第18話 こぼれた想い



 初めてそれを意識したのは、お煎餅の一件が終わりを迎えた時だった。その時見た木葉は、僅かにその輪郭が透けて見えた。それまでは、背中の羽以外は人間と区別がつかないくらいにハッキリ見えていたというのに。


 だけどまさか、私の持っている妖怪を見る力が無くなってきているなんて思いもしなかった。むしろ最初は、私ではなく木葉の方に何かあったんじゃないかと心配していた。


 次に変化に気付いたのは、木葉の姿をすぐには見つけられなくなった時だった。木葉と会う約束をして待ち合わせ場所に行っても、私から木葉を見つける事できなくなっていた。それどころか、木葉が私を呼んでもそれに気づかないことが度々あった。

 それだけじゃない。触れられても何も感じなくなるし、周りで妖怪の関係した何かが起こっても、無かったものとして認識してしまう。つまり、妖怪に関係する一切が分からなくなる。


 それでも私は、自分に起きた変化を受け入れられないでいた。何しろ物心がつく前から当り前のように妖怪の姿を見てきたんだ。今になって見えなくなるなんて、そんな事思いもしなかった。いや、考えないようにしていたのかもしれない。だって妖怪が見えなくなるというのは、木葉とはもう会う事も話すこともできないという事なのだから。


 だけどこの数か月、私の変化は残酷なまでにハッキリと分かるようになっていた。


「志保。今は、俺以外の妖怪の姿って見える?」


 再び私の隣に座った木葉が聞いてきた。私はそれに小さく首を振ってこたえる。

 そう。かつてはあれだけ見えていた妖怪達も、今では明らかに目にする回数が減ってきていた。学校近くにいる一反木綿や化けネズミも、最近じゃ姿を見かける回数が減っていた。

 彼等がどこかに行ったわけじゃ無い。私が、彼らに気付かなくなったんだ。


 人は成長するとともに持っている霊力が失われることがある。

 自分の変化に戸惑う私に、木葉はそう告げた。思えばそれが、私たちにとって最後の時の始まりだったのかもしれない。

 お煎餅だってそうだ。あの子はしょっちゅうユキのそばについて回っているから、多分さっきも近くにいたんだろう。だけど今の私には、その姿は見えなかった。


「でも、木葉は見えるわよ」


 込み上げてくる不安を抑えながら、私は絞り出すよう言う。それでも、こんなにいるのに木葉の存在を遠くに感じた。


「俺とは長く一緒にいるから、繋がりも濃くなっているんだろうな」

「まあ、そう遠くないうちに木葉のことも見えなくなるんだろうけどね」


 現にさっきは、すぐそばにいるにも関わらずその姿が見えていなかった。こんなことも初めてじゃない。

 一度何かのきっかけで木葉がそこにいるという事が分かれば、再び目に映す事は出来た。だけどそうやって見たその体も、透き通っていて随分と儚く見えた。

 木葉の体がどのくらい透き通っているかはその時々で変わっていたけれど、今ではこんなに消え入りそうになっている。


「あとどれくらい、木葉の姿を見ていられるのかな」


 それがもう残りわずかだと、私も木葉も確信していた。これまで感じてきた感覚では、私の妖怪を見る力は時が経つにつれより急速に失われていた。

 もう、いつ木葉の姿が完全に見えなくなったとしても不思議はなかった。


「ずいぶん遅いけど、家に帰らなくて大丈夫?」


 木葉が言った。時計を見ると、確かにそろそろ帰った方が良い時間になっている。それでも私は、まだ木葉と離れたくはなかった。


「平気よ。友達とカラオケ行くから遅くなるって言ってあるもの」


 ユキ達の顔を思い浮かべながら言う。彼女達なら、頼めばきっと後で口裏を合わせるくらいの事はしてくれるだろう。

 こんな風にクラスメイトの事を思うだなんて、かつての自分には考えられなかったことだ。


「学校、上手くやってるみたいだね」

「急に何言ってるのよ」

「友達がいないって泣いてた頃が嘘みたい」

「ホント何言ってるのよ!」


 木葉はきっと、私と初めて会った時の事を言っているんだろう。もうずいぶん昔のことだけど、自分が泣いている時の事を語られるのは恥ずかしい。

 そう思った私は、ずっと気になっていたことを木葉に聞いてみることにした。


「ねえ木葉。アンタが私に友達作れって言ったのって、いずれ私がこうなるってわかってての事なの?」


 思えば初めて木葉の姿が薄く見えたのは、そう言い出してから数日後の話だった。今思うとあれは、私が木葉の姿が見えなくなった後一人にならないようにと思って言った事なんじゃないかとさえ思ってしまう。


「さあ、どうかな。でも志保に人間の友達が出来て、俺は嬉しいよ」

「保護者みたいな事言わないでよ」


 とぼける木葉にイラっとする。まるで私との別れの準備を進めているみたいで嫌だったのかもしれない。


「木葉はいいの?このまま私が、木葉の事を分からなくなっても」


 いつのまにか、私の目には涙が滲んでいた。喉の奥から這い上がってくるような痛みをこらえながら、じっと木葉の言葉を待つ。


「嫌だって言って何とかなるなら、何度だって言うよ。でもそうじゃない。人は成長するとともに持っている霊力が失われることがある。そして一度なくした力は、二度と戻ることは無い」


 さっきまでとは違って、木葉は優しく諭すように言う。だけど私はそんな言葉では到底納得できなかった。むしろ、この状況を受け入れているような木葉の様子に酷く腹が立つ。


「……私は、嫌だよ」


 ポツリと、ずっと心に留めていた本音が、とうとう口から零れた。その途端、流れ出た涙が頬を濡らした。

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