第41話 大好き

 と、そこまで考えたところで不意に目の前がぼやけてきて、ふらりと体が揺れた。


「志保!」


 木葉が慌てて声をかける。最近こんな風に眩暈を起こす事がよくあった。それに、体力だって落ちている。その原因はもちろん、木葉の子を産もうとしていることにある。

 妖怪である木葉との繫がりが深くなれば、それだけたくさんの生気が失われる。その言葉通り、お腹にこの子を宿した時から、私の生気はみるみる失われていった。


 入院しているのだって体調のことを考えると安静にする必要があると医者から言われたからだ。とはいえ生気が無くなるなんてのは、おそらく人の行う医療では管轄外なので気休め程度にしかならないだろう。

 だけど私達も全くの無策というわけじゃなかった。


 壁に手をついて体を支える私に、木葉は手の平を向けた。


「じっとしてて。今何とかするから」


 その瞬間、触れてもいない木葉の手から熱が伝わってくるような気がした。ポカポカとした温かさが全身に広がり、眩暈の影響で揺れていた視界も次第にはっきりしてくる。


 木葉から私に向かって伝わってきたもの、それは木葉の生気だ。

 木の葉は私が体調を崩すたび、何度もこうして自分の生気を分けてくれた。


「ありがとう。もういいよ」


 だいぶ落ち着いてきたのでそう言ったのだけど、木葉はそれに首を振った。


「まだだめ。もう少し蓄えていた方がいいよ」

「いいってのに」


 私がこれを早めに終わらせようとするのは、木葉の体調を考えての事だ。

 木葉の生気だって無限にあるわけじゃない。自らの生気を分けると、当然今度は木葉の生気が少なくなる。これだけの量を私に分け与えるというのは、もはや命を削っていると言ってもよかった。


 妖怪は人間より丈夫だと聞いているけど、やはり苦しいのだろう。もはや輪郭しか見えていないけど、それでも肩で息をしているのは分かるし、辛そうな息づかいが聞こえてくる。


「ホントにもういいから。それ以上やったら今度は木葉が危ないじゃない」


 私の体を気遣ってくれるのは嬉しいけど、そのせいで木葉が苦しむのは嫌だ。だけど木葉はそれでも私に生気を送るのを止めようとはしなかった。


「約束しただろ。俺が生気を渡す時は、たとえ何があっても拒んだりしないって」


 それは子供を作ると決めた時に、この葉から出された条件の最後の一つだった。この葉はたぶん、今みたいな状況で私に遠慮させないため、そんな条件を出したのだろう。


「もう志保一人の体じゃないんだから、念入りにしておかないと」


 木葉が膨らんだ私のお腹を見ていく。約束に加えて子供の事まで出されたら、素直に従うしかない。


「しかたないわね。でも、絶対に無理はしないでね」

「分かってるよ」


 どうだか。こう言う時の木葉は平気で無理をしそうで心配だ。

 ようやく生気を送るのが終わると、全身に満ちた心地良さのせいか、なんだか瞼が重くなってきた。


「眠いなら寝てていいよ」


 木葉はそう言うけど、こうして過ごせる時間が残り少ないことを思うと、なんだか眠ってしまうのはもったいない気がする。だけどそんな思いとは裏腹に、眠気はますます強くなっていく。


「今は眠って、しっかり体力つけときなよ。大丈夫。この子が生まれるまで、俺はずっとそばにいるから」


 その言葉にホッとして、いよいよ目を閉じる。薄れゆく意識の中、もう一度だけ目を開き、木葉の方へと手を伸ばす。


「ねえ、手を握ってよ」

「えっ?」


 困ったような声が返ってくる。そりゃそうだ。私の生気が失われないため、極力接触するのは避けているのだから。


「すぐ眠るから、その間だけ。いいでしょ?」


 あまりの眠気に頭が回らなくなっているのだろうか。普段なら絶対に言わないような甘えた声で囁いた。

 小さくため息が聞こえてきて、伸ばした手に柔らかな感触が伝わる。ワガママ言ってゴメンね。だけど、とても嬉しい。

 再び目を閉じようとして、最後に木葉の姿を確認する。もうぼんやりとしか見えないその姿が、それでもとても愛おしかった。

 そして本当に目を閉じた時、何かがそっと私の唇に触れたような気がした。




           ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 次に目を覚ました時には、木葉の姿はどこにも見えなかった。

 少し外しているだけかもしれない。一時的に見えなくなっていて、少ししたらまた分かるのかもしれない。そう考えながら、それでもなんとなく、私の中に会った妖怪を見る力が完全に失われたんだと思った。


 もう二度と木葉の姿を見る事も、声を聞く事も出来ないのだと悟った。実際、その通りだった。


 少しだけ泣いて、だけどすぐにその涙を拭う。


 たとえ見えていなくても、木葉は子供が生まれてくるまでずっとそばにいると言っていた。なら、みっともない姿なんて見せられない。私のするべき事は泣く事じゃなく、元気な子を産んで安心させてやることなのだから。


 子供が生まれたのはそれから間もなくしてから。元気な男の子だった。




     

 病室で一人我が子を抱きながら、静かに木葉のことを思う。

 この子が生まれた時、木葉はどんな顔をしただろう。ちゃんと一番に抱っこできただろうか?


 それを確かめる術は今の私には無い。まだそばにいるのか、それとももうどこかに行ってしまったのか、それすらも分からない。

 それでも、彼の顔を思い浮かべながら、この声が届くようにと願いながら、心に溢れる思いを口にする。


「木葉……大好きだよ」

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