第29話 今、なんて言った?

 肩を掴まれ逃げることのできなくなった木葉は、困った表情を浮かべるとついに観念したように言った。


「逃げないから放してよ」

「絶対だからね。いなくなったらまた探して回るからね。森の奥に行って、ヌシ様と直接対面するかもしれないからね。ユキにもアンタの事ぶん殴るって約束したんだから、絶対よ!」

「わかったよ」


 半分脅しに近い念押しをしながら手を放す。だけどこれからが本番だ。根本的な問題はまだ何一つ解決いていない。


「鹿王から全部聞いたんだろ。今の志保が妖怪とつながりを持ったら生気を失うって」

「……うん」


 躊躇いがちに頷く。本当は認めたくなかった。認めてしまったら、次に木葉が何と言うか予想がついているから。


「だったら分かるだろ。俺には二度と近づかない方がいい」


 ほらやっぱり。絶対そう言うと思ってた。


「どの道、志保の妖怪を見る力は遠くないうちに完全になくなって、俺達は会えなくなる。それが少し早くなるだけだよ」


 諭すように話す木葉。たしかに、命を縮めるような真似をして会い続けたとしても、最期の時をほんの少し先送りにするだけだ。それならいっそ、今ここですっぱりと終わりにするというのが一番いいのかもしれない。


 だけどそう考えておきながら、なおも私はそれに頷くことができなかった。


「嫌」


 理屈も何もない、ただ感情だけをのせて言う。木葉が困った顔をして、それを見て申し訳なく思う。

 本当はそんな顔させたくないのに、笑顔でお別れを言えた方がずっといいのに、それをこんな意地かワガママかも分からない感情で振り回している。

 それでも、離れたくないという思いだけはどうしても消すことができなかった。


「あの鹿王って人、こうも言ってたわよ。たまに会う程度なら、そこまで大事には至らないかもしれないって」


 ただしその後に、きっとそれは無理だと思ったんだろうと続いていたけど。

 正直残された時間の少ない今、たまに会って話をするだけで満足できるかと聞かれると、とてもそうとは思えない。

 伝えたい想いがある。もっと先に関係を進めたい。だけどそれを言うわけにはいかない。


「会う回数は減るかもしれないけど、話をするだけなら今までと変わらないじゃない。どこに問題があるって言うのよ」


 本当は問題大有りだ。主に私の気持ちの面で。だけどそれを話したら、きっと木葉は会うのをやめるに違いない。

 だから本当の心を悟られないように振る舞う。このままずっと自分の気持ちを隠しながら、何とか木葉を繋ぎ留めることができれば。


 思いを伝えられないのは悲しいけど、このまま関係が終わってしまうよりはマシだ。それに、伝えたところで木葉がそれに応じてくれるとは限らない。

 木葉が私のことを憎からず思ってくれているという自信はある。だけどそれが私と同じ、異性として恋焦がれるものとは限らない。だからこのまま、この気持ちに蓋をするのは色んな意味で都合がいい。そう自分に言い聞かせようとした。


 だけど、しばらく黙って聞いていた木葉がポツリと言った。


「……なんだよそれ」

「え?」


 静かに言い放たれたはずのそれは、どこか怒っているようにも聞こえた。


「たまに会って話をするだけって、志保は本当にそれだけで良いと思ってる?」

「―――っ」


 ドキリとして、言葉が出てこなかった。

 そんな事を言うって事は気づいているのだろう。私が木葉を、本当はどう思っているかを。

 なんだ、せっかく隠そうと決めた思いはとっくにバレていたのか。急に体から力が抜ける。だけど考えてみれば当然か。

 たまに会って話すだけなら大丈夫。そうと分かっていながら姿を消したのも、私の気持ちに気付いていたのなら、より納得できる。


 それでも何とかこのまま押し切ろうと必死でしらを切る。


「そうよ。今までだってそうだったじゃない、他に何があるっていうのよ。いつもみたいに下らないお喋りができたら、それ以外には何もいらないわよ」


 ああ、何て白々しいセリフだろう。本当は言葉なんかじゃ全然足りないというのに。

 だけどそれを聞いた木葉はそっと顔を伏せ、じっと黙り込んだ


「…………」


 木葉はさっきから顔を伏せて黙り込んだままだ。

 相手がそんなだから、何だか私も声を出すのをためらい、沈黙が続く。いったいどうしたというのだろう。

 戸惑っていたところでようやく木葉の口が動いた。


「なんだよ!」


 もう一度言い放たれた同じ言葉。それは殺気よりずっと激しく辛そうだった。木葉はそれからは何も喋らず、かわりにサッと手を伸ばすと私の肩を掴み、そのまま自分の方へと引き寄せた。


「ちょ……ちょっと」


 いきなり何をするんだ。これじゃまるで抱きしめられてるみたいじゃないか。

 いや、みたいじゃなくて、まさに私は抱きしめられていた。始めこそ強引だったその手つきも今は優しく、間近に迫ったどこか愁いを帯びた表情にドキッとする。

 こんなことをされたら、せっかく抑えようとした感情が溢れてしまう。見る見るうちに顔が火照ってきて、思わず背中に手を回したくなる。

 もしやそれが作戦なの?こうすることで、無理やり私の気持ちを暴こうっていうの?


 必死で理性を保ちながら、何とかその手から逃れようとする。だけどその時、急に視界が揺れ、脱力感が襲ってきた。どうやら木葉に長い間触れていたせいで少し生気が失われたようだ。


「――っ」


 私の様子が変わったのを見て、木葉は慌てて掴んでいた手を伸ばして距離を作る。同時に、生気が失われていく感覚も消えた。

 そして木葉は、力なくガックリと項垂れていた。


「………ごめん」


 表情は見えないけど、その声にはハッキリとした後悔の念が含まれ、肩は小さく震えている。


「ううん。これくらい何でも無いって」


 フラついた体を立て直しながら言う。実際これくらいならさっき鹿王に吸い取られたのと比べると大したことは無い。何よりこんな木葉を見て攻める気なんて起きない。

 だけど木葉は尚も顔を伏せたまま、ボソボソと続けた。


「でも、これからも一緒にいたら、俺はきっとまた同じようなことをするよ。そりゃ志保は今まで通りでいいかもしれないけど、俺には無理なんだよ」


 いつの間にかその声はしだいに熱を帯びてきていた。方の震えは止まり、だらんと下げられていたはずの手は、今は強く握られてる。


 そして、叫ぶように言った。


「好きな奴のすぐそばにいて、もうすぐ会えなくなると分かっていて、なのに何もできないなんてどんな拷問だよ!」

(えっ……)


 木葉の手が私から離れ、その動きが止まる。同時に私の思考も止まった。


 もしかして木葉、今私のこと好きって言った?

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