているように見えたのにと。


――これ以上の余計な世話は、やめておくか……。


 このあと二人は、県警が用意した飛行機にのって那覇まで移動した。





 長い事情聴取が終わって、夏恋はやっと体のこわばりが取れた気がした。林原から渡されたメモリーカードも相馬に託したし、あとは自宅に帰るだけだ。

 予想はしていたが、カウンセリングをすすめられた。前の事件でもそうだったのでどんな事をするかは想像がついた。だから夏恋は断った。


――病院に通っても、結局は自分しだいなのよ。周りから腫れ物みたいに扱われるのも、分かってるし。


 事件を思い出すのも、振り返るのも今はやりたくなかった。ただ時が過ぎるのを待ちたかった。


「山口さん。飛行機ですが、晶と帰りますか。それとも不安ならば、我々が自宅までお送りする事もできますが、どうしますか」


 一人で帰る勇気はなかった。けれど、警察の人と帰れば近所からどんな目で見られるのかと怖くもあった。ニュースになっていないとは言え、不自然な形で不在にしてしまったことに誰がどんな噂をたてているか分からない。現に、会社や警察の手を煩わせてしまったのだから。


「ご迷惑でなければ、山崎さんと帰りたいです」

「迷惑だなんて。俺は山口さんを迎えに来たのだと言ったのに。それに、町田さんや吉田さんと約束したんです。必ず見つけるって」

「さゆりや香織さんにも、心配かけちゃったな」


――私、また前みたいに働ける? ちゃんとお仕事、できるの?


 現実離れした生活を送ってしまった夏恋は、もとの生活に戻ることに不安を覚えた。帰るべき場所はわかっているのに、そこに自分はいていいのかと考えてしまう。


――怖いな……。


「分かりました。何かあったら連絡ください。晶、頼んだぞ」

「はい」

「それから、帰る前に話しておきたいことがあります。山口さんが被疑者から預かったメモリーカードの事です」

「なにか分かったんですか」

「はい。これは守秘義務が発生しますので、晶には席を外してもらいます。いいよな、晶」

「分かりました」


 メモリーカードの内容がとうとう明らかになる。自分にしか言えないこととはなんだろう。また得体の知れない不安が襲った。


「待って! 山崎さんも、一緒に。だめ、ですか? 私、怖いです。一人で聞くの、怖い。一人じゃなきゃダメなら、聞きたくないです」


 夏恋の体は震えていた。

 相馬は目を閉じて考えた。どちらにせよ山崎には報告をするつもりだった。もちろん、彼女に関わった潜入捜査官としてだ。しかし、彼女が望むなら、今話しても良いかもしれないと。


「晶は、いいのか」

「俺も、彼女の側にいたいので」

「では、お話します。信じられない事ばかりと思いますが、事実であることを私が証人となります」


 相馬は言葉を選びながら夏恋に話した。夏恋が託されたメモリーカードの中には、まさやとだけ名乗った男の全てがあったのだ。


 風林火山と呼ばれた犯罪組織グループの一人であった林原は約20年、暴力団などを転々とし最後に風林火山の一員となった。風林火山は風丸、林原、火口、山上の四人の頭文字を取って名付けられたもの。


「林原聖也。42歳独身。両親は若い頃に亡くし、兄弟なし。今回、犯人同士の抗争により死亡が確認されました。ここまでが、表の顔です」

「えっ……」


 夏恋は相馬の思わぬ一言に動揺した。表の顔とはいったいどういうことなのか。同時にやっぱり本当は悪い人ではなかった? と、妙な期待を持ってしまう。


「本名、鈴木聖也警部。42歳独身。先に同じで身寄りはなし。今回の事件で殉職し、警部から警視へ昇格。葬儀は行わず、自身にある財産の全てを山口夏恋に相続する……だそうです。これが彼の遺志です」

「待ってください! 全然分かりません。意味が、分からないです。警視ってなんですか? 殉職? 財産って、なんなんですか!」


 夏恋が理解できないのも無理はない。犯人だと思っていた男は本当は警察官で、いきなり財産を見ず知らずの夏恋に全て相続すると言うのだから。


――なんで、警察官が犯罪者? なんで私なの? どうして?


「山口さん。後日、あなたの自宅に警視庁の人間が数名訪れます。遺産相続の手続きです。鈴木聖也警視は今回あなたを巻き込んでしまった事を悔いていたようです。本当は誘拐などする予定でなかった。しかし、手違いが起きてしまい防ぎきれなかった。将来ある若い女性に大きな傷を心に残してしまった。その、償いだと」

「そんな、無理です。私、受け取れません!」


 夏恋の混乱はおさまらなかった。どう考えても、どうしてこんなことになるのか結びつかないのだ。


 山崎はなにもかも理解した。やはり、彼も潜入捜査官だったのかと。自分の存在や功績を知らせる家族がない男は、一人寂しくこの世を去るはずだった。しかし、そこに夏恋が現れた。最悪な偶然に居合わせてしまった夏恋への、せめてもの償いと、死にゆく己への慰めにしたかったのだろうと。


「まさやさんは、何者なんですか!」


 夏恋は怒鳴るように相馬に詰め寄った。全部冗談でしたと言ってほしい。しかし、相馬の表情は少しも変わらない。


「鈴木聖也は警察官でした。いわゆる、潜入捜査官です。国民の生活を守るために、犯罪組織に身を置いていました。約20年です。それは、警察学校を出てからすぐだったと推測します。彼は我々の誇りです。立派な警察官、でした」

「嘘っ、嘘です! だって、そんなの……そんなの、悲しすぎます! 悲し、すぎ……ます」


 いい人、というレベルではなかった。夏恋が共に過ごした男は、真の正義を心に秘めた人間だったのだ。悪を演じ、悪を思わせながら身分は警察官だったなんて誰が信じられるだろうか。


――まさやさんは、警察官だったって。そんなことって、ある?


 夏恋の心はぐちゃぐちゃだった。悲しみと怒りが入り乱れ、腹の底が煮えたぎるように熱くなった。


――国民のために、一人の人間を悪者にしてっ。死んだ後に昇格しましたって! 誰が喜ぶの? 死んだら、喜べないよ! なんにもならないよ!


「ひどい……。警察って、酷い。彼は犠牲者です。犠牲者を警察は組織的につくってる!」


 相馬は何も言わなかった。自身も過去、潜入捜査官であったからだ。そして今は上に立つ者として、何度かこういう場面に立ち会ってきた。残された者の気持ちを思えば、警察の方が犯人よりよっぽど残酷だと思える。


「山口さん……俺っ」


 怒りと悲しみに震えた夏恋を見た山崎は、言葉に詰まった。自分もその潜入捜査官の一員であることが、言葉を失わせてしまったのだ。山崎は傷ついた夏恋をただ黙って見ていることしかできなかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る