第5話 中学生になりました


薄暗い森の中を、私は全力で走っていた。

 その理由はただ一つ。背後から迫ってくる、猿のような姿をした妖怪から逃げるためだ。


「ええい、しつこい!」


 妖怪の中には、私が見える奴だと分かると、何かと興味を持って騒ぎ出すやつらが何人もいた。目が合った時、声を上げた時、奴らは珍しそうに私を眺め、時に手を出してくる。血気盛んなヤンキーじゃあるまいし、暇なのだろうか。

 特にこの森にはたくさんの妖怪が住んでいるから、こんな目に遭うのも初めてじゃない。だから来たくなかったんだと心の中で悪態をつきながら、なおも足を必死で動かす。


 ならなぜこんな所に来たのか。そう聞かれたのなら、それはアイツに会うためだ。さっきも言ったけど、妖怪は私が『見える』やつだと分かると興味を持ってくる。その中でもアイツは、今までで一番私に興味を持った奴だった。


 チラリと後ろを振り返ると、猿の姿をした妖怪はもうすぐそこまで迫っていた。やはり人間と猿ではスピードが違うのか。おまけに途中で仲間が合流したのか、いつの間にかその数は三体に増えていた。


 もしこのまま奴らに掴まったら。そう思うと流石に焦る。だけどそんな追いかけっこも、間もなく終わりを迎えた。


「離れろ!」


 そんな声と共に、突如現れた人影が私と猿たちの間に割って入った。


「木葉!」


 思わず彼の名前を呼ぶ。木葉は相変わらず白い着物を身に纏い、背中から同じく白い羽を生やした姿をしていた。私を庇うように前に立ち、追ってきた猿達を一瞥する。


「引いてくれるか。この子は俺の友達なんだ」


 明らかに猿達が驚くのが分かった。それぞれが顔を見合わせながら、なにやらザワザワと話している。

 その時、急に辺りの空気の動きが変わった。急に突風が吹いたかと思ったら、瞬く間にそれはつむじ風となり、猿達のすぐそばをかすめた。

 この風は木葉がおこしたものだ。木葉は、風を自在に操るという、人では決して持つことのできない力を持っていた。


「もう一度言うぞ。引いてくれるか」


 今度はさっきよりも言葉を強めて言う。するとそれに驚いたのか、猿達は一斉にその場からいなくなってしまった。

(助かった)


ホッと胸を撫で下ろすと、今まで背中を向けていた木葉が私へと向き直る。


「志保、大丈夫だった?怖かっただろう」


 そう言ってにこやかに近づいてくる。だけど私はそんな木葉を見て、その額に向かって軽く手を振り下ろしてやった。


「痛っ!いきなり何するんだよ!」

「うるさい。そもそもあいつらに追っかけられたのだって、木葉がなかなか来なかったせいなんだからね」


 今日私がここに来たのは、元々木葉と会う約束をしていたからだ。場所は私達が初めて出会ったあの社。時間はお昼過ぎという約束だった。


 なのに木葉はなかなか来なかった。しかも、一人で待っていて退屈しているところにさっきの猿の妖怪が通りかかり、ふとしたことから私が見える奴だと気づかれ、追いかけられたというのが今回の出来事の起こりだった。


「あんたが遅れずに来たら、こんな事にはならなかったんだから」

「待ってよ。約束したのは昼過ぎで、細かい時間なんて決めてなかったじゃないか。だいたい俺達は人間と違って大まかな時間しか分からないんだからさ」

「女の子と待ち合わせしたんだから、早く来るのが常識でしょ」


 そう言って木葉の頭をもう一度殴る。とは言っても何も本気で殴っているわけじゃない。いわばこれは私達にとって一種のじゃれ合いのようなものだった。

 

「……それで、わざわざ呼びだしておいて何の感想も無いの?」


 文句を言うのが一段落ついた後、改めて木葉に向かって言う。私達が普段会う時はほとんどの場合、今回のようなちゃんとした場所や時間の取り決めなんてしていなかった。それが今回に限って約束したのは、今の格好をした私を見たいと木葉が言い出したからだった。


「そうだった、凄く似合ってるよ。前に町に行った時に似たような恰好をしている人が何人かいたけど、それが制服ってやつ?」


 私は、つい先日家に届いたばかりの制服に身を包んでいた。今度入学する中学校の制服だ。人間社会の事をよく知らないでいる木葉に学校について話したら、制服を着た私を見てみたいと言い出したのだ。


「でも、他の人が着たのを見た事あるなら、私のなんて見る必要なかったじゃない」


 それなのにわざわざ着替えてからこんな所まで来て、おまけに妖怪との追いかけっこまでして。あとで親に汚したと怒られないかが心配だ。


「俺は他の誰かじゃなくて志保が着ているのが見たかったんだよ」

「なによそれ」


 その物言いに思わずそっぽを向く。木葉と出会ったからもう一年以上が経っているけど、急にそんな事を言われると何だか恥ずかしくなってくる。


 それでも不思議と嫌とは思えず、さっきまで気にしていた服の汚れの心配もいつの間にか頭から無くなっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る